ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

びわ湖 東岸 初日は近江八幡

2010年12月05日 | 日記
琵琶湖初日  近江八幡巡り

 何だかんだと 毎日忙しい。今日は おかあさんが入会している防災の会

災塾 だるま の5周年記念イベントが神奈川大学であった。
 講演会では 1923年に発生した関東大震災の
いままで知られていなかった事実も話された。

本当は東京よりも横浜のほうが被害は甚大であったことや 震災でなくなった
不特定多数の死者の特徴を一人ずつ書いたものが発見されたり その人たちの慰霊のために
13回忌に慰霊碑を建立したりしている。
 神戸にも慰霊碑があるが 作られた経緯が違う。人の優しさからの建立だ。

 昔も今も 災害に遭ったら自分自身も含めて 優しさが欲しい。

 おかあさんは 最後の発言で 参加した皆さんに質問。

私の盲導犬ニッキーが避難所に行ったら 受け止めてくれますか と。皆さんの暖かい拍手におかあさんは安心した次第。
 ニッキーも防災のために役立っている。

 さて 琵琶湖。


 まず 訪れたのは近江八幡。
滋賀県は 近年 有名大学が草津に学部を移転した。 すると 町並みは突然 大きなマンションなどが立ち並ぶ都会へと変貌。関西地区への衛星都市として人口が増えている
珍しい県だそうだ。

最初に訪れた竜王町は農業の町田。有名な近江牛も多く飼育されており 道の駅 鏡の里のカレーうどんはおいしかった。ハンバーグが最も食べられているらしい。
ニッキーのためにヨーグルトを買ったら瓶入りだった。
特産品を利くと やはり 淡水魚の甘露煮や鮒寿司。
鮒寿司は1尾 何と 2000円から4000円もするという。
 夜 ホテルで注文したら 5切れで2000円。
これが高いのか安いのか おかあさんは分からない。

びわ湖周辺に住む人は 各家庭で鮒寿司を作っている。しかも 専門化が 人たる 3万円とか5万円でそれを作りに家庭を回る。
 鮒寿司は寿司と言っても ご飯の上にのっているものではない。単に鮒。
ブルーチィーズに近いかな とはおとうさんの弁。
おかあさんは絶対に食べない代物だ。
 お腹がいっぱいになったところで 近江八幡に向けて出発。
 
 今回は近江八幡のガイドボランティア協会に電話して 紹介されたガイドさんが五字分の車を出してくださった。
事前にメールでやりとりをしていたので お互いに会うことを楽しみにしていた。
 最初から話が弾む。
 近江八幡の歴史を聞きながら かっての商人の活躍した町並みを歩く。
「270年前に新しく建てられた家出....。」などと説明されて 木造建築のすごさに感嘆。
 豊臣秀次の居城跡がある八幡山が街のシンボルだ。

 近江八幡にある店舗で押すな押すなの賑わいを見せるのが 菓子舗 たねや。そして
洋菓子部門の クラブ ハリエ。まるで デパートのバーゲン会場だ。
観光バスが乗りつける和菓子やなんて聞いたこと無し。

 
近江八幡で最も分限者となった人の商ったものは何だか創造がつきますか?
それは 畳表と蚊帳の商売だったとか。ほんとの話。

更に 近江八幡は瓦の製造でも大いに繁盛したらしい。今でも瓦屋はある。
 ニッキーは古い店舗を見学中吐いた
理由は その前におかあさんが食べさせた生焼けの欲しいも。ほんとは食べさせてはいけないのに つい。
その 処理に借りたばけつが縁で おいしい最中の店に入る。
日本で唯一の小麦粉のグルテンで作った最中の皮が香ばしい。

ここでも 近江商人の商法を垣間見る。言葉も柔らかく 決して押し付けがましくない。
とても親切だ。

聞いてみると 有名な商社や会社 又 デパートがこのあたりから日本の中心へと進出している。

 農業が豊かな土壌は 人の成長を豊かに育むのだろうか。
滋賀県民の県民性は物静かで奥床しい。しかし
地道にコツコツ頑張るのが特徴 と見た。

3 4時間のガイド時間が延びて 半日になったが ガイドさんは親切にびわ湖線の野洲駅まで送ってくださった。

 そうそう 同行の茂さんは 旅の最初に無農薬舞を10キロ購入。ガイドさんの友人の作った新米だ。
人と人とのつながりが楽しい初日の近江八幡だった。
ガイド料として支払った交通費の1000円は 盲導犬協会に寄付して欲しいと言われ 全くの無償でガイドを引き受けて頂いたのには恐縮。
今日 お礼を発想。