ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

そーめんカレー

2008-06-24 22:40:21 | Weblog
朝友人が尋ねて来て話に夢中になっていた家内は昼が来たのも忘れていたらしい。
ご飯を炊く時間がなかったものだから急遽そーめんを茹でて昨日作った味の深まったカレーと一緒に盛り付けた昼食を作ってくれた。
一瞬「えっ」と思ったが、そーめんもカレーも大好物だから案外美味しいかも、と思い直して一口食べると、これが本当に旨かった。
何時もながら、彼女の思い付きには驚かされる。
しかし何時もそれが意外と口に合うから面白い。
50年近くも連れ合っているのだから当然かもしれないが・・・・

びわの季節

2008-06-23 12:01:11 | Weblog
梅雨の季節はびわの旬。
友から袋一杯のびわのお裾分けを貰った。
枝についたままで本当にみずみずしいものだった。
早速びわが大好きだった母にお供えして家内と二人でいただいたけれどとても食べきれなかった。
そこで今はまっている寒天ゼリーづくりを思い立って皮をむき種をとり小さく切って砂糖も入れず煮立てて寒天とびわだけの血糖値をきにする私向きのデザートの完成です。
一晩冷蔵庫で冷やしたものを朝食べると歯応えがあってよかった。
子供は喜ばないと思うが、色々心配な向きには最適の健康食だろう。

次の日の午後に、今度は毎年いただく農家の方からパック詰めの立派なびわをいただいた。
今度は方々へお裾分けした。
友には悪いけれど、「このびわの方が昨日の分より美味しいね」とぽたぽたとしるを滴らせながら一気に2パックも食べてしまって、顔を合して笑ってしまった。
二人ともびわ恐怖症で食べるとお腹が痛くなる、と常々思っていたのだから。
私は極最近まで全然食べた記憶が無い。母が「あなたは小さい時びわを食べて、あたって死にそうになったのよ」といって私に食べさせなかった所為らしい。

それなのにびわは母の大好物だった。
びわの季節がくるといつも買って食べていた。
今思うと少し不思議でならない。

きっと自分の大好きなびわを息子に食わして食あたりしことが強く記憶に残っていて、子供の頃に私に食べさせなかった、ということなのだろうけれど・・・
親の思いは本当に子供に影響するものだ。

カラスの葬送

2008-06-20 11:05:08 | Weblog
毎日カアカアと鳴いて騒々しいくらいなのに今朝は鳴き声を聞かない。
不思議なくらいに静かである。
あの亡くなったカラスを弔っているのだろうか。

昨日いつものようにウォーキングをしていた時県道を横切る横断歩道を渡り終わって左へ曲がると、何か真っ黒い小さな塊が目にとまったがよく分からなかった。
近付いてよく見るとカラスが羽をすぼめ、大きく見開いた目を空に向け歩道に横たわっていた。
すぐ傍の電柱の天辺で2羽のカラスが盛んにガアガアと鳴いていた。
親子か家族か仲間かは知る由もないけれど悲嘆にくれている様子が伝わってきた。
100メートル歩いて橋の欄干にもたれて振り返ると相変わらず同じところにとまっていて鳴き声を上げているようだった。
死は人間だけが悲しいのではない、と思い知らされたようだった。

30分程歩いて同じところへ帰って来ると、矢張り2羽のカラスが電柱にとまっていて鳴き続けていたが歩道上にはカラスの姿は無かった。
一体何処へいってしまったのだろう、と思いながら電柱の際を見ると雑草の上にカラスの死骸があった。
空を見上げると3羽のカラスが電柱の近くまで飛んできて鳴きながら飛び去った。

横断歩道を渡り少し歩いては振り返り、振り返りしながら電柱の上のカラスの様子を見たけれど、じっと同じところにとまっていて、鳴き続けているようだった。
あれ程情愛の深い生き物だとは思いもよらなかった。

鳥の飛ぶ姿はよく見かけるけれど、遺骸を見かけることは殆ど無い。
一体何処で一生を終えるのだろうか。
鳥は飛べなくなった時心臓も停まってしまうのか。
人間と違って治してくれる医者はいないのだから自然の為せるままなのだろう。

それにしても人間とカラスの違いって・・・・・・・・

二院制の意義

2008-06-15 18:15:15 | Weblog
このところ国会がうまく機能していないのではと、苛立たしく思う。
本来参議院は党派に関係なく良識の府として国の進む方向が過たないように衆議院を補完する使命を担ってる、と遠い昔の中学時代に習ったように思う。
だが最近の参議院はどうだろう。
参議院の役割を忘れて衆議院と同じように政党の力の衝突に終始している。
このような状態が続き政争に明け暮れるのならば参議院は衆議院と同じになってしまったといえる。
衆議院が二つあるのと同じだ。
本来の役目を果たさなくなった参議院はなくしてもいいのではないだろうか。

参議院は政党に属さない本当の良識の府にすべきではないだろうか。

過労死

2008-06-11 11:23:17 | Weblog
毎日日曜日のような生活をしているものには過労死という言葉は時折新聞に出て来る縁のない言葉だと思っていた。
ところが突然本当に身近なところで起こってしまった。
家内の娘程に年の違う友人のご主人が単身赴任先のアパートで亡くなっていたのだ。
それも「最近本当に忙しいらしいから、体には気を付けてもらわないといけないよ」と話した二日後のことだった。
幾ら携帯に電話してもつながらないから不安になって、単身赴任先のアパートへ出向いて発見した。

2階で本を読んでいると、電話をとった家内の声の様子が変で、涙声になっているのが分って、不吉な予感がしてダダッと走りおりると涙を拭きながら頷いていた。
一体何処から???
検屍中の部屋からの悲しい電話だった。

私は時折お茶をのみに来た時に少し話をすることがあるぐらいだけれど、家内から常々いろいろと話を聞かされているからご主人のこと、お子さんのことなどが思い浮かんで、奥さんの驚きに胸が詰まった。

それでも家内は思い直したように立上がって、かえって来るまでに何か食べるものをこしらえて届てやろうと準備を始めていた。
男と違って、女の付き合いは違うなあ、と思った。

両手に抱える程のおにぎりと卵焼きと手掴かみ出来る大きさにしたお煮染めを届けた。

いつも私をボケ老人のように云っている意地悪ばあさんだけど、心根は優しいんだと嬉しかった。

想い出の整理

2008-06-06 11:12:36 | Weblog
父が亡くなって九年、そして母の三回忌を前にやっと父母の住んでいた棟続きの家の整理をはじめた。
家内は整理しながらアルバムを見ては、いろいろと昔のことを懐かしく思い出して手を休め感慨に耽っていた。
そして又私は日記帳に父の普段と違った心の内が書かれていているのを見付けて暫し考え込んでしまったりして二人とも中々手の方は進まなかった。
沢山ある年賀状や手紙の整理は一通ずつ宛名や文面を確認するものだから何時間もかかった。
戦友会の便りや自分の関わっていた業界の方、友人や恩師、そして孫からのものど。
取り分け小学校時代の友達からの便りの文字の変遷に時の過ぎ行く様子が感じられて何通も比べてみた。
壮年期の伸びやかに書かれた達筆の筆の動きが年を重ねて晩年になるにつれ震えが線に加わって、時間の重さが伝わってきてじっと見ていた。
友との付き合いは恐らく八十五年を超えていたのではないだろうか。
次から次えと想い出が広がって行って・・・・
まだまだ時間がかかりそうだ・・・・