浪速おやじのつぶやき日記

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浪速夢見頃>原子力発電所大事故歴史(日本編)

2013-02-12 17:28:51 | その他

浪速夢見頃>原子力発電所大事故歴史(日本編)
<ネット上で情報収集 [編集]>
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原子力発電所などで事故が発生した場合には、
国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の
指標が「レベル0」から「レベル7」までの
8段階の数値で公表
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0)尺度以下
1)逸脱
2)異常事象
3)重大な異常事象
4)事業所外への大きなリスクを伴わない事故
5)事業所外へリスクを伴う事故
6)大事故
7)深刻な事故
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2011年11月30日東京電力は炉心の解析状況を発表した1号機・・14時間の断水で
燃料は3000度に達し68tの燃料がすべて溶けて鋼鉄製の圧力容器を抜けて
格納容器下部にたまったさらにコンクリートの床も最大65cm浸食した
可能性がある。外側の鉄板までの残りは37cmである、2号機は57%、3号機は63%の
燃料が格納容器外へ落下した可能性がある
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レベル4の事故 [編集]
1999年9月30日「東海村JCO核燃料加工施設臨界事故」
日本で3番目の臨界事故で作業員2名が死亡レベル4
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レベル3以下の事故 [編集]
1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故」
日本で最初の臨界事故とされる戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け午前3時から
出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半臨界が
続いたとされる沸騰水型の原子炉で弁操作の誤りで炉内圧力が高まり制御棒が
抜けるという本質的な弱点の事故この情報は発電所内でも共有されず同発電所でも
その後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される
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1999年「志賀原発事故」も防げたかも知れず本質的な弱点なので
世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
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1991年5月31日「中部電力浜岡3号機」の制御棒が同様に3本抜けた事故である
中部電力は1992年にマニュアルを改訂した国への報告はしなかったが他電力へ
報告したと主張した。事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚公表された。
東京電力は当時は報告義務がなかったと主張している
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1989年1月1日「東京電力福島第二原子力発電所3号機事故」
原子炉再循環ポンプ内部が壊れ炉心に多量の金属粉が流出した事故レベル2。
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1990年9月9日「東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果原子炉圧力が上昇して
「中性子束高」の信号により自動停止したレベル2。
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1991年2月9日「関西電力美浜発電所2号機事故」
蒸気発生器の伝熱細管の1本が破断し55トンの一次冷却水が漏洩し
非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動したレベル2。放出量0.6キュリー
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1991年4月4日¥中部電力浜岡原子力発電所3号機事故」
誤信号により原子炉給水量が減少し原子炉が自動停止したレベル2。
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1997年3月11日「動力炉・核燃料開発事業団東海」
再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故、低レベル放射性物質を
アスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
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1999年6月18日「北陸電力志賀原子力発電所1号機事故」
定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の
制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になりスクラム信号が出たが、制御棒を挿入
できず手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の
窒素を全ての弁で抜いてあったというミスとマニュアルで弁操作が開閉逆だった
と言うのが臨界になる主な原因であった所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が
決定され運転日誌への記載も本社への報告も無かったとされる
当時の所長代理は発覚時点で常務・原子力推進本部副本部長=安全担当
志賀原発担当。総点検の聞き取りに対しては事故を報告しなかった。
原発関連の不祥事続発に伴う2006年11月の保安院指示による社内
総点検中、報告が出た結果、2007年3月公表に至った。レベル1 - 3。
日本で2番目の臨界事故とされる。日本原子力技術協会が最悪の事態を
想定して欠落データを補完した研究によると定格出力の15%まで出力が瞬間的に
急上昇した即発臨界であった可能性がある。
ただし燃料中のウラン238が中性子を吸収しそれ以上の事態になる可能性は
なかったという。この事故に関して一部マスコミ等で「制御棒が落下した」
「沸騰水型原子炉の制御棒は下から挿入されるので水圧が抜けると落下する
危険がある」との誤解があったが実際は「水圧装置の誤作動により引き抜き
動作が行われた」であり、重力の影響で落下したのでない
ことに注意が必要である
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2011年3月11日 「東京電力福島第二原子力発電所事故」
東日本大震災による地震・津波で原子炉の冷却機能が一時不全状態に陥った事故
原子力安全・保安院は2011年3月18日にINESレベル3であるとの暫定評価を下した
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その他の事故 [編集]
1973年3月「関西電力美浜発電所燃料棒破損 」
美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力は
この事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかに
なったのは内部告発によるものである。
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1974年9月1日 原子力船「むつ」の放射線漏れ事故
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1995年12月8日動力炉・核燃料開発事業団「高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故」
2次主冷却系の温度計の鞘が折れナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。
この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
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1998年2月22日「東京電力福島第一原子力発電所」
第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1
(1ノッチ約15cm)抜けた。
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2004年8月9日「関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故」
2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が
多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
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2007年7月16日新潟県中越沖地震に伴う東京電力
「柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故」同日発生した
新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし微量の
放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は
柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。 震災後の高波によって敷地内
が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により
柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
2007年11月13日経済産業省原子力安全・保安院はこの事故を
レベル0-と評価した。
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2010年6月17日「東京電力福島第一原子力発電所2号炉」
緊急自動停止 制御板補修工事のミスがあったが常用系電源と非常用電源
(常用系から供給されている)から外部電源に切り替わらず冷却系ファンの停止を
招き、緊急自動停止(トリップ)した。電源停止により水位が2m低下
した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。トリップ30分後に
非常用ディーゼル発電機2台が動作し、原子炉隔離時冷却系が動作し水位は回復した
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