5時半に目が覚めると東の空が明るんでいた。雨100%の予報だったので太陽が顔を出して空を赤く染めている光景を訝しく思ったがPadを出して太陽に向かってシャッターを切った。少しすると天気予報通りになって終日雨の日になった。強くはなかったけれど1日に降り続いていた。最近の予報は大型コンピューターを使って沢山のデータを解析するので殆ど的中する。通り雨なども地域の雲の動きの画面を出すと雨宿りの時間も予測できたりする。毎朝Siriに「今日のお天気は?」「現在雨が降っていて、気温は27度です」と挨拶を交わして1日が始まる。確かに今日は雨が降っている、、、、一日中続きそうだ。
火曜日は習い事の日で図書の返却日だ。いつもの事だが返却日が迫ると読了しようと焦る。今回の本は“アウシュヴィッツのお針子”と言う題名だった。アウシュヴィッツと言えばユダヤ人のホロコーストが思い浮かぶ。
高校時代に“夜と霧“と言う映画を観てゾッとした。うず高く積み上げられた靴、メガネ歯、服、、、の山、そして死体焼却室から立ち昇る煙、その夜は電気をけして寝ようとしても目が冴えて、映像が瞼から消えなかった。その後又夜と霧の本を買って読んだ。人の皮のランプシェードの写真があっ鳥肌立つ思いがした。“アウシュヴィッツのお針子”を読んでナチがユダヤ人を抹殺するばかりで無く、多くの富を回収して戦費に充てていた。カナダと呼ばれたユダヤ人の持ち物回収倉庫には有りとあらゆるものが積まれていて、再利用されていた。所長の妻は優秀なお針子達を集めて倉庫から持ち帰った生地でファッショナブルな服を作らせていた。ナチの高官の妻達のものも作っていた。毎日数えられない人が殺され焼却される直ぐそばで贅沢で平穏な生活をしていた。ナチズムの狂気と言ってしまえばそれまでだが、人間って怖い。
「そこで起こった悲劇はとうてい理解できません、人間の頭では受け入れられません」「アウシュヴィッツは絶滅組織」「ドイツが賠償として数十億マルクを支払ったと知っているがドイツ人がユダヤ人から盗んだ数十億を誰も覚えていない気がする」これらの言葉を噛み締めなければ!
日本の侵略の歴史も忘れてはいけない!
ロシアのウクライナ侵攻、人間は変われないのか?
今年は例年に無く葡萄の実が多くなっていると喜んでいた。車庫の上に蔓を伸ばしているので毎日観察していた、と思っていたのだが先日見上げて驚いた。葉っぱが虫に喰われて葉脈ばかりのスケルトンになってしまっていた。あっという間の出来事だった。残念至極だが諦めなければ、、それにしてもあれ程繁っていたものを短時間に食い尽くす食欲に驚嘆させられた。葡萄の気持ちは、人間よりも昆虫に食べられる自然循環の方が良いと思っているのかもね、、、
Pcもカメラも自分と同じで古くなってしまった。MacBookは2008年の3月に買ったものでMachintoshは2002年の9月に,Sonyのミラーレスは2011年6月に買ったようだ。SonyのミラーレスはVer.01だから初期の製品だろう。最近はPadばかり使っているので使う事がなかったが遠くを撮るのはカメラの方が良いのではと思って、久し振りに充電してシャッターを切ると応答しなかった。何度試しても反応なし、カメラエラーの表示を繰り返すだけだった。Sonyのサービスへ電話すると保証期間は過ぎているので部品も無いのでダメでしょうの返事だった。方々いじくり回して、設定のクリーニングモードに合わせて暫く置いておくと何故かシャッターが切れた。だがその状態で必ずしも毎回シャッターが切れる訳でもなかった。諦めず色々試した結果、どうもpcのように立ち上がり時間に余裕を見てシャッターを切ると上手く行き出した。又ディスプレー部分を水平状態に引き上げてシャッターを切ると上手くいったりもした。何とか使えるようになったので時々つかうようにしよう。
宝くじでも当たれば全部最新の機種にするのだが、、、?宝くじは誰が買うの?
老人は図書館の新刊書コーナーに並ぶのを待って借りれば良いのだが新聞で百田尚樹の“禁断の中国史”の広告を見て直ぐ読みたくなって明屋書店へ行くと未だ入荷していなかった。ところが文春新書のエマニエル・ドット著“第三次世界大戦はもう始まっている”の書名に思わず手が出て買った。
ロシアのウクライナ侵攻はEUとNATOがロシアの主張するウクライナの中立化を認めていれば防げたのでは、との考えが書かれていた。読みながら尤もな主張だと思った。読み進めるとアメリカの世界戦略の深慮遠謀、ウクライナとロシアの歴史的繋がり、人種や言語、ドイツのエネルギーのロシアへの傾斜による関係の進化への懸念、、、ロシア支持とアメリカ支持の国の数を人類学的に見ての分析、ウクライナに加担しているアメリカの結果による軍事的、経済的地位の変動、、ロシアの侵攻は悪いけれどロシアだけを悪者には出来ないな〜と思った。早く終わって欲しい!
図書館の新刊書コーナーで”動物たちのナビゲーションの謎を解く、なぜ迷わずに道を見つけられるのか “とのタイトルとサブタイトルに、もしかして、常々不思議に思っていた蝶や鳥の渡り、サケの回帰、、などなど多くの生き物のナビゲーションの事が詳しく解るのでは、と期待して老眼に目薬さしさしして370ページをヤット読み終えた。結論から言うと幾ら科学が進んでも、身近なサケの生まれた川への回帰にしても地球の磁場や匂い云々だったり、ハトの帰巣にしても何千キロも飛翔する鳥や蝶の不思議な能力、フンコロガシの直進性、、、などなど幾ら研究者が工夫を駆使して取り組んでも解明出来ないという読後感だった。行き着く先は遺伝子を受け継いだ色々な細胞の働きの解明が必要だし、それ以上にその細胞の設計図、、ああ〜、枯れた頭が混乱してしまった。生き物の生き方を人間が解明する必要があるあるのだろうか?
面白い本だった、みんなに読んで貰いたい本だった。自然の凄さをつくづく思い知らされた。
雨が降るかと思っていたら降り出しもせず何時ものサイクリングの時間になったので出掛けた。子供たちが海に入って騒いでいた。日曜日でも4人と挨拶を交わし突堤の先まで行った。緩い海風でもペダルを踏むと爽快になった。帰途にある50m程の登り坂の縁に植えられた花を毎日見ているのに足を止めることはなかったが今日は水を飲もうと押していた自転車を止めた。思わずPadを出して、パッチと撮った。花の名前は分かりません、、、自然は人知を超えていると何時も思っている。