旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

阪神淡路大震災の思い出。

2018-06-22 14:44:03 | 雑感+時折「旅の思い出ミニ写真展」添付

ジジはあの時震度7の烈震地帯ど真ん中に住んでいました。就寝中の早朝5.46分で一体何が起きたのか咄嗟には判りませんでした。ドカーンと突き上げられてその後強烈な横揺れ。まるで天と地がひっくり返ったかのような超強烈な揺れ。

始め一瞬どこかがガス爆発を起こしたのでは?と頭によぎりましたが、スゴイ横揺れが始まり地震だっ!すぐどさっと目の前に黒いものが倒れてきたので咄嗟に足を縮めて難を逃れましたが、後で見ると書棚でした。幸い建物の被害は殆どありませんでしたが明るくなり見ると殆どの家具や器具が部屋中に散乱し呆然としました。

直ぐに外廊下には非常灯が点いたので一安心。その時はライフラインが全てダメージを受けたなんて知る由もなく、唯一の情報ラジオがのんびりと和歌山で少し被害が出たなんて言うのでてっきり震源地は大阪だと思いまさか神戸だとは思いもしませんでした。それまでこんな強烈な地震の経験はないのでただただ恐ろしく余震に身構えて電気が来るまで真冬なのにいつでも逃げ出せるように玄関ドアーを少し開けて靴を履いたままの着た切り生活でした。

夜が明けてベランダから市内を俯瞰して燃え上がる炎と煙を見てこりゃ神戸が震源地だと確信(事実は淡路島の野島断層)。電気は1週間後、水道が20日後、ガスは37日後にやっと開通しました。ジジ宅は電気温水器だったので丁度朝沸き上がった湯水を少しづつ大切に使いました。が思い立って前の小公園の水道へ駆けつけるとまだ少し水が出て当座の飲み水は何とかなりました。

それ以後は破裂した水道管から掬い取ったり、裏山の湧き水を探したり、最後は管理会社がタンクに水を満載して届けてくれるようになり本当に助かりました。ただ集合住宅なのでその水を部屋に運ぶのに助け合って運び大変でした。問題はトイレなどの雑用水。ジジは普段から火事が起きた時にと風呂の水は翌朝まで捨てていなかったのでこれが役立ちました。

食べ物は寒い時期だったので冷蔵庫からベランダに出して調理の必要のないものから食べましたが、何をどう食べたかよく覚えていません。連休後で手持ちのお金がなく怖いもの見たさも兼ねて、唯一開いていた中央郵便局まで10㎞位歩いて出かけましたが、あちこちで火の手が上がっているしガスの匂いもするしで空襲の時を思わず想起しました。

街の中心が壊滅状態で大きなビルがゴロリと横たわっていたりで衝撃的でした。そんな時すごいと思ったのは一軒の小さなお店でオバーさんがシャッターを開けて「一人¥500、好きなだけ持って行って」と。「自分が動かないでもモノが片付く」とのたまう根性に脱帽しました。

9日間風呂に入れなかったので寒空に1時間余並んで地下水と薪で営業してくれた銭湯に入れた時、汚れた超満員のすし詰めの風呂でしたが至福の時を過ごせ一挙に疲れが取れました。新幹線や阪神高速が倒壊したりで、電気がついてからは情報が入り始めて大阪や姫路などに被害はなさそうなので食糧の心配はもうしませんでした。地震と戦争はコリゴリが常套句になったジジでした。

今回の大阪北部地震で被害に遭われた皆様、時間と共に徐々に復興できますがそれまではひたすらの我慢です。どうかご自愛の上お過ごしください。あの時遠くから徒歩で食糧を届けて下さった方、電話で安否を聞くために深夜何時間も並んでくださった方、色んな形で助けて下さった方々に改めてお礼を申し上げます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アメリカ経由ヨーロッパへの... | トップ | NHK鳴門秘帖第10回(最... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑感+時折「旅の思い出ミニ写真展」添付」カテゴリの最新記事