ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

【1】老人の在日工作員に気をつけよ!(1/2)

2013-06-04 11:20:23 | 石平チャイナ・政治・経済

日本の心を伝える会
メールマガジンNo.672
 2013/5/13

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■□【1】老人の在日工作員に気をつけよ!(1/2)

複数の方から、いわゆる「お年寄り」が、あちこちで、
「自分はかつて日本で、軍隊にいて、非道な振る舞いをした」と吹聴してまわっているという話が寄せられました。

実際に軍人として戦争を「経験した」お年寄りが、
「自分は、上官の命令で赤ん坊を銃剣で殺した」
「上官の命令で村人を皆殺しにし、女性たちを輪姦した」
「町を守るための警備をしていたが、敵が攻めて来たら上官が真っ先に逃げ出したので、自分も町の人たちをほったらかして、逃げた」等々と、自分自身の実体験として吹聴してまわっている、というのです。

結論からいうと、これは「工作」です。


言われた方はびっくりします。
なにせ、体験者の体験談です。
実体験であるだけに、説得力がある。

日頃、ねずさんのブログで、日本の軍人さん達がたいへんに立派な人たちだったと聞いているけれど、体験者の話は、それと180度違う。
どちらが本当の日本の姿なのか?というわけです。

いずれも、その「お年寄り」の方は、年齢が70代後半から最高齢者82歳です。
私も最初、話を聞いたときには、びっくりしました。
けれど、年齢を聞いて、思わず「やれやれ」と思ってしまいました。

今年は、戦後67年経っているのです。
皆様にも、ぜひ、この67年という数字を頭に入れておいていただきたいのです。

大東亜戦争の終戦から67年経過しているということは、終戦時点で最年少の兵隊さんだったとしても、今年すでに「86歳」になっている、ということなのです。
82歳では、年齢があいません。

日本の徴兵制度は、明治6年から制定されていますが、もともと「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は兵役の義務から免除されていたことにくわえ、年齢制限も満20歳とされていました。
昭和18年からはこれを一年繰り上げていますが、それでも満19歳からの徴用です。
それより年少者に兵役の義務はありません。
つまり、終戦時点で19歳だった者、すなわち今年86歳以下の者が、日本の帝国軍人として徴用されていた可能性は皆無だ、ということです。

年齢のごまかしもできません。
なぜなら日本は、古来、戸籍制度がきちんとしているからです。

ということは、上の「非道をしてきた」と自白しているお年寄りは、最高齢でも82歳です。
昭和20年の時点では、まだ15歳、75歳のお年寄りなら、終戦時点で8歳の子供です。

「自分は軍人として、非道の数々を行ってきた」と「告白」しているそれらお年寄りは、残念ながら大東亜戦争の時点では、兵役どころか予備兵の対象にすらなっていない、つまり従軍体験はないのです。

では、その方達が銃を持って兵隊として戦ったのは、もしその「非道をした」ということが事実とするならば、いったいいつの、どの戦争のときのことなのでしょうか。

日本は、昭和20年の大東亜戦争終戦後、今日にいたるまで一度も戦争をしていません。
そもそもそれらお年寄りが青年であった頃の日本には、軍隊はおろか自衛隊すらありません。

答えは、「朝鮮戦争」というのなら、話が一致します。

朝鮮戦争は、南北朝鮮合わせて500万人が死んだ、人類史上、もっとも悲惨な戦争のひとつに数えることができる戦争です。
そしてそのうち383万人が、朝鮮半島での民間人死傷者です。
兵よりも、民間人が多く殺傷されたのです。

その朝鮮戦争が行われたのは、昭和25年?昭和28年までの3年間です。
そしてこの朝鮮戦争では、韓国は14歳から17歳の少年少女14,400人を韓国兵として徴用しています。
ちなみに、ジュネーブ条約では、第四条で、満15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を禁止しています。
当時の韓国政府は、実にとんでもないことをしたものです。

ただ、昭和28年の朝鮮戦争休戦の時点で14歳だった者なら、今年73歳です。
先ほど申上げた、日本の終戦時15歳だった子供(いま82歳)も、朝鮮戦争休戦時には23歳の若者になっています。
まさに、兵役のまっただ中です。
銃を持って戦場に赴いた可能性は、十二分にある。

要するに冒頭に述べた、
「自分はかつて日本で、軍隊にいて、非道な振る舞いをした」
というのは、嘘ではないにしても、間に言葉が抜けている。
実際には、
=====
自分はかつて日本(であった朝鮮半島に住む朝鮮人)で、
(朝鮮戦争のときに、韓国の)軍隊にいて、
非道な振る舞いをした
=====
と告白しているのです。

なるほど朝鮮戦争では、当時の南朝鮮(韓国)の大統領である李承晩自身が、自分が逃げる途中で自国の民間人をみかけると、どうやらそれが韓国の民間人に変装した北朝鮮の工作員にみえたらしく、それら民間人を皆殺しにしています。

大統領でさえ、これなのです。
まして下々の軍隊なら、何をしでかしていたか推して知るべしです。

実際、韓国はベトナム戦争(1960~1975)においても韓国の正規軍をピークで5万人(延べ人数だと31万)を派遣し、また民間人2万人が当時のベトナムに行っています。

このときの韓国軍の悪行は、「ダイハン(大韓)の残虐行為」として、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、連日放送されていたし、ベトナムではいまも村ごとに「ダイハンの残虐行為を忘れない」と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っています。

2001年に佐藤和さんが「SAPIO」に書いた記事があるので、すこし引用してみます。
=====
ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。

その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。
最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。
同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。

この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。

ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。

例えば、生存者の証言からは、韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。

以下、その部分を略して引用すると、

「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
女性を強姦してから殺害。
妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。

日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。

続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。
戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。
しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。

これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。

ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。

タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。
同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。
彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。

ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。
米国に次ぐ大派兵であった。
この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。

ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。

ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。

アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
(中略)

また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。

しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。
(中略)

韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。
中学生向けの国定教科書に記されているのは
「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。
=====

※続く



今 書店で 東條英機「大東亜戦争の真実を語る」 が出ています。

このなかで
「現代の日本人が知らないことを、はっきり言っておかなければいけない。日本は、日清戦争で清国と戦って勝ったけど、清国というのは満州族の国なんです。(日本は)満州族と戦って、勝った。その後、清が滅びるかたちになり、その満州族が、満州の方に引き揚げていって、国をつくった・・もともと満州族で、漢民族とは違うんです。
一緒にいたら、今度は、(満州族)がいじめられる側に回るのは分かっていて、奴隷にされ、殺されてしまう、こうゆうことを、たくさんやりますのでね。
・・だから、満州族が国をつくろうとしたことに対して協力したことは事実・・彼らだってホームタウンが欲しかった。・・満州国自体は、国際法上にも有効に成立していたものなんです。

つづく







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