10月31日に、ストックホルムから成田に戻り(英語が全く出来ないせいで、ストックホルムのホテルからアーランダ空港に到着し、コペンハーゲン行に乗るまでが大変だったのですが、これは『創』の連載エッセイに書きます)、翌11月1日、「摂食障害治療を考える」のシンポジウムに参加するために神戸に行き、2日と3日は友人の城戸朱理さんが岩手日報文化賞を受賞し、城戸さんへの祝辞を仰せ付かったので、岩手日報社内で行われた贈呈式と、盛岡グランドホテルで行われた祝賀昼食会に参加し、4日~9日までは、臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」「ふたりとひとり」の収録を行うために南相馬に滞在していました。
10日は、息子の志望高校の説明会に参加するために東京へ行き、昨日は美容院で伸び過ぎた髪を揃えたり、諸々の事務作業をしたりして――、今日はさすがに疲れが出たのか、昼過ぎから眠ってしまい、いま、午後4時過ぎです。
年内に仕上げなければならない長い原稿が2本あり、かなり気持ちが急いているため、個々の出来事については、書きません。
岩手県盛岡市で過ごした2日間の出来事については、ずっと一緒だった城戸さんと桂子のブログをご覧ください。
「城戸朱理のブログ」http://kidoshuri.seesaa.net/
「mad_bambi なう。」http://madbambi.seesaa.net/
南相馬で行った「ふたりとひとり」の収録は、今回は10組でした。
1) 南相馬市鹿島区の仮設住宅で暮らしている避難指示解除準備区域の小高区に自宅のある志賀時恵さん(63)と後藤久子さん(78)
2) JR原ノ町運輸区長の長川清隆さん(58)と奥様の由美子さん(48)
3) 東京でのラジオの仕事をやめて南相馬に戻って老人介護の仕事をしている川村麻子さん(32)と、山形県で避難生活を送っている小高区の井戸川美奈子さん(32)
4) 南相馬での農業を復活させようと尽力している仲野内勇作さん(28)、原田正己さん(29)、大和田祥旦さん(29)
5) 南相馬市鹿島区の八沢干拓土地改良区の但野幸一さん(61)と、八巻常雄さん(55)と、相良正巳さん(77)
6)震災後に仙台での仕事をやめて南相馬に戻り、鹿島区北海老に、10月21日に「cafe NicoNico-do' カフェ・ニコニコドウ」http://ameblo.jp/cafe-niconico-do/をオープンさせた高橋由布子さん(28)と、お母様の徳子さん(55)
7)南相馬市立総合病院に勤務するために今年1月に島根県からいらっしゃった小児科医・安藤幸典さん(58)と、アグリ・ウォッチャー・クラブの岡田光生さん(60)
8)津波で壊滅的被害を受けた南相馬市鹿島区の港集落の8人のみなさん
9)小高区の住民が一時帰宅の時に立ち寄れる場所を作ろうと小高区大井に「浮舟の里」http://ukifunenosato.org/ を作った久米静香さん(60)と、渡辺静子さん(65)
10)南相馬の子どもの支援活動(「南相馬こどものつばさ」http://www.kodomonotsubasa.com/)を行っている、鹿島区「男山八幡神社」宮司の西道典さん(53)と、原町第一中学校で理科を教えている佐藤慎治さん(53)
(これから順次放送されるので南相馬ひばりFMのホームページをご覧ください。http://hibarifm.wix.com/870mhz/)
写真は、(8)の港集落に行った時のものなのですが、依頼内容がきちんと伝わっていなかったようで、港集落の皆さんの雑草刈り取り作業を30分間中断させての立ち話での収録となってしまいました。風がびゅうびゅう吹く中で、声がどの程度クリアに録音されたのか、非常に心配です。
そして、この場所から見える(港集落の避難所だった)磯ノ上グラウンドで津波に襲われ、ご家族を亡くされた方もいらっしゃり――、立ち話では無理でした。後日改めて、お話をうかがいに参ります。
小高区の廣畑裕子さんが仮設住宅で暮らすお年寄りのために作った「のらとものうえん」のことと、飯舘村の綿津見神社・禰宜の多田仁彦さんに飯舘村をご案内いただいたことは、原稿に詳しく書きます。
明日は、岡村靖幸さんと対談を行うため東京に出ます。
明後日、11月14日から原稿執筆に集中します。