2014年1月24日(金)
三角点225.7mより
次は標高点221mの地点を目指します。
ゴルフ場と相州アルプス
指導標 上荻野・幣山 ⇔ 八菅神社(はすげじんじゃ)・八菅橋(はすげばし)
ゴルフ場関係の施設のようです。 直進 左はゴルフ場内に入ってゆく道で立入禁止の標識あり。
指導標 「 上荻野バス停方面 → 」
送電鉄塔脇を進んで 「佐久間東幹線403号」
分岐点 指導標 上荻野バス停1.8Km ⇔ 八菅神社1.5Km 八菅橋2.4Km
右、幣山(へいやま)0.6Km
ゴルフ場関係の施設を右に見ながら坂道を下ると
広い道が左右に分かれます。 正面やや左寄りにも小さな標識( ← 上荻野バス停)があって、ハイキングコースは左に折り返して進むように設定されていました。
*左に進めば何の問題もなく上荻野バス停に至る筈ですが、私は右に進んで標高点221mのところから尾根筋を利用して海底(おぞこ)地区付近に出ようと考えていました。従ってこの先は正規のハイキングコースを外れるので、ウォーキングには適さないところも出てきます。
右に進むと道はすぐに二手に分かれるので更に右の道へ
左手に観測施設らしきものが
「相模川水系荻野雨量観測局」という名称で、雨量を無線で城山ダムに知らせるための施設でした。
尾根筋のしっかりした道を歩きます。
降雪の名残り
ここも右へ進みます。 左はゴルフ場内へ
緩やかな上りの道を進んでゆくと水道関係の施設のようなものが現れました。ここから道は左に曲がりながら下りに転じます。(確かな事は言えませんが、この道をそのまま進むと丸山地区に至るようです)
という事で、どうやらこの辺りが標高点221mの地点ではないかと思いました。
*この地点から北西方向に一直線に延びる尾根を角田大橋(すみだおおはし)に向かって下ろうというのが当初からの計画でした。分かりやすい尾根であるし、踏み跡もありそうな気がしていました。
ただし、問題点が全く無いわけではありません。地形図を良く見ると尾根の先端部が崖になっているようなので、その場合は西側(海底地区側)に回り込みながら一般道に出られそうなところを探そうと思っていました。あとはヤブですね・・・
標高点221m地点と思われるところ 左が丸山地区(?)方向で、正面が尾根方向です。尾根への進入口を探しながらやや右寄りに進んだ所が
この場所です。 少々はっきりしないところがありますが、良く見ると踏み跡らしきものが見えました。
中に入ってみるとこんなにはっきりした踏み跡というより道がありました。これは予想以上のものだったので驚かされました。
調子よく進んでゆくと、間もなく道は左(西)方向に曲がって行きます。どこに進むのか分からなかったのですが、このルートを進んでしまうと尾根から外れそうな気がしたので、ちょうどこの辺りから直進方向に進むことにしました。そのため踏み跡は薄くなってしまうのですが、角田大橋に向かって尾根を外さないように歩きました。
やや荒れた感じですが、明らかにそれらしき道も現れます。
小広いスペースに
造りかけの林道のような跡も現れます・・・というよりこれは防火帯でしょうか
防火帯?がヤブっぽくなってきたところ。夏場はうるさくなりそう・・・
樹間に角田大橋がちらりと見えてきました。
角田大橋の見え方からすると尾根はもう先端部に近いようです。
角田大橋と中津川 これは注意しながら尾根の先端に近づいて撮影したものですが、下はコンクリートを吹きつけたかなり高い崖になっていました。
予定通り、少し戻ってから左手に回り込んで進む事にしました。かろうじて踏み跡らしきものもありました。獣道にも見えますが、途中でテープのマーキングがあったので人も通ったことがあるのでしょうね。
間もなく小さな墓地の裏手に出てきました。左手に回り込んでから5~6分の所だったと思います。
一般道に出てからその墓地を眺めたところ 左、幣山地区方向 右、平山地区方向 勝楽寺のある平山地区方向に進みます。
ここは海底地区です。 何とも面白い地名すね。傍を流れる中津川と関係があるのでしょうか? 住所でいうと、「神奈川県愛甲郡愛川町角田」というところになります。
途中にあった小さな橋の橋名板「海底沢橋」
正面に勝楽寺の門が見えてきました。
県道54号線を横断します。 左、平山坂下交差点 右、平山大橋 近くには「半僧坊前」バス停があります。
寺号標 「田代半僧坊」 「曹洞宗 勝樂寺」
説明板によると、勝楽寺には遠州奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祀られているところから「田代半僧坊」とも呼ばれています。4月17日の例大祭は多くの人で賑わい、中でも近郷近在の新花嫁が挙式当日の晴れ姿で参拝する習わしがあるので花嫁祭とか美女祭として知られているそうです。
説明板によれば、元は真言宗で、初め永宝寺と称し後に常楽寺から勝楽寺に変わった。天文年中、能庵宗為大和尚が開山し曹洞宗となった。・・・寛政五年焼失し、後に再建されて今日の姿になったという・・・
山門 これだけの山門をもつ寺院は珍しいですね。 この山門は名匠の右仲、左仲、佐文治の三兄弟の工によるもので、楼上に十六羅漢の像があるそうです。
山門 扁額に「満珠山」 両側には大きな仁王像
もう一つ門が現れて、これは中門といったら良いのでしょうか?
本堂
鐘楼
No.359
三角点225.7mより
次は標高点221mの地点を目指します。
ゴルフ場と相州アルプス
指導標 上荻野・幣山 ⇔ 八菅神社(はすげじんじゃ)・八菅橋(はすげばし)
ゴルフ場関係の施設のようです。 直進 左はゴルフ場内に入ってゆく道で立入禁止の標識あり。
指導標 「 上荻野バス停方面 → 」
送電鉄塔脇を進んで 「佐久間東幹線403号」
分岐点 指導標 上荻野バス停1.8Km ⇔ 八菅神社1.5Km 八菅橋2.4Km
右、幣山(へいやま)0.6Km
ゴルフ場関係の施設を右に見ながら坂道を下ると
広い道が左右に分かれます。 正面やや左寄りにも小さな標識( ← 上荻野バス停)があって、ハイキングコースは左に折り返して進むように設定されていました。
*左に進めば何の問題もなく上荻野バス停に至る筈ですが、私は右に進んで標高点221mのところから尾根筋を利用して海底(おぞこ)地区付近に出ようと考えていました。従ってこの先は正規のハイキングコースを外れるので、ウォーキングには適さないところも出てきます。
右に進むと道はすぐに二手に分かれるので更に右の道へ
左手に観測施設らしきものが
「相模川水系荻野雨量観測局」という名称で、雨量を無線で城山ダムに知らせるための施設でした。
尾根筋のしっかりした道を歩きます。
降雪の名残り
ここも右へ進みます。 左はゴルフ場内へ
緩やかな上りの道を進んでゆくと水道関係の施設のようなものが現れました。ここから道は左に曲がりながら下りに転じます。(確かな事は言えませんが、この道をそのまま進むと丸山地区に至るようです)
という事で、どうやらこの辺りが標高点221mの地点ではないかと思いました。
*この地点から北西方向に一直線に延びる尾根を角田大橋(すみだおおはし)に向かって下ろうというのが当初からの計画でした。分かりやすい尾根であるし、踏み跡もありそうな気がしていました。
ただし、問題点が全く無いわけではありません。地形図を良く見ると尾根の先端部が崖になっているようなので、その場合は西側(海底地区側)に回り込みながら一般道に出られそうなところを探そうと思っていました。あとはヤブですね・・・
標高点221m地点と思われるところ 左が丸山地区(?)方向で、正面が尾根方向です。尾根への進入口を探しながらやや右寄りに進んだ所が
この場所です。 少々はっきりしないところがありますが、良く見ると踏み跡らしきものが見えました。
中に入ってみるとこんなにはっきりした踏み跡というより道がありました。これは予想以上のものだったので驚かされました。
調子よく進んでゆくと、間もなく道は左(西)方向に曲がって行きます。どこに進むのか分からなかったのですが、このルートを進んでしまうと尾根から外れそうな気がしたので、ちょうどこの辺りから直進方向に進むことにしました。そのため踏み跡は薄くなってしまうのですが、角田大橋に向かって尾根を外さないように歩きました。
やや荒れた感じですが、明らかにそれらしき道も現れます。
小広いスペースに
造りかけの林道のような跡も現れます・・・というよりこれは防火帯でしょうか
防火帯?がヤブっぽくなってきたところ。夏場はうるさくなりそう・・・
樹間に角田大橋がちらりと見えてきました。
角田大橋の見え方からすると尾根はもう先端部に近いようです。
角田大橋と中津川 これは注意しながら尾根の先端に近づいて撮影したものですが、下はコンクリートを吹きつけたかなり高い崖になっていました。
予定通り、少し戻ってから左手に回り込んで進む事にしました。かろうじて踏み跡らしきものもありました。獣道にも見えますが、途中でテープのマーキングがあったので人も通ったことがあるのでしょうね。
間もなく小さな墓地の裏手に出てきました。左手に回り込んでから5~6分の所だったと思います。
一般道に出てからその墓地を眺めたところ 左、幣山地区方向 右、平山地区方向 勝楽寺のある平山地区方向に進みます。
ここは海底地区です。 何とも面白い地名すね。傍を流れる中津川と関係があるのでしょうか? 住所でいうと、「神奈川県愛甲郡愛川町角田」というところになります。
途中にあった小さな橋の橋名板「海底沢橋」
正面に勝楽寺の門が見えてきました。
県道54号線を横断します。 左、平山坂下交差点 右、平山大橋 近くには「半僧坊前」バス停があります。
寺号標 「田代半僧坊」 「曹洞宗 勝樂寺」
説明板によると、勝楽寺には遠州奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祀られているところから「田代半僧坊」とも呼ばれています。4月17日の例大祭は多くの人で賑わい、中でも近郷近在の新花嫁が挙式当日の晴れ姿で参拝する習わしがあるので花嫁祭とか美女祭として知られているそうです。
説明板によれば、元は真言宗で、初め永宝寺と称し後に常楽寺から勝楽寺に変わった。天文年中、能庵宗為大和尚が開山し曹洞宗となった。・・・寛政五年焼失し、後に再建されて今日の姿になったという・・・
山門 これだけの山門をもつ寺院は珍しいですね。 この山門は名匠の右仲、左仲、佐文治の三兄弟の工によるもので、楼上に十六羅漢の像があるそうです。
山門 扁額に「満珠山」 両側には大きな仁王像
もう一つ門が現れて、これは中門といったら良いのでしょうか?
本堂
鐘楼
No.359