よのなか研究所

多価値共存世界を考える

同盟国の不寛容、

2012-02-07 09:50:51 | 思想

   

 

                                                             Photo ( 比叡山延暦寺戒壇院 )

 

「慳貪と嫉妬の者餓鬼道に堕つ」

恵心(えしん)僧都の言葉とされる。すなわち、『往生要集』の著者源信である。平安時代天台教学を学び、宗派を超えて評価されている僧だ。「止観」すなわち禅を修めた人物である。

源信には有名なエピソードがある。若くして村上天皇により法華八講の御前講師の一人に選ばれるが、そのときの下賜の品々を郷里の母に送ったところ、その母は和歌を添えて品々を送り返してきたという。その和歌、

「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」

 源信はこの歌に仏に仕える初心を思い起こし、栄達の道を捨てて横川にある比叡山恵心院にこもり、ひたすら念仏求道して過ごしたという。

「慳貪(けんどん)」とは、欲深いことである。また他人への思いやりのないことである。荒っぽいことである。また物惜しみすることである。

 

唯一の超大国を自他ともに認めていたアメリカはすでに過去のものとなった。それまでのアメリカは経済力第二位の日本を手下において、世界経済の半分を支配し軍事力を増大してきた。この間日本が収奪された富は計り知れないものがあるが、幸か不幸か日本国民も政治家も官僚もこのことに気がつかず、あるいは気付いていても「アメリカのやることなら仕方がない」との物分かりの良さで追求されることもほとんどなく済んできた

 

ところが経済力世界第二位の地位に中国が登場してきた。この国はなかなか思いのままには動かない。一位と二位の意見が分かれれば、どこかで妥協を余儀なくされる。厄介なことに中国は軍事力でも二位にのし上がってきた。防衛・外交の分野でも第二位が意のままにならなくなってきた。冷戦の終焉以降世界政治を一人で動かしてきたつもりのアメリガが初めて体験する事態が出来したのである。

 

在日米軍基地は、特に沖縄の基地は中国の標的にされる可能性が高い、ということでグアムやハワイへ移転するようであるが、従順な日本からまだまだ金が引き出せるから撤退を交渉のカードとして使いながら進めているように映る。移転に際して原状復帰費用は借り手が払うことは世間の常識であるが、これを踏み倒しするのみならず、移転分担金と称して立ち退き料を要求している。ヤクザの振舞い、というのが言いすぎなら街の与太者の行動と同じである。

 

欲深いだけではない。最近になって、日本で米国産の自動車が売れないことにいろいろと難癖をつけてきた。税率をさげろと要求して、税率は実質0%である、と応えると、今度は軽自動車の優遇制度が問題であるから廃止せよ、と言ってきた。欧州車は日本でなぜ売れているか、の分析もしない。相手国の道路事情、田舎の高齢化・過疎化、相手国の所得分布や家族構成の変化などを全く考慮しない、他人への思いやりに欠ける振る舞いである。ひとつひとつ数え上げればきりがない。

 

イランを経済制裁するとして、日本企業が交渉の末に多額の権利金を払って獲得した採掘権を放棄せよ、と命じて日本政府にそれを受け入れさせた。荒っぽいしわざである。それでも足りず、今度はイランとの原油取引を削減しろ、と要求を付けてきている。

同様の立場にあるインドはアメリカからの要求をきっぱりと断り、取引を継続し、さらにはイラン・インド間の原油取引決済をドル以外で行うことを決めたようだ。なぜインド政府にはできて日本政府にはできないのだろうか。

 

事ここに至って、自動車産業、機械産業、医療、資源エネルギー産業等にもアメリカのやり方に眉を顰める人たちが出てきている。これまでは農業団体や労働組合や市民団体が反対しても経済界はアメリカの言い分をほとんど受け容れてきた、今もアメリカの言い分をなんであれ是とするのは経団連の幹部くらいのものだろう。欧州においても、ドイツ、フランスを中心に、米国の独断にはつよく意見をするようになった。

筆者もアメリカとの友好関係は続けるのがよいと考える一人である。

日本は古来より「和」を尊しとする国である。むやみな武力紛争の後方支援をすることは、アメリカに「誤ったメッセージ」を送ることになる。現実に数十年に亘ってそのメッセージを送り続けてきたのが日本なのだ。

 

仏教の本質は「足るを知る」であり、「欲望を去る」ことにある。足るを知らず、欲望を抑制することのできない国家は「餓鬼道」に落ちないまでも、いずれ衰退していくことを教えるのも日本にしかできない役割である。

(歴山)

 



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