ゆうき凛々

飼い猫・田舎暮らし・作った物・趣味のこと
などなど。
まとまり無く、好き勝手なことを呟いていきます。

「ラングドン・シリーズ」

2012年07月22日 | 読書

って書いても、わかんないですよね~(^^;

あの……
「ダヴィンチ・コード」のシリーズと言えば、わかるでしょ?

「え?いまごろ?」
と言われそうですが……(^^;

私……
翻訳物、好きじゃないんですよ(T_T)

むかーしむかしは、翻訳物も読んでたんですけどね。
でも、なーんか、(翻訳された)日本語が変だったし。
カタカナの名前は覚えにくいし。
映画でもそうですが、外国人の会話の言い回しがあまり好きじゃなかったり。
(時々、なんでそんな返事のしかたをするかな?ケンカ売ってんのか?という皮肉っぽいやりとりの末に……なぜかお互い分かり合って信頼することになってるってのが、どうにも理解できない時があったりするんですよね)
ということで、先に本を読んだ次女に薦められたのに、「翻訳ものは、なぁ…」と
気になりつつも、読まずにおりました。

もしかしたら、いつか原作を読むかもしれない、という思いもあって
DVDを借りてきて家族が観ていた時はDVDは観ていませんでした。

が。
あまりにも読む本がなかったので、再度次女に薦められたこともあり
読んでみることに。(そしてその後DVDも観ました)

映画は「ダヴィンチ・コード」→「天使と悪魔」の順でしたが
原作は、「天使と悪魔」→「ダヴィンチ・コード」→「ロスト・シンボル」の順。
なので、原作の順番で読みました。

「イルミナティ」「ヴァチカン」「コンクラーベ」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「ウィトルウィウス的人体図」「聖杯」「マグダラのマリア」
「フリーメイソン」「「失われた象徴」
なーんて単語が並んだら……
そりゃもう、気になるに決まってるじゃないですか!

蘊蓄が多いのが特徴の作品なので、ストーリーを追いたい次女は、難しいところは飛ばして読んだらしいんですが。
私はその蘊蓄が読みたいポイント。

その上、読み始めると、読みにくくても基本的に読み終わるまで頑張るタイプなので
読みにくいところも頑張って読み進め……

おもしろいじゃんっ!!(笑) 

どれも、そのままハリウッド映画にしたらいいよね!というスピード感とストーリー。
で?つぎは?どうなるの?
えー!!大丈夫!?
きゃー!!逃げてーー!!
と心で叫びながら読み進む、って感じでした。

「いや、それはないだろ!?」ってとこもなきにしもあらず。
(主人公、それで生きてるって……。ご都合主義すぎねぇ?)ってこともありましたが。
まあ、あくまで娯楽作品として楽しむ分には充分です。

おもしろかったか、おもしろくなかったかというと……
間違いなく おもしろかったです!!

お気に入りは「天使と悪魔」のカメルレンゴ(ローマ教皇庁の役職で、ローマ教皇の秘書長)の「カルロ・ヴェントレスカ」
映画の方では名前が変えてあるし、ストーリーもけっこう違うので、あくまで原作で。
(とはいえ、映画の方のカメルレンゴ役の方も全然OK!!ただストーリーを原作通りにしてあれば、もっとよかったのに♪って感じ)

作品としては、さすがに話題になっただけあって、一度は読んで見ることをお勧めします。

が!

私は、第4弾が出ても、多分読まないでしょう。
(次女が先に読んで、「お母さんでも大丈夫!」と保証してくれた場合だけ、読もうかと思ってます)
おもしろいと思ったのに、なぜかって?
その理由は……

読むと、超!苦しくなるからです!!
主人公のラングドン教授は、子供の頃の事故の影響で、軽く閉所恐怖症気味なんですよね。
エレベーターに乗るのもちょっと嫌がるくらいなんですけど……

事件に巻き込まれて行く中で、どの作品でも、やたらと閉じこめられたり、地下の狭苦しいところを通ることになったり、水に沈められて窒息しそうになったり……

同じく閉所恐怖症の私。
そういうシーンのたびに、物凄く息苦しくなるんですよ。恐怖感、ハンパないんですよ!!
悪夢に魘されそうってくらい……(泣)
なので、またそういうシーンがありそうなので、第4弾は、パスです。
そういうシーンが絶対ない!と保証されたら……読みますけど(^^;

ついでに言うと、人が殺されるシーンが、かなり残酷だしねー。
推理小説で慣れてる私でも、ちょっとう~ん!(唸)となりました。
外国の作品だとこんなもんなんでしょうか?
脇役の殺され方が、ちょっとなぁ…と思っちゃったんですよね。
すごーく臭そうだったり、汚そうだったりするのも、ちょっと…(T_T)
まあ、そう思わせるってことは、それだけ描写とかが上手いってことなんでしょうけどね(^^;

 

ちなみに……
「ハリー・ポッター」シリーズは(こちらは映画しか観てませんが)
結構何作か観たんですけど。
大っ嫌いなクモがしょっちゅう出てくるので、観なくなりました(泣) 

 


「本と私」(2)

2012年05月05日 | 読書

(2)です(笑) 

前のを読むと、なかなか充実した読書生活を送ったように見えるかもしれませんが。
結構、大変でもあったんですよ。

何がって……

本を読むようになってから、ずーーーーーーーっと。
父に文句を言われ続けていたからです。

曰く
「本ばっかり読んで!」
「目が悪くなる」
「何の役に立つ?」
「女が本なんて読むと、屁理屈ばっかり言うようになる」
「本なんて、読んだ後は紙くずだ」等々……
(今思い出しても、腹が立つな!!)

我が家には、本棚と呼べるようなものはありませんでした。
上の発言でわかるように、父は本なんて全然読まない人でしたし。
母も殆ど読まないタイプ。
家にあったのは、僅かに実用書が数冊程度。

私の子供の頃は、今、インターネットや携帯が、そしてちょっと前はテレビゲームがやり玉に挙げられていたように、やたらと「テレビ」や「マンガ」がやり玉に挙げられている頃でした。
(これにも文句があるんですけど、それはまたいつか…)
その分、学校では、読書はお薦めされていたんです。(これは今でもでしょうけど)

実際本を読むようになってから、国語の成績は急激に上がりました。
大っ嫌いだった漢字の書き取りが得意にもなりましたし。

が。
父にはそんなこと(世間一般で言われていることや、実際成績が上がったことなど)は関係ない!!
「オレが良くないと思ったら良くない!!」
で、理屈なんてまったく通用しない人でしたから。

もちろんそんな父はほっといて、読書は続けましたけど。
でも延々横でごちゃごちゃ言われ続けると、集中力もとぎれますし、腹も立ちますしね。
小説の中の世界に心が飛んでる時に、突然「まだ本読んでるのか!!(怒)」と部屋に怒鳴り込まれると、ホントに腹が立ちました。
夢を見てるときに、叩き起こされるようなもんですからね。
本の中の世界から、いきなり引きずり出されるんで、頭が切り換えられないし。
悪意無く読書を中断させられるだけでも不快なのに、本を読んでいることを責められると、怒り心頭ですよ。(だからいまだに忘れられず、ここで文句を書いてるわけですが)
悪いことをしてるとはどう考えても思えない、むしろ推奨されることをやってるのに、なんで文句を言われ続けなきゃならんのだ?!と理不尽さに泣けてきますし。

友達の家には、(おそらくはお飾りでしかない)百科事典なんてのが並んでいて。
私はそれが欲しくてしょうがない程なのに。(当時手元にあったら、全ページ余さず読んでいたと思いますよ。私は。今、wikiさんで色々調べるようにも使うだろうし、暇つぶしに最初のページから読み進めたと思います。実際国語辞典はそうやって読んだりもしてたしね)
別の友達の家には、彼女のお父さんの蔵書の、私が読みたくてたまらない(でも当時学校の図書館には置いてなかった)推理小説がズラリと並んでいたりするのに。
なんでうちの親は、本を読むようなタイプではなかったんだ?と。
せめて、自分は本を読まなくても、子供が読むことは褒めてくれてもいいんじゃないか?
百歩譲って、褒めなくてもいいから、文句言わずに好きにさせてくれ!!と
怒りに燃えてましたよ、ずーーーーっと。
大人になって、自分で本を買って読むようになってすら「無駄」だのなんだのと言われて続けてました。
もちろん、そんなの完全無視してましたけど(笑) 

 

さすがに中3の受験生の時は、自分でも読書を自粛したんですが。
完全に活字中毒になっていたので、教科書、参考書、問題集の3種類しか読めない生活はストレス溜まりまくりでした。
とにかく勉強関係以外の文字が読みたくて読みたくて……
通学中に目に入る看板の文字とかまで無闇に読むし。
食事中に目の前にある調味料の成分表示まで、無意識に読んでいるという状態に陥りましたね。

そしてこの状態……。
産前産後にも陥りました。

長女の出産の時は、実家に戻って産んだんですけど。
出産後(前も?)は目を酷使しちゃいけない、と言われまして…(これホントなんですかね?なにか根拠があるんですか?いまだにわからない…)
読書はもちろん、ちらっと新聞を読むことすら禁じられてしまいまして。

子供の紙おむつの外袋に書かれている文字とか、粉ミルクの缶の成分表示とか、何度読んだことか……(T_T)
だからというわけじゃないですが、二人目の時は実家には戻りませんでしたよ。(すでに母が他界していたので、戻ったところでかえってしんどいという状態になるのがわかってましたし)

そんな活字中毒でしたけど……
さすがに子育ては大変で。
読書量は驚くほど減りました。
特に小説類は、その世界に没頭してしまいたいのに、必ず邪魔されることになるし。
没頭しすぎて、子供の声を無視することになってもいけないし。

まとまった時間にじっくり読みたい…というものは、一切読めない、ということになってしまいましたからねー。

 

って。
長いな(^^;

いつになるか判らないけど……(3)に続きます。

 


「マジックミラー」

2011年11月19日 | 読書

『マジックミラー』

有栖川有栖 著

有栖川先生の作品は、最初に読んだのが作家アリス(&火村)のシリーズでした。
作家アリスと火村のことがとても好きになってしまったもので、他の作品やシリーズを読めなくなってしまいました。
この心理って、わかる人にしかわからないのかもしれませんが…
私は、子供の頃ホームズシリーズを読んで、読む本がなくなったもので仕方なくルパンシリーズを読んだときも、なんともいえない感じがしたんですよねー。
ホームズを裏切ってる自分が許せないような……、まがい物を読んでいるような……(ルブラン、ごめん!)

私の仲良しの従姉は、「二次創作ものなんて許せん!!」という人なんですが、その気持ちもわからなくはない、というか。
自分が書くようになるまでは、私もどちらかというと否定派でしたからねー。

そんなこんなで…
推理小説としての評価は学生アリスシリーズの方が高いような気もするのに、その学生アリスシリーズすらも、なかなか読めなかったんですよ。
で。この『マジックミラー』も、随分前に購入していたのに、なかなか読めずにいましたが、某所で「空知=火村のいない世界のアリスに見えてしかたない」 というのを目にしまして。
丁度通勤時に読みたい本がなくなってもいたので、手を出してみることにしました。


なんというか……

読み終わってからの切なさは、読んだ方ならわかって頂けると思いますが。
なぜか私は最初から、切なくて切なくてしかたがなかったんですよね。
たぶんどこかで、ある種のネタバレを見てしまっていたからだとも思うんですけど。

最初の事件がまだ桜が咲く前の、琵琶湖北部で、ということで。
日本海側の重く暗い冬の雲、なんて景色を想像してしまったせいもあるんでしょう。
推理作家空知と担当編集者片桐との、楽しいはずのかけ合いすらも、胸が痛くてしょうがなかった……(T_T)

推理小説好きなくせに、私にはトリックなんてよくわかりません。読者への挑戦状付きの小説でも、謎を解こうと挑戦したことは殆どありません。
超方向音痴で、地図もちゃんと読めなきゃ、時刻表も開いただけで頭が痛くなる……という私に、時刻表トリックなんて、特に無理!!考えようという気にすらなりゃしない。
それ以外のトリックも、その出来の善し悪しの判断なんてできないんですけども。

でも読み終わってから、「ああぁぁ………」とか「ううぅぅぅぅ……」とか、言葉にできない感情をどこかに吐き出したい!!と感じた小説でした。
読み終わって数日経つのに、まだ「切ない」気持ちが抜けきらないんですもの。
殺人犯を応援…というか、なんとかして助けてあげたい!!と思ってしまったのは、「さまよう刃」(東野圭吾 著)以来かもしれない。
できることなら、どちらの小説でも、殺人犯の二人を、事件が起こる前に戻してあげたい。
そんな風に思ってしまいました…。

うーむ。
推理小説を、ネタバレしないように気をつけながら感想を書くって、超難しい!!!(汗)
全然紹介にも感想にもなってない気がするけど。
でも何か吐き出したかったんですよ。この小説に関しては。

 


「予想どおりに不合理」

2011年10月29日 | 読書

「予想どおりに不合理」

行動経済学が明かす
 「あなたがそれを選ぶわけ」

ダン・アリエリー 著
熊谷淳子 訳

著者は イグノーベル賞もとっているし、結構話題にもなった本です。

実はこの本、ずいぶん前(2年位前かな?)に、ネットの本の紹介番組で偶然聞いて興味を持ちまして。
その時から気になってたんですが、チラッと読んでみたいという程度なので、買う気にはなれず。
図書館に蔵書があるのがわかって借りようとしたものの、いつ行っても貸し出し中。
仕方なくこの本の為に、図書館の予約システムに登録した末にやっと読めた本です。

 

これまでの「経済学」では、「人は合理的に行動する」とされてきたけれど、実際には人間は「合理的」とはほど遠い行動をとってしまう……
ということを、いろいろな実験で明らかにし、その不合理な行動も予想できる動きなので、気を付けていくことができるんだということを書いてありました。

いやもう、前半1/3を読んだあたりでは、人間の馬鹿さ加減にうんざりしちゃいました。
もちろんその中に自分も入ってるんですよ(^^;
「自分はちゃんと合理的に行動してる」と思っている人は余計に、読んでみることをお薦めしちゃいます。
「え?知らず知らずに、そんなことに影響されてたの?」と驚くこと請け合い。

とはいえ…
前半の実験のかなりの部分、「私ならそっちは選ばない」って感じで、常に少数派に属してしまい、自分の「ひねくれ者」具合がわかりすぎて別の意味で唸ってしまいましたけどね(^^;

1章の「相対性の真相」では、人は何かを買おうというとき、常に他の何かと比較して選んでいる、とのこと。
単品で決めることはとても難しいんですね。
そしてA、B、Cから選ぶ場合、ABCそれぞれの長所、欠点がバラバラだと、これもまた選ぶのが難しい。
ところが、AとAによく似てるけど、Aにちょっとだけ劣るA`とBという三つから選ぶ場合は、比較の簡単なAとA`をまず比較する。そしてAの方が優れているということでAを選んでしまうと……A`より優れていたAは、比較の難しかったはずのBよりも優れていると思ってしまう。
その辺は実例を挙げて説明してあるんですが、この話を知っていると、企業側の戦略に無闇に乗せられなくて、いいかも?と思いました。
(企業としては、Aを売りたかったら、Aよりちょっとだけ劣ったA`というダミーを横に並べてやるとAが売れやすくなるわけですからね)

ほら、よくあるでしょ?
どの商品を見ても高い店でずーっと商品を見てると感覚がマヒしてきて、そのなかでは安い物(でも普段買うよりはずっと高い物)を平気で「安いじゃん!」って買っちゃうことって。
レストランでは、一番高い商品は殆ど売れないけれども、高い商品をメニューに載せる必要があるんだそうです。なぜなら2番目に高い商品が選ばれることが多いから。
比較が難しい類似商品が三つ並んでいると、真ん中の商品が売れやすい、だとか。

普段198円の卵が98円だったら「半額以下じゃん!」ってスーパーに買いに行く主婦が、1万円の服が9900円になってるからって、わざわざ買いに行かなかったりするよね。
どちらも同じ100円引きで、その100円にかける買い物に行く時間と手間は同じなのに。
なーんてのを、冷静に考えてみると……あれ??っとなる。
そういう自分の消費者としての心理をちょっと考えてみるキッカケにもなります。

3章の「ゼロコストのコスト」
「タダ」(ゼロ円)の魅力(魔力?)について、「タダでくれる物のために長蛇の列に並んでしまったことがあるでしょ?」なんて書いてあったんですが……
ご…ごめん!殆ど無いわー!!と答えてしまいました(^^;
せっかちな方でもないし、待ち時間は待ち時間で楽しむことができるのであまり苦痛ではない方なんですがねー。
なーんか、「タダで貰える」とか「おまけ付き」とかに、それほど魅力を感じないんですよね。
なんというか……「それを行う企業側の意図は?」とか考えちゃって「のせられるのはイヤ!」と思ってしまうへそ曲がりだからでしょうか(笑)
タダだからって、必要のない物まで貰って嬉しがるのは変だと思っちゃうし、家の中にいらない物が増えるの、イヤなんですもん。
(だからって我が家がスッキリしているわけではないんですよ。いっぱいいらない物が溢れてます) 
けど、一般的には、それほど必要と思わない物でも、「タダでくれるなら♪」って喜んでもらっちゃう人の方が多いんですよねー。
この辺も色々実例を挙げてあります。

4章の「社会規範」と「市場規範」についてや11、12章の私たちの品性について、なんかもすごく興味深いです。いや、それ以外のどの章も、「ほぉ!」となりますよ。

消費者としてももちろん、もしも何かを売る側だったら、絶対読んでおくといいと思う一冊です。
消費者としては「企業の戦略に簡単に乗せられないために」
売る側としては「上手く売り上げを上げる為に」ね(笑) 

 

実は予約したこの本を待ちきれず、先に似たような本を借りて読んでしまいまして。
そちらにも半分くらい、そっくりの実験と結果が載っていました。
あとから考えると、この本を元に書いたんだろうなぁ…って感じ。

なので、この本が借りられたとき、パラパラと目次を読んでから、「しまった!」と思いました。
実験の結果を知ってるんだもん。おもしろくなさそうじゃないですか。
で、ついつい数日ほったらかして。でも図書館に期限までには返さなきゃいけないので、仕方なく読み始め……
著者がこの研究を始めるキッカケになった大変な体験(まだ10代の時、兵役中に全身の70%もの火傷を負い、一命はとりとめたものの、3年間入院し、その後もリハビリに苦しんだ)で、驚いて読み進め……。
同じ結果を導き出す実験でも、先に読んだ本よりずっと面白く書かれていて、引き込まれました。

実用書の様に見えるけど(実用書でもあるんだろうけど)「人間」ってものを(その愚かさも優しさも)知ることのできる本かも?
人間観察が好きな人なら、お薦めです♪


「本と私」

2011年10月13日 | 読書

どこかで聞いたような、お堅いとこが主催して原稿を募集してそうなタイトルにしてみました(笑) 

まあ、要するに、読書遍歴とでもいいましょうか……ね。

私が本を読むようになったのは、小学校4年生くらいの頃。
それまでは、小さな頃に読んだ童話の絵本ぐらいで、マンガも全然読みませんでした。
近所のちょっと上のお姉ちゃん達が、やれ「りぼん」だ「なかよし」だと夢中で読んでいるのが不思議でしたね。チラッと読ませてもらっても何がおもしろいのか全然わらかなかったし。
本といえば、買ってもらった「科学」を読む程度。
当時「○年の学習」と「○年の科学」のどちらかを月に一度学校で販売してたんですよ。で私は絶対的に「科学」派。
理科の実験ほど面白いものはない!!と思ってましたから(笑)
試験管とかスポイトとか、最高にワクワクする物たちでした。 

そんな私が、母と共に従兄弟の家に出かけたときに、その家にあった本を薦められて貸してもらうことになりました。正直、断り切れずに仕方なく……という感じだったような?
同時代の人は知ってるだろうという少年少女向けの推理小説本で「シャーロック・ホームズシリーズ」でした。
2、3歳上の従兄の本だったようです。
仕方なく読み始めた本でしたが、一冊読んで、即ハマりまして……。
読み終わらないと眠れない!!となり、母に呆れられました(^^;
その後、その従兄の本を借りまくり。
ホームズシリーズが無くなったので、しかたなくルパンシリーズへ移り……
そちらも読み尽くしてしまったので、学校の図書室から本を借りようと思ったのですが、おもしろそうな本が見つからず……
(今思えば、随分小さな図書室だったと思います。蔵書もめっちゃ少なかった)
母と共にバスで30分かかる熊本市内(当時は熊本城内にありました)の県立図書館へ借りに出かけるようになりました。
あくまでも推理小説に拘る私に、幅を広げた方がいいと思ったのか母は他の本も薦めまして。
私が一緒に行けなかったある日、「二年間の休暇」という分厚い本を勝手に借りてきました。
仕方なく読んでみたら、コレが結構おもしろかった。これ、別題は、「十五少年漂流記」です(^^)
同じジュール・ヴェルヌの「海底2万里」や、ちょっと前のブログに書いたコナン・ドイルの「失われた世界」もこの頃に読みました。

でも、いくら本好きになったとはいえ、小学校の図書館は「使えねー!」でしたし。
そうそう本なんて買えないし、県立図書館へ行くのも大変……というわけで、しばらくはそんなに読まなくなっていたんですが。
中学へ入る直前、長兄が色々と助言をくれました。

さすが10歳も上だけあって、「学生の時にああしておけば良かった」「こうしておけば良かった」と思うことも多かったらしく、学習に関しての助言もありましたが、図書館についても助言を貰いました。
曰く、タダで好きなだけ借りられて、借りるのも返すのも面倒じゃない(毎日通ってる場所にあるんだから、遠くまで交通費を使っていく必要がない)こんな便利なものを利用しない手はないぞ!学生の間だけの特権だぞ!と。

確かに当時、大人になって本を借りられる図書館は前述の県立図書館しかなかったですし、ブックオフも存在しませんでしたしね。
田舎なので古本屋もなかった……(T_T)
読みたくなったら、自分で買うか、県立図書館にでも行くしかなかったわけです。
なんとか全集とかになると、デカイし、重いし、高いし、で、大変ですしねー。

ということで、確かに図書館はしっかり使うべきだなーと思っていました。

で、中学へ入学しまして。
隣の席になった男の子が、なかなかおもしろい子でした。
その子、テストの時、ある程度の時間が過ぎたら、問題用紙の裏に絵を描いてたんですよ。
余裕でしょ?
という私もある程度過ぎたら「どう考えてもわからんもんはわからん!!」という開き直りの元、同じように絵を描いていたから知ってるんですけどね(笑) 
しかもその子、毎回毎回、必ず宇宙戦艦ヤマトを描いていた。私には何がおもしろいのかわからなかったんですが……。
ヤマトの良さを力説する彼のせいで、いつの間にやらヤマトを観てしまうことになり。
彼自身にも興味を持つことになり……

気付くと、その子、時たま教室にいない。
どこに行ったのか、と思っていると本を持って帰ってくる。
そうです。休み時間に図書館に行ってたんです。
いったい何を読んでるんだろ?と気になりまして。

ある時図書館に行き、読みたい本(例によって推理小説)を探していたら、全然別のところで彼の名前を見つけました。
当時、その中学の図書室では、2種類の図書カードで貸し出しを管理していました。
(きっと当時は同じやり方のところが多かったと思います)
各クラス別の個人用のカード(こちらはカウンター内においてあって、図書委員しか見られない)と、それぞれの本の裏表紙に挟まれた本のカード。
個人用のカードには借りた本の名前と借りた日、返した日が記載され、本のカードの方には借りた人の名前とクラスと日付が記載されていく、という奴。

で、私が見つけたのは本のカードの方。

そのカードを見て「あれ?こんな本をあいつ、借りてるんだ?」とわかったわけですよ。
で……
今考えるとストーカーみたいで気持ち悪いんですが(^^;……
彼の借りた本を探しては借りて読むということをやってみたんです。
普通なら自分が手を出さない種類の本を無理矢理読む、ということになりまして。
と、それも結構おもしろい!となったんですね。

まあ、そのストーカー行為はほんの僅かでやめたんですが。
(どうがんばっても興味を持てない本の方が多かったんだよー)
推理小説ばかりに偏るのではなく、色んな種類の本を読み漁ろう!!ってのだけは、私の中に残りました。
タダで色んな本を読みまくれるのは、数年間だけだ!!という気持ちもありまして…ね(^^;

高校は歴史のある学校だったので、蔵書も県内有数でした。
ので、ビックリするほど古い本とかありました。いつの仮名遣いだ!?ってのも多数。
外国名が全部漢字表記だったり(しかもフリガナ無し!)で、「読めねー!!」となったり…ね(笑) 
そして「今しかない」「今読んでおかないともったいない」という気持ちで、いろんなジャンルの本を借りまくりました。
エスペラント語の本とか、被服の歴史とか、育児の本とか……
どう考えても女子高生が好んで読むタイプの本じゃないだろ?ってのも色々と借りて読みました。
そんなこんなで、高校では常に学年ベスト3に入る貸し出し(?)数でした。
3年間図書委員で(最後は図書委員長でした)もちろん司書の先生にも可愛がってもらいました。閉館後にお茶とお菓子をごちそうになったり、ご自宅に遊びに行かせて貰ったり。
夏休みも特に多く本を貸し出して貰ったりしてね(^^;

卒業後、OL時代は、自分で本を買って読みまくりました。
昼休みも、家でも。
結婚して、子供ができて……と、忙しくなって本を読むことが減りましたけどねー。

今は結構近くに市の図書館があるし、ブックオフとかもあるので、中学に入る前に兄にもらった助言は意味をなさないのかもしれないけど。
でも読書の習慣をつけてくれる助けにはなったので、ありがたいなーと思ってます。
 


「悪女の物語」「悪女が生まれるとき」

2011年07月14日 | 読書

 

 

「悪女の物語」
「悪女が生まれる時」

藤本ひとみ 著

「悪女の物語」は、微笑んだことがないといわれたマリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズと、色情狂といわれたマルゴ王妃の二人を取り上げ、
「悪女が生まれる時」の方は、“暗殺の天使”シャルロット・コルデーと、“テルミドールの聖母”テレジア・タリアンの二人を取り上げています。

歴史書ではなく、あくまでエッセー。
この4人について本当に詳しく知りたいなら、別の本を読むべきかも?

んが。
私は4人のことはぜーんぜん知らなかったので、フランス革命期の入門編として、楽しく読ませてもらいました。(マルゴ王妃は時代が違うけどね)
ベルばら世代なのでマリ・ーアントワネットの娘という存在はかすかに覚えていますが、その後についてとか考えもしなかったよ……(^^;
オスカルにプロポーズしたジョゼフ王子しか印象に残ってないからなぁ……(^^;

一人一人についての話は省略しますが、当時の貴族のお嬢さん方ってのも、可哀想だなーとつくづく思いました。
ちょっと前に読んだ、大奥で生まれたお子さま達っていうのも、かなり悲惨でしたが(T_T)
こちらの話はまたそのうち……

政略結婚でお互いに対して愛情のかけらもない両親の元に生まれ、小さい間は乳母に育てられ、親と会うのなんてほんの僅かな時間だけ。
そしてある程度大きくなったら修道院に入れられる。
その修道院がまた、実質貴族の娘達の教育機関となっていたにもかかわらず、環境劣悪(お風呂も滅多に入れないし、歯も磨けない。まあ、当時のヨーロッパは全体的に、現在の日本では信じられないほど不衛生ですけどねー。なんせ週に1回お風呂に入りたいと言ったエリザベス1世が「潔癖性」過ぎると非難されたと言われてますから……)
その上、王族の娘ですら、何年も修道院にいて、そこを出たときにまともに文字も書けなかったなんていう教育状態。

修道院から出られるのは、親が縁談をまとめたので結婚する、という時。
なので親が没落してお金がなくなり、縁談をまとめられないことになろうものなら、一生修道院からは出られない。
縁談がまとまったといっても、当然本人は全く知らないままに勝手に相手が決まる政略結婚なわけで、そりゃ当然愛情なんてなかなか育くまれませんわな。
男性の方は結婚するまでそれなりに遊んでいたりするわけで。
女性の方も、結婚して初めて恋愛を知る。(それも相手は旦那以外)
夫婦お互いに別の相手と恋愛するし、それが公然と認められてる。
愛情の無い夫婦間に生まれた子供には、親は愛情は持てない……と、繰り返されていく。

なんだかな~。

 

この2冊に取り上げられている4人のうち3人は、フランス革命の時期にいろいろやらかしてる女性達なわけですが。
「ベルばら」も、オスカルが死んだ辺りからは結構どうでもよくなって、読み飛ばしたものであまり記憶に残っておりませんし、たぶんマリー・アントワネットが処刑された辺りで話は終わってると思うんで。そこから続くフランス革命については殆ど知識が無かったんですけど。
(つーか、ギロチンでの処刑、処刑……ってのをチラッと読んだ時点で恐くなって、もう知ろうとしなかったんですよね)

フランス革命って、すごいな!!
日本の幕末をチラッと思い出しましたが、それ以上にすごい気がする。
きっちり興味を持って調べたらおもしろいんだろうなー。
ただ私はやっぱりギロチンでの処刑の多さに、吐き気がするのでダメですけど(^^;

ヨーロッパの歴史って、何というか、日本のよりグロい気がするんですよねー。
もちろん日本でだって歴史上は色々残虐なことも行われたわけですけども。
(それに考えてみりゃ、みなさん結局のところすでにお亡くなりになってるわけで、早いか遅いかの違いだろ、と思わなくもないけども)

著者の藤本さんは、お名前は知っているもののまったく作品を読んだことがなかったんですが、この2冊で、ものすごくフランス&フランス革命辺りのことがお好きなんだな、というのはわかりました。
エッセイなだけに、ご本人の感想だとかが随所に入るのが、わたし的にはおもしろかったけども、嫌いな人にはうっとおしいかも?(^^;
「ナポレオン、嫌いなんですけど」とかハッキリ書いてあるのが結構好みだったり……。

取り上げている女性個人に関しての見方の厳しさも、それなりにおもしろい。
すごく嫌いなタイプの女性をわざわざ取り上げて書いてる辺りの文章が、わたし的には好きでした(笑) 「嫌いなら書くな」って人もいるだろうけどね(^^;

んで、2冊の中で一番印象に残ったのは、マリー・テレーズに関しての文章で。
彼女は多感な時期にフランス革命が勃発して、王族というだけで悲惨な目にあうわけです。
父も母も殺され、弟とも死に別れ。
一人の少女にとっては、(フランスという国全体の政治だなんだはわからないまま)ただ、民衆によって家族を殺された、ということでしかないんでしょう。

その後王政復古があったりとか、いろいろあるわけですが。
何年も経ったあと、前向きに生きるチャンスはあったんです。
けれど彼女は、過去の恨みに縛られて生きてしまった。そのことが更に彼女を不幸にしていくわけですが。(だから「微笑んだことがない」と言われてた)

過去ばかりを省みて、その恨みを晴らすことばかり考えたような行動をとっていた彼女。
もしもそれをきっぱりと捨てて、未来を見据えて前向きに生きたなら、もっと幸せになれていたのではないか。(すでに手元に本が無いので、うろ覚えですが)

というような内容が、一番心に残りました。

 

しかし正直……
取り上げられていた女性の誰一人、好きにはなれませんでしたね……(苦笑) 


「血痕は語る」

2011年07月11日 | 読書

「結婚は騙る」ってタイトルの本でもおもしろそうだな~(^^;

なんて冗談はさておき。
こちらも先日図書館から借りてきて読んだ本です。

「血痕は語る」

向井活子 著

 

著者は、科警研の主任研究官の女性でございます。

某ドラマ&映画などの影響で、警察機構については少しだけ調べましたが、科警研と科捜研の関係がどうなってるのかなんてことは知らなかったので、まずそこに「へ~!」
「死体は語る」といったタイプの本は、以前から好きで読んでいたのですが、そちらは元監察医の方の著作でしたし。
それは、某ドラマの影響ってことではございません。もっと前から興味をもって色々読んでたんだよー。

話は飛びますが…
もしも私が何かの事件の容疑者になっちゃったら、そういう本がやたらと本棚に並んでいる状況って、けっこうマズイんじゃね?とか心配になっちゃいましたねぇ。
実は興味があっただけじゃなく、小説を書きたくて、その資料として読んでたんだけどねぇ(^^;
心理学やら、犯罪についての本やら、いろいろありますからねー。
これでも結構捨てたんですけど(^^;)

で、この本ですが。

タイトルがタイトルですから、血痕だとかの人体から出た物(排泄物含む)を扱ってます。
ので、正直、食事中に読むもんじゃないですね。いや、ホントに(^^;
と言いつつ、私は結構こういうのも珈琲を飲みつつ、お菓子をポリポリやりながら読めますが……さすがに自ら感覚を一部マヒ状態に持っていかないと、吐きそうになる部分もありました。

テレビドラマとかでなんとなーくある程度知ってるような気になっていたことも、間違った知識だった、なんてことが色々書かれてました。

キメラ(ヒトキメラ)についてとか……。
二卵性双生児のペアに少数いる他は、妊娠初期に双生児の一方が死亡し、生存している方に吸収されて血液キメラが生じたと考えられているのだとか。
詳しいことは全然知らなかったよ。

骨髄移植で血液型が変わることがあるのは、某歌舞伎役者さんの件で知ったんですけども。
血液型は変わっても、他の組織は元の血液型のままだったりするので、もしも何らかの形で犯罪と関わった場合、それ(骨髄移植を行っていること)がわかってないと、重大な判断ミスが起こりうる、なんて全く知らなかったわー。血液型が変わったら、身体の中全部変わるんだと思ってた……。

そして、DNA鑑定についても。
「犯人の残した体液と容疑者のDNA型が一致しました」と言うと、「指紋が一致した」という場合と同じように、確実に同一人物だと断定されたような気になってしまっていたけれども、実はそうではないのだとか。
DNA鑑定はあくまでも「確率」を表すものでしかないということ。

たとえば犯人の残した血液がABO式のAB型で、RH式で(-)だったからって、容疑者の中にAB(-)の人が一人いたからといって、その人が犯人だと確定は出来ないわけです。世の中にはAB(-)の人は他にもたくさんいるわけですから。

ちなみに、血液型はABO式、RH式の他にもたくさん判別方法があって、MN式、P式など約300種類も判別方法があるのだとか。
だからABO式でABで、RH式で(-)でも、MN式では一致しないとかいう可能性も当然あるわけですな。
現在わかっている限りの全ての血液型識別法を調べて、全てが犯人の物と一致したとしても、それはあくまで確率でしかないわけです。100万人に一人しかその血液型はいない、と言ったところで、同じように全ての血液型が一致する人が世界中には何人かいるわけで。
もう一人の同じ血液型の人が、実はすぐ近くにいるかもしれないわけですよ。

中身が見えない箱の中に10個のボールが入っていて。そのうち一個だけが赤いボールだとすると無作為にボールを引っ張り出したとき、赤いボールの出る確率は1/10なわけですが。
最初にテストしたときに、赤いボールが出てくるのは10回目かもしれない。
次にもう一度おなじように箱に10個のボールを入れて、ボールを引き出したときは、一回目に赤いボールが出るかもしれない。
最初の10個の時の最後の一個と、二回目の最初の一個だけを引いた人がいたとしたら、その人にとっては二回のうち二回とも赤いボールということになるけれども、赤いボールを引き当てる確率が1/10だということには、変わりは無いわけです。

DNA鑑定も実はそれと同じで、ものすごく大きな数字での確率(何兆何百億分の一という確率)での一致ということになるけれども、それと全く同じDNAの人が、容疑者のすぐ隣に住んでいる可能性はゼロではないんです。
だから、「DNAが一致しないから犯人ではない」と言うことは出来るけれども、「DNAが一致したから犯人だ」ということはできないんです。

……ってふうに私は理解したんだけど、間違ってないかな??
ま、気になる方は、この本を読むか、wikiさんとかで調べてみてください。
DNA鑑定の方法についても、難しいから説明は省きましたので(^^;

他に、犯罪の状況における血液の飛び散り方とか、ケガなどで出血し、血液がしたたり落ちている状態で移動した場合の血痕の状態についてだとか、もありました。
でも、実際の現場では教科書通りにわかりやすい血痕が残っているとは限らなくて。
それでもそこから「何かおかしい」と見つけだすことができるのは、やはり経験を積んだ現場の刑事さんたちなのだ、という現場の方を尊敬されてる気持ちとかも伝わりました。

ちなみに
時代劇とかであるように、刀で人を切ったところで、あんなに派手に血液は飛ばないんだとか。ま、フィクションはフィクションで楽しんでください、ってことでしたが(笑) 

時々詳しい説明がめんどくさくなったりしましたが、(私がアホだからね)全体的には興味深く読めました(^^) 

いやぁ。こういうのをきちんと覚えておいて、参考にした小説とか書けたらいいのにねー。
無駄に読んで忘れるだけの私じゃ、意味ないんですけどね(^^;


「クリスタル・スカルの謎」

2011年06月13日 | 読書

昔はめーっちゃ読書好きだったんですが。
子供が生まれてから段々と本を読むことが減りまして。
なんせ時間がない&細切れの時間にストーリーに入り込むと、色々と大変なんですよ(T_T)
で、「子供が大きくなったら、好きなだけ読むんだ!」と我慢してたんだけどねー。

いつの間にやらネットにハマり。
ネットではたっくさん読んでたんだけど、紙媒体で読むことは、かなり減っておりまして。
ホントに気が向いたときにちょこっと読むだけになってます。
先日、久々にいろいろと本を読みたいなーということで、図書館から借りてきたうちの1冊がこれ。

 

神秘のオーパーツ クリスタル・スカルの謎

並木 伸一郎  山口直樹  著

えー。まず、これは推理小説ではございません。(「謎」って付いてるけどねー。私のことだから、「きっと推理小説だろう」と思った友人もいるだろうけど)

オーパーツ(それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品。「時代錯誤遺物」「場違いな加工品」と意訳されることもある)
として有名な、「水晶で作られたドクロ」に関する本でございます。

真贋はともかく。
こういうの、好きなんですよ、昔から(^^)
頭っから信じているわけでもないし、「おいおい!」「そこからその結論へ導くのはおかしいだろ?!」とつっこみたくなることも多々ありますがね(笑)

なんでもかんでも「超古代文明」とか「地球外生命体」とかの関係品、てことにしちゃうのはどうかと思うし、調査結果とかに信憑性がないんじゃない?って思うことも多いけど。
でもなんだか、夢があるじゃん?
もしかして……ホントにもしかしちゃって、超古代文明とかあったなら、ロマンじゃ~ん?
てね♪
「んなに上手いこといくわけないじゃん!!」っていうラブコメやドラマを、完全なフィクションとして楽しむ感じで……楽しいんですよ(^^)

アトランティス、ムー、レムリアとか聞くと、ワクワクしちゃうんだもん。
マヤ、アステカ、テオティワカン、インカ、マチュピチュ、ナスカ、イースター島とかさ。
あ~キリがない(^^;

話が逸れますが。
実は……絶対無いとわかってはいても、「地球空洞説」が大好きなんですよねー。
ありえないと思うんですよ。思うんだけど、でも、子供の頃に読んだ時のワクワク感がいまだに残ってるんですよねー。
空であるはずの部分に地面がある(上も下も地面ってことね)とか、ぼんやりした太陽代わりの光があるとか…
閉所恐怖症のくせに、なぜか憧れるんですよねー。

似たような設定がある小説とかも、めっちゃ好き♪
ちょっと設定は違うけど、コナン・ドイル(シャーロック・ホームズで有名なあの作家さんですよ)の「失われた世界」もワクワクしながら読みましたわ~(かなり子供のころですけど)
もう一度読み返したいな~。

ま、実は今回この本は、アトランティスの話に繋がっていくとは思いもせずに借りたんですけどね(^^;
ただ単にクリスタル・スカルの詳しい情報が載っていればいいな、程度だったもので。

クリスタル・スカルについては、テレビや本でチラッと写真を見た程度。詳しいことは全然知らなかったもので、実はいくつもあるだなんて、この本で初めて知りました。
クリスタル・スカルが発見された経緯とかも全く知らなかったので、それがわかったのはよかった。

でも、やたらとスカルの神秘的な力を強調されるのは閉口しました。
だって「直接見たら伝わってくる」と繰り返されても、直接見られないし。そして多分そういうのに鈍感な私は直接見ても触っても、何も感じないだろうと思うし。
個人の主観で違ってしまうだろうことを力説されても「なんだかな~」と思ってしまう。
今回は特に、どこで、誰に、どうやって発見されたかだとか、その後の行方だとか、測定値だとかいう客観的なことが知りたかっただけなので、ね。
事実だけを淡々と書いてくれた方が、信憑性があるのになぁ……(^^;

それと、こういう本の最後によくある、「現代人(と破滅へ向かって進んでいる現在の文明)に対しての警告」的なまとめ方は、どうにかならないものかなぁ、と思いました。
何年も前から何度も何度もそういうまとめ方を見てきた気がする。
確かに改めなきゃいけない部分はたくさんあるだろうけど。
正直、こういう本でそれを書かれても、誰がそのために動くねん?という話だし。
過去の遺物や予言がどれもこれも、その時代からすると未来(私たちにとっての現代)の為を思ってるって考えるのは、随分と虫のいい話だな、とも思うし。
昔の人はそこまで賢くて、その上何千年、下手すると万年先の未来の人類の為に警告を残してくれるほど親切だってことなのか?
とてもそうとばかりは思えないんだけどなぁ……(^^;

 

余談ですが。

子供の頃、ストーンヘンジ(イギリスの巨石を環状に並べた遺跡)について知りまして。
太陽崇拝の祭祀場か?それとも古代の天文台か?と遺跡の目的を調べているのだと本で読んで。
それ以来ずーーっと素朴な疑問が消えないんですよ。

あれ、ただの芸術品って可能性は、全く無いの??

モノリスやその他の巨石遺跡や、建造物もそうなんだけど……
どれに関しても、「なんらかの意味のある物」と考えて、調べてるんだよねー。
もちろん、私のようなド素人にはわからない、ちゃんとした理由や調査結果をもとにやってるんだろうけど。
でも、ド素人としての、超素朴な疑問なんだよ。
昔の人は「意味のない(特に使用用途のない)物」を作ったりはしなかったというの??
チンパンジーだって、生きるために必要なことしかしないわけじゃない。遊ぶことを知ってるのに。
文明を築いていた昔の人類には遊び心や、芸術の心は無かったの?

「なあ、なあ。このでっかい石、立ててこの丘に置いておいたら、ちょっとかっこよくね?」
「お!いいじゃん!なんかかっこいいな!俺もやろ!!」
「え?じゃ、俺もやるー!!」
「へへーん!俺なんかもっとデカイ石使っちゃうもんねー」
「俺なんか、この石、斜めに削っちゃうもんねー」
「オレは立てた石の周りに寝かせた石を並べた方が、美しいと思うな」
「おー!すげー!おまえ、芸術家ーー!!」
「よーし!みんなで力を合わせてやってみようぜー!!」
「おー!」
「おー!」

………とか(^^;

「なあ、ここに無駄にでっかい石が並べてあったら、オレの孫とかの世代になったら、コレなんなんだろ?深い意味があるのかな?って悩みそうじゃね?(笑)」
「おまえ、相変わらず意味のないイタズラ好きだなぁ…」
「ついでに何か絵とか刻んでみようか?」
「記号の方がおもしろくね?暗号かと思うかもよ?」
「お!それいいな!採用!!」
「よーし!やってみようぜー!!」

………とか(^^;

あ……?
そんなのあるわけないですか?
………やっぱり??(^^;

 

でももしも私が当時その土地で一番の有力者だったり、祈祷師とか呪術師みたいな人だったりしたら……………

「こうすることで、神に祈りが届くとお告げがあったのじゃー!!」
とかなんとか言って、「だって、その方が綺麗だと思うんだもーん!」って本心を隠して
やらせちゃったりするかもなーと思うんだけど(^^;

 

ないですか……
そうですね………(笑)