よのなか研究所

多価値共存世界を考える

パンテオンと「ユーロ」問題

2012-02-21 13:17:30 | 信仰

                                                   Photo(ローマのパンテオンの天井円空oddhivo)

 

ヨーロッパもかつては多神教の世界だつたんですね。ギリシャ神話にも北欧神話にもたくさんの神々が出てきます。美術館や劇場に行くと、絵画にも彫刻にも音楽にも、多くの神々が登場します。

ローマの遺跡の一つ「パンテオンPantheon」はちょっと不思議な建物です。円形の伽藍の壁面には多くの神像が祀られています。見上げると天井の中央部に大きな丸い穴があり、そこから広い堂内に日差しが降り注いでいます。雨が落ちて来ることもあります。古代ローマを今に伝える建築物の一つでもあります。案内書には「万神殿」と訳されてあり、アテネの「パルテノン神殿」同様に多神教の神々を祀る神殿でした。ローマ市のはずれに位置するカトリックの総本山であるバチカンからもさほど遠くない距離にあります。

 

ローマ帝国においてキリスト教を公認したのとされるのがコンスタンティヌス大帝です。彼による特定宗教への社会的・政治的な受容が、後にキリスト教がローマ帝国領であったヨーロッパ各地へと広まっていく契機となったわけです。それまでキリスト教は排斥されており、それゆえコンスタンティヌスはギリシャ正教、東方教会では聖人とされています。

 多神教から一神教へと代わっていくことは、人間の思考が進んだから、ということではないのです。宗教が政治権力の争いや、領土拡大のための争いごとに利用されるのは古今東西を問いません。広大なローマ帝国の中には皇帝や数人の副帝が並立しており、その争いの中で大勢の信徒を有する宗教組織が利用されたことは想像に難くありません。現在の東洋の某国にても同様な状況が出来しています、

 ユダヤ教、キリスト教、イスラームという一神教の系統は、長い歴史のある中東世界と地中海世界とが交差するパレスチナという極めて特殊な地域で興った宗教運動でした。その中で外に向かってもっとも布教に熱心であったのがキリスト教であり、ついでイスラームだったわけです。コンスタンティヌス大帝によるキリスト教の公認は四世紀にはいってからのことでした。いわば、たまたまそうなった、との考えも成り立つのです。

 

一つの考えが広い領域で受け入れられるに至る、ということは現代でもいろいろな様相で見ることができますが、それが必ずしも普遍性を持つ、ということではありません。ロシアから東欧にかけての共産主義政治運動は、一時は世界的普遍性を持つと考えられましたが、数十年で幕を下ろしました。いまやアメリカ型資本主義経済も決して普遍的ではないことが実証されつつあります。

してみると、今日のEU内での経済的混乱も、共通通貨「ユーロ」という考えのどこかに欠陥があったのではないか、と考えることができます。すくなくとも、経済力や、工業化の進展具合、技術者の技量のレベルや商習慣などの差異を無視しての共通通貨を推し進めることは、その運用に各国の自制を伴うことを知らしめたものと考えることができます。

 

いかなる政治団体も、宗教組織も、経済機構も、それらを支える考えも、組織防衛とその拡大のためにおカネを必要とし、宣伝活動を盛んにしていきます。大衆を動員し、中には軍事的にも力を持とうと考えるものもでてきます。その組織や考えが正しいかどうかは別の問題です。

 

パンテオンの天井の丸窓は伽藍の聖空間と外の自然界とを繋げています。人びとは「風雨順時」、「五穀豊穣」、「家内安全」などを祈願したのでしょうか。華厳経の説く「重々無尽(すべてのものが縁で結ばれる)」に近いものがあります。人類が定住生活をするようになってからというもの、その願うところに大差はないと思われます。敢えて差異を強調し、自らを是とし他を非とする集団があるとすれば、そちらを疑わねばなりません。

パンテオンは、かつてこの地が多神教の世界であったことを今に伝える建築であり、その中にしばし身を置いていると考えさせられるものがありました。

(歴山)