ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

ゲームの王国

2016-11-27 19:55:34 | Weblog
また時間に埋もれてしまいそうなので2000字の作文をした。
誰かに読んでもらえれば、と思ってブログへ載せてみた。
さてどうなのかな?

「これでどうだ、全部やっつけたぞ、ぼくの勝ちだ」
ネットのゲームに夢中になっていて足音は聞こえなかった。部屋の戸がバタンと開いて「何してるの、ご飯ですよ、はやく片づけておりてきなさい、みんなが待ってるよ」
とお母さんが大きな声でぼくをしかった。
しぶしぶゲーム機をしまってドスンドスンと不服な気持ちをぶちまけるような足音で階段を下りてキッチンのテーブルについた。
お父さんはまだ仕事から帰っていなかったが姉ちゃんも弟も食べ始めていた。
「にいちゃんおそかったね、ぼくギョウザ食べてしまうとこだったよ」といつもの優しい言葉をかけてくれた。姉ちゃんは放課後の部活でお腹を空かしているものだから割り当てのことなど気にもかけずにギョウザを口一杯にほうばって、箸は次のギョウザをつまんでいた。それを見てゲームのことなど吹っ飛んでしまった。
あわててギョウザをつまんでほうばると具の汁がジュワッとあふれて嬉しい気持ちになった。待ちに待った月に一度のギョウザの日を忘れるなんて、とゲームのことを反省していると、焼き立ての一皿を「早く下りてこないと無くなるのは分かってるでしょう」と言いながらテーブルに置いてくれた。又三人が一斉に箸を出した。お母さんの分まで食べてしまいそうな勢いで箸を動かしていた。そばに立っていたお母さんは元気が良い三人の食べっぷりを見て笑っていた。これからは言うことを聞いて良い子になろうと、その時は思った。食事の後片付けを少し手伝ってハミガキをして、お風呂へ入ってテレビをつけると今度は番組争奪戦が始まってチャンネルを取り合っている最中に、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。お父さんの帰宅の合図である。「僕が行く」と弟が走って行った。「お帰りなさい」「ただ今、まだおきているのか」二人の会話が聞こえたのでチャンネルの争奪はやめた。お父さんにおやすみの挨拶をして自分の部屋へかけ上がった。今日の宿題は、とカバンを調べたが、何もないので安心した。すると又ゲームの虫が顔を出した。今夜はもうお母おさんは僕の部屋には来ないだろう、とゲーム機を取り出した。どのゲームを始めようかな、と考えていると、下から、「はやく電気を消して寝なさい」といつも通りのピリッとした声で背中を押されたような気がして、ゲームをあきらめふとんに入った。それでも途中で止めたゲームのことが気になって攻略のしかたをああすれば良かったとか、いや、この手で勝てたろろ菜麺菜麺菜麺菜麺菜麺、と考えているといつの間にか眠りに落ちていた。
周りを見回しても誰もいない。草も木も山も見えない寂しいゾッとする場所に一人たたずんでいた。驚きで心臓はバクバクして、頭の中は真っ白になって震えていると、いつの間にか場面が一変して窓から見える風景は高層ビルばかりになってドギマギしていると、天から「ここはお前のゲームの王国だ、ゲーム機もソフトも何でも欲しいものがそとろっている、自由に好きなだけ遊べ」とお告げがあった。周りを見わたすと本当に机の上に欲しくてたまらなかったゲーム機があって、画面をチカチカと点滅させていた。なんだか魔法にかけられたようで、とまどいを感じながらもゲーム機の魔力に負けてしまって、気がつくと机に向かって座っていた。すると「ゲームを選んで下さい」と機械がしゃべった。「そうだなぁ」と思わず声を出すと画面にソフトの一覧表が現れた。少し考えていると、まるで心を見透かしたかのように、今日終わりまで出来なかったゲームが出てきた。それを見ると自然に手が動き出してしまった。又お母さんの声が聞こえて来るのではと思ったが、始めると夢中になって本当にゲームの王国にいるのだと思えてきた。面白くて次から次へとソフトを征服していった。眠るのも忘れていたのに気付いて、ドキッとしたが、ゲームは眠気をすっかり吹き飛ばして瞼は大きく開いてスクリーンに釘付けになっていた。それでも時折時間が気がかりで時計を探したがどこにも無かった。夜明け前にはゲームをやめていないと怒られる、と思ったその時、あの声が降ってきて、「もうお前はこのゲーム王国から出ることはかなわぬ、お母さんもお父さんもお姉ちゃんも可愛い弟にも会えぬ、学校も行かなくていい」と告げられた。ビックリして立ち上がると一瞬にして周りの景色は寂しい荒れた野原になっていた。
誰かいないか目を皿のようにしてさがしても誰もいない。大声で叫んでも何の反応も返らない。必死になって走り回っても無駄だった。ああどうすればいいのだろう。涙があふれて止まらない。「お母さん助けて、お母さ~ん、僕もうゲームしないから」と叫んだ声で目が覚めた。額に手をやると汗でぬれた。ひどい夢を見たものだ。「朝ご飯ですよ」とお母さんの声がした。良い子になろうと決めた。

終わりです。ここまで読んで貰えたでしょうか。

紅葉狩り

2016-11-26 18:48:40 | Weblog
紅葉の名所古刹の西山興隆寺(愛媛県西条市)へ出掛けた。
天気予報では曇りだったが朝からお日さんたっぷりの晴天になった。
本堂までの道は凸凹としていて次々と現れる石段が続いて息があがってしまった。
去年はとても無理に思えた連れ合いは何とか登り口に置いていた雑木の杖を頼りに休み休みながらも今年は元気に登りきった。週に2度のカーブス通いが後期高齢者の筋肉を鍛えた、と喜んでいた。
勅使の間のある本堂隣の大きな家の座敷で湯豆腐を食べて一服して下山した。
足もとを気にし過ぎたのと紅葉が例年ほど見事に色付いていなかったので写真を撮り忘れていた。






友と行く時間列車の座席

2016-11-21 10:51:26 | Weblog
時々2000字で作文をしてみる。
難しいけれど楽しい時間が過ごせる。
何だこれは、と思われても、もしかして共感してくれる人はいるかも知れない、、、と

「只今列車は七十五番駅を通過しました」と変なアナウンスが流れた、と思って顔を上げると、今夜も本を読んでいるうちにまどろんでしまって暖房が切れて寒く、ぞくぞくっとした拍子に目が覚めた。ぼんやりした目をこすりながら電気スタンドヘ手を伸ばすと辞書の側に置いてあった砂時計を倒した。ハッとして思わず砂時計を起こすと砂は見る間に下に落ちて溜まった。今まで気にかけた事もなかった砂の崩れ具合の速さに驚き、もう一度確かめようと砂時計を見据えながらひっくり返して、耳もそば立てた。音は聞こえないものの目には砂の動きはハッキリと見えた。年をとって、時の過ぎ去る速さに気付いても手遅れだ、と思いながらベッドに潜り込むと電気毛布が冷えて縮んだ身体をじわじわとほぐしていった。少しの間丸まってじっとしていて徐々に手足を伸ばし寝心地のよい向きになろうと体勢を変えたがいつも通りに落ち着いた。手を大きく後ろに伸ばしスイッチを探ってスタンドの電気を消すと暗闇にこうこうと月の光りが射し込んでいた。晴れ渡った空には妖しい輝を放つ月を背にして、手を伸ばせば届きそうなところにひと群れの雲が漂っていた。外は静かで風の音も絶えているのに上空では風が渡っているのか、雲は急に動き、立て髪をなびかせて疾駆する馬のように見えたかと思うと次は定かではない形に崩れて風と雲の競演はあっという間に終った。その様子はこれまでの生活と時間が消え去る淋しさに思えたが、その向こうに子供時代の元気よく遊ぶ姿が薄っすらと浮き上がったようにも見えて少しなごんだ気持ちになった。
月光は寒空を突き抜けて寝室を占領し、眠気を追い払ってしまった。
寝返りを打って体の向きを変えても部屋に満ちた月光は陰ることはなかった。
一度過ぎてしまった眠気は目を閉じていても一向に戻らなかった。雲を吹き払われて月は妖しいほど輝いていて目は益々冴えて眠ろうとすればする程眠りは遠のき、寝るのをあきらめ、空を見上げていると徐々に月がにじみ始めて瞼もゆるみ、まどろみながら夜空の階段を昇り、夢遊空間に迷い込んで部屋もベッドも消え失せて月光と星々の散らばる夜空の中にひとり漂って、知らぬ間に眠り込んでしまっていた。

 溺れかけて空気を吸い込もうと必死で水面へ顔を出した人のように、大きく口を開け、肩で息をしながら、溢れる涙を拭いもせず、ペダルを踏み続けていた。何処へ向かっているのか、何かに追っかけられているのか、わからない。突然松林と海が広がっていた。無意識に海へ向かっていたのだった。そこは雲ひとつない青空と松林が続く穏やかな砂浜に小さく打寄せる波がザブっと砂に砕け、スッっと白い砂に吸い込まれる繰り返しの音がするだけで人の声も船足の響きも聞こえなかった。奇妙なほど静まりかえった昼下がりだった。人の気配はまるでなかった。自転車を降りて涙の痕を袖で拭うと、空と大地と海の間に自分以外誰もいない砂浜に座り込んで両手を大きく背伸びするように突き上げて後ろへ倒れると視界から周りが消えて満天の蒼空が覆いかぶさるように広がった。真昼に夢を見たわけではない。不思議だが、一瞬蒼空に浮かんでいる錯覚に襲われた。どうして一人でここへ来たのだろう。友人も多勢いるし、何ひとつ不自由もない日常なのに、どうして一人になりたかったのか、一瞬友の顔がフラッシュのように現れて消えた、そうだった、友人の事故死を知らされ、頭が真っ白になって思わず飛び出し、涙が溢れ、淋しさが頭の中いっぱいで何も考えられなかった・・・友の顔が浮かんで、ぼやけて・・・又現れて・教室でふざけ合って・・・笑顔が近づいて、立ち上がると友はいなくて、国語の先生がいた。どうしたの、と思って瞬きすると私を指差して宿題の詩を暗唱しなさい、と言った。一体誰の、と戸惑っていると・・かすかなつぶやきが聞こえて来て・・・僕の前に 道はない 僕のうしろに道はできる・・・聞こえるままの言葉を自分の心臓の音の響が聞こえる程真っ白くなっている頭の中で繰り返し、ふるえる声で、僕の前に 道はない 僕のうしろに道はできる、と暗唱を始めた・・・誰の声が聞こえたのか・・・きっと友の声だ・・
 
 朝ごはんですよ、と呼ぶ声で夢から覚めた。瞼に力を入れて目を開けると部屋はいつもと変わらず、七十五才の朝だった。
 必死でつぶやいていた詩は・・ええと・・あれは・・・口に出かかりながらはっきりしない、ええ~と・・あっそうだ、高村光太郎 の道程だった、とやっと思いだした。
 同じ時間列車に乗り合わせた友とはいつまでも、時間列車の記憶座席に一緒に腰掛けてずっと旅を続けて行くことになるだろう。



日本一のスベリ台

2016-11-12 17:41:12 | Weblog
好天に誘われて日本一のスベリ台の滑り心地を試しに行った。

テレビで話題になった雨の日に滑るシーンでは本当に危険そうに映っていたけれど後期高齢者が滑っても子供が滑っても危ないことはありません。
年寄りには滑る位置まで登って行くのが大変、階段をもの凄くのぼらなければなりません。
滑る時間はあっという間です。

釣竿装置

2016-11-08 13:36:55 | Weblog
知り合いが特許を取っていると言う釣竿装置を突堤の防護柵へセットしているのに出くわした。
話には聞いていたが実際に設置しているところを見るのは初めてだ。
竿は全部で15本ほどあった。


何処にいるのかわからない魚を釣るには沢山糸を垂らすのが有利だ、と言っている。
もっともな理屈ではあるが準備は大変みたい。
しかし準備が出来ると夜釣りでも魚が掛かるとその竿が判るようになっているので信号を待つだけらしい。
今はアナゴと、、教えてもらったが名前を忘れてしまった、が釣れるらしい。
お昼はグチが釣れている。

砂浜のサイクリング

2016-11-07 10:09:46 | Weblog
何時もの突堤を目指して砂浜の椰子の木の小径を走る。
何本あるのか数えたことはないが300メートル以上は続いている。
この海岸も長い開発をめぐる裁判闘争の末半分は工業団地になってしまった。
昔を憶えている人も少なくなってしまった。

1935~65年の日本

2016-11-05 09:03:20 | Weblog
1935年から65年の30年間は日本の激動期だった。
この時代の日本を英国人記者の目で捉えた記事が世界へ発信されていた。
従軍記者として戦争の現場を取材し、満州建国を見、226事件、国際裁判等々と日本人では見誤るに違いない事件を外国人の視点で見つめた文章に惹かれて一気に読まされてしまった。

40年生まれは戦中戦後の耐乏生活の激流から必死に顔を出して食べられる物であれば何でも口へ入れていた。
4才で母を助けて開墾して野菜を植えて食べた。
カボチャの花でカエルを釣った。味は鶏肉のようだった。今鶏肉はなるべく食べない。