今日の中国の国家衛生健康委員会の発表で、更にコロナウイルス感染者が医療従事者で6人の死亡者が発生し、今まで1716人の医療従事者のが感染が発表された。恐ろしい数字であるが、これが今日現在の現実なのである。との報告である。
生活や家事のあれこれを終えて、メイとの遊び時間を終えても、メイはもっと玩具で遊ぼうと迫って来る。タイミングを見晴るかして肩をつついてくるので、遊び友達というには相応の時間と工夫が必要である。ある程度遊んでパソコンに向かって仕舞えば、それ以降は追い付いて来ない。だがその長い時間の見極めが判断の資料なのである。この辺りが大変難しい。動物心理は中々にそれを読み解くには容易ではない。昔は風物詩を描き、記録に止めて独りその詩情を味わった時間を大事にしたものだが、このところそのような余裕と時間の持ち合わせが得られない。寂しい感じこそすれ!である。
一向に前向きな記事た事故や変動が出て来ないだけでなく、生活に自説のアクセントが一向について来ない。此れ紅梅や白梅の清々しさも、もう終わりになって仕舞う。記事内容が大事な事故は事故と指摘rく保存すべきは極めて大事ながら、其れとは別に人の生活を支える生き様と意気込みが出て来ないと、つまらない人生になってしまう。此処一か月ばかりの封土や新聞記事等、本当に詰らない中味の羅列である。このブログも18年関連zくして㏍術してきた中味が、今回のだいきっ病相感染で潰えてしまった。全くつまらない結末を迎えそうで残念至極である。その時代の風潮が人の気持ちをなぎ倒して仕舞いそうで淋しい。自然と共にともにを叙した国木田独歩を想い出しながら、その作風と共に、当時の時代背景を想起しながらブログを綴る事は、こよなく楽しい一時である。