旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

ロシア・北欧4カ国ぐるり周遊の旅⑤ 続ノルウェー

2017-07-30 08:51:44 | 海外旅行

サンクト・ペテルスブルグエルミタージュ美術館“と北欧4カ国ぐるり周遊の旅」(20010705-0717)

7月13日金曜日。モーニングコールを取ってビックリ。第一声が「コケコッコー」と擬似音のみで。どうって事ないか?でも田舎のホテルもやるじゃんと言う感じでした。今日は北欧最深を誇る「ゾグネフィヨルド観光」。ゲイランゲルに比べ大味の感じ。見慣れた所為かな?約1時間のクルーズで対岸の村へ到着。

小さくて何もないけど綺麗なラルダールの街角A

 

小さくて何もないけど綺麗なラルダールの街角B

小さくて何もないけど綺麗なラルダールの街角C

 

ゾグネフィヨルドへ出航

 

ゾグネフィヨルドA

ゾグネフィヨルドB

ゾグネフィヨルドC

ゾグネフィヨルドD

フロム鉄道乗る前にチョット休憩

ココからフロム鉄道に乗り換える

フロムからは21kmを普通列車で850mの標高差を一気に駆け上る。途中で物凄い水量の大滝観光のため列車が途中下車できるよう停止する。何故か滝のど真ん中で赤い衣装の女ダンサーが乱舞していた。びしょぬれで、寒かろうに。ご苦労さま。ついでフォスで列車を降り休憩と買い物。民芸品の木彫りを買った。綺麗な街。

フロムの大滝とダンサー 

フォスの街 屋根に注意して

後は一路、バスでかつてノルウエーの首都でもあったベルゲンへバス、鉄道、バスと乗り継いでいく。この辺りも長いトンネルが出来たおかげであっと言う間に次々村々を越して行けるが、一昔前は峠越えで大変だったらしい。でもその間ナーンにも見えない。宿泊地はマタマタ市郊外のベルゲンエアーポートホテル。このホテルは一級品でお湯もたっぷり出た。しかし回りにナーンにも無いのはオスロと同じ。食事はよかった。

ベルゲンへの道A

ベルゲンへの道B

ベルゲンへの道C 

7月14日。ベルゲン市内観光。かつて首都だったせいか結構見た目オスロより都会的だ。世界遺産の「木造住宅」や魚市場が密集する海岸で2時間の自由行動。久々にノーンビリ歩けて最高。一部の方は買い物で狂っておられました。その後聖マリア教会、展望台を経て、ノルウエーの誇る「ペールギュント」の作曲家「グリーク」の旧居を訪問。

ベルゲン街角A

ベルゲン街角B

ベルゲン街角C

ベルゲン街角D

ベルゲン街角E

ベルゲン街角F

ベルゲン街角G

ベルゲン街角H

ベルゲン街角I

登山電車でベルゲン展望台へ

展望台から見たベルゲン

グリークは身長が152cmしかなかったとか。そう言えば北欧は背の高い白人種が多いと言う先入観があったが、必ずしもそうでなかった。今は音楽ホールや博物館になっている風光明媚なところ。この辺り高級住宅地だがいい物件はやはり「億」単位とか。普通で2-3000万。夕刻オスロ経由で最終地のデンマーク、コペンハーゲンに到着。

グリーク肖像画

 

グリークの旧居

同じ敷地内にあるグリークのお墓

同じ敷地内のミュージックホール

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ロシア・北欧4カ国ぐるり周遊の旅④ ノルウェー

2017-07-26 19:48:19 | 海外旅行

暫く相撲や国内旅行の記事を載せたので中断していた北欧旅行の続きを書きました。

サンクト・ペテルスブルグエルミタージュ美術館“と北欧4カ国ぐるり周遊の旅」(20010705-0717)

7月11日。昨夜からのホテルは「SASラディソン・パーク・ホテル」。いわゆる空港近辺の、海沿いの綺麗なホテルである。おまけにこのホテル旧空港近くとあって、ほんとに周りには何も無い。人もいない。ホテルの格は上のようで、静かで、設備、食事は良く、航空関係者らしき方々が大勢宿泊していました。

オスロのホテル近くの海辺 

そう言えばフランクフルトでもそうだった。夏季繁忙期でホテルの確保が難しいのか、費用軽減策か、どうかは知らないが、今回のホテルは概して、市郊外又は不便な所が多かった。で夜間散策に出る機会は殆ど無かった。勿論3食付き、丸抱え、スケジュール満載のツアーの性格にもよるのだろうが… 

オスロはノルウエーの首都なのですが、特に見るべき所が無いのか、人気が無いとて観光は割愛され、一路1994年冬季オリンピックの開催地「リレ・ハンメル」へ細長い湖沿いにひた走る。雪の無い、オリンピックの済んだスキー場なんて特に見所は無い。ご一行はジャンプ台の上までバスで運ばれ、「歩いて下る」、「リフトで下りる」、「バスで帰る」、「元々上まで行かない」の4手に別れて行動。流石に半数が急な階段を歩かれました。

冬季オリンピック跡地 リレハンメルのジャンプ台 

今回の参加者。84歳の男性を最高齢に、70代が5名、60代が9名、50代が6名、30代前半1名、20代後半が1名。(僕の推定)でも皆さんほんとに元気。特に食欲がすっごい。不味い弁当でもまずぺロリ。中でも70代後半とおぼしき大ケース2個持参の夫婦。一見古風な出で立ちだが、旦那はシベリア抑留経験5年を誇る筋骨逞しいジーサン。小柄で、華奢な奥さんは毎日、衣装、髪飾り、アクセサリー、化粧まで変え、二人とも毎食時必ずビールかワインを… 歩くのも速く、朝も一番にロビーで待機という具合。マアこう言うハードなツアーに参加するぐらいだから、元気は自他ともに認める面々だろうが、後半バテ気味なのは、むしろ買い物好きの50代のオバサン達だった。 

そうこうする内、風景が変わり、いわゆる氷河圏カール状のU字谷の様相を見せ始めた。万年雪、小規模の氷河を頂いた台地状のカール谷が深くえぐられ、夏とて溶けた氷や雪が瀑布となってそこかしこに落ちる様は壮観で、華厳や那智の滝を何倍も大きくしたような滝のオンパレードだった。 

その谷の底にある、バイキング時代に作られた「スターブ式」と呼ばれる木造で、国内に現存する28棟の内の一つとかを、「ロム」に訪ねる。そう言う風に見れば屋根の形がバイキング船の舳先をかたどった様な気もする…

バイキング時代の船の舳先を模した教会 

道路は山岳道路の様相を見せ始め、6月設定のツアーでは残雪でまだ登れなかった、1500m位に位置する「ダレスニッパ展望台」に無事到着。回りの雄大な山岳風景と共に、眼下にコレから行く「ゲイランゲルフィヨルド」を見下ろす風景はマサニパノラマ!この風景気に入ったので、僕のデスクトップの背景を今も飾っています。

ダレスニッパの展望台から見下ろすフィヨルド 

このあたりは未だ冬景色

 

ガードレールも無い七曲りの急坂を下り、静かで綺麗なゲイランゲル地区の宿舎へ。早速回りを軽く散歩するが、滝の音がやかましいくらい。ツアー当初の約束通り「フィヨルドの見える側」の部屋に全員納まり至極ご満悦。

小綺麗なホテルでした

小さく静かなゲイランゲルの町 

7月12日。この辺りの天候は、曇り時々小雨、突然晴れ、で又曇りと言う具合でよく変わります。フィヨルドって一見して湖か川に見えるのですが実は海。内陸部へ100kmも食い込んでいる所もあるけど、やはり海抜0mで海。当然なんだけれど、なんだか不思議。今日は今回の目玉の一つ「ノルウエー最狭のゲイランゲルフィヨルドクルーズ」の始まり。ガイドさんの「はよのらんと、海側のいい席が取れませんよ」の一言で素早く日本人は行動。同様なのは韓国、中国、イタリア系。後はノーンビリ。 

かって氷河が削り取った断崖絶壁の狭間を埋める水面をフェリーボートは結構早く進む。靄がかかったり、滝が現れたり、海鳥が訪問したり、寒いけれど、殆どの時間を甲板で過ごすので、席取り競争の意味は殆ど無い。約二時間のクルーズでヘルシントと言う小さな町へ到着。バスで「ブリクスダール氷河」観光へ。

フィヨルドから見たゲイランゲルの町

フィヨルドクルーズ 

フィヨルドクルーズ

北欧最大と言われる氷河が流れ落ちる所へ、途中まで馬車で登る。この馬、丈夫そうだけど、途中でよく「オナラ」をしました。後は小1時間の歩きで氷河の末端へという手はず。今回も数名は歩かなかったが、例の「元気高齢夫婦」は杖をついてさっさと行かれました。氷河は前に見たアラスカのが雄大だったので、マアソコソコの規模。若者群が登っていきました。

ブリクスダール氷河

よくオナラをした馬車のお馬さん

復路は馬車、バス、フェリーと乗り継ぎ、宿泊地の「ラルダール」へ到着。古めかしいリンドストロームホテルで、日本人が一斉にバスタブに湯を張ると、たちまち断水するような古い設備だが、ピアノバーなんかある趣のあるプチホテル。デモマア何にも無い所だ。せめてと言う事で一軒だけあるスーパーで早速お買い物。僕は牛と山羊の乳から作ったチーズを買ったけれど、とろけそうになってしまった。町は一周しても20分くらいだが、小奇麗な家が多く、花に溢れていて感じがいい。でも冬場は何をしてるんだろう?シーズンは3ヶ月だけだと言う。

クラシックなリンドストロームホテル

ノルウェーの民芸品A

ノルウェーの民芸品B

 

 

 

 

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スバラシイ!宝塚月組公演 [All for One] ダルタニアンと太陽王

2017-07-20 08:45:49 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

はじめに、19日に書いた「博多祇園山笠②」の記事で手違いで写真の一部が削除されていました。直ぐに修正しましたが、先にご覧頂いた皆様にはご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。よろしければもう一度ご覧ください。

観て来ました18日11時月組公演。ほぼ満席だったかな。ジジが初めて宝塚オンラインで購入したチケットは2F3列61番。とても見易く全体がよく見えて気に入りました。今回の公演何よりも歌が良かった。いわゆるミュージカル風な歌唱の指導が良かったのか前回のグランドホテルに比べ全員がほぼ向上した歌唱を聴かせる舞台でした。

宝塚歌劇公式HP参照。

浪漫活劇(アクション・ロマネスク) 『All for One』
~ダルタニアンと太陽王~
脚本・演出/小池 修一郎

世界の古典・デュマの「三銃士」をもとに、新たな発想で描くロマンチック・アクション・ミュージカル。舞台は太陽王と呼ばれたルイ14世が治めるフランス。銃士隊の新入りダルタニアンは王の剣の稽古相手に任命される。しかし王はダンスのレッスンに熱中し、剣術には興味を示さない。ある日ダルタニアンは、ブルボン王家を揺るがす王の秘密を知ってしまう…。

ルイ14世の為に立ち上がるダルタニアンの愛と勇気の冒険を、共に戦う三銃士との友情を交え、壮大なスケールで描き出す浪漫活劇。今なお世界中で愛される「三銃士」が、小池修一郎の脚本・演出によって新たな物語として宝塚歌劇の舞台に登場致します。
 
小池センセ曰く「珠城りょうに単純明快なヒーローを演じさせたかった」と。いやマサニその通り。彼女もそれに応えて見事に演じ切りました。初主演の「グランドホテル」ではオムニバス風な画面構成なので主演と言うには勿体ない使い方でした。今回は一本建てでマサニ主役。ただ余り堂々としていて3銃士達より年配者に見えてしまったように感じた。帽子を被らない時の髪型(かつら?)に一工夫があればね。
 
もう少し若々しく清涼感のある方が、よりダルタニアンらしいかなと思った。でも今回歌唱力が随分良くなったと思う。これは皆に言える事で最近の宝塚はダンスは出来ても歌が今一かなと思っていたので今回見直しました。それと各役に夫々見せ場がありそれに応えて立派に魅せきったのも良かった。ただ第一場の終わり近くで結末が見えてしまうので第二場はバタバタとフィナーレまで流れてしまったのが少し残念でした。
 
特筆ものは今迄娘役として今一つ見せ場が少なかった「愛希れいか」さん。今回は彼女の才能の総てを出し切れる役に巡り合えて輝いていました。ルイ14世として折角バレエを好むと言う設定だから「クラシックバレエ」をソロで見せる場面が欲しかった。タカラヅカお得意の彼女の幻想場面として思い切り踊って欲しかった。彼女も今回歌い切った感じで拍手。グランドホテルで好演した早乙女わかば、海野美月、今回はチョット役不足かな。スペイン王女に訛台詞は少しいただけませんでした。
 
美弥るりかさんと暁千星さん。立ち位置を自覚した好演技でした。特にいつも役より幼い感じがした暁千星さん。今回は等身大の若さを爆発できる役に巡り合え一挙に株を上げましたね。新加入の「月城かなと」さんも黒くって濃いい役を時にはコミックに演じ分けてこれからの立ち位置が期待できます。チョット損したかなと思うのは「宇月颯」さん。真面目な役処なので彼女の持ち味である色濃くってシャープさが出し切れず損した。3人とも歌唱もダンスも良かった。沙央くらまさんも男役さんが女役をするとどうしてもチョット役より年上感が出てしまい損。でも軽快な動きでチャーミング、浚った場面もあり新境地なのかも。月組のベテランさん達も活躍する場面が与えられていたが、やはり専科の一樹千尋さんは見せ方が上手く歌唱力もあるので一段上の感じ。
 
ミュージカルはストーリーが単純明快で、美しいメロディがあふれ、出演者も楽しそうがいいミュージカルだと思っているので今回はバッチリそれでした。どの場面も面白かったが特にバルコニーでのラブシーン。愛希れいかさんは初めて相手役に目を見て貰ってラブシーンを演じられたのではないでしょうか。壁ドンも笑いを取った。後ダンスシーンと言うより擬闘+ダンスの迫力あるシーンを演じきった男役陣に乾杯。フィナーレもとって付けたようなものでなく、ミュージカルの延長線上で作られたのは流石小池センセ。珠城&愛希さんのデュエット最高!。さあ皆さんこれからドンドン進化する予感。観に行ってクダサイネ。
 
 
 
 
珠城りょう

愛希れいか

Main Cast

 

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博多祇園山笠祭②・宗像大社・小倉祇園太鼓

2017-07-19 14:35:33 | 国内旅行+日帰り

 

15日は早朝3時に起きて出発準備。と言うのは櫛田神社を一番流れが出発するのが4時59分。で昨日下見して置いた冷泉公園近くへ行くべしでホテルは3時45分出発。もう結構大勢がゾロゾロと歩いている。まあこの流れについて行けばいいだろうと歩き始めて10分位で、人数はまだ少ないが何となく上手く見られそうな場所発見。地元の方に聞くとココはお祭りに所縁のある清流と言う「承天寺」前だと判明。まあどこでもいいのでしめたとばかりここで1時間余待つことに。

観客らしき人は未だまばらで、警官、地元の方々が簡単なリハをしたり水を撒いたり、TVカメラのテストをしたり状態でした。その内段々人が増え5時前にはもうぎっしりの人並み。ココだけでなく見渡す限り人人人、ビルの窓からも人。5時10分頃遥か彼方の十字路に「一番中州流れ」の先頭が現れ、「承天寺」前で祝い唄を奉納。

やがて舁き手に担がれた山笠山車があっと言う間に迫って来て目の前で半回転し、矢のように駆け去って行く。大歓声が起こり地元の方が水を一斉にかける。次々と現れる山笠が同様に駆け抜ける迫力はすさまじいが疾風のように駆け抜けるので写真を撮るにも上手くいかない。おまけに大勢の人でぎっしりで押し合うから撮った写真は半数がピンボケ。

アッと言う間の30分でしたが兎に角間近で見られてよかった。1時間半余立ちっぱなしで足は棒のよう。直ぐにホテルへ戻りシャワーを浴びて一休み。ナント2名の方、ツアコンさんが「疲れるから部屋のTVで見た方が良いかも」と言われたのをそのまま実行されたとか。でもリアルとメディアではやはり臨場感が違うと思う。

承天寺前

まだ明けやらぬ承天寺前

承天寺の提灯に灯が入りイヨイヨ!

ソレッ山笠がやってきた!

千代流れだよっ

恵比寿流れ

土井流れ

大黒流れの先触れ

大黒流れ

ソレソレ わっしょい ワッショイ!

水をかける方もかけられる方もタイヘン

東流れ 

アア 行っちゃった

 

ご参考記事

博多祇園山笠の本番、クライマックスです。最終日未明、続々と7つの山笠が櫛田神社前に集合し、1番山が大太鼓の合図とともに櫛田入りをします。清道(旗)を廻ったところで7つの山笠を代表して「祝い唄」をうたい、夜明けの博多市街へ駆け出して行きます。以後、5分間隔で残りの6つの山笠が次々とスタート。全長5kmのコースをいかに速く舁き廻すか、タイムを競い合います。タイムは櫛田入りするまでの時間と、全コース5kmの走破タイムに分けて計測。どちらも1分1秒を争う熾烈な戦いです。

第2のおすすめポイントは承天寺前。ここにも清道があるので勢い良く廻る舁山の勇姿を見物することができます。 

この場所は道幅が非常に狭いので、山笠と接触する恐れがあるので注意を要します。 

逆に言えば間近で見られるので迫力があるとも言えますね。勢い水でずぶ濡れになる可能性が大きいので、濡れる覚悟をして見物して下さい

 

朝食後休憩し9,45分にツイ先日世界文化遺産に指定された「宗像大社」が偶然コースに組み込まれていたので移動。この日御神体の「沖ノ島」への一般者立ち入り禁止が発表された。

その謂れを聞かなければ、又世界文化遺産にならなければ正直いって片田舎の一神社と言う感じ。心なしか土曜のせいもあって参拝者が多いような気がしたのは世界遺産登録のご利益かも。最後は「博多山笠」と同時にユネスコの無形遺産に登録された「小倉祇園太鼓」の観覧。

宗像大社A

宗像大社B

宗像大社C

宗像大社D

宗像大社E

16時開始なので炎天下の桟敷で見るのは辛いと思っていたら運よく?黒雲が出てパらりと来た。まあ結構大勢の来賓さんのご挨拶などあって行列開始。正直いって「太鼓叩き」が主役で、叩く人も山車を動かす人も少人数で子供、中供が主体。太鼓のリズムもほぼ同様。山車も小さく先に「博多」を見た目には何んでこれが無形資産?と思ってしまう。

延々とコンテスト形式で「連」が続くので16時40分に中途退席して小倉城をチラッと見て駐車場から小倉駅へまっしぐら。最後の駅で1名が行くへ知れずになるハプニングがあったが何とか発見。熱中症に罹る人も出ず予定時刻通りに帰ってきました。それにしても猛暑日が続く昨今真夏のお出ましは老いの身には堪えます。多分これが最後。でも楽しく満足。

小倉祇園太鼓A

小倉祇園太鼓B

小倉祇園太鼓C

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福岡市 博多祇園山笠祭デース

2017-07-17 09:35:18 | 国内旅行+日帰り

7月14日、バス・電車・新幹線と冷房の効いた乗り物からはじき出されて着いたのが炎熱地獄の「博多駅」13時10分。お目当ては「ユネスコの無形文化遺産登録(昨年12月)後初めての博多祇園山笠祭。福岡県南部の豪雨災害で開催が危ぶまれたが空襲の時以外は一度も休止は無いとの歴史があるとかで開催。

一旦ホテルへ入り夕方リハーサルが何か所かであるようなのでそれを見がてら夕涼みとの予定だったが、各山小屋に飾られた「飾り山笠」も見たい。と思い直し先ず15日当日は桟敷席も完売と言う「櫛田神社」を見ておきたいと思って駅前から歩き始めました。イヤー暑いとしか言いようがない。うろ覚えの地図の記憶を頼りに歩き始めたがどうやら一筋間違ったみたいで中々見当たらない。

大勢がワンさと集まるから判るかなと高をくくっていたが、しびれを切らせて地元の方らしい人に聞いたら、ナントそこからはもうすぐソコ。聞いてはいたが小さいお社で境内一杯に桟敷席が組み立てれれておりお社はその陰で小さめにひっそり。TVの画像では映像テクを駆使して映すから広い所を勇壮に引き回す情景が刷り込まれていたがこんな狭い所でどうやって実際はするのだろうと興味はあるが、とても早朝から満員の神社周辺では見られそうもないのでそれは諦める。

直ぐそばの広めの冷泉公園ではどうかと下見に水を飲み飲み歩き始めたが人出も殆ど無い。何しろ暑くって熱中症にでもなれば大変と木陰を探しつつゆっくりと土居通りを移動。日陰の多そうな通りを探したら一度見ておきたかった「博多座」通りが見つかり迷わず直進し明治通りに到着、博多座の外観も見た。同時に地下鉄の「中洲川端駅」も見つけた。

地下鉄の一日パスを貰ったので、16時のリハーサルまで時間があるので思い立って、涼しい地下鉄で移動して「筥崎宮」へお参りしようと決心。結局「筥崎宮前駅」には涼む間もなく着き、炎天下の参道を進み無事祈願。社殿前の門には八幡宮のはずが大きな額が掲げられて、そこには「敵国降伏」の金文字が。なんでだろう―?

地下鉄で再び「中洲川端」へ戻り13番山笠「博多リバレイン」の飾り山をまず見る。中々立派な「湊川合戦」の絵図などちりばめられたデッカイ飾り山でした。ちなみに飾り山も曳き山車も毎年各流れでテーマからデザインまで決めて作成し伝統的なものから現代世相を模したのまで多彩に作られるとか。でも終わればアッサリと解体されるのはねぶたと同じ。

760余年の伝統を誇る「博多祇園山笠」は、福岡市博多区のおもに博多部(那珂川と御笠川間の区域)で7月に行われる祭で、博多の総鎮守・櫛田神社にまつられる素戔嗚尊(祗園宮)に対して奉納される神事であり、国の重要無形民俗文化財でもあります。

山笠の起源

 
普段の櫛田神社(WEBより)

博多祇園山笠の起源は諸説ありますが、一番有力とされているのが、鎌倉時代、仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一国師(円爾)が町民が担いた施餓鬼棚にのって、祈祷水を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈願してまわったことを発祥とするという説です。

古書にもいくつか承天寺と山笠との関連性を立証する記述が見られ、清道を設けて山笠を奉納するのは、その時のお礼参りなのだと言われています。他にも、この説には、現在の山笠との類似点が多く見られ、山台と施餓鬼ととがよく似ていること、車輪のついた山車ではなく、車輪なしの台をかつぎあげて走り回るスタイルであること、”祈祷水”が”勢い水”に転じたのではないかと考えられることなどがあります。(引用あり)

16時の一番山笠リハーサル時間が近づいたので商店街の片面にアニメ柄、もう一方は「女城主直虎」にちなんだ飾り山を見て「中州流」の山小屋に辿り着くとそこにも飾り山が。中州流れの今年のテーマは「一喝百雷如」。まだそう大勢の人が集まっていないが参加する各町内の老若男女がふんどし姿で次々集合。祝い唄を歌うメンバーが到着すると16時きっかりに太鼓の合図であっと言う間に見ている方と反対に走り出る。どうやら待機場所を間違ったみたい。

で係の人に聞き川のそばの道路へ回るらしいのでそこへ移動し待機。リーダーを先頭に大声で掛け声をかけつつ、沿道からも声援や水掛けが本番を模して行われ、明日はどうなるのか凡その察しがついた。ただ明日はおそらく殺気立つような雰囲気であろうがリハにそれを望むのは無理。これで満足したのでコーヒーショップで少し休憩しホテルへ戻りシャワーしてスッキリ。15日朝は3時起きなので夜は出掛けず9時には就寝しました。この日の歩数は10240歩。

14日の櫛田神社山門(横の垂れ幕内が桟敷席)

筥崎宮

筥崎宮海の門

博多座

13番飾り山笠「博多リバレイン飾り山」

13番の部分で湊川合戦図

商店街の飾り山笠「女城主直虎」

中州流れの会場

ソレッ 来たよ!

祭りだ!祭りだあ!!

おりゃっ!

これでもか!一番山笠「中州流れ」舁き山笠 この迫力見て!

15日へ続く

(ご参考)

 一喝百雷如(いっかつひゃくらいのごとし)
                

人形師

溝口 堂央


内容説明
中国禅宗の初祖として尊仰されている菩提達磨がインドから初めて中国の地を踏んだ時、師の名声を聞き及んだ梁の武帝が面会を切望した。武帝は多くの寺院を建立し沢山の僧侶を庇護していた。
武帝は会うとこのことを話し『私にはどれほどの功徳があるのだろうか?』といかにも鼻高々に問うた。その問答が『亭問うて曰く朕即位して巳来。寺を造り経を写し僧を度すこと、あげて記す可からず。(数えきれないほど)何の功徳有や』『師曰く無功徳と百雷の如く一喝した。そして武帝の心を喝破氏し戒めたのである。
この人形は私の先代の師匠である、中村衍涯氏の代表作である。『喝』を舁山笠人形として製作致しました。
 

 

 

 

 

 

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