よのなか研究所

多価値共存世界を考える

二地域居住の計画と現実、

2013-02-19 17:02:58 | 島嶼

                   Photo ( 前に海、後ろは山の小さな集落、大和村、鹿児島県)

 ひと頃流行った「二地域居住」ということばを最近聞くことが少ない。それを実行している人数が少ないからなのか、それとも順調に増加していてわざわざ言うまでもないほどに定着しているということなのか。

2005年に国土交通省の研究会が発表したアイデアを、後に正式に「国土計画」の中に取り入れたことからこの用語は登場した経緯がある。折しも団塊の世代の定年退職の時代を迎えて、都市生活者が一定期間を農山漁村で過ごしやすくするような環境を調整していくことを意味していた。その内容は、「年間で1~3カ月連続で」、または「毎月三回ほど週末を過ごし、通算で一カ月以上」を農林漁村の第二の住居で過ごすこと、と定義されていたようだ。その背景には、少子高齢化による地方の人口減、過密過疎による国土の荒廃、人口の適正配置などの課題があった。

さて、筆者の場合はおクニの政策や方針と関係なく、いつの間にか二地域居住者となっていた。現在、一年の四分の一は首都圏を離れて鹿児島県の離島の人口二百人の集落で生活している。ここは、自分の本籍地であり、また中学まで育った地でもある。両親が他界して家屋と墓地の管理のために折々にその家屋に住むようになり、定年を挟んで次第にその頻度が増し、建物を手入れして長期に住むようになったものである。まだ数年は首都圏の大学での非常勤の仕事があるため田畑を借りての畑仕事や米作りはできないが、果樹園での摘果や採集の手伝いや、磯釣りは楽しんでいる。親戚はもちろん近隣との付き合いは大切にし、地域の共同清掃や伝統行事に参加し、集落会費を支払い、祭の寄付などは相応に奉納している。

二つの住環境を行き来する、ということは、確かに旅行とも別荘生活とも異なるものがある。どちらにも日常生活がある。両方の衣食住がある。買物に行き料理し食事をしゴミを出し、郵便局に行き銀行に行き宅配便を出しに行き、散髪に行き歯科に通い、図書館で本を借り返却日までに返しに行く。四季を感じ、土地により台風や豪雪に遭い、暴風雨や猛暑にも出会う。知人と飲み会合に参加し、自宅に人を招く。人により、ジョギングし、習い事をし、水中ウォークし、楽器を弾き、ペットと散歩する、などの趣味は継続できる。

農山漁村で生活をし、異なる環境に自分を置くことにより一方で当然と思っていることが他方に行くと実はそうではないことに多々気づかされる。感性に特に秀でている人はともかく、凡人には二地域生活で初めて気が付くところ、学ぶ所が確かにある。その刺激は創作やクリエイティヴな仕事をする人には有益と思う。個人的には都会で年末年始からぐずぐずしていた風邪が、潮風に当たることで三日で完治した。転地療法ということも有りうる。精神的にも落ち着いた気分になれる。

残念ながら二地域居住は誰にでもできるものではない。一つにはおカネの問題がある。若いひとにはいろいろ難しいと思う。壮年期であっても、単身者であればともかく、家族の理解がないと難しい。特に配偶者の理解は必須条件である。金銭的にもやりようであるとはいうものの、やはりその生活様式を維持するにはある程度の蓄えか定期の収入、あるいはその両方が必要となる。住居を借りるか自己所有にするか、は最初の大問題である。行き来する交通費もかなりの額となる。地方の住まいを出身地など馴染みのあるところにするか、まつたく未知の土地にするかも大きな選択であり、それにより出費も異なってくる。

筆者のようにとりたてておカネ持ちでもない者は、二地域居住によって生じる経費を出来るだけ抑えたい。たとえば、光熱費・通信費である。電気・水道・ガスと電話の基本料金は足し上げるとかなりの額になる。これらは自動引き落としにするのが一般的であり普段なかなか気がつかない。乗用車を二地域でそれぞれに保有することも経費の増大を招くことになる。地方に行くほどに車は必需品となる。

中でも電話基本料とネット接続料はバカにならない。三カ月不在するから一時停止しようとすると、NTT西日本のコールセンターは「一時でも停止すると、再契約することになり電話番号が変わることになります」と回答してくる。多くの人に知らせてある回線電話の番号を頻繁に変更することは相手にも手間をかけるし、また間違いの元となる。全く使わなくとも毎月引き落とされていく。ネット利用だけを解約して、タブレットにすることで軽減化するしかない。水道とガスは事前に停止、再開の通知が必要であり、一時的に止めるにも作業に立ち会う必要がある。電気は冷蔵庫があるため点けっぱなしのことが多いが、これもいったん切ると当日再開とはいかない。国交省にはこのあたりの事務手続きの軽減化を考えてもらいたいものだ。こまごましたことは他にもあるが、別に記したい。

筆者の住む集落には他に二地域居住者はいないがUターン者、Iターン者は多い。年齢は様々で、引退生活の高齢者もいれば学齢期の子供をのんびりと育てたいという若い夫婦もいる。中には周りに溶け込んでいたにもかかわらず、いろいろな事情で引き上げていく家族もいる。残っている人たちとは日常的に交流がある。彼らがこの土地を選ぶに至った経過を聞くと新しい発見がある。中には、南の島に行けばなんとかなるだろう、との安易な気持ちでやってきた人もいる。その一部は土地でしっかりと仕事に取り組む者がいるが、そのでないものもいる。日本という国の政策の諸問題を濃縮したものを見ることができる。

これらの問題については引き続き考えていきたい。

(歴山)