浪速おやじのつぶやき日記

川柳・都々逸・詩などでボケ防止

浪速夢見頃>日本のダ・ヴィンチ平賀源内

2013-02-17 14:38:48 | その他

浪速夢見頃>日本のダ・ヴィンチ平賀源内
----------------------
平賀源内発明品平賀源内発明品記事リンク日本のダ・ヴィンチ平賀源内 記事リンク平賀源内とエレキテル記事リンク平賀源内の火浣布記事リンク秩父鉱山と平賀源内記事リンク平賀源内「絵暦」企画記事リンク平賀源内「絵暦」企画画像リンク草学者の平賀源内記事リンク平賀源内火打ち石による発火記事リンク
平賀源内風来山人著作記事リンク

浪速夢見頃>ヨハネス・デレーケの足跡

2013-02-17 08:10:36 | その他

浪速夢見頃>ヨハネス・デレーケ治水治山オランダ人のヨハネス・デレーケ
浪速夢見頃>ヨハネス・デレーケの足跡
-----------------------
オランダ人のヨハネス・デレーケ
-----------------------
1.ヨハネス・デレーケに関する主な足跡年出来事
1842 オランダ国のコリンスプラートに生まれる
1873 来日する。
1878 技師デ・レ-ケはまねかれて分流のための調査をはじめる。
1887 第一期工事はじまる。木曽川すじの海津町成戸(なりと)
から日原(ひわら)まで、木曽川と長良川を中堤で分流する
1896 第二期工事がはじまる。第一期より南の
三川の中堤や新堤をつくる。
1900 第三期工事はじまる松の木より上流の揖斐川すじを
まっすぐにして新堤をつくる
1903 オランダに帰る。
1912 全部の工事でき上がる
-----------------------
2.ヨハネス・デレーケの業績
明治政府は西洋の学問・技術の輸入国内制度等の整備のために西洋の
国々から大金をはらって外国人をやといました
その一人にデレーケがいました 
 明治6年(1873)に来日したデレーケは大阪淀川の上流部の調査を
始めました同8年には、京都府相楽郡の不動川に石積みの砂防堰堤をきずき
ましたそして同11年2月、木曽三川流域調査に12日間この地をおとずれ
ました。この調査結果を「川を治めるには、まず山を治めるべしという
彼の信念に基(もと)づき『木曽川概説』にまとめ内務省に報告
しました。これに基づき三川流域の治山工事が始まりました
ここでも彼は次の3つの提案をしました。
(1)山林の樹木を  むやみに切ることの禁止
(2)樹木の植えつけ、栽培)(3)砂防工事の実施
-------------
これは、岐阜県海津郡南濃町駒野奥条入会にある「羽根谷巨石堰堤」です
これはデ・レーケが提案したことによって明治24年にできたそうです
羽根谷巨石堰堤(第1号堰堤)は百年が過ぎた今も幅約52m、
高さ約12mの巨大な姿を見せています
そして、昔と変わらない防災効果をはっきしています
-------------
「木曽川下流河川改修」の本格的な工事は明治20年から始まりました
工事は4期25年におよぶ大規模なものでした主な工事内容は、
次のようなものです
①木曽三川を完全に分流する。
②佐屋川を締(し)め切って川をなくす
③立田輪中に新たに木曽川新川を造る
④大榑川、中村川、中須川をしめ切る
⑤高須輪中に新たに長良川新川を造る
⑥油島洗堰は完全にしめ切る
⑦船頭平に閘門を造る
⑧木曽川等の河口に導流堤を造る
⑨水門川・牧田川・津屋川の揖斐川への合流点を下流に引き下げる。
この工事が終わってから水害はいちじるしく少なくなりました
滞在30年日本の河川改修に一生を捧げたデレーケは明治36年
日本を離(はな)れましたデレーケは、わが国の
「治水の恩人」
3.エピソード1879年妹のエルシエ1881年に妻のヨハンナが亡くなりました
妻が亡くなって約1か月後には木曽川流域に来て現地調査をしました
それで当時誰もが「彼は仕事の鬼」だと思ったそうです。
しかし後で見つかった手紙を読むと「日本の技師たちは私を非常に
気の毒に思ってパーティなどを開いてくれるのですが本当は家で
じっと妻のことを思っていたかったというようなことが書いてありました
また内務省から有給の帰国命令を受けオランダに帰って心身の休息を図り
ました。しかし、オランダにいても治水工事のことを忘れず来日する時には
浚渫船を手配して戻ってきたそうです
本当に真心をもって仕事に一生を捧げたデレーケでした
-----------------------
筑後川_大規模事業の足跡筑後川_大規模事業の足跡記事リンク
「デレーケ足跡リンク」ヨハネス・デレーケ淀川ワンド記事リンク
淀川の歴史 - 国土交通省記事リンクワンド (地形)記事リンク筑後川_大規模事業の足跡記事リンクヨハネス・デ・レーケ30年記事リンク長良川デジタル百科事典映像リンクオランダ堰堤に行こう記事リンク明治初期西洋技術護岸;八幡・桂川遺構リンク淀川資料館【資料館のご案内】記事リンク治水のあしあと記事リンク