ゆうき凛々

飼い猫・田舎暮らし・作った物・趣味のこと
などなど。
まとまり無く、好き勝手なことを呟いていきます。

「悪女の物語」「悪女が生まれるとき」

2011年07月14日 | 読書

 

 

「悪女の物語」
「悪女が生まれる時」

藤本ひとみ 著

「悪女の物語」は、微笑んだことがないといわれたマリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズと、色情狂といわれたマルゴ王妃の二人を取り上げ、
「悪女が生まれる時」の方は、“暗殺の天使”シャルロット・コルデーと、“テルミドールの聖母”テレジア・タリアンの二人を取り上げています。

歴史書ではなく、あくまでエッセー。
この4人について本当に詳しく知りたいなら、別の本を読むべきかも?

んが。
私は4人のことはぜーんぜん知らなかったので、フランス革命期の入門編として、楽しく読ませてもらいました。(マルゴ王妃は時代が違うけどね)
ベルばら世代なのでマリ・ーアントワネットの娘という存在はかすかに覚えていますが、その後についてとか考えもしなかったよ……(^^;
オスカルにプロポーズしたジョゼフ王子しか印象に残ってないからなぁ……(^^;

一人一人についての話は省略しますが、当時の貴族のお嬢さん方ってのも、可哀想だなーとつくづく思いました。
ちょっと前に読んだ、大奥で生まれたお子さま達っていうのも、かなり悲惨でしたが(T_T)
こちらの話はまたそのうち……

政略結婚でお互いに対して愛情のかけらもない両親の元に生まれ、小さい間は乳母に育てられ、親と会うのなんてほんの僅かな時間だけ。
そしてある程度大きくなったら修道院に入れられる。
その修道院がまた、実質貴族の娘達の教育機関となっていたにもかかわらず、環境劣悪(お風呂も滅多に入れないし、歯も磨けない。まあ、当時のヨーロッパは全体的に、現在の日本では信じられないほど不衛生ですけどねー。なんせ週に1回お風呂に入りたいと言ったエリザベス1世が「潔癖性」過ぎると非難されたと言われてますから……)
その上、王族の娘ですら、何年も修道院にいて、そこを出たときにまともに文字も書けなかったなんていう教育状態。

修道院から出られるのは、親が縁談をまとめたので結婚する、という時。
なので親が没落してお金がなくなり、縁談をまとめられないことになろうものなら、一生修道院からは出られない。
縁談がまとまったといっても、当然本人は全く知らないままに勝手に相手が決まる政略結婚なわけで、そりゃ当然愛情なんてなかなか育くまれませんわな。
男性の方は結婚するまでそれなりに遊んでいたりするわけで。
女性の方も、結婚して初めて恋愛を知る。(それも相手は旦那以外)
夫婦お互いに別の相手と恋愛するし、それが公然と認められてる。
愛情の無い夫婦間に生まれた子供には、親は愛情は持てない……と、繰り返されていく。

なんだかな~。

 

この2冊に取り上げられている4人のうち3人は、フランス革命の時期にいろいろやらかしてる女性達なわけですが。
「ベルばら」も、オスカルが死んだ辺りからは結構どうでもよくなって、読み飛ばしたものであまり記憶に残っておりませんし、たぶんマリー・アントワネットが処刑された辺りで話は終わってると思うんで。そこから続くフランス革命については殆ど知識が無かったんですけど。
(つーか、ギロチンでの処刑、処刑……ってのをチラッと読んだ時点で恐くなって、もう知ろうとしなかったんですよね)

フランス革命って、すごいな!!
日本の幕末をチラッと思い出しましたが、それ以上にすごい気がする。
きっちり興味を持って調べたらおもしろいんだろうなー。
ただ私はやっぱりギロチンでの処刑の多さに、吐き気がするのでダメですけど(^^;

ヨーロッパの歴史って、何というか、日本のよりグロい気がするんですよねー。
もちろん日本でだって歴史上は色々残虐なことも行われたわけですけども。
(それに考えてみりゃ、みなさん結局のところすでにお亡くなりになってるわけで、早いか遅いかの違いだろ、と思わなくもないけども)

著者の藤本さんは、お名前は知っているもののまったく作品を読んだことがなかったんですが、この2冊で、ものすごくフランス&フランス革命辺りのことがお好きなんだな、というのはわかりました。
エッセイなだけに、ご本人の感想だとかが随所に入るのが、わたし的にはおもしろかったけども、嫌いな人にはうっとおしいかも?(^^;
「ナポレオン、嫌いなんですけど」とかハッキリ書いてあるのが結構好みだったり……。

取り上げている女性個人に関しての見方の厳しさも、それなりにおもしろい。
すごく嫌いなタイプの女性をわざわざ取り上げて書いてる辺りの文章が、わたし的には好きでした(笑) 「嫌いなら書くな」って人もいるだろうけどね(^^;

んで、2冊の中で一番印象に残ったのは、マリー・テレーズに関しての文章で。
彼女は多感な時期にフランス革命が勃発して、王族というだけで悲惨な目にあうわけです。
父も母も殺され、弟とも死に別れ。
一人の少女にとっては、(フランスという国全体の政治だなんだはわからないまま)ただ、民衆によって家族を殺された、ということでしかないんでしょう。

その後王政復古があったりとか、いろいろあるわけですが。
何年も経ったあと、前向きに生きるチャンスはあったんです。
けれど彼女は、過去の恨みに縛られて生きてしまった。そのことが更に彼女を不幸にしていくわけですが。(だから「微笑んだことがない」と言われてた)

過去ばかりを省みて、その恨みを晴らすことばかり考えたような行動をとっていた彼女。
もしもそれをきっぱりと捨てて、未来を見据えて前向きに生きたなら、もっと幸せになれていたのではないか。(すでに手元に本が無いので、うろ覚えですが)

というような内容が、一番心に残りました。

 

しかし正直……
取り上げられていた女性の誰一人、好きにはなれませんでしたね……(苦笑) 


「血痕は語る」

2011年07月11日 | 読書

「結婚は騙る」ってタイトルの本でもおもしろそうだな~(^^;

なんて冗談はさておき。
こちらも先日図書館から借りてきて読んだ本です。

「血痕は語る」

向井活子 著

 

著者は、科警研の主任研究官の女性でございます。

某ドラマ&映画などの影響で、警察機構については少しだけ調べましたが、科警研と科捜研の関係がどうなってるのかなんてことは知らなかったので、まずそこに「へ~!」
「死体は語る」といったタイプの本は、以前から好きで読んでいたのですが、そちらは元監察医の方の著作でしたし。
それは、某ドラマの影響ってことではございません。もっと前から興味をもって色々読んでたんだよー。

話は飛びますが…
もしも私が何かの事件の容疑者になっちゃったら、そういう本がやたらと本棚に並んでいる状況って、けっこうマズイんじゃね?とか心配になっちゃいましたねぇ。
実は興味があっただけじゃなく、小説を書きたくて、その資料として読んでたんだけどねぇ(^^;
心理学やら、犯罪についての本やら、いろいろありますからねー。
これでも結構捨てたんですけど(^^;)

で、この本ですが。

タイトルがタイトルですから、血痕だとかの人体から出た物(排泄物含む)を扱ってます。
ので、正直、食事中に読むもんじゃないですね。いや、ホントに(^^;
と言いつつ、私は結構こういうのも珈琲を飲みつつ、お菓子をポリポリやりながら読めますが……さすがに自ら感覚を一部マヒ状態に持っていかないと、吐きそうになる部分もありました。

テレビドラマとかでなんとなーくある程度知ってるような気になっていたことも、間違った知識だった、なんてことが色々書かれてました。

キメラ(ヒトキメラ)についてとか……。
二卵性双生児のペアに少数いる他は、妊娠初期に双生児の一方が死亡し、生存している方に吸収されて血液キメラが生じたと考えられているのだとか。
詳しいことは全然知らなかったよ。

骨髄移植で血液型が変わることがあるのは、某歌舞伎役者さんの件で知ったんですけども。
血液型は変わっても、他の組織は元の血液型のままだったりするので、もしも何らかの形で犯罪と関わった場合、それ(骨髄移植を行っていること)がわかってないと、重大な判断ミスが起こりうる、なんて全く知らなかったわー。血液型が変わったら、身体の中全部変わるんだと思ってた……。

そして、DNA鑑定についても。
「犯人の残した体液と容疑者のDNA型が一致しました」と言うと、「指紋が一致した」という場合と同じように、確実に同一人物だと断定されたような気になってしまっていたけれども、実はそうではないのだとか。
DNA鑑定はあくまでも「確率」を表すものでしかないということ。

たとえば犯人の残した血液がABO式のAB型で、RH式で(-)だったからって、容疑者の中にAB(-)の人が一人いたからといって、その人が犯人だと確定は出来ないわけです。世の中にはAB(-)の人は他にもたくさんいるわけですから。

ちなみに、血液型はABO式、RH式の他にもたくさん判別方法があって、MN式、P式など約300種類も判別方法があるのだとか。
だからABO式でABで、RH式で(-)でも、MN式では一致しないとかいう可能性も当然あるわけですな。
現在わかっている限りの全ての血液型識別法を調べて、全てが犯人の物と一致したとしても、それはあくまで確率でしかないわけです。100万人に一人しかその血液型はいない、と言ったところで、同じように全ての血液型が一致する人が世界中には何人かいるわけで。
もう一人の同じ血液型の人が、実はすぐ近くにいるかもしれないわけですよ。

中身が見えない箱の中に10個のボールが入っていて。そのうち一個だけが赤いボールだとすると無作為にボールを引っ張り出したとき、赤いボールの出る確率は1/10なわけですが。
最初にテストしたときに、赤いボールが出てくるのは10回目かもしれない。
次にもう一度おなじように箱に10個のボールを入れて、ボールを引き出したときは、一回目に赤いボールが出るかもしれない。
最初の10個の時の最後の一個と、二回目の最初の一個だけを引いた人がいたとしたら、その人にとっては二回のうち二回とも赤いボールということになるけれども、赤いボールを引き当てる確率が1/10だということには、変わりは無いわけです。

DNA鑑定も実はそれと同じで、ものすごく大きな数字での確率(何兆何百億分の一という確率)での一致ということになるけれども、それと全く同じDNAの人が、容疑者のすぐ隣に住んでいる可能性はゼロではないんです。
だから、「DNAが一致しないから犯人ではない」と言うことは出来るけれども、「DNAが一致したから犯人だ」ということはできないんです。

……ってふうに私は理解したんだけど、間違ってないかな??
ま、気になる方は、この本を読むか、wikiさんとかで調べてみてください。
DNA鑑定の方法についても、難しいから説明は省きましたので(^^;

他に、犯罪の状況における血液の飛び散り方とか、ケガなどで出血し、血液がしたたり落ちている状態で移動した場合の血痕の状態についてだとか、もありました。
でも、実際の現場では教科書通りにわかりやすい血痕が残っているとは限らなくて。
それでもそこから「何かおかしい」と見つけだすことができるのは、やはり経験を積んだ現場の刑事さんたちなのだ、という現場の方を尊敬されてる気持ちとかも伝わりました。

ちなみに
時代劇とかであるように、刀で人を切ったところで、あんなに派手に血液は飛ばないんだとか。ま、フィクションはフィクションで楽しんでください、ってことでしたが(笑) 

時々詳しい説明がめんどくさくなったりしましたが、(私がアホだからね)全体的には興味深く読めました(^^) 

いやぁ。こういうのをきちんと覚えておいて、参考にした小説とか書けたらいいのにねー。
無駄に読んで忘れるだけの私じゃ、意味ないんですけどね(^^;