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日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

安眠

2009年12月09日 | Weblog
 心の蟠りや不安や心配事など無ければ,睡眠は良くとれるものなのである。年齢に応じて高齢になれば,睡眠時間は少なくて済むことが知られている。それ以上に精神的な要因が少なければ少ない程良く寝めることも、経験上からも言えることである。安らかな心であれば、安眠できるというものである。昨夜はメイをお風呂に入れてシャンプをしたり、年賀状も書き終えたり,お歳暮の礼状迄も全部終えて、全て綺麗さっぱりした落ち着いた気持ちで寝んだせいか、今朝迄ぐっすり安眠できたという訳である。熟眠と言っても良い程の睡眠だった。写真はバス乗り継ぎの渋谷駅である。

68年前の昭和16年12月8日!

2009年12月08日 | Weblog
 68年前の今日12月8日は、日本が米英に対して宣戦布告した大東亜戦争開戦日である。様々な感慨が錯綜して筋道を建てて、一概に言葉を整理し時代背景を正しく捉えて、述べることは大変難しい。午前6時ラジオで大本営発表があって、驚きと共に愈々戦争だ!という感慨が一瞬寒い朝の空気を、一段と寒く吹き抜けたような気がした。中学3年生の時であった。今朝から夕方迄TVや新聞に一切その記事は報道されず,やっと夕刊のコラム欄に小さく載っているだけであった。時は移り時代は変わり、歴史はどのように、この戦争の様相や事実を、後世に伝えるのであろうか? 嗚呼! 感慨無量である。
 朝はメイと散歩して公園での毬投げの運動を数回行って晴れた寒空が凛としてむしろ爽やかであった。小春日和の穏やかな日中の天候であった。午睡のあと夕傾は早めに散歩に出発、メイの足の向くままに散歩のコースを選んだ。何と三軒茶屋の繁華街を通り抜けていつもの緑道の上流に出て其所から帰ってきた。凡そ1時間の長い行程となった。帰って植木の剪定と水やりを終えて午後5時過ぎであった。二人でついぞ疲れたね!という言葉が異口同音に出たというわけである。夜は23日振りにメイのシャンプを行なう。

ここ1~2日、梵鐘の音が変った!

2009年12月07日 | Weblog
 初冬の朝6時、何時もと違う鐘の音がここ2日ばかり続いた。観音寺の住職さんがお経を唱えながら、鐘楼で鐘の下を廻りつつ、何時もなら、約1分間隔で6つの鐘の音が響いていた。ところが昨日も今日も、鐘の音の前20分頃の勤行も無く、打ち鳴らす鐘の音の間隔が大分短く、約35秒の早撃ちでである。約2分足らずで全部終わってしまい、鐘の響きも後に曳かないうようだ。お年寄りの住職さんが、何かの都合で若い住職さんと交代したのかと思う。病気でなければ良いがと願っている。厳かに朝の静寂を破って響き渡る梵鐘の音、本当に良いもので、元気な一日のスタートになる。

能の鑑賞と「坂の上の雲」と陸士・海兵

2009年12月06日 | Weblog
 家内共々同姓同名のお能の先生の招待で、今日は午后から目黒にある喜多六平太記念能楽堂へ家内と一緒に出掛け見学してきた。流石幽玄の別の世界に、約3時間ばかり浸り、充分「お能」というものを鑑賞し、右脳へのインプットをした積りだ。明日からの自意識や活動空間や行動が少しは変化が有るのだろうか!など、帰宅して夕食後の一時、そんなことをも考えていた。何しろ夫婦共に同姓同名なので珍しく、何かのご縁や幸運の繋がりなのであろうかとも、考えている。
 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の2回目のTV放映が今日日曜日午後8時からあった。何しろい1時間半の長い放映であるが、私にとり、とりわけ興味深い内容なので熱心に見てしまった。戦時中、自分が在学していた陸軍士官学校、そして友人の海軍兵学校を想起し、我がことと重ねて身近に感じつつ、興味深く鑑賞してしまった。
 暖かい冬の今朝、メイが自由に行くまま歩くままの散歩を試みた。充分あちこち従来と違う道を往来して、3,271歩をゆっくりと散歩した。3人?共に体調は良好、気分は爽快であった。
  夜分、同門の弟子から嬉しいニュースが届いた。全てが追い風で、これから良い方向へ進むよう願っている次第だ!

泰然自若、雨のち晴!

2009年12月05日 | Weblog
 最近些事に拘泥することがあったが、よく考えてみると、既に5年前に叙勲のお祝いも終わり、この世で生を享けて78年、全てが区切り終えたわけで、俗事に関わりを持たない方が良いと決めていた。図らずも関わりを持たざるを得ない教員人事、中々大変で思う様にならないものである。奇妙な力学がが働いていたり、真っ当で常識的な当然正常な手続きを行えば,自然に事柄が進捗する筈であり、そのことを切に望んでいる次第だ。既に本来泰然自若こそが吾が行くべき道であり、その姿勢が私の日常であるべきである。
 新宿での耳鼻科同門会に出席のため夕方家を出た.折柄から雨脚が急に強くなって会場にに着くまでに、ズボンの裾がびしょ濡れとなってしまった。会議も楽しく心置きなく歓談もあれやこれやと続き、今宵の会に出席して良かったと思う。幸い会が閉じて午後9時、道路に出た時には雨もすっかり上がり、雲間に月が顔を出しているような好天気となっていた。爽やかだった。

外苑の銀杏が綺麗に黄葉して

2009年12月04日 | Weblog
 昨夜の一日中の長雨が止んで今朝は晴天となった。早速メイを連れて何時もの公園へ散歩し、ハンナちゃん、モモちゃん達とボール投げなどで、戯れながら相当量の運動を行った。メイはよその人(モモ、ハンナちゃんのお母さん方)のボール投げには、良く反応して、往復してボールを銜えて良く走る。ハンナちゃんはフリスビーが得意だ!
 登学の際バスから外苑前の銀杏並木の、あまりの素晴らしい黄葉に見惚れてシャッターを切ったのだが。それがこの一枚である。雨上がりでもう落葉してしまったかと気掛かりだったが、まあまあだ。外苑前通りの公園交番横の銀杏の黄葉はまだ美しかった。

“儲けもの”の今日一日

2009年12月03日 | Weblog
 朝食を早めに摂り「今日は早めに帰る」と家内に宣言!すると家内が「早く帰って何をするの」と?怪訝な質問。「昨夕は帰宅が遅かったから!」というやりとりの問答。“自分自身未だ気が付かないで登学の気分で”、鞄の中味の持ち物の用意は何と何を、などと考えていた。「今日は木曜日でしょう!」と言う家内の言葉で、ハッと気が付き、新聞を見て木曜日を確認した次第だ。「今日一日儲けた」と、思わず二度三度叫んでしまった! 惚けが相当進んでしまったのかな? と冗談混じりに話し合ったのが、今朝の一齣である。   
 さぁ~今日1日で、年賀状を全部仕上げて仕舞おうと考え、実行したことは言うまでもない。窓の外は冷たい雨がしとしとと降っており、これから本降りになると言う予報だ。メイの朝の行事は済んでいて、いまメイは自分のホームに丸くなって寝ている。静かな一日の始まりであるようだが。お昼過ぎ午後2時頃から、何やかや家内におねだりをして駄々を捏ねるそうである。
 終日雨の一日、年賀状書きの仕事が捗る。今日一日で、昨日作った家内用の21枚の年賀状を含め、295枚のプリントを完了して、ホッとしている。時間は午前0時を廻っていた。 

 

師走の空

2009年12月01日 | Weblog
 今日から師走だ!何となく空や雲の佇まいが、矢張り年末かなと思われる雲行きである。年賀状の絵柄を全部プリントして、今日は家内の友人親戚の20枚を仕上げた。後は一般の300枚余の宛名のプリントだけである。お歳暮も20枚ばかり返礼を書き上げポストに投函した。清々しい気分である。偶々今日、別の大学に勤務している40余年前の教え子から、分厚い封筒を貰った。自分史を回顧し私に対して、感謝の言葉が述べられていてた。淋しさもあり、有り難くもあるが、定年前の早期退職である。新たな職場も確保でき、そちらに新しい意気込みで着任する予定と書いてある。淋しい一面、心から喜びの意を表し、再出発の元気を鼓舞して上げたいと思う。これも大変嬉しい話しだ。
 家の周りの枯れ落ち葉を、綺麗に手作業で拾って片付けさっぱりした。セメント塀の土台の一カ所に穴が開いていて、これがネズミの出入り口かと思って、早速セメントで閉鎖した。身の回り、家の周りがすっきり整理できて、とてもいい気持だ!
 メイは宅急便屋さんに吠え付くので、このお歳暮の時期にはとてもうるさい。あと半月ばかりの辛抱である。ジャック特有の防衛本能なので、啼き声を止める方策は無いらしい。もう一ヶ月で今年も終わりだ!。今年はパットしなかったが、来年こそは自分の干支の“虎年”なので、大いに健康第一で頑張ろうと思う。師走の初日、良い日を過ごすことが出来て、家族や関係者に感謝したい。