今年は戦後80年だと報道されています。戦争体験者にギリギリで入る私も85才になり戦争のことも忘れがちですが時折爆弾の破裂音や疎開のこと食べ物のことを話し合うことがあります。食べ盛りに食糧難を体験したものには米不足で騒ぐ人達の様子を見て飽食の時代だなと思います。今一番思うことは政治家が戦争の悲惨さを肌身で体験していないことです。ハマスとイスラエルの対立でのイスラエルの攻撃はドイツにから被ったホロコースト、ジェノサイドの恐怖を祖父母達から教えられているからそのような事態が起こらない様に徹底したハマスの殲滅を企図しているのだろう。しかしジェノサイドは出来ない。ハマスの人々の
心にはユダヤの人が行った行為は絶対消えない怨みとなって残るだろう。
物理学者仁科芳雄の本を読んだ。日本で原爆を作ろうとした人だ。
以前マンハッタン計画の本を読んでアメリカの技術力と資金力とやる気度に圧倒された。
ドイツの研究所での核分裂の実証結果がボーアからイタリヤから亡命していたフェルミなどに伝えられて核分裂の研究が進んだ。しかし敵対国日本には研究情報が遮断された。日本人もボーアのもとで研究をしていた。ドイツの原子爆弾生産を恐れたアインシュタインらの大統領への原子爆弾生産嘆願が出された。マンハッタン計画が動き出して四年余りで日本の研究費の500倍の予算と5000人規模の人員で一挙に完成させて試験もそこそこに広島長崎へ投下して実験結果を観察した。戦争終決のための投下だったは言いごとに過ぎない。ドイツも日本も原子爆弾製造の理論的製造技術はあったけれど製造能力はなかった。
二号研究と言う名のもとで原子物理学の研究は続けられていた。しかしそれが即原子爆弾製造に繋がるものではなかった。広島長崎の被爆地に即入って現状をつぶさに見た。GHQは一番に二科芳雄を尋問しアメリカと日本n2台しかないサイクロトロン実験装置を打ち壊して東京湾に沈めてしまった。日本の物理化学者の能力に脅威を抱いていた。湯川秀樹、朝永振一郎の二人も仁科芳雄に影響を受けている。
原子爆弾と原子力発電の違いは反応速度の差、とあった。日本はいつでも原子爆弾wp製造出来る状態にある。恐ろしいことだ。戦争が無くなる時代は来ない。でも孫子の時代が平和でありますように!
チョット書き過ぎた??かな?