冬の風物詩とも言える駅伝競走のシーズンになりました。
高校、大学、実業団、そして都道府県対抗と、それぞれ、馴染みのある企業や都道府県、あるいは母校の選手たちの力走を応援しながらレースを見るのは楽しいものです。
一昨昨日・日曜日、宮城県仙台市周辺を舞台に「全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)」が行われました。
注目したのは、日本郵政グループ所属の廣中璃梨佳選手です。
廣中選手は、先の東京オリンピックの陸上女子5,000mと10,000mに出場し、共に決勝まで進出しました。
その結果、5,000mでは日本記録を16年ぶりに更新するタイムで9位でゴール。また、10,000mでは日本人選手として、この種目25年ぶりとなる7位入賞と健闘しました。
廣中選手は長崎県出身のランナーです。
中学生の頃から頭角を現し、中学3年生の時に出場した全国女子駅伝の中学生区間で区間賞を取り、全国的にも注目を集めるようになりました。
彼女の圧倒的な走力はもちろんのこと、際立つそのパーソナリティーが魅力的です。
高校の進学先は、当然、地元の駅伝強豪校、諫早高校だろうと思っていました。
ところが、意外にも駅伝においては無名の長崎商業に進んだのです。驚きました。
長崎県で高校駅伝と言えば、諫早高校です。
佐々町出身で日本代表として世界陸上選手権に出場したり、名古屋国際女子マラソンで優勝するなどの活躍を見せた藤永佳子さんも、もちろん諫早高校出身です。
藤永さんは、全国高校駅伝でその名をとどろかせました。
その後も、大学・社会人でも活躍し、日本陸上界にあって大きな輝きを放った女性ランナーの1人でした。
苦しい時でも笑顔を忘れない彼女の走りが目に浮かびます。
廣中選手が中学3年生の時、諫早高校の駅伝チームは21年連続で県大会を制し、全国大会出場を果たしていました。
普通であれば、そんなチームに入って、都大路を走りたいと思うところでしょう。実際、県内外の優秀な中学生がこぞって諫早高校に集まっていました。
ところが、廣中選手は、そうは思いませんでした。そして、それまで県大会で10年連続2位だった長崎商業に入学します。
何故、諫早ではなく長崎商業を選んだのか。その理由がふるっています。
「2位の学校を私の力で勝たせたかったんです。」
「常連校ではない高校のチームで全国大会を目指す方がやりがいが大きいと思ったからです。」
当時のマスコミのインタビューに、こう答えています。
何という気概でしょう。やはり、彼女にも反骨精神を見るのです。
そして、高校生活最後の県大会で彼女が率いる長崎商業は諫早高校の23連覇を阻み、初優勝を飾ったのでした。
廣中選手は今もそうですが、走る時にキャップを被っています。
これは、高校生の頃からですが、この他とは異なるスタイルにも彼女の意思を感じます。
高校女子駅伝では諫早高校の選手を始め、そろいの鉢巻きを締めているチームが少なくありません。
もしかすると、彼女は、鉢巻をしなければならないというのが嫌だったのかもしれません。
この日、郵政グループは優勝候補でした。しかし、1区で出遅れてしまい、廣中選手が走るエース区間の3区で彼女が襷を受け取った時、チームは12位と沈んでいました。
そこから廣中選手の圧巻の走りが始まります。
前を走るランナーを次々と追い越し、結局、10人抜きを演じ、チームの順位を2位まで引き上げたのでした。
逆境にあってこそ、一層光り輝く廣中選手の走る姿は眩しい限りでした。