浪速おやじのつぶやき日記

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浪速夢見頃>緒方洪庵・適塾(史跡・重要文化財)

2012-09-15 09:59:45 | 緒方洪庵適塾

浪速夢見頃>緒方洪庵・適塾(史跡・重要文化財)
緒方洪庵(1810~1863)
適塾は蘭学医、緒方洪庵がつくった塾

浪速夢見頃>緒方洪庵・適塾(史跡・重要文化財)
緒方洪庵(1810~1863)
適塾は蘭学医、緒方洪庵がつくった塾
(入館のしおりより)
 緒方洪庵は、幕末における洋学研究の第一人者として仰がれた。
彼は多くの蘭書を翻訳し著書を残した。「扶氏経験遺訓」30巻は
ベルリン大学教授フーフェランドの内科書を翻訳したもので、
日本内科学の発展に大きな影響を与えた。この巻末の「医戒の大要」を
洪庵は12ヶ条の格調の高い文章に抄訳して「扶氏扶氏之略」とした。 
 第一条には「人の為に生活して己の為に生活せざるを医業の本体とす」
とあり、適塾の指導要項とされ、現在でも立派な医の倫理書といわれている。
また、「病学痛論」は我が国では初めてできた病理学の総論で、当時広く
読まれた名著である。未知の学問を体系化するにいたった苦心と功績は
極めて大きい。
 当時多数の死亡者を出していた天然痘の予防のために、
洪庵は嘉永2年(1849年)に古手町種痘所をつくり、牛の痘苗による種痘事業
を開始した。万延元年(1860年)にはこの除痘館を現在の緒方病院の敷地
(適塾の南側)に移転したが、この頃には北陸から九州に至るまで多くの
分苗所を設置して天然痘の蔓延を防いだ。安政5年(1858年)夏のコレラの
大流行時には、「虎狼痢治準」を刊行して予防策に尽力した。
これらの功績は、文明開化に対する洪庵の教育とともに大いに
顕彰されるべきであろう。

適塾・洪庵の教育
 適塾における教育の中心は蘭書の会読であったが、この予習のために
塾生が使用した辞書がヅーフ辞書(長崎出身のオランダ商館長のヅーフが
マルマの蘭仏辞書に拠って作成した蘭和辞書)であり、当時は極めて貴重で
塾生にも一部しかなく塾生はヅーフ部屋と呼ばれる部屋につめかけ
奪い合って使用した。塾生の勉強は他塾とは比較しえぬほどはげしいものがあり、
福沢諭吉は自ら述懐して、凡そ勉強ということについては、
このうえにしようも無いほど勉強したといっている。




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