伯爵令嬢 紘子(ひろこ)は終戦後 華族としての身分も財産も失った
頼りとする婚約者は生死も知れず
ただ紘子は美しかった
白薔薇に微かに薔薇色溶け込ませたような肌
品の良い雛人形にも似て整った顔立ち
長くほっそりした首 鎖骨のくぼみの輝くような美しさ
伸びやかな手足
触れるも恐れ多いような気高い姿
その紘子に幼馴染みとは言え かつての使用人の息子が襲いかかった
身分は違うが一緒に育ったようなものでもある青年は 終戦のどさくさ どうやったか事業を成功させ たいした羽振りでもあった
―奥様も お嬢様も大切にする どうかだから 自分のモノになってくれ ―
熱に浮かされたように 拝むように繰り返しながら 紘子の体に彼は被さった
紘子は病床にある母のことを思った
目を閉じる
相手が満足するのなら 勝手にすれば良い
青年 鹿尾太一は有頂天だった
憧れ続けたお姫様が自分の妻となったのだ
元伯爵令嬢の妻の存在は 仕事の上でも役に立った
ただ判らないのは その心
どれだけ抱こうと 好きに扱おうと その心に触れられない
話しかければ答える
冗談にも笑う
身分より下の男の妻となった娘を 許さないままその母親は死んだ
紘子は 太一との間に二人の子を産んだ
留守中に 紘子の生きていた婚約者が訪ねてきた事を使用人から 太一は教えられた
紘子は何も言わず 太一も訊けなかった
そうして子供達がまだ幼い頃に 紘子は風邪から寝込み 随分呆気なく死んでしまった
晩年 太一は子供達から紘子の事を尋ねられ こう言った
折しも降り出した淡雪を手に受けながら
「眺めて美しいこの雪 掌にとどめようとしても 溶けて消えてしまう 美しくて 美しくて 消えると判っていても 欲しくてたまらなくなる 」
言葉を切り 少しの沈黙の後 太一は言った
「雪だった 雪のようだった
憧れ 欲しくてたまらなくなる」
「お父様は お母様が本当に大好きだったのね」
感心したように言う何処か紘子の面影宿した娘に 太一は笑う
「手討ちになっても殺されても諦めたくなかった」
せめて紘子の婚約者の生死が判るまで ただの保護者でいるべきだったかもしれない
太一には大きなチャンスだった
焦がれ続けた女性を手に入れる
彼の中は 愛でいっぱいだった
それで十分だと思っていた
だが 紘子は どうだったのか
婚約者と行かず 太一のもとに残った選択
それは良識か
それとも 何らかの感情があったのか
雪は ただ降るだけ
降って消えていくだけ
雪の想いは 人に理解(わかり)はしないのだった