よのなか研究所

多価値共存世界を考える

野球は「へんなスポーツ」か

2011-03-15 16:56:55 | 比較文化

「珠春」という言葉があるように、かつてわが国では春は野球とともにやってきた。甲子園で高校野球の選抜大会が開催され、プロ野球のオープン戦が話題となり、テレビではアメリカ大リーグの試合が朝から中継され、またニュースで流される。さらに大学野球も始まる。三年前、たまたまこの時期に初めて日本に来たヨーロッパの知人は、日本中が「ヤキュウ・クレイジーみたい」と言った。彼女に「ヤキュウ」と「ベースボール」、またプロと高校野球や大学野球の違いを説明したが、その差を理解させるほどには彼女の関心は続かなかった。

 

 野球(あるいはベースボールbaseball)は「へんな競技」である。オリンピック種目から外されている理由はいろいろ挙げられているが、普及している国と地域の偏在が挙げられる。大衆のスポーツ競技としてその社会に受け入れられているのは北米と極東とカリブ海諸国のみであると言って過言ではない。また、ルールが複雑であること、道具が多種多様で、お金がかかること、動きが少ないわりに試合時間が長いこと、なども挙げられる。

 野球が「へんなスポーツ」であることの真の理由は、この競技が人間の自然な肉体活動に合致していないところにある。空中を飛んでくるもの長い棒で打ち返す、という行為は、自然界の中で人間が行うことはまずない。その点ではもう一つの球技、クリケットも同様である。

 野球以外の大半のボール球技(サッカー、ラグビー、バレーボール、ハンドボール、ホッケー、など)は四角いグランドを二分して敵味方に分かれ、相手陣地に攻めていくことと自陣を守ることから成り立っている。その成立過程には戦闘行為の代用として、またその訓練の一環としての経緯がある。

 中世のイタリアの都市で若者たちが二手に分かれ、街の広場を使って人間の首大の革製の丸いものを奪い合ったのが起源とされ、その後各地で形を変えて競技として形を整えてきた。テニスは網(ネット)で動物を採取していた行為をこれら競技にとりこみ、ポロは馬上の遊びを陣取り競技に取り込んだものである。ゴルフは四角いグランドではなくスコットランドの羊飼いたちが棒で小石を叩いて遊んだものであり、バスケットボールはゴールを高い位置に置くことで狭い敷地で遊ばれるようにアメリカで考案されたものである。

 野球は四角いグランドではなく円形の一部を使う競技である。90度の競技と言ってもよい。それはサッカーのコーナー・キックのようなものである。90度の中にボールを落とさないと「ファウル(foul不潔な、不正な)」として無意味なボールとなる。他の球技が敵味方の陣地を行き来するのに対し、この競技では打者は敵の守備する間を縫って四つの「塁(base基地、拠点)」を反時計回りに進む。塁に至る前にボールが先に来ると「アウト(out外へ)」となる。塁を一回りすると得点となる。三回アウトを取られると、敵味方が攻守を変える。その他、いろいろな細かい取り決めがある。

 四つの「塁」を回ることは何を意味しているか。野球(Baseball)の起源についてはいろいろな説があるが、産業革命後のイギリスとフランスで工場地帯に溢れた子供たちが狭い路地で小石を投げてこれを板(または棒)で打ち返して遊んでいたことあるらしい。それを遊戯性を高めるために四つの塁を回るようになったのは、植民地争奪戦の反映とのことだ。つまり、一塁は南アフリカ、二塁は南アジア、三塁は南米、本塁は英仏の出発点となる母港となる。植民地を巡る航海に出た船が無事母港に戻ってくると一得点、という意味なのである。

 その後、米国で競技として隆盛し、プロ化されて大リーグが組織化されて今日に至った。米国ではスター選手が多く登場し、彼らには庶民の感覚からはけた外れの報酬が与えられ、後に世界のプロ・スポーツの選手報酬の上昇をもたらした。カリブ海諸国で野球が盛んな理由はひとえにここにある。「マネー」と「記録」に固執するあまり、選手の筋肉増強剤の不正使用などの問題がたびたび起きている。大リーグ機構は競技の事業化の余り、他の競技組織、他国の競技団体との協調に欠ける、との指摘がたびたびなされてきた。ルールを改正し、例えば指名打者など守備に着かない競技者なども生み出してきた。野球の国際化を目指すとされた「ワールド・クラシック」大会等での機構の取り分の大きさが他国の競技団体の反発をかったこともある。競技の世界的な広がりなど念頭にないらしい。このあたりの事情がオリンピック委員会でも検討の際にも影響したのは当然だろう。

 

 いろいろな問題を抱えているが、日本の野球はそれなりに楽しめるものがある。春と夏の高校野球は日本の季節の風物詩として定着して久しい。いろいろな学生スポーツが増えて、相対的には人気は下降傾向にあるが、筆者も時間があれば高校野球を楽しんでいる。

 野球は世界的にみれば「へんな競技」かもしれないが、投手と打者とが向き合って睨みあい、心理を読み合い対決する、という図式は日本人が馴染んだ剣豪小説や戦国武将の決戦に似たものがあるのかもしれない。特に、少年野球、高校野球は精神性が強調され、武道の側面を備えている。それゆえ、いろいろなことがあっても今だに人気があるのだろう。 

高校野球は日本野球の完結した形であり、また最も面白いのも高校野球であるが、それ以上のものではない。                                       (歴山)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿