ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

夢ってなんだろう

2006-09-19 14:27:21 | Weblog
先日近しい家族が里帰りをおえて車で出発する時見送るお婆ちゃんが何かカーテンのようなレースのようなものの陰から悲し気な顔で手を振っていた。どうして良く見えるところから笑顔で送らないのだろうと怪訝思った。
それは夢の中の出来事で現実のものではなかった。しかしお婆ちゃんは今癌におかされて入退院を繰り返していて、私も気掛かりで直ぐにメールをしてみようと思いながら朝の慌ただしさに流されて昼過ぎになってしまった。特段の電話もなく一安心した。

それから二三日後に三ヵ月前に亡くなった姉の夢を見た。
兄妹皆がテーブルを囲んで食事をしているのに一人だけ離れたところにいるので「こちらへ来て一緒に食べよう」というと「私は先程一人で食べたからいい」というので私は「それでも一緒にもう一度付合って食べれば」ときつい言葉をかけたところで目が覚めた。
姉はもう居なかったのだ。

よく夢を見たのは母が亡くなって四十九日の間、母をまつった同じ部屋で家内と二人で寝てあげようと、いってそれぞれの寝室で好き放題に寝ていた者同士が、明かりが消えないように番をして夜中に二度も起きた所為かも知れない。

納骨を終えて自分の部屋に戻れば見なくなるのだろうか。
それにしても脈略のない切れ切れのようなことを寝ている間に思い出すのだろう。頭の中はいったいどのようになっているの?

もう遅いんじゃない!

2006-09-16 16:08:33 | Weblog

明日は母の四十九日で、納骨をするお墓のお掃除に行った。
せっせと掃除をしていると、何か宣伝をする声が聞こえてきた。
お彼岸前の墓地は閑散としていて殆ど車も人影もなかった。
何の宣伝をしているのだろうと耳をそばだてるとどうも宗教の
宣伝をしているらしかった。
「....をすると魂が救われる・・・」と云っていた。
何千という数のお墓があって、その何倍もの魂がそこにはいると
思うが、皆それぞれ落着くところへ落着いているだろうに・・・・
今さらお誘いのアナウンスもないものを?それでも迷っている人の
魂がいて、呼び掛けに応じて○○○様のところへ赴くのだろうか?

いやもう遅いのではないのだろうか?
不思議な体験だった。仏に説法でもあるまいに。

御用だ 御用だ

2006-09-15 14:19:09 | Weblog
     
     蚊も盛りを過ぎたのか、飛んでいるところを
     私が咄嗟に出した手のひらの中に閉じ込められてしまった。
     きっと突然周りが暗くなって自分の位置を見失って驚いただろう。
     羽も動かないのに宙ぶらりんでいる変な感じがして、次にパット
     明るさが戻って来たと思った瞬間もう一度ぐっと力が加わって、
     意識がなくなってしまったに違いない。


     蚊も生きものには違いないけれど私の大事な血を餌にされてはたまらい。
     可哀想だが「ハイそれまでよ!」


虫の合唱が・・

2006-09-14 20:09:25 | Weblog
       
       雨も上がって今日は又暑いくらいだった。
       昨日は雨で肌寒く、長袖シャツを出して着たと
       いうのに、一夜明ければ暑くて堪らない。
       まだ当分の間は朝晩はともかく昼間は残暑が続く
       のだろう。

       それにしても夜になって窓をあけて車を走らせて
       いると鈴を転がしたような音がずっと鳴り止まな
       いで付いて来るのを車の故障かなと思って、隣の
       家内に尋ねると、「なにいってるの、虫の声ですよ」と
       云われ、ハッとした。
       もう草原や田圃には秋が一杯溢れだしていたのだ。
       今までは暑かったから車の窓を閉め切って冷房をかけて
       走っていたので分らなかったのだ。
       夜は涼しくて窓を全部開けていたのだ。
       
       ああ年は取りたくないもんだ。自分の鈍さ加減に凹んだ。


前から見ればこの通り

2006-09-13 19:57:47 | Weblog

2006.9.8の“浮いているけど船なの”と変なタイトルで書いた
船の正面からの姿です。いかにも精悍で働き者に見えるでしょう。

ものを見るにしても、人を見るにしても色々な角度から矯めつ眇めつ
してみないといけません。(自戒、自戒)

日本一のイチジクを食べる

2006-09-12 11:43:26 | Weblog

昨日友人からイチジクを貰う。この時季の恒例になっている。
家内と例年密かに待っている。私どもの地方では一番の美味しさである。
(日本一です。)瀬戸内海の津島という小さな島の特産物。
しかしこの島も例にもれず高齢者の島にしまって、やがてイチジク栽培も
出来なくなってしまうでしょう。
寂しいことだけれどどうすることも出来ない。(いつまで食べられるのかな?)

都会の生活に慣れてしまった若者が再び帰って来ることもないだろうから。

寿命を自分で決める

2006-09-11 22:25:10 | Weblog
大切な人を二人も亡くした。
一人は癌と戦い続けた末に負けてしまった。まだ六十代の若さだった。
もう一人は九十余年を生きて、ずっと何ごとも自分でできる元気さだったが
二週間の入院で、それも亡くなる二時間前までベットに腰掛けて話をしていて、
あっという間に亡くなった。大往生といえる、皆が望む死に方だったけれど何か
あっけなくて、まだいつものところに座っているような気がしてならない。

娘の四十九日の法要を終えるのを待って、その当日に後を追うように亡くなった。
自分の寿命をこの日と決めていたのではないのだろうか。それにしても・・・・
子に先立たれる親の思いの深さに驚き、戸惑っている。







情けは無用

2006-09-09 16:42:23 | Weblog
今朝四国八十八ケ所の五十九番札所国分寺のそばを車で走っていると一人の異様な老人に出くわした。札所を巡っているには違いないのだが、その出立ちは、足はツッカケ履きで肩に棒に巻き付けた赤い座ぶとんと少しのビニール袋を背負っているだけだった。足を引きづりながら道の端をすこし歩いては立ち止まり、歩いては又たち止まりを繰り返していた。五十九番から次の六十番までは28キロもある。行き着けるのだろうか。それよりも、どうして札所巡りが目的なら、もっと確りとした装束を付け、足元を固めて来ないのだ。不可解な老人だ、と思いながら通り過ぎてバックミラーを覗くと後ろから走って来た軽四がその老人のそばに停まるのが見えた。きっと国分寺のお参りをすました人で、次のお寺まで乗りませんかと誘っているのでしょう。心の優し人もいるものだと思いながら、再びミラーを見たがもう視界からはみ出していた。それにしても良く分らない。身寄りのない人で、放浪をしているのだろうか。札所参りをしているのならば、一体何を願ってなのだろうか、過去の懺悔をしているのだろうか。それとも行先も無い当てのない旅なのだろうか。年老いて一体全体何処へ行くのか??考えさせられる。家で静かにしていればいいのに・・・そうすることも出来ない事情があるのかも・・・

情けは無用。放っておいてくれ、お前に世話になる訳でもなし、といわれそうだ。
人の人生には他人では分らないことが一杯詰まっているのだから。

浮いているけど船なの

2006-09-08 17:36:15 | Weblog
    
    この写真から見ると廃船寸前のようですが正面から見ると
    恰好のいい船です。
    斜前から見上げると、写真のようにチェーンで沢山のタイヤ
    が吊り下げられていて一体全体何をする船かなと思れますが、
    横に回って見ると三階建てのビル程の大きさで、大きなエン
    ジンが積まれているらしく大きな出っ張りや煙突があります。
    きっと大きな台船を引っぱったり、押したりするタグボート
    なのだろう。

    型は悪いけれど、とても馬力のある力持ちの船らしい。




この大きなマツカサの松の種類は?教えて

2006-09-07 18:13:35 | Weblog

坊ちゃんで有名な松山の銀天街という賑やかなところを
歩いていると、印章店の店先に垂木に挿した大きなマツカサが
沢山並べられていた。
小さな紙に“ご自由にお持ち帰り下さい”と書かれていた。
ホントに自由に取って・・いいの?と怪訝に思いながら通り過ぎて
しまってから、隣を歩いていた家内に、“あれホントにいいの?”
と呟くように問いかけると、“いいんじゃない、そう書いていたもの”
と返事があった。直ぐ踵を返して印章店の前に行き、中を覗き込むと
ご主人がいたので、“これいただきます”と遠慮勝ちに云って、一つ
選んでそそくさと立ち去ってしまった。

歩きながら、このマツカサは何と云う松のマツカサなのだろうか、と
疑問になったが、もう一度帰ってお聞きするのは憚られた。

どなたか教えて下さい。
机において眺めていると何となく落着くような感じがします。