夢見るババアの雑談室

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「無法松の一生」 (1958年 日本映画)

2022-07-12 09:17:03 | 映画

 

 

子供の頃 父が好きな映画として挙げたのは バンツマこと坂東妻三郎主演1943年の映画でした

 

ところがこの映画は占領軍や内務省などの検閲により幾つかのシーンもカットされ 監督の稲垣浩氏としては不本意なものでした

いまふうに言えば 同じ監督が出演俳優を変えてのリベンジが1958年作品になります

結果ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞

音楽では團伊玖磨氏が参加です

 

村田英雄さんの歌 「無法松の一生」や「無法松の一生 度胸千両入り」などは現在もカラオケでも人気がありますし

多くの歌手が歌ってもおられます

坂本冬美さんの「あばれ太鼓」も無法松を歌ったものです

 

原作は岩下 俊作氏の小説「富島松五郎伝」

 

貧しい家に育ち 継母に叱られて父親が働く遠い場所まで歩いていく途中 夜になり揺れる木々の枝に こわいものを見て 怯え幼い男の子はようやっと父の居る場所へたどり着き

父親の顔を見て ただ泣きじゃくります

 

この「何かこわいもの」「白くひらひらと空中を浮遊するもの」が出てくる場面を観た時に 私は「ハリーポッター」シリーズに出てくる吸魂鬼ディメンターを思い出しました

日本も西洋も「こわいもの」は時代を問わず共通するのかも

 

 

映画の冒頭で車引き(人力車の車夫)の無茶 やんちゃぶりの逸話が描かれます

自分の失敗も笑い飛ばす豪快ぶり

車夫の身分をさげすまれれば 腹いせもしてみせますが ことをわけて道理を説かれれば これは素直に頭を下げて自分の非を認め さとしたくれた相手のことも認める

主演の松五郎役は 三船敏郎さん

松五郎をさとす結城重蔵役に笠智衆さん 渋い演技に役柄の説得力があります

 

愛されるごちゃもんの無法松

彼は怪我をした男の子を家へ送り 乞われてそのまま医者へも送り届け

礼金を渡そうとする男の子の母親の吉岡良子(高峰秀子)に 人助けをしただけーと断り帰っていきます

良子の夫の軍人である吉岡小太郎(芥川比呂志)は無法松の噂も知っていたし 彼の言動を目の当たりにしたこともあった

陸軍の偉い人にも怯まぬ傍若無人ぶり

いっそ痛快さを覚えており 客として松五郎を招き歓待するのであった

 

無学文盲な自分のような者を対等に扱ってくれる小太郎 

これまで知らなかった良子のような所作の美しい女性

二人の人柄に感じ入り まともな人間として扱ってくれることが 嬉しかったのだろう

ところが小太郎は風邪から あっさり世を去ってしまう

ひ弱いところもある息子の敏雄を女親一つで無事に育てあげられるか不安に思い 松五郎にも助力を願う

自分に足りないところをたのみとすると

 

敏雄の運動会に参加したかけっこで松五郎は自慢の足で一位になり その賞品は敏雄にと渡す

(この走る姿がね ちゃんと車夫さんの動きです

表情も

後年の用心棒・素浪人シリーズともちゃんと別人物)

力いっぱい大きな声で松五郎の応援をする敏雄の姿にも喜んだ良子

家族のいない松五郎

良子と敏雄から家庭の温みというようなものを松五郎が得ていた

学芸会での敏雄の発表する姿

どれも今迄松五郎が知らなかった世界だ

良子は兄夫婦が勧める再婚話も断っていた

吉岡の家の庭の手入れをしていた松五郎にも その話が聞こえる

松五郎の胸には良子への慕情もあった

あこがれ こわしてはならない聖域

しかし松五郎とて男なのだ

高い空にある月だって欲しくなる

やるせない寂しさに襲われることもある

松五郎の父親は酒で死んだのだという

自分もいつか酒に心臓をやられるだろうと

 

それであまり酒はやらなかった松五郎だが

 

家を離れ遠くの学校へ通う敏雄が祭り見物に先生を連れて帰郷

そこで小倉の祇園太鼓を先生が楽しみにしているが 現在はその様々な打ち方ができる人間がいないと知り落胆していると聞いた松五郎が 真似事だがーと

飛び入りで太鼓を打ってみせる

かえる打ちから始まり 流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち

久々に聞く打ち方に 人々は聞きほれる

感心したようにその音を聞く先生の姿

 

おかげでおおいに敏雄も面目をほどこしたと良子も喜ぶ

 

募る想いを今日こそ良子に伝えたいと来た松五郎だったが 小太郎の遺影の前の良子の佇まい

母としての敏雄への言葉などから

ただ松五郎は うなだれて自分の心は汚い

そしてもう吉岡宅へは来ないことを言って去る

それから酒におぼれた松五郎は 大雪の日に屋外で倒れて死ぬ

その場所は 松五郎が時々 敏雄のことを気にかけ幾度も行った小学校の校庭近く

松五郎の脳裏に浮かぶは 出会ってからの敏雄や小太郎 良子の姿

中学生の敏雄の喧嘩に混じって暴れたこと かけっこで走り 

様々な想い出

回る回る人力車のくるまの回転よ 時も回る

回りが止まれば 心臓も止まる

 

松五郎の亡きがらは子供たちが見つけた

遺品からは

これまで吉岡の家から渡された 手伝いや骨折りへの謝礼が袋のまま手つかずで大切に仕舞われており

ばかりか当時のお金で500円(この頃では大金)ほどの良子と敏雄名義の通帳が2冊

 

葬儀へと来てくれていた結城重蔵は 松五郎とは そういう男であったと

 

ただ泣き崩れる良子

 

どれだけ大切に思っているか口には出せなかった松五郎

 

 

ウィキのあらすじがよくできておりますので

ここにコピーしたものを↓

明治30年、小倉に無法松と呼ばれる人力俥夫の松五郎がいた。松五郎は博奕で故郷を追放されていたが舞い戻り、若松警察の撃剣の先生と喧嘩をして頭を割られ、木賃宿の宇和島屋で寝込んでいた。そんな松五郎は喧嘩っ早いことで評判で、ある日、芝居小屋で仲間の熊吉と枡席でニンニクを炊いて嫌がらせをし、木戸番と喧嘩するが、土地の顔役である結城重蔵の仲裁で素直に謝った。松五郎は意気と侠気のある男だった。

松五郎は堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助ける。敏雄の父親は陸軍大尉の吉岡小太郎であり、これが縁で松五郎は吉岡家に出入りするようになった。しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていった。

やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、青島陥落を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎は逆にそれを喜び喧嘩に加勢した。その後敏雄は五高に入学し、松五郎とは疎遠になっていった。小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。長い間聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた。

それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を打ち明けようとするが、「ワシの心は汚い」と一言言って、彼女のもとを去った。その後、松五郎は酒に溺れ、遂に雪の中で倒れて死んだ。彼の遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあったー

 

1943年版の映画の粗筋も同じくウィキからコピー↓

明治30年、小倉に無法松と呼ばれる人力俥夫の松五郎がいた。松五郎は博奕で故郷を追放されていたが舞い戻り、若松警察の撃剣の先生と喧嘩をして頭を割られ、木賃宿の宇和島屋で寝込んでいた。そんな松五郎は喧嘩っ早いことで評判で、ある日、芝居小屋で仲間の熊吉と枡席でニンニクを炊いて嫌がらせをし、木戸番と喧嘩するが、結城重蔵の仲裁で素直に謝った。松五郎は意気と侠気のある男だった。

松五郎は堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助ける。敏雄の父親は陸軍大尉の吉岡小太郎であり、これが縁で松五郎は吉岡家に出入りするようになった。しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていった。

やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、青島陥落を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎は逆にそれを喜び喧嘩に加勢した。その後敏雄は五高に入学し、松五郎とは疎遠になっていった。小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。長い間聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた。

それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を打ち明けようとするが、「ワシの心は汚い」と一言言って、彼女のもとを去った。その後、松五郎は酒に溺れ、遂に雪の中で倒れて死んだ。彼の遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあったー

 

 

1958年出演者↓ウィキよりコピーです

 

名調子 村田英雄の 無法松の一生 度胸千両入りの歌詞はこちら↓

村田英雄 無法松の一生~度胸千両入り~ 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 

坂本冬美 あばれ太鼓 無法一代入りの歌詞はこちら↓

坂本冬美 あばれ太鼓~無法一代入り~ 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 

私の伯母の一人が長く小倉で暮らしておりましたが その話す言葉が 映画の中で高峰秀子さん演じる吉岡良子さんの物言いにとても似ておりました

 

ああ そういう言葉遣いであったなと とてもなつかしく感じました

 

 

 

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
阪妻 (まっき~)
2022-07-13 09:54:05
なにかと三船びいきの自分ですが、この映画に関しては阪妻版のほうが好きだったりします。
こういうのも、金曜ロードショーとかでやればいいのに^^
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有難うございます まっき~様 (夢見)
2022-07-13 16:57:34
ええ 父も同じ意見でした

バンツマの映画は良かったと


時代が違って検閲なしの作品で公開できていたならと惜しまれます

余りバンツマの映画を観ることができてなくてー
長男の田村高広さんによく似ているーそういう印象でもあるんです

私が田村高広さんという俳優の名を覚えたのが TVドラマ「魔像 13の首」であるからかもしれませんが

腕の立つ豪快な浪人役をされていて 主演が田村正和さん
最終回あたりで田村亮さんも出ていたように記憶しています

深夜帯でもいいから 古い古い映画も放送してくれたらなと
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