ゆうき凛々

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まとまり無く、好き勝手なことを呟いていきます。

国語 (長文&毒舌注意)

2010年11月28日 |  日記

数学が好きだったと書いた時に、ちょっとだけ書いた、国語が嫌いだった件の追加です。

国語のテストの答えって、答えを書いても絶対間違いない!と確信が持てないのがイヤだと書きましたけど、先生によって答えが○か三角か違ってくる可能性があるってのもありました。
(小1から、先生に不信感を持ってましたからねー。これもまた、そのうち詳しく書きますが)

それと、「この時、主人公はどう思っていたでしょう?」っていう問題の答えなんて、本人以外誰がわかるっつーねん!!と子供ながらに思っていたから。
きっと教科書や先生が答えて欲しがっている答えはこれだろう、というのはわかるんだけど、それに全く納得できてないんだもん。

何か悪いことをしてしまった主人公が、いくら反省したという態度と言葉をしていたとしても(地の文にそう書いてあったとしても)、本当に本心から反省してるかどうかなんて誰にわかるっていうの?(心の中では「うまく騙せた」と舌を出してるかもしれないのに)

「これは小学校の教科書に載ったお話だから、きっと答えはこういう風に言って欲しいんだろうな」と、自分の考えや気持ちを抑えて答えを書くことが、なんとなーく気持ち悪かったんだと思う。ま、この辺は、道徳の時間が嫌いだったのも同じ理由だけど。
(子供の頃から捻くれてたってことなんですけどね…)

作者の意図について聞かれた問題だって…
(取り上げられた部分に関しては)ホントのところは、実は作者は特に何も考えてなかったとかいうのもけっこうあったんじゃないかと思ったし。
文字数を増やすために書いたとかいうのも、実はあったりするんじゃないのか??と。

自分が書いてみて思うけれども、(まあ、素人の遊びの文章とプロの文章を一緒にするなというお叱りはあるだろうけれども)
長い文章の中で、どうしても書きたいシーン、書きたい言葉というのはそんなに多くはなくて。
そこへ持っていく為に“埋めていく”シーンとか言葉というのが、結構あると思うんだよね。
そういう部分を取り上げて、「ここはなぜ、『言った』ではなく、『口にした』という言い回しにしたのか?」とか聞かれてもさー。「適当に書いた部分だから筆が滑っただけ。どっちでもよかったんだけど」とは言えないだろ?
プロなら余計に。
……とか、思っちゃうんだよねー。
捻くれすぎですか?(苦笑)

それでも上の例とは違って、プロの文章だから、そこも素晴らしい文章だったりするから、教科書に取り上げられて文章を事細かに分断されて、分析されてあれこれ推測されちゃって……
結構作者さんは、「へー。そう受け取れるんだー?」「そんな深い意味なかったんだけどなー」ってビックリしてたりするんじゃないかと思うんだけどね(^^;


(そういえば先日テレビで筒井康隆先生が言っていたけれど、今は作品をどう読むか、どう受け取るかは読者次第でいいんだって。
作者が「こういうつもりで書いた」と言ったとしても、それすらも、読み方、受け取り方のたくさんの中のひとつの例でしかなくて、正解ってものは無いんだって)


ま、そんなあれこれとは別に、非常に子供らしい理由として……
国語は……
漢字の書き取りがあるでしょう?
今の私を知る人は、ウソでしょ?と言うだろうけど、小学生の頃は漢字の書き取りが超苦手だったんだよねー。
なんせ授業は楽しく真剣に集中して受けるけれども、家では一切勉強をしない子供だったので。
算数は授業をきちんと受けて、教科書を読めば、それだけでわかったの。
だけど漢字の書き取りっていうのは、自分でコツコツ練習する必要があるんだよね。私はそれが出来ない子だったんで、書き取りはどうしてもダメだった。
次々新しいことをやるのはいいんだけど、同じことの繰り返しってのがどうも苦手だったらしい。
当時の言い訳としては、「意味もなくただ覚えろ、っていうのがイヤ」と言っていたけどね(^^;
その後、漢字の成り立ちとか色々知ってからは漢字も楽しいと思うようになったけれども、小学校の(特に低学年の)先生って、「とにかく何度も練習して覚えなさい」だったんだもの。
「勉強するという癖をつけろ」ということで、そう言われていたのかもしれないけれど……。家じゃ勉強出来ない子だったんだよー!!(T_T)

まあその後、読書好きになって、知らず知らずのうちに漢字は覚えてしまい得意になっていったんだけれども。

と、ココまではテストに関しての話。
実はテスト以上に、国語の授業がイヤでした。

きっと「なんや!こいつ!」とムカつく人もいるだろうことを承知で書きますが…。

いやもう、国語に限らず大抵の教科の授業全般で言えたことだけども。
授業時間の最初の10分か15分でわかってしまっていることを、延々繰り返されるのが苦痛で苦痛で……(泣)

誰だって一度の説明で理解できていることを、その二倍、三倍の時間をかけて、繰り返しかみ砕いて説明されたらうっとおしいでしょう?
小中学校の授業って、殆どがそれだったんだもの。
わからない子の為に、かみ砕いて詳しい説明を繰り返される。
それは義務教育では当然必要なことだとわかってはいますけれども。
正直もう、めんどくさくてうっとおしくてしょうがなかった。

先生が答えて欲しがってるのはこういうことだろう、とこっちはわかっているのに、先生にあてられて答える子がことごとく、ピントのずれたことを答えていく。
イライラしながら「なんでわかんないんだよーーっ!!(怒)」と心の中で繰り返してました。
ある程度大きくなってからは、他のことを考えたり、教科書のずーっと先のところを読んだりして待つということを覚えたけれども。
(もっとも、そのせいで次の授業の時にはすでに、その部分は読み終わっているから、余計に授業で目新しいことは無くて、つまらなかったりしたんだけどねー)


そして中でも国語では、音読しなさいって時間が、小学校低学年から苦痛でしょうがなかった。
私は、漢字の書き取りは苦手だったけれども、読むのは小さい頃から得意だったようで、本を読むのにひっかかるということは殆ど無かった。黙読も音読も。
んが!
授業中次々と先生にあてられて音読となったとき、スラスラ読めない子もかなりいて…。(もちろん緊張のせいもあるんだろうけど)
これもまた「なんで読めないんだよーーっ!!(怒)」とイライラし通し(T_T)
心の中で、「ちがーう!○○って読むんだよ!」「さっき読み方を習ったとこだろ!なんでひっかかるんだよー!」「ちょっと後ろのページに読み方、書いてあるだろーが!!」と、悪態を吐き続ける時間になっていた。

問題はもう一つあって…。

私は熊本の田舎で育ったけれども、基本的には標準語で育てられた。
(とはいえ、父も母も根っからの熊本県人だから「標準語のつもりでいたけど実はそれは熊本弁だった」って言葉も混じっていただろうけど)
周り中熊本弁だから、熊本弁に慣れてはいたけども、音読する場合の話し方やアクセントはテレビの中のアナウンサーが基準になっていた。
(だってさー。教科書の内容って標準語で書いてあるじゃん!それを熊本弁のアクセントで話す方が違和感あるじゃん?)

が!
授業で音読する場合、周りの子たちは、熊本の子が標準語の文章を音読するときの独特のアクセントになってしまっていた。
これがもう!
私の中では、不協和音って言うかなんていうか…。
とにかく気持ち悪くてしょうがなかった。

たとえるなら、音程の微妙に狂った音楽を聴かされ続けているような感じ。

毎日毎日、どんなにイヤでも大人しく席についていることが苦痛でしょうがない。
国語の授業って、そんな感じでした。
わかってもらえるかなぁ……(^^;

不思議なことにそんなに嫌いだったにもかかわらず、漢字も得意になった中学からは、得意科目になっていったんだけどね。

もっとも……
中学以降の英語の時間は、きっと私が国語の授業で感じたイライラを、英語の出来る子に与えていたに違いないと思う。
なんせ英語は、中一の最初の最初で躓いて以来、まーーーーーったく、わからなかったもん!(笑)  

どうやら語学と私は仲良くなれない運命だったらしい(^^; 

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