浪速おやじのつぶやき日記

川柳・都々逸・詩などでボケ防止

浪速夢見頃>小話9♪柿の木2000-7

2005-01-30 12:59:04 | 小話

浪速夢見頃>小話9柿の木2000年7月吉日
 私の実家に兄が中学生の時に柿の種を
庭に飛ばした一粒が芽を出した樹齢
45年の「柿の木」が有った この木は
私達8人家族の生活を見守り続けて
何んでも知っていた その後に私ら子供達が
一人づつ巣立って出て行き父親も5年前に
亡くなり一人住まいしていた母親も
この春には体調を壊して兄の所へ
引き取られて出て行った
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 空き家になった長屋の小さな庭に取り
残された「柿の木」は、今まで毎年に
私や兄が近所に迷惑に成らないように
枝や幹を切られて本来ならば樹高
10mが6mに枝張りも6mが4mに
縮められながらもスズメ達の憩いの場を
提供していた
 この7月に裏隣の長屋が取り壊されて
4階建てのアパートの工事が始まり
「柿の木」の地下茎が隣家まで越境して
いるのが発見された
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 空き屋でも有る事で、とうとう伐採
される事になり私がその役目を負うこと
に成った
 当日は枝を切り落とし幹の上部も手鋸を
使い中部は大工さんに電気丸鋸で切り
根本近くは同じく大工さんに手鋸で切って
もらったが生木ゆえ、なかなか切れず
手こずらされた
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 根っこ部分はまた私の仕事となり
30~40cm掘り起こすと大きな
ミミズがぞろぞろと出て来たので、作業を
中断して薬局でクレゾール液を買って
来てバケツ一杯分を流し込んだ
 左右に張った地下茎を4本切断した
ところで7月中旬とはいえ30度を超える
真夏日で余りの暑さに最後にさらに
クレゾール液をバケツ一杯分を流し込んで
作業を中断した
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 家族と共に生きてきた「柿の木」
を切る時は、切り口から血液が流れる
様な気持ちになり 地下茎を切断する
時は息の根を止める様に感じて、
兄弟を殺人してしまった様な錯覚に
落ち入った
 「柿の木」様どうぞ静かに永眠して
下さい 合掌!
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浪速夢見頃>小話♪川柳と俳句の違い

2005-01-30 12:23:01 | 小話

浪速夢見頃>小話♪川柳と俳句の違いとは
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 私自身は季語を使わなくても良い時事川柳の便利さで
使っていますが、手元にある下記本の一文を紹介します
 岩橋邦枝著「俳風柳多留(はいふうやなぎたる)」
(わたしの古典22)集英社1987年発行
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 川柳は付句から生まれたのであるから発句いわゆる
俳句と異なって切字(きれじ)や季語を必要としない。
内容は自然よりも人事を主とし、その細部まで鋭く観察、
本質や矛盾等を指摘、機知を働かせて滑稽(こっけい)
に表現することに重きがおかれた。
これを「穿ち(うがち)」といい、明和ごろから流行した
黄表紙、洒落本(しゃれほん)、狂歌等にも共通する、
この時代(江戸時代)の文学の大きな特色であった。
 停滞した封建時代下で、知識階級の人々はそのうっ屈
した気分や盗用されぬまま終わるすぐれた才能を発散する
場所としてこれらの文芸を選んだのである。
 また、川柳作者は表現技巧にも意をこらし、縁語や
洒落、見立てなどを多用したほか、信濃者(しなのもの)
といえば大食い、相模女(さがみおんな)と言えば
淫放(いんぽう)といったような江戸っ子の自負が生んだ
類似型発想も続出、読者は謎解きの面白さをも与えられた
柄井川柳の手になる選句を収めたのが「柳多留」
二十四編が寛政3年(1791)に刊行されている。
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浪速夢見頃>2016年3月17日♪相互理解

2005-01-30 12:19:15 | 珍問答

浪速夢見頃>珍問答14♪相互理解2016/3/17
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(花子)人間どうしが理解しあうのは言葉だけでは無いわね
(太郎)音楽でも気持ちを伝えられるよね
(花子)絵画や彫刻だって込められた気持ちを伝えれるよ
(太郎)詩や小説も感情表現の道具だしね
(花子)映画やテレビを同時に一緒に鑑賞する共通体験もある種の対話だね
(太郎)商売でのお客と売り子の駆け引きも感情のぶつけ合いだよ
(花子)恋人同士は目と目で見つめ合うだけで意志は通じるのよ
(太郎)一緒の部屋で居ているだけで以心伝心だね
(花子)人間て他人と理解しあう為に生きて居るんだわ
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浪速夢見頃>小話30♪ロストタイムの人生2003-12

2005-01-29 14:43:42 | 小話

浪速夢見頃>小話30♪ロストタイムの人生
2003年12月吉日
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 私は25歳で肺病で臥して
「源義経の鵯越の逆落としで有名な一ノ谷」
の近くの山腹で数百人入院できる神戸
市街地から隔離された、毎月数人が死んで
いく結核療養所で半年を過ごしましたその後
先の人生に健康の自信をなくして子供を
作ってもその子が成人するまで面倒を見れない
と感じて人並みの結婚生活をあきらめて
自分の生存年齢もその当時の2倍50歳が
最長と思い今まで生きて来ました。
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 何故か来年に還暦を迎える歳まで
生き延びている自分が居る事に正直
戸惑ったまま、生活を続けています。
 20数年来の入籍もせずに付き合って
いる連れ合いの女性がいますが気ままな
独身生活で毎月が宵越しの金を残さない
ルーズな家計を続けて来ましたので
今では貯金どころか借金漬けで仕事が
切れると何時ホームレスに仲間入り
してもおかしくない緊張感が私の生きる
お尻を後押ししてくれています。
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 情けない話ですが自分の決めてきた最長
生涯50歳を10年弱オーバーした
ロストタイムの人生は思惑外でしょうが
ないかと思っています。
 親父は89歳で死にましたが母親は
91年で兄の家庭で今も元気でいますので
まだまだ死ねそうに有りません怠惰になる
人生を借金が後押ししてくれる、おかげで
何とか仕事を見つけて退屈しない余生を
自分のペースでぼちぼち、ゆっくり
歩き続けています。
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