yurikago-sa

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四国八十八ケ所第四十番札所 平城山 観自在寺

2014年08月12日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝  

平成26年6月22日  天気雨 第四十番 平城山山 観自在寺を参詣しました

観自在寺は 「発心の阿波」「修行の土佐」を巡り 悟りを開き 目覚める  

「菩提の道場」として 伊予路の打ち始めの霊場です 

第一番霊山寺から 最も離れた位置にあり「四国霊場の裏関所」といわれています

お寺は 807年弘法大師が 平城天皇(在位806〜809)の勅命を受けて この地を訪れ

1本の霊木から 本尊の薬師如来と 脇侍の阿弥陀如来 十一面観音菩薩の三体を 

一刀三礼で刻み安置し 残った霊木で 「南無阿弥陀仏」と6字を彫り 

人々の病根を除く祈願をして開創され 霊場と定めたそうです

境内図

仁王門

総ケヤキ造りで 200年の歴史があり 愛南町の文化財に指定されています

 

阿吽仁王像

 

仁王門をくぐると 石畳の参道の脇は芝生が綺麗に刈り込まれ 緑の絨毯に

堂宇や石仏が気持ちよく配置されています 先ず 右手に 手水場

次に 鐘楼

 

次に お忘れぽっくり地蔵像

 

そして 親 子 孫 。 

一つ 親 子 孫と三(栄さ)かえる  一つお金がかえる 

一つ福がかえる 一つ病気が引(ひき)かえる  さするとご利益ありです。

 

次に 少し奥まって 宝聚殿(ほうじゅでん)八角堂      その手前にお地蔵さんたちが並んでいます

学業成就・受験祈願の 文殊菩薩が祀られている 宝物殿です

外壁には 七福神のレリーフが飾られています

 

  次に 平城天皇遺髪堂?多分お堂に 変ったのでは ガラス越しに覗いてみました

平城天皇遺髪堂?は違っていました 八角堂の上段参道から右手に入った所にありました

(次に観自在寺を参拝したとき花岡先達さんが教えてくれました)

 病弱の平城天皇は 在位3年で皇位を 実弟嵯峨天皇に譲り 寵愛をしていた 

藤原薬子らの内乱の連座の罪で仏門に入り その時の剃髪した髪が

 この地出身の平城天皇に 仕えていた女官が遺髪塚として埋めたと伝えられています 

4

 

次に 報恩謝徳大師像 

 恩には報い 徳には感謝すべし 

  参道石段を数段上がって  本堂・大師堂の前に 心経宝塔

 弘法大師が 病弱だった平城天皇の病気 平癒を願って 

般若心経を祈稱したという故事にちなんで 昭和53年に建立 

参拝者や全国から寄せられる 写経が奉納されているそうです

 大師堂の 右前に 延光寺 鎮守 篠山大権現が祀tられています

 

                                             仁王門から正面奥に    本堂               内陣

1675年火災で焼失 昭和34年またも 火災に遭い 昭和39年に再建 

鎌倉時代の様式を取り入れた鉄筋コンクリートの本堂です

ご本尊薬 師如来と脇侍 阿弥陀如来 と十一面観音は 2度の火災を奇跡的に免れているそうです

 

本堂の 右に 大師堂

昭和34年 火災に遭い昭和39年に修復され 平成5年にも改築されてたそうです

 

大師堂の回廊では お砂踏み ができます  四国八十八ヶ所霊場を巡り 

満願奥ノ院は 内陣のお大師さんを拝むようになっています

   

     大師堂の前に置かれた 法具左から 独鈷杵         三鈷杵                         五鈷杵    

大師堂 右縁先に おびんずるさん

本堂 大師堂の間に 観世音菩薩像

本堂左手前に 人生訓を染めた手ぬぐい一枚500円 の良心販売

東日本大震災の義援箱もありました。

 

   仁王門くぐって左に 十二支守り本尊             ちなみに私めの 守り本尊文殊菩薩さま                             

昭和53年に巡拝者の希望で 十二支守り本尊を 一石一体造りの八体の磨崖仏を建立されたそうです

 お水をかけてお祈りをします

        

裏関所をあとに 約10分ほど走って ホテルで昼食タイムです  

ホテルに おへんろメッセージ ギャラリー があり  

お遍路への想いが 写生画や 切り絵 写真  俳句 メッセージなど色々寄せられていました

つぎ41番札所 龍光寺まで 約53キロ バスで1時間余り お昼寝タイムです

おしまい 


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