よのなか研究所

多価値共存世界を考える

タゴールと畏怖のこころ

2011-07-05 08:48:06 | イベント、など

   (森の祠)

628日「タゴール生誕150年記念式典」が東京九段のインド大使館で開催されました。わたしは所用で出席できませんでしたが、主催者の想定以上の多くの方々が参集し、懇親されたとのことです。

これから来年にかけていくつものタゴール関連行事が計画されています。むろん、イベントの数の多さに価値があるということではありません。

タゴールといえばアジアで初の(こんな形容も変だと思うが)ノーベル賞受賞者であり、文学を愛好するひとたちからは「詩聖(グルーデーヴ)」との呼称が与えられています。故郷のベンガルの地に野外の学園を建設し、多くの弟子を育成し、それが現在は国立大学となっています。インド国歌のみならず、バングラデシュ国歌の作詞・作曲者でもあります。高名な詩人であるのみならず、哲学者としても知られています。

 

タゴールについてはいろいろな話がついてまわるのです。まずその名前です。われわれは「ラビーンドラナート・タゴール」と覚えていますが、彼の本名はベンガル文字読みで「ロビンドロナート・タクゥル」であり、またヒンドゥ語読みすると「ラビーンドラナート・タークゥル」(アルファベット表記すれば、Ravindranath Takur)です。これを英国人がRabindranath Tagoreと表記し、後にナイトの称号を与えられたのでこの表記が世界的に知られてしまった経緯があります。

同様なことは、地名のコールカータをCalcuttaと、ムンバイーをBombayと、ナィーディッリをNew Delhiと表記してこれらが世界的に通用したのみならず、これらがインド国内でも使われていました。コールカータとムンバイーは元に戻してKolkataMumbaiと表記されるようになりましたが、New Delhiはそのままです。もっともナイーが「新しい」の意味であり、またディッリの呼び方も地方によりやや異なるので、これは間違いとも言い切れないものがあります。

 

タゴール(結局、私もこう書いています)は日本との関係が深い人物でした。特に岡倉天心との長い交友は有名です。黄檗宗の僧侶にして探険家の川口慧海、英詩人の野口米次郎などとも親交がありました。日本人の自然と共存しこれを畏怖する精神を高く評価し、五回も来日して多くの方と交歓しました。しかし、1924年の来日時には日本の大陸進出、特にその「対華二十一箇条要求」などを強く非難しました。野口らとは激しい論争を展開しました。タゴールは、当時の日本の行動は「西洋文明の模倣」であり、「日本の伝統美を自ら破壊するもの」と論じました。つまり、西洋の真似をして帝国主義的な行動をとれば、本来の東洋的美を失ってしまう、という意識があったものと思われます。そして、残念ながら今日の日本でそれは現実のものとなっているといっても過言ではないでしょう。自然への畏怖のこころは失われつつあります。詩人の直感・霊感が近未来を見透していたということかもしれません。

 

タゴール生誕150年記念事業はこれからも続きます。

923日には代々木公園にて開催の「ナマステ・インディア」会場にて「タゴールと日印文化交流」という講演会、と展示会、1015日、16日の「ディワリ祭」にては「絵画と音楽で奏でるタゴール展」などがあります。横浜でも大阪、神戸でも開催されます。

イベントに参加することも面白いですが、タゴールの詩作、思想を聞き、また自分で読み考えてみるいい機会になることと思います。

(歴山)

 



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