浪速おやじのつぶやき日記

川柳・都々逸・詩などでボケ防止

浪速夢見頃>「水戸黄門」テレビ化作品

2013-02-14 11:52:08 | その他

浪速夢見頃>「水戸黄門」テレビ化作品
<ネット上で情報収集 [編集]>
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1954年6月15日昭和29年-1954年12月27日放送期間
番組名:エノケンの水戸黄門漫遊記話数:]制作局:日本テレビ]
(黄門役)榎本健一1957年3月5日昭和32年-1957年10月29日放送期間
番組名:水戸黄門漫遊記話数33:]制作局:TBS](黄門役)十朱久雄
1960年2月25日昭和35年- 1960年8月25日放送期間
番組名:新説 水戸黄門話数:]制作局:フジテレビ](黄門役)花柳寛
1960年4月7日昭和35年- 1960年12月29日放送期間
番組名:水戸黄門漫遊記話数:]制作局:日本テレビ]黄門役)三代目市川左團次
1960年11月4日昭和35年- 1961年1月27日放送期間
番組名:ロッパの水戸黄門 話数13:]制作局:毎日放送](黄門役)古川緑波
1961年10月7日昭和36年- 1961年10月21日放送期間
番組名:講談浪曲ドラマ 水戸黄門話数3:]制作局:NHK]
(黄門役)徳川夢声
1964年11月2日昭和36年- 1965年12月27日放送期間
番組名:ブラザー劇場 水戸黄門話数61:]制作局:TBS]
(黄門役)月形龍之介
1969年8月4日昭和44年- 1983年4月11日昭和58年放送期間
番組名:ナショナル劇場 水戸黄門 話数381:]制作局:TBS]
(黄門役)東野英治郎
1976年放送期間昭和44年:番組名:爆笑水戸黄門/ 爆笑世直し道中
話数:]制作局:関西テレビ](黄門役)四代目林家小染
1983年10月31日昭和58年- 1992年11月9日昭和58年放送期間
番組名:ナショナル劇場 水戸黄門 話数283:]制作局:TBS]
(黄門役)西村晃
1992年1月2日平成4年放送期間番組名:天下の副将軍水戸光圀
徳川御三家の激闘 話数1:]制作局:テレビ東京]
(黄門役)十二代目市川團十郎
1993年5月17日平成4年- 2000年11月20日平成4年放送期間
番組名:ナショナル劇場 水戸黄門話数246:]制作局:TBS]
(黄門役)佐野浅夫
2001年4月2日- 2002年7月1日放送期間
番組名:ナショナル劇場 水戸黄門 話数50:]制作局:TBS]
(黄門役)石坂浩二
2002年10月14日平成4年- 2011年12月19日平成4年放送期間
番組名:ナショナル劇場 / パナソニック ドラマシアター 水戸黄門
話数267:]制作局:TBS]
(黄門役)里見浩太朗
2003年12月30日平成15年放送期間 番組名:爆笑! ふたりの水戸黄門
話数1:]制作局:読売テレビ]
(黄門役)間寛平
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番外編 [編集]
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1981年9月3日昭和56年- 1982年7月15日放送期間
番組名:まんが 水戸黄門 話数46:]制作局:テレビ東京]
(黄門役)杉田俊也(声)
2009年2月18日平成21年放送期間 番組名:日本史サスペンス劇場
水戸黄門ミステリー 話数1:]制作局:日本テレビ]
(黄門役)加藤茶
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浪速夢見頃>「水戸黄門」映画化作品

2013-02-14 10:16:50 | その他

浪速夢見頃>「水戸黄門」映画化作品
<ネット上で情報収集 [編集]>
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まさか明治時代から映画製作会社がこんなに多く有った事を初めて知りました
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1910年9月明治43年公開]作品名:水戸黄門記
   製作:横田商会]黄門役:尾上松之助
1910年 明治43年公開] 作品名:水戸黄門記 第二篇]
   製作:横田商会]黄門役:尾上松之助
1912年2月明治45年公開]作品名:水戸黄門]
   製作:]黄門役:
1912年5月明治45年公開]作品名:水戸黄門巡遊記
   製作:横田商会]黄門役:尾上松之助
1915年11月大正4年公開]作品名:水戸黄門と小天狗茂吉
   製作:天活]黄門役:尾上紋十郎
1917年6月大正6年公開]作品名:水戸黄門漫遊記の一国女
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1918年10月大正7年公開]作品名:水戸黄門忍術破
   製作:天活]黄門役:市川莚十郎
1919年3月大正8年公開]作品名:水戸黄門 前篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1919年3月大正8年公開]作品名:水戸黄門 後篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1919年4月大正8年公開]作品名:水戸黄門と拳骨太郎
   製作:天活]黄門役:市川莚十郎
1919年5月大正8年公開]作品名:水戸黄門記 第三篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1919年8月大正8年公開]作品名:水戸黄門と河童の金蔵
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1919年8月大正8年公開]作品名:水戸黄門記 第四篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1920年2月大正9年公開]作品名:水戸黄門最後の漫遊
   製作:国活]黄門役:五代目澤村四郎五郎
1921年3月大正10年公開]作品名:水戸黄門無銭の漫遊
   製作:国活]黄門役:五代目澤村四郎五郎
1921年6月大正10年公開]作品名:松山奇談 水戸黄門記
   製作:松竹キネマ]黄門役:市川莚十郎
1921年10月大正10年公開]作品名:水戸黄門 第一篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1921年大正10年公開]作品名:水戸黄門 第二篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1921年大正10年公開]作品名:水戸黄門 第三篇
   製作:日活]黄門役:尾上松之助
1922年1月大正11年公開]
   作品名:水戸黄門と小天狗茂吉
   製作:松竹キネマ]
   黄門役:五代目澤村四郎五郎
1922年9月大正11年公開]作品名:水戸黄門
   製作:帝国キネマ]黄門役:嵐笑三
1922年12月大正11年公開]作品名:続水戸黄門記
   製作:帝国キネマ]黄門役:嵐笑三
1923年4月大正12年公開]作品名:全国漫遊水戸黄門
   製作:松竹キネマ]黄門役:五代目澤村四郎五郎
1923年5月大正12年公開]作品名:続々水戸黄門
   製作:帝国キネマ]黄門役:嵐笑三
1923年6月大正12年公開]作品名:水戸黄門
   製作:マキノ映画]黄門役:市川幡谷
1926年10月大正15年公開]作品名:水戸黄門
   製作:日活]黄門役:山本嘉一
1928年4月昭和3年公開]作品名:続水戸黄門
   製作:日活]黄門役:山本嘉一
1929年2月昭和4年公開]作品名:水戸黄門 東海道篇
   製作:マキノプロ]黄門役:市川幡谷
1929 年5月昭和4年公開]作品名:後の水戸黄門
   製作:マキノプロ]黄門役:市川幡谷
1930年10月昭和5年公開]作品名:水戸黄門 遍歴奇譚
   製作:帝国キネマ]黄門役:松本泰輔
1931年7月昭和6年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 永楽徳太郎
   製作:松竹キネマ]黄門役:関操
1932年1月昭和7年公開]作品名:水戸黄門漫遊記長次快心の巻
   製作:右太プロ]黄門役:實川童
1932年2月月昭和7年公開]作品名:水戸黄門
   製作:河合映画]黄門役:松林清三郎
1932年4月月昭和7年公開]作品名:水戸黄門
   製作:日活]黄門役:山本嘉一
1934年5月月昭和9年公開]作品名:水戸黄門 前篇
   製作:極東キネマ]黄門役:松本泰輔
1934年7月昭和9年公開]作品名:水戸黄門 後篇
   製作:極東キネマ]黄門役:松本泰輔
1934年11月昭和9年公開]作品名:水戸黄門 来国次の巻
   製作:日活]黄門役:大河内傳次郎
1935年1月昭和10年公開]作品名:水戸黄門 密書の巻
   製作:日活]黄門役:大河内傳次郎
1935年4月昭和10年公開]作品名:水戸黄門 血刃の巻
   製作:日活]黄門役:大河内傳次郎
1937年2月昭和12年公開]作品名:水戸黄門漫遊記
   製作:大都映画]黄門役:久松玉城
1937年6月昭和12年公開]作品名:水戸黄門漫遊記九紋龍之巻
   製作:新興キネマ]黄門役:松本泰輔
1937 年10月昭和12年公開]作品名:水戸黄門廻国記
   製作:日活]黄門役:山本嘉一
1938年8月昭和13年公開]
   作品名:水戸黄門漫遊記東海道の巻
   製作:東宝]黄門役:徳川夢声
1938年9月昭和13年公開]作品名:水戸黄門漫遊記日本晴れの巻
   製作:東宝]黄門役:徳川夢声
1938年10月昭和13年公開]作品名:続水戸黄門廻国記
   製作:日活]黄門役:山本嘉一
1939年11月昭和14年公開]作品名:新篇水戸黄門
   製作:極東キネマ]黄門役:雲井竜之助
1940年4月昭和15年公開]作品名:続水戸黄門 前篇
   製作:極東キネマ]黄門役:雲井竜之助
1940年4月昭和15年公開]作品名:続水戸黄門 後篇
   製作:極東キネマ]黄門役:雲井竜之助
1940年5月昭和15年公開]作品名:水戸黄門
   製作:松竹]黄門役:藤野秀夫
1940年10月昭和15年公開]作品名:水戸黄門
   製作:大都映画]黄門役:久松玉城
1941年9月昭和16年公開]作品名:裁く水戸黄門
   製作:松竹]黄門役:藤野秀夫
1951年8月昭和26年公開]
   作品名:水戸黄門漫遊記 飛龍の剣
   製作:大映]黄門役:大河内傳次郎
1952年2月昭和27年公開]作品名:水戸黄門漫遊記第一部 地獄の豪賊
   製作:東映]黄門役:市川右太衛門
1952年3月昭和27年公開]作品名:水戸黄門漫遊記第二部 伏魔殿の妖賊
   製作:東映]黄門役:市川右太衛門
1954年12月昭和29年公開]作品名:水戸黄門漫遊記天晴れ浮世道中
   製作:松竹]黄門役:花菱アチャコ
1954年2月昭和29年公開]作品名:水戸黄門漫遊記
    女郎蜘蛛の巻/妖血復讐鬼の巻/破邪義剣の巻
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1954年4月昭和29年公開]作品名:続水戸黄門漫遊記 副将軍初上り
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1954年12月昭和29年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 闘犬崎の逆襲
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1954年8月昭和29年公開]
   作品名:水戸黄門漫遊記 地獄極楽大騒ぎ
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1955年12月昭和30年公開]
   作品名:水戸黄門漫遊記 幽霊城の佝僂男
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1955年5月昭和30年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 火牛坂の悪鬼
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1956年9月昭和31年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 鳴門の妖鬼
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1956年7月昭和31年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 怪猫乱舞
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1956年3月昭和31年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 怪力類人猿
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1956年8月昭和31年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 人喰い狒々
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1957年8月昭和32年公開]作品名:水戸黄門
   製作:東映] 黄門役:月形龍之介
1958年12月昭和33年公開]作品名:水戸黄門漫遊記
   製作:大映]黄門役:二代目中村鴈治郎
1958年4月昭和33年公開]作品名:天下の副将軍 水戸漫遊記
   製作:新東宝]黄門役:古川緑波
1958年11月昭和33年公開]作品名:水戸黄門漫遊記
   製作: 松竹]黄門役:四代目澤村國太郎
1959年12月昭和34年公開]作品名:水戸黄門とあばれ姫
   製作:新東宝]黄門役:坂東好太郎
1959年12月昭和34年公開]作品名:爆笑水戸黄門漫遊記
   製作:東宝]黄門役:徳川夢声
1959年7月昭和34年公開]作品名:水戸黄門漫遊記  御用御用物語
   製作: 松竹]黄門役:四代目澤村國太郎
1959年7月昭和34年公開]作品名:水戸黄門 天下の副将軍
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1960年8月昭和35年公開]作品名:水戸黄門
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1960年12月昭和35年公開]作品名:水戸黄門天下の大騒動
   製作:第二東映]黄門役:大河内傳次郎
1960年3月昭和35年公開]作品名:水戸黄門漫遊記 怪魔八尺坊主
   製作:第二東映]黄門役:宇佐美淳也
1961年7月昭和36年公開]作品名:水戸黄門 助さん格さん大暴れ
   製作:東映]黄門役:月形龍之介
1961年7月昭和36年公開]作品名:水戸黄門海を渡る
   製作:大映]黄門役:長谷川一夫
1969年11月昭和44年公開]作品名:水戸黄門漫遊記
   製作:東宝]黄門役:森繁久彌
1978年12月昭和53年公開]作品名:水戸黄門
   製作:東映]黄門役:東野英治郎
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浪速夢見頃>核実験アメリカ以外国

2013-02-13 16:55:52 | その他

浪速夢見頃>核実験アメリカ以外(1)
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ソビエト連邦:イギリス:フランス
中華人民共和国:インド:パキスタン
北朝鮮:南アフリカ/イスラエル
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核実験アメリカ以外(1)
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<ネット上で情報収集 [編集]>
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ソビエト連邦:核実験の歴史
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ソビエト連邦 [編集]
ソ連は少なくとも1949年から1990年にかけて715回の核実験を行なっている
主にセミパラチンスク核実験場とノヴァヤゼムリャで実験を行なった
最後の核実験は1990年10月24日主な実験は以下の通り
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01>1949年8月29日計画名[RDS-1]場所[セミパラチンスク核実験場
備考[ソ連初の核実験]
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02>1953年8月12日年計画名[RDS-6]備考[ソ連初の水爆実験と
されたが後には強化原爆の試験と考えられるようになった]
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03>1955年11月22日年計画名[RDS-37]備考[ソ連初の水爆実験]
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04>1961年10月30日年計画名[ツァーリ・ボンバ]
備考[核出力50Mt世界最大の核実験]
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05>1965年1月15日年計画名[チャガン核実験]
場所[]備考[国家経済のための核爆発
(平和的核爆発)の一環巨大クレーターの生成]
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イギリス:核実験の歴史
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イギリス [編集]
1953年以降オーストラリアを中心に45回の核実験を行なっている
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01>1952年計画名[ハリケーン作戦]爆発回数:]総出力:25kt
場所[モンテ・ベロ島(オーストラリア)]
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02>1953年計画名[トーテム作戦]爆発回数:2]総出力:16.2kt
場所[エミュー平原(オーストラリア)]
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03>1956年計画名[フリントロック作戦]
爆発回数:2]総出力:103kt場所[モンテ・ベロ島]
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04>1956年計画名[バッファロー作戦]
爆発回数:4]総出力:41.5kt場所[マラリンガ]
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05>1957年計画名[アントラー作戦]
爆発回数:3]総出力:33.53kt場所[マラリンガ]
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06>年1957-58計画名[グラップル作戦]爆発回数:]総出力:460kt
場所[キリスィマスィ島、マルデン島]備考[水爆実験]
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07>1991年11月26日年計画名[最後の核実験]場所[ネバダ核実験場]
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フランス:核実験の歴史
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フランス [編集]
1960年から1996年にかけて210回の実験を行なっている
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01>1960年計画名[ジェルボアーズ・ブルー計画]
爆発回数:3-4]総出力:場所[アルジェリア]備考[フランス初の核実験]
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02>1961年計画名[アギャット計画]爆発回数:12]総出力:場所[アルジェリア]
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03>1966年計画名[アルデバラン計画]爆発回数:45]総出力:
場所[フランス領ポリネシア]備考[水爆実験含む]
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04>1975年計画名[アシーラ計画]爆発回数:146]総出力:
場所[フランス領ポリネシア]
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05>1996年計画名[クストー計画]爆発回数:]総出力:
場所[ファンガタウファ環礁(フランス領ポリネシア]
備考[フランス最後の核実験(地下核実験)]
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中華人民共和国:核実験の歴史
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中華人民共和国 [編集]
中華人民共和国は45回の核実験を行なっているうち23回が大気圏内
22回が地下核実験であるロプノールで実験が行なわれた
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01>1964年10月16日備考[最初の核実験]
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02>1967年6月17日備考[水爆実験]
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03>1980年10月16日
備考[最後の大気圏内核実験]
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04>1996年7月29日備考[最後の地下核実験]
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インド:核実験の歴史
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インド[編集]
インドは1974年と1998年の二度に渡り核実験を行なっている
インドの核実験 (1974年)5月18日実施。1回の爆発
インドの核実験 (1998年)5月11日と13日に実施。5回の爆発
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パキスタン:核実験の歴史
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パキスタン [編集]
パキスタンは1998年に核実験を行なっている
パキスタンの核実験 (1998年)5月28日と30日に実施。6回の爆発
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北朝鮮:核実験の歴史
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北朝鮮 [編集]
北朝鮮は2006年、2009年、2013年に核実験を行なっている
北朝鮮の核実験 (2006年)10月9日に実施。1回の爆発
北朝鮮の核実験 (2009年)5月25日に実施
北朝鮮の核実験 (2013年)2月12日に実施
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南アフリカ/イスラエル:核実験の歴史
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南アフリカ/イスラエル [編集]
アメリカ合衆国の早期警戒衛星ヴェラは1979年9月22日にインド洋上で
閃光と電磁パルスを観測した。これは南アフリカとイスラエルによる
核実験との推測が有力となっている
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浪速夢見頃>核実験アメリカ合衆国(2)

2013-02-13 15:36:22 | その他

浪速夢見頃>核実験アメリカ合衆国(2)
<ネット上で情報収集 [編集]>
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核実験の歴史
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アメリカ合衆国 (実戦使用も含む) [編集]
1963~1992 [編集]部分的核実験禁止条約の締結により
これ以降は地下核実験が行われている
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28>1964 ? 65年計画名[ニブリック作戦 (Niblick)]
爆発回数:41]場所[ネバダ核実験場]
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29>1964 ? 65年計画名[ウェットストーン作戦 (Whetstone)]
爆発回数:48]場所[ネバダ核実験場、ミシシッピー州]
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30>1965 ? 66年計画名[フリントロック作戦 (Flintlock)]
爆発回数:48]場所[ネバダ核実験場、アムチトカ島]
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31>1966 ? 67年計画名[ラッチキー作戦 (Latchkey)]
爆発回数:38]総出力:場所[ネバダ核実験場、ミシシッピー州]
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32>年1967 ? 68計画名[クロスタイ作戦 (Crosstie)]
爆発回数:48]場所[ネバダ核実験場、ニューメキシコ州]
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33>1968 ? 69年計画名[バウライン作戦 (Bowline)]
爆発回数:48]場所[ネバダ核実験場]
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34>1969年計画名[マンドレル作戦 (Mandrel)]
爆発回数:53]場所[ネバダ核実験場、コロラド州、アムチトカ島]
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35>1970年計画名[エメリー作戦 (Emery)]
爆発回数:16]場所[ネバダ核実験場]
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36>1971 ? 72年計画名[グロメット作戦 (Grommet)]
爆発回数:34]場所[ネバダ核実験場、アムチトカ島]
備考[米国最大の地下核実験”
カニキン(Cannikin)”がスパルタン・ミサイルのW71核弾頭
(核出力5メガトン)を使用して実施された]
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37>1972 ? 73年計画名[トグル作戦 (Toggle)]
爆発回数:28]場所[ネバダ核実験場、コロラド州]
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38>1973 ? 74年計画名[アーバー作戦 (Arbor)]
爆発回数:19]場所[ネバダ核実験場]
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39>1974 ? 75年計画名[ベッドロック作戦 (Bedrock)]
爆発回数:27]場所[ネバダ核実験場]
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40>1975 ? 76年計画名[アンヴィル作戦 (Anvil)]
爆発回数:21]場所[ネバダ核実験場]
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41>1976 ? 77年計画名[フルクラム作戦 (Fulcrum)]
爆発回数:21]場所[ネバダ核実験場]
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42>1977 ? 78年計画名[クレセット作戦 (Cresset)]
爆発回数:23]場所[ネバダ核実験場]
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43>1978 ? 79年計画名[クイックシルバー作戦 (Quicksilver) ]
爆発回数:18]場所[ネバダ核実験場]
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44>1979 ? 80年計画名[ティンダーボックス作戦 (Tinderbox)]
爆発回数:15]場所[ネバダ核実験場]
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45>1980 ? 81年計画名[ガーディアン作戦 (Guardian)]
爆発回数:16]場所[ネバダ核実験場]
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46>1981 ? 82年計画名[プラエトリアン作戦 (Praetorian)]
爆発回数:22]場所[ネバダ核実験場]
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47>1982 ? 83年計画名[ファランクス作戦 (Phalanx)]
爆発回数:19]場所[ネバダ核実験場]
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48>1983 ? 84年計画名[フュージリア作戦 (Fusileer)]
爆発回数:17]場所[ネバダ核実験場]
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49>1984 ? 85年計画名[グレナディア作戦 (Grenadier)]
爆発回数:17]場所[ネバダ核実験場]
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50>1985 ? 86年計画名[チャリオッティア作戦 (Charioteer)]
爆発回数:18]場所[ネバダ核実験場]
備考[1986年4月10日にMk21再突入体を使用して行われた
”マイティ・オーク”実験では、封じ込めの失敗で放射能漏れが発生した。
漏洩した放射性物質は36,000キュリーに及びこれはスリーマイル島
原子力発電所で発生した事故の2,000倍の量になった]
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51>1986 ? 87年計画名[マスケッティア作戦 (Musketeer)]
爆発回数:15]場所[ネバダ核実験場]
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52>1987 ? 88年計画名[タッチストーン作戦 (Touchstone)]
爆発回数:14]場所[ネバダ核実験場]
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53>1988 ? 89年計画名[コーナーストーン作戦 (Cornerstone)]
爆発回数:12]場所[ネバダ核実験場]
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54>1989 ? 90年計画名[アキューダクト作戦 (Aqueduct)]
爆発回数:11]場所[ネバダ核実験場]
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55>1990 ? 91年計画名[スカルピン作戦 (Sculpin)]
爆発回数:8]場所[ネバダ核実験場]
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56>1991 ? 92年計画名[ジュリン作戦 (Julin)]
爆発回数:8]場所[ネバダ核実験場]
備考[米国による最後の核実験”
ディバイダー(Divider)”が1992年9月23日に実施された]
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浪速夢見頃>核実験アメリカ合衆国(1)

2013-02-13 15:24:38 | その他

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浪速夢見頃>核実験アメリカ合衆国(1)
<ネット上で情報収集 [編集]>
(実戦使用も含む)1945~1963 [編集]
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01>1945年計画名[トリニティ実験 (Trinity)]
爆発回数:1]総出力:20 kt場所[ニューメキシコ州]備考[世界初の核実験]
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02>1945年計画名[リトルボーイ (Little Boy)]爆発回数:1]総出力:15 kt
場所[広島市、日本]備考[世界初の実戦使用
広島市への原子爆弾投下を参照]
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03>1945年計画名[ファットマン (Fat Man)]爆発回数:1]総出力:21 kt
場所[長崎市、日本]備考[世界最後の実戦使用長崎市への原子爆弾投下を参照]
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04>1946年計画名[クロスロード作戦 (Crossroads)]
爆発回数:2]総出力:46 kt場所[太平洋核実験場(マーシャル諸島)]
備考[大戦後初の実験。初の水中爆発含む]
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05>1948年計画名[サンドストーン作戦 (Sandstone)]
爆発回数:3]総出力:104 kt場所[太平洋核実験場]
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06>1951年計画名[レンジャー作戦 (Ranger)]爆発回数:5]総出力:40 kt
場所[ネバダ核実験場]備考[初のネバダ核実験場での実験]
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07>1951年計画名[グリーンハウス作戦 (Greenhouse)]爆発回数:4]総出力:398.5 kt
場所[太平洋核実験場]備考[熱核反応に関する実験含む]
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08>1951年計画名[バスター・ジャングル作戦(Buster - Jangle)]
爆発回数:7]総出力:71.9 kt場所[ネバダ核実験場]備考[兵員暴露実験含む]
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09>1952年計画名[タンブラー・スナッパー作戦 (Tumbler - Snapper)]
爆発回数:7]総出力:場所[ネバダ核実験場]
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10>1952年計画名[アイビー作戦 (Ivy)]爆発回数:2]総出力:10.9 Mt
場所[太平洋核実験場]備考[初の水爆実験含む]
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11>1953年計画名[アップショット・ノットホール作戦(Upshot - Knothole)]
爆発回数:]総出力:252.4 kt場所[ネバダ核実験場]
備考[M65 280mmカノン砲の実射試験]
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12>1954年計画名[キャッスル作戦 (Castle)]爆発回数:6]総出力:48.2 Mt
場所[太平洋核実験場]備考[放射性降下物が規制エリア外に降下し
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13>1955年計画名[ティーポット作戦 (Teapot)]爆発回数14:]総出力:167.8 kt
場所[ネバダ核実験場]備考[初のローレンスリバモア研究所の
設計装置による実験成功]
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14>1955年計画名[ウィグワム作戦 (Wigwam)]爆発回数:1]総出力:30 kt
場所[東太平洋]備考[水中核爆発]
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15>1955年計画名[第56計画 (Project 56)]爆発回数:4]総出力:.01 to .1 kt
場所[ネバダ核実験場]
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16>1956年計画名[レッドウィング作戦 (Redwing)]爆発回数:17]総出力:20.82 Mt
場所[太平洋核実験場]備考[多段階核反応を含む熱核兵器の実験]
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17>1957年計画名[プラムボブ作戦 (Plumbbob)]爆発回数:29]総出力:343.74 kt
場所[ネバダ核実験場]
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18>1957 ? 58年計画名[Project 57, 58, 58A]爆発回数:5]総出力:0.5 kt
場所[ネバダ核実験場]
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19>1958年計画名[チャリオット作戦 (Chariot)]場所[アラスカ州]
備考[平和的核爆発としての一環]
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20>1958年計画名[ハードタックI作戦 (Hardtack I)]爆発回数:35]総出力:35.6 Mt
場所[太平洋核実験場]
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21>1958年計画名[アーガス作戦 (Argus)]爆発回数:3]総出力:5.1 kt
場所[南大西洋]備考[高層大気圏における核爆発]
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22>1958年計画名[ハードタックII作戦 (Hardtack II)]
爆発回数:37]総出力:45.8 kt場所[ネバダ核実験場]
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23>1961 ? 62年計画名[ヌガ作戦 (Nougat)]爆発回数:32]総出力:
場所[ネバダ核実験場、ニューメキシコ州]備考[初の地下核実験]
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24>1962 ? 63年計画名[ドミニク作戦 (Dominic)]
爆発回数:36]総出力:38.1 Mt場所[キリスィマスィ島,
ジョンストン島、中部太平洋]備考[タイトロープ(Tightrope)はアメリカが
実施した最後の大気圏内核実験]
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25>1962 ? 63年計画名[ストラックス作戦 (Storax)]爆発回数:48]総出力:
場所[ネバダ核実験場]
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26>1962年計画名[サンビーム作戦 (Sunbeam)]爆発回数:4]総出力:2.19 kt
場所[ネバダ核実験場]備考[戦術核兵器の試験。ネヴァダ核実験場で
行われた最後の大気圏内核実験]
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27>1963年計画名[ローラー・コースター作戦(Roller Coaster)]
爆発回数:4]総出力:場所[ネリス試験訓練場]
備考[プルトニウム飛散に関する実験]
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浪速夢見頃>原子力発電所大事故歴史(海外編)

2013-02-12 17:38:40 | その他

浪速夢見頃>原子力発電所大事故歴史(海外編)
<ネット上で情報収集 [編集]>
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原子力発電所などで事故が発生した場合には、
国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の
指標が「レベル0」から「レベル7」までの
8段階の数値で公表
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0)尺度以下
1)逸脱
2)異常事象
3)重大な異常事象
4)事業所外への大きなリスクを伴わない事故
5)事業所外へリスクを伴う事故
6)大事故
7)深刻な事故
-----------
「スリーマイル島事故」
(原子炉格納容器内のメルトダウンだけだった)を遙かに超えており
30年超といわれる廃炉作業の見通しはかなり暗いとされる。
エネルギー総合工学研究所の解析では1号機の燃料は85%が落下し
格納容器の床のコンクリートも2m浸食され、圧力容器が傾いている可能性を
指摘した2.3号機も70%の燃料が落下したという原子力安全基盤機構は
1号機の圧力容器は破損したが2,3号機は健全であるとしている
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カナダ [編集]
1952年12月12日 「チョーク・リバー研究所事故」
1947年にカナダオンタリオ州(オタワの北西150km)に建設された
出力4.2万KWの実験用原子炉NRXの事故である。操作ミスで制御棒が
引き抜かれ、1万キュリーまたは370テラベクレルの放射能が外部に漏れた。
その後1993年まで稼働していた
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ソビエト連邦 [編集]
1957年9月29日「ウラル核惨事 」旧ソビエト連邦ウラル地方カスリ市
(現在はウクライナ共和国)のほど近くに建設された
「チェリヤビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の「マヤーク」
(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための
原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故
プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。
放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。
原子力における冷却不能が(廃棄物であっても)爆発大事故につながった
事故である。当初この事故は極秘とされていたが、西側に亡命した科学者である
ジョレス・A・メドベージェフが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に
論文を掲載したことで知られるようになった
--------------
1986年4月26日
「チェルノブイリ原子力発電所事故」ウクライナ共和国チェルノブイリ
原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出された
レベル7の大事故。原因は諸説あるが、発電実験中、出力が急上昇して
起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をも
たらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけである。
しかし、2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による
国際共同調査結果ではこの事故による直接的な死者は最終的に9,000人
と評価された。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に
従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されている
この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、
世界原子力発電事業者協会(WANO) が結成された
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イギリス [編集]
1957年10月10日「ウィンズケール原子炉火災事故」 世界初の原子炉重大事故。
イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケイル原子力工場
(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により
火災が発生16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。
避難命令が出なかったため地元住民は誰も避難しなかった。数十人がその後
白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。
当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも
危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを
汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。
水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された
-------------------------------
アメリカ合衆国 [編集]
1959年7月13日「サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故」カリフォルニア州
ロサンゼルス市郊外約50kmのシミバレーにあったナトリウム冷却原子炉の
燃料棒が溶融した。1500-6500キュリーのヨウ素131と1300キュリーの
セシウム137が環境中に放出されたとされる1960年に閉鎖されその後解体された
1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘であり、2011年8月現在
エネルギー省のサイトに一切情報がない。
1996年にプルトニウム239とコバルト60、2011年にセシウムがそれぞれ
規制値の数倍から数百倍検出された。1961年1月3日 SL-1事故
--------
事故後、撤去されるSL-1の原子炉容器 SL-1(Stationary Low-Power Reactor Number One)
はアメリカのアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉である。
運転出力は軍事基地のための暖房用の熱エネルギーとして400 kW、
電気出力として200 kWの合計600 kWであり設計出力は3 MWであった。
当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりとは分かって
いないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと
考えられている。10センチまでしか引き出してはいけない制御棒が50センチも
引き出されていたが、この制御棒は引き出すときにハウジングに引っかかる
ことが事件前の映像からもわかっており、運転員が力まかせに引っ張った
ものと考えられている。その結果大量の水蒸気が瞬時に発生し炉内が高圧に
なって炉が破壊された この暴走により、13トンの原子炉容器が3メートル
近く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約50 MJに相当し炉内に
あった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出された
と考えられている。 なお原子炉は暴走したもののその後減速材である軽水が
失われたため自然に停止したと考えられている。
また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったため
とも考えられる事故が起きたのは午後9時であり当時夜勤で3人の運転員が
いたが2人は即死であったと考えられる。
事故発生後に救出隊が駆けつけたときは放射線の強さが非常に強く、1時間半は
現場に近づく事さえできなかった。現場に入ると制御室には2人がおり
その内の2人がまだ生きていて救急車で搬送されたが搬送中に死亡した。
事故から数日後に残りの1人が原子炉の暴走により飛び出した制御棒に胸を貫かれ
天井に磔にされた状態で発見された。
3人の遺体は、露出していた頭部や手などが余りにも汚染度が激しかったため、
切断して高レベル放射性廃棄物として処理しなければならなくなった。
搬送に使用した救急車も放射能に汚染されてしまったために後に放射性廃棄物
として処分しなければならなくなった。
チェルノブイリ原子力発電所事故が起きるまでは原子炉で死者が出た
唯一の事故として知られていた
この事故により制御棒の設計は見直され放射線汚染の際の対処方法も開発された
--------
1966年10月5日「エンリコ・フェルミ1号炉 」エンリコ・フェルミ炉はアメリカの
デトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。1966年10月5日に炉心溶融を
起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例と
されている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには
『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた。
--------
1979年3月28日「スリーマイル島原子力発電所事故」
アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故であり
不完全な設備保全人間工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室
運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出
されたとの報道もあった。この事故の影響によりアメリカ政府は新規原発
建設中止に追い込まれた。
アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織として
アメリカ合衆国原子力研究所 (INPO) が結成され、その後の原子力発電所の
安全性向上に寄与することとなった。
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フランス [編集]
1963年10月フランスの「サン・ローラン・デ・ゾー原子炉で燃料溶融事故 」
--------
2008年7月7日「トリカスタン原子力発電所事故」7日の夜から8日にかけて、
フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所に
おいて、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中タンクからウラン溶液約
3万リットルが溢れ出し職員100人余が被曝し、付近の河川に74 kgの
ウラニウムが流れ出した。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への
立ち入りが禁止されるなどした。フランス原子力安全庁は事故レベルを
0としている。
-------------------------------
スイス [編集]
1969年1月21日 スイスのボー州リュサン(Lucens)の
「研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故」で、炉心燃料が一部溶融、
放射性物資が洞窟内に漏れた。その後地下水経由での環境中への
放射性物質流出が続いている
=================================
沸騰水型原子炉の臨界事故 [編集]
1973年11月 「バーモントヤンキー原発」(米バーモント州)検査のため抜いた
状態だった制御棒の隣の制御棒を誤って抜き炉心の一部が臨界。圧力容器と
格納容器の蓋は開けたままだった。
--------
1976年11月「ミルストン原発1号機」(米コネティカット州)
臨界は炉心スクラムで止まった。
--------
1987年7月「オスカーシャム原発3号機」(スウェーデン)
制御棒の効果を調べる試験中に制御棒を抜いていたところ想定外の臨界状態に
なったが運転員が気付くのが遅れ臨界状態が続いた
--------
ブラジル [編集]
1987年9月「ゴイアニア被曝事故」ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能
汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から
放射線源が盗難に遭い地元のスクラップ業者によって解体された事で内部の
セシウム137が露出。放射性物質の危険性を認識できず蛍光物質が暗闇で光る
という特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で貧民街を
中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し4人が急性放射線障害で
死亡した。翌年の3月までに汚染がひどかった家屋7軒が解体され
周辺の土壌交換などが行われた。
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浪速夢見頃>原子力発電所大事故歴史(日本編)

2013-02-12 17:28:51 | その他

浪速夢見頃>原子力発電所大事故歴史(日本編)
<ネット上で情報収集 [編集]>
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原子力発電所などで事故が発生した場合には、
国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の
指標が「レベル0」から「レベル7」までの
8段階の数値で公表
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0)尺度以下
1)逸脱
2)異常事象
3)重大な異常事象
4)事業所外への大きなリスクを伴わない事故
5)事業所外へリスクを伴う事故
6)大事故
7)深刻な事故
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2011年11月30日東京電力は炉心の解析状況を発表した1号機・・14時間の断水で
燃料は3000度に達し68tの燃料がすべて溶けて鋼鉄製の圧力容器を抜けて
格納容器下部にたまったさらにコンクリートの床も最大65cm浸食した
可能性がある。外側の鉄板までの残りは37cmである、2号機は57%、3号機は63%の
燃料が格納容器外へ落下した可能性がある
-----------
レベル4の事故 [編集]
1999年9月30日「東海村JCO核燃料加工施設臨界事故」
日本で3番目の臨界事故で作業員2名が死亡レベル4
-----------
レベル3以下の事故 [編集]
1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故」
日本で最初の臨界事故とされる戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け午前3時から
出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半臨界が
続いたとされる沸騰水型の原子炉で弁操作の誤りで炉内圧力が高まり制御棒が
抜けるという本質的な弱点の事故この情報は発電所内でも共有されず同発電所でも
その後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される
--------------
1999年「志賀原発事故」も防げたかも知れず本質的な弱点なので
世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
--------------
1991年5月31日「中部電力浜岡3号機」の制御棒が同様に3本抜けた事故である
中部電力は1992年にマニュアルを改訂した国への報告はしなかったが他電力へ
報告したと主張した。事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚公表された。
東京電力は当時は報告義務がなかったと主張している
--------------
1989年1月1日「東京電力福島第二原子力発電所3号機事故」
原子炉再循環ポンプ内部が壊れ炉心に多量の金属粉が流出した事故レベル2。
--------------
1990年9月9日「東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果原子炉圧力が上昇して
「中性子束高」の信号により自動停止したレベル2。
--------------
1991年2月9日「関西電力美浜発電所2号機事故」
蒸気発生器の伝熱細管の1本が破断し55トンの一次冷却水が漏洩し
非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動したレベル2。放出量0.6キュリー
--------------
1991年4月4日¥中部電力浜岡原子力発電所3号機事故」
誤信号により原子炉給水量が減少し原子炉が自動停止したレベル2。
--------------
1997年3月11日「動力炉・核燃料開発事業団東海」
再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故、低レベル放射性物質を
アスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
--------------
1999年6月18日「北陸電力志賀原子力発電所1号機事故」
定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の
制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になりスクラム信号が出たが、制御棒を挿入
できず手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の
窒素を全ての弁で抜いてあったというミスとマニュアルで弁操作が開閉逆だった
と言うのが臨界になる主な原因であった所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が
決定され運転日誌への記載も本社への報告も無かったとされる
当時の所長代理は発覚時点で常務・原子力推進本部副本部長=安全担当
志賀原発担当。総点検の聞き取りに対しては事故を報告しなかった。
原発関連の不祥事続発に伴う2006年11月の保安院指示による社内
総点検中、報告が出た結果、2007年3月公表に至った。レベル1 - 3。
日本で2番目の臨界事故とされる。日本原子力技術協会が最悪の事態を
想定して欠落データを補完した研究によると定格出力の15%まで出力が瞬間的に
急上昇した即発臨界であった可能性がある。
ただし燃料中のウラン238が中性子を吸収しそれ以上の事態になる可能性は
なかったという。この事故に関して一部マスコミ等で「制御棒が落下した」
「沸騰水型原子炉の制御棒は下から挿入されるので水圧が抜けると落下する
危険がある」との誤解があったが実際は「水圧装置の誤作動により引き抜き
動作が行われた」であり、重力の影響で落下したのでない
ことに注意が必要である
--------------
2011年3月11日 「東京電力福島第二原子力発電所事故」
東日本大震災による地震・津波で原子炉の冷却機能が一時不全状態に陥った事故
原子力安全・保安院は2011年3月18日にINESレベル3であるとの暫定評価を下した
--------------
その他の事故 [編集]
1973年3月「関西電力美浜発電所燃料棒破損 」
美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力は
この事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかに
なったのは内部告発によるものである。
--------------
1974年9月1日 原子力船「むつ」の放射線漏れ事故
--------------
1995年12月8日動力炉・核燃料開発事業団「高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故」
2次主冷却系の温度計の鞘が折れナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。
この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
--------------
1998年2月22日「東京電力福島第一原子力発電所」
第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1
(1ノッチ約15cm)抜けた。
--------------
2004年8月9日「関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故」
2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が
多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
--------------
2007年7月16日新潟県中越沖地震に伴う東京電力
「柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故」同日発生した
新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし微量の
放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は
柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。 震災後の高波によって敷地内
が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により
柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
2007年11月13日経済産業省原子力安全・保安院はこの事故を
レベル0-と評価した。
--------------
2010年6月17日「東京電力福島第一原子力発電所2号炉」
緊急自動停止 制御板補修工事のミスがあったが常用系電源と非常用電源
(常用系から供給されている)から外部電源に切り替わらず冷却系ファンの停止を
招き、緊急自動停止(トリップ)した。電源停止により水位が2m低下
した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。トリップ30分後に
非常用ディーゼル発電機2台が動作し、原子炉隔離時冷却系が動作し水位は回復した
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浪速夢見頃>地震列島日本年表 (5)リンク集

2013-02-11 20:08:38 | その他

浪速夢見頃>地震列島日本年表 (5)リンク集
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41>1962年(昭和37年)4月23日14時58分「広尾沖地震」
  Mj 7.1: 同年6月29日に十勝岳が噴火
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42>1961年(昭和36年)8月19日14時33分「北美濃地震」
  Mj 7、死者8人直下型地震:岐阜県北部大日ヶ岳付近震源
-------------------------
43>1961年(昭和36年)8月12日O時51分「釧路沖地震」
  Mj 7.2最大震度4:根室,JI路,帯広,広尾,浦河
-------------------------
44>1961年(昭和36年)2月27日03時10分「日向灘地震」
  Mj 7.0、宮崎県沖で地震、死者2人地震による津波が九州沿岸各地に到達
-------------------------
45>1960年(昭和35年)3月21日「三陸沖地震」
  Mj 7.2
-------------------------
46>1958年(昭和33年)3月11日 宮古島近海地震
  Mj 7.2石垣島などで震度5、死者2人
-------------------------
47>1958年(昭和33年)11月7日「択捉島沖地震」
  Mj 8.1(Mw 8.3)釧路で震度5を観測太平洋岸各地に津波
-------------------------
48>1955年(昭和30年)5月30日「硫黄島近海地震」
  Mj 7.1(21時31分深さ488km)
  Mj 7.5(21時33分、600km)の地震が相次いで発生
-------------------------
49>1952年(昭和27年)3月4日10時22分「十勝沖地震」
  Mj 8.2(Mw 8.1)死者・行方不明者33人 北海道から東北に津波
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50>1951年(昭和26年)7月12日3時21分「小笠原諸島西方沖地震」
  Mj 7.2、震源の深さ, 490km 最大震度, 震度3: 福島県猪苗代町

浪速夢見頃>地震列島日本年表 (4)リンク集

2013-02-11 11:42:24 | その他

浪速夢見頃>地震列島日本年表 (4)リンク集
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31>1972年(昭和47年)12月4日午後7時16分「八丈島東方沖地震」
  Mj 7.2  八丈島で最大震度 6。福井地震以来
  震度6の観測事例が無く、この地震で24年ぶりに公式に震度6を観測した
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32>1972年(昭和47年)2月29日18時23分「八丈島東方沖地震」
  Mj 7.0、八丈島で最大震度5
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33>1969年(昭和44年)8月12日6時27分「色丹島沖地震」
  Mj 7.8(Mw 8.2)深さ30km津波が発生
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34>1968年(昭和43年)10月8日 4時20分「小笠原諸島西方沖地震」
  Mj 7.4、深さ480km最大震度, 震度3: 福島県福島市
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35>1968年(昭和43年)6月12日三陸沖で地震Mj 7.2
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36>1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分「十勝沖地震 」
  Mj 7.9(Mw 8.3)三陸沿岸で5mの津波
  死者・行方不明者52人最大震度 5。三陸沖北部の固有地震
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37>1968年(昭和43年)4月1日 午前9時42分「日向灘地震」
  Mj 7.5、死者1人日向灘の海底30kmを震源徳島、穴吹で震度3を記録
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38>1966年(昭和41年)3月13日与那国島近海の地震
  台湾東方沖Mj 7.8与那国島で震度5、死者2人
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39>1964年(昭和39年)6月16日13時1分「新潟地震」
  Mj 7.5、死者26人。最大震度 5深さ34km)を震源
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40>1963年(昭和38年)10月13日14時18分「択捉島沖地震」
  Mj 8.1(Mw 8.5)三陸沿岸で津波最大震度は4、津波の高さ
  ウルップ島4.0~4.4m,択捉島4.0m両島で津波被害

浪速夢見頃>地震列島日本年表 (3)リンク集

2013-02-10 23:13:12 | その他

浪速夢見頃>地震列島日本年表 (3)リンク集
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21>1983年(昭和58年)6月21日15時25分 青森県西方沖で地震
  Mj 7.1 最大震度 4、日本海中部地震の最大余震
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22>1983年(昭和58年)5月26日 11時59分「日本海中部地震」
   Mj 7.7(Mt 8.1)秋田県で最大震度 5日本海に大津波、死者104人
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23>1982年(昭和57年)3月21日11時32分「浦河沖地震 」
  Mj 7.1北海道で最大震度 6北海道・浦河沖の深さ40kmを 地震が発生した
  日高山脈の南部から浦河沖にかけては地震活動の活発な地域
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24>1978年(昭和53年)24>6月12日17時14分「宮城県沖地震」
  Mj 7.4、宮城県などで最大震度 5、死者28人、津波あり
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25>1978年(昭和53年)3月7日「東海道南方沖地震」
  Mj 7.2、深さ440km、栃木県と千葉県で最大震度 4
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26>1978年(昭和53年)1月14日午後0時24分「伊豆大島近海地震」
  Mj 7.0、伊豆大島と神奈川県で最大震度 5、死者25人
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27>1975年(昭和50年)6月29日 日本海西部地震
  Mj 7.4、深さ600km、最大震度 3
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28>1975年(昭和50年)6月10日北海道東方沖地震
  Mj 7.0(Mt7.9、Mw7.7)最大震度は1と小さいが色丹島で4?3.5m
  花咲港で95cmの津波を観測
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29>1974年(昭和49年)11月13日「鳥島近海で地震」
  Mj 7.3、深さ420km福島県と千葉県で最大震度 4、深さ420km
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30>1973年(昭和48年)6月17日12時55分「根室半島沖地震」
  Mj 7.4(Mt 8.1)震源深さ40km 北海道で最大震度 5、津波地震
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