夢のLeidi Laidi

着物と宝塚、ほぼ半々

行ってきました

2015-09-06 18:37:10 | キモノ・マインド
行ってきました!



結局、ろくに英語力もレベルアップしないままの
体当たり参加でした。

なんと、Tziporah さんの滞在ホテルの自室での
セミナー、距離が近い!


すみません、私の相変わらずの撮影力で…。

何回着替えていただいたでしょうか。



アクセサリーもアンティークもの盛りだくさん。



私の拙い英語力で理解できたのは、
「着ることはアート」
「絵を描くようにドレスアップする」
「ストーリーをもたせて纏う」
ということでした。

「足元を見るでしょ。自分の靴が目に入る。
美しいものが目に入れば心地いい。
なぜ醜くなる必要があるの?」
「ハリウッド女優が、エレガントなドレスに
カウボーイハットを合わせたりするわね。
あれは許せない!
トータルでエレガントじゃないのよ!
カウボーイハットがかぶりたければ、
カウボーイスタイルの服を着るべき」
「イヤリングは大事よ。顔の一番近くに来る、
あなたの顔を彩るアクセサリーよ」

統一感をもたせること。
小さなアクセサリーに至るまで、「なぜ」それを
選んだのか、自分に問いかけてみること。
優雅な女性的な装いをためらわずに楽しむこと。

…なんせ、私の英語力ですからね。
たーぶーんー…なんですが。

でも、めまぐるしく衣装チェンジする Tziporah さんを
見ながら、つくづく感じたのは、どんな衣装をまとっても
着ているご本人が主であるということ。
どんな個性的な色柄の服でもアクセサリーでも、
着ている人の皮膚の延長のように「属して」いる。

翻って、私が服を着る際に「まぁまぁこれ位なら
許せるな。ちゃんとサマになってるな」というのは、
まず「その服の目指す理想イメージ」があって、
私がそれを邪魔しない、という時。
つまり、モビルスーツのような服があって、
私がそこにスポッとはまる感じですね。

なんていうか…ヤドカリ……?

不思議なことに、これが着物だと、
金額的な問題はさておき、それが私に属するものか、
ゴージャスすぎるヤドカリの殻か
判断できるのですが。

なら着物オンリーにすればいいじゃんなんですが、
せっかくどちらも選べる環境にいるのですからね。
精進して参る所存でござりまする。



ありがとうございました!


…では、お暇なら見てよね
の言い訳編に続きます。



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