非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その8・だって

2011-05-31 18:51:43 | 日記
東日本大震災 曾野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。

今日もよろしく・・・・

曽野綾子氏の読売新聞の「識者」インタビュー「国家に頼らず自ら行動を」

の後段部分「今の子供たちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。

子供にも耐える体験をさせることが大切だ」から始まる「教育論」

これは曽野氏が平成12年3月に「教育改革国民会議」の委員として政

府から招聘され論議に参画してのものであろう。同会議の委員26名は曽

野綾子氏の他にノーベル賞受賞者で芝工大学長の江崎玲於奈氏、劇団

四季の浅利慶太氏、ウシオ電機の会長、ジャーナリストの大矢映子氏、

柔道家の山下さんらが名を連ねている。この会議がまとめた「教育を変

える17の提案」は発表されて今年で11年目を迎えるので、それなりの成

果は挙がっているはずだし、そう信じたい。

まず「17の提案」は今日の教育の荒廃の原因についてこう述べている。

子どもはひ弱で欲望を抑えられず、子どもを育てるべき大人
自身が、しっかりと地に足をつけて人生を見ることなく、利己的な価値
観や単純な正義感に陥り、時には虚構と現実を区別できなくなっている。
また、自分自身で考え創造する力、自分から率先する自発性と勇気、苦
しみに耐える力他人への思いやり、必要に応じて自制心を発揮する意思
を失っている。また、人間社会に希望を持ちつつ、社会や人間には良い
面と悪い面が同居するという事実を踏まえて、それぞれが状況を判断し
適切に行動するというバランス感覚を失っている


教育の荒廃の一因を個人に求め、もう一方で教育システムに求

めている


世界規模で社会の構成と様相が大きく変化し、既存の組織や秩序体制
では対応できない複雑さが出現している。個々の人間の持つ可能性が増
大するとともに、人の弱さや利己心が増大され、人間社会の脆弱性もま
た増幅されようとしている。従来の教育システムは、このような時代の
流れに取り残されつつある。
校長や教職員、教育行政機関の職員など関係者の意識の中で、戦前の
中央集権的な教育行政の伝統が払拭されていない面がある。関係者間
のもたれ合いと責任逃れの体質が残存する。また、これまで、教育の世
界にイデオロギーの対立が持ち込まれ、教育者としての誇りを自らおと
しめる言動がみられた。力を合わせて教育に取り組むべき教育行政機関
と教員との間の不幸な対立が長らく続き、そのことで教育に対する国民
の信頼を大きく損なってきた


不思議に思うのは、これだけの錚々たるメンバーが揃っていながら「教

育の荒廃」の原因についてこの程度の言及しかなされていないことだ。

昭和40年代の中頃だったか「カギッ子」ということが社会問題になって

騒がれたことがあった。政府も取り上げて対策を講じたはずなので「国

民会議」のメンバーが知らぬはずはない。議論の過程が詳らかになって

いないため、その話が出たのかどうか知る由もないが、この「カギッ子」

という社会問題の原因を究明せずに「教育の荒廃」を語ることは余りに

も片手落ちだ。「カギッ子」のそもそもの原因は「高度成長政策」に

よって生み出された「新たな貧困」池田内閣が「所得倍増計画」を掲げ

たものの、そのことによって起こりうるひずみには考えが及ばなかった

ということだ。国民に対するセーフティネットを構築することなく高度

成長政策を進め、企業や海外投融資には湯水のごとく財政出動して国民

の生活を省みなかったため生じたのが「カギッ子」。国民は「所得倍増

計画」の掛け声のもと豊かさを求めてカラーテレビ、クーラー、自動車

の「三種の神器」を買いあさるあまり共働きなどで家を留守にして「カ

ギッ子」を作り出した。「カギッ子」の実態調査で「○生活に困らない

が、さらに収入がほしい・・49.2%、○生活に困っている・・28.4%」

という「カギッ子」の家庭の事情が明らかになった。貧困は教育格差

と直結しているのにわが国の子供に対する公財政支出はOECD加盟30

ヵ国で下から数えたほうが早く、お隣の韓国よりずっと下というお粗末

さだ。政府は子供たちへの支出を惜しんできたと言っても過言では

ない。また貧困率(相対的貧困率)では日本はOECD加盟国で上から4

番目か5番目に位置しており経済格差はますます広がっている。昨年4

月米国ニューヨークタイムズ紙が「貧困層が拡大する日本、発展した社

会の裏側」と題して報じたとされる記事は衝撃的だ。
長年にわたって経済が低迷している日本はすでに平等に裕福な国
ではなくなり、貧困層が拡大している。・・・日本政府は1998年以来、
貧困層に関する統計データを隠ぺいし、貧困問題の存在を否定していた
・・・政権を獲得した民主党が貧困問題に関するデータを開示するよう
強制した。・・・多くの日本人はかつて、日本人はみなが中産階級に属
すると信じていた・・・1990年代にバブルが崩壊して以来、日本人の収
入は増加するどころか減少している・・・日本は子どもの7分の1が貧困
の中で生活しており、子ども手当や高校無償化はこれが原因であると指
摘したほか、学習や進学には高額な費用が必要であり、貧困層に属する
子どもたちは競争力を獲得する機会を失い、親の世代と同じ生活を繰り
返す悪循環に陥っている
」とした。

このような貧困問題を真正面から取り組まないこの教育改革は中産階級

以上の階層にしか恩恵を与えないのではないのだろうか。真の改革がで

きるか疑わしい。それなのに「国民会議」はなぜこのことに言及さえし

ないのだろう?

それはおそらく各委員の出自によることが大きいと思われる。

例えば曽野綾子氏は75年前に幼稚園に通っている。相当裕福な家

庭でなければ当時幼稚園などへは通えなかったはずだ。裕福な家庭環境

の中で教育を受け勉学に励み大学に進学しては小説を読みふけって小説

を書き芥川賞の候補になって才能を開花させた。もし家庭が貧乏だった

らどうなったであろう。中学を出、あるいは高校を卒業したら就職して

夜間の大学へ行きながら小説を書き続けて、果して大学を卒業してすぐ

に芥川賞の候補になれたであろうか?もちろん苦学の末に作家になった人

たちがいることは知っているが、曽野綾子氏の場合それが出来たとは思

えない。他の委員も東大、京大、早稲田、慶応とすばらしい大学や大

学院を出た優れた人たちばかりだ。

その人たちが「貧困」を問題にしなかったところをみると皆、裕福な

家庭で育ったものと思われる。

従って、折角の英知を集めたこの「17の提案」は教育改革論をとおり

一遍のものにしてしまったように思われてならない。

例えば「2.人間性豊かな日本人を育成する
◎教育の原点は家庭であることを自覚する
教育という川の流れの、最初の水源の清冽な一滴となり得るのは、家庭
教育である。子どものしつけは親の責任と楽しみであり、小学校入学ま
での幼児期に必要な生活の基礎訓練を終えて社会に出すのが家庭の任
務である。家庭は厳しいしつけの場であり、同時に、会話と笑いのある
「心の庭」である。あらゆる教育は「模倣」から始まる。親の言動を子
どもは善悪の区別なく無意識的に模倣することを忘れてはならない。親
が人生最初の教師であることを自覚すべきである


このように詩的に表現されたこの部分の理念はごもっともと言う他ない

が、しかし、提言となると少し疑問符がつく。

提言 (1)親が信念を持って家庭ごとに、例えば「しつけ
3原則」と呼べるものをつくる。親は、できるだけ子どもと一緒に過ご
す時間を増やす(2)親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に
参加する。企業も年次有給休暇とは別に、教育休暇制度を導入する。
(3)国及び地方公共団体は・・・親に対する子育ての講座やカウンセリ
ングの機会を積極的に設けるなど家庭教育支援のための機能を充実する


まず現在、子育て中の親達の大半は高度経済成長期以後に生まれ育っ

た人達。欲望耐性を持たず自由奔放に育った人達がわが子をどのように

育てることができるのだろうか。近年、幼児の虐待が増え続けているこ

とが、その一端を窺わせている。従って子供たちを教育する前に親の問

題が大きな課題の一つとして横たわっている。欲望耐性のない親達をど

う教育し支援するかという問題は実に悩ましい課題として残る。「親に対

する子育ての講座やカウンセリング
」する側がそのことを如何に

認識して臨むかということが問われることになろう。

(2)の「親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加す

る・・・教育休暇制度を導入する
」と謳っていても中小零細企

業に勤めている親たちの大半は参加することも簡単ではあるまい。まし

教育休暇制度などは公共団体や一定程度以上の企業でなけ

れば導入できないのではないか。

◎学校は道徳を教えることをためらわないの提言の(2)・・・「特に幼児期
においては、言葉の教育を重視する
」。
これは先の石原都知事の言う「刷り込み教育」と同じと思われるが、そ

れだけでは学級崩壊を防ぐことは困難だ。

これでは学級崩壊のそもそもの原因を把握していないことになる。家庭

において言葉の教育ができていないということだけでは片付けられない。

刷り込み教育とあわせて欲望耐性を育成することが喫緊の課題だ。

欲望耐性は机に向かっての一定時間の忍耐をも可能にし、そこから集中

力も芽生えてくるはず。

◎奉仕活動を全員が行うようにする
提言(3)将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農
作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討す
る。学校、大学、企業、地域団体などが協力してその実現のために、速
やかに社会的な仕組みをつくる


この部分は曽野綾子氏のインタビューの「18歳になった若者に1年間、サ

バイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた
」と符合するこ

とから氏の主張が採用された部分であろう。しかし、18歳と言う年齢は

大学進学を控えた高校3年生も一部含んだりするので、現実的な提案で

はあるまい。まして18歳というのは参政権引き下げの議論が盛んに行わ

れている最中で世界の162カ国が18歳以上を大人と定めサミット参加国

では20歳以上を大人としているのは日本だけである。もし参政権引き下

げが決定すれば「大人」に1年間のサバイバルと奉仕を義務付けることに

なる。正に荒唐無稽の提案だ。就学前の幼児期に徹底した欲望耐性

の教育と小学生から高校2年生までに授業や課外授業で奉仕活動等を行

なっていれば、ある程度の社会性と忍耐力を身につけることができるは

ずだ。

曽野綾子氏に申し上げたい。国家観がないからこの程度の幼稚な教

育論しか展開できないのに、国民に「甘やかされた生活」などとどう

して言えるのでしょうか?
 だそうです


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新築中古不動産仲介 「お客様の声」という集客方法にNO !!

2011-05-23 10:50:18 | 日記
お客様の声・・・とても大切ですが・・・・。

現在のホームページが3年になるので、そろそろ新しくしたほうが

いいのかななどと夫と話している時に、あるホームページ制作会社からア

プローチがあって、コンサルタントの人に来てもらったのですが、最初に

SEO対策やら何やら、いろいろと私どもの会社のホームページを分析した

データを見せてくれました。

その中で、最大の欠陥は「お客様の声」という欄がないことだと厳しく

指摘されたんですが、夫は「新築物件だけを扱う会社だったらまだしも、

うちは中古物件も扱うのですよ。」

「それがどうかしましたか?」

「中古で『お客様の声』に載せても良いですよって人、いないでしょう」

「そんなことはありません。もし、そのお客様が気になさるようでしたら

その場合は苗字だけとか写真載せないとか・・・・」

「それだったらお客様に原稿依頼する意味ないじゃないですか。デッチ

上げても分からないんだから・・・・」

「そういうことでしたら新築を購入のお客様に限ってはどうですか?」

「それだったら不平等でしょう?」

「言っておられる意味がよく分りませんが・・・・」

「うちは仲介業者として新築も中古も扱っているので新築のお客様の

声だけを取り上げるのは公平を欠くということですよ」

「申し訳ないんですが、ホームページは何のために開いているんですか?

ホームページはWEB上のお店ですよね。集客するためにお店を開いて

おられるわけですから・・・」

「・・・・・・・」夫はそれでも納得できない様子。


確かに「お客様の声」というのが集客方法の1つとして、いろいろな業界で

注目を浴びています。

もちろん不動産・建設業界でも、この「お客様の声」で集客の効果を上げ、

相応の成果を収めている業者は、かなりいるかと思います。その中には

新築物件だけではなく中古物件も扱う不動産仲介業者も、数多くいます。

彼らの「お客様の声」を見てみると、掲載されているお客様のすべてが

新築を購入された方々の写真付きの記事。中古物件を購入した「お客様

の声」はありません。

誰しも可能であれば新築物件を購入したいはずですが、お客様のご予算、

年収、年齢、自己資金の量によって購入物件が限られてしまいます。

たとえば1000万円位の中古物件を住宅ローンを使って、やっとの思いで

購入された方は、たとえ仲介業者に感謝はしても、その会社の「お客様

の声」に写真付きの記事を、いや写真付きでなくても記事の掲載を希望

されるでしょうか?中古物件に限ってお客様の写真がなく「上尾市○○

様」や「上尾市A様」や匿名では「お客様の声」の信憑性がなくなり、

でっち上げと受け取られてしまい本来の「お客様の声」の集客効果は

期待できません。

このように不動産仲介業者が展開する「お客様の声」なるものは、

新築購入のお客様にのみスポットライトを当てるあまり、中古物件を

購入するお客様を片隅に追いやるというやり方で、極めて公平さを

欠いたものです。

弊社は過日、ホームページ制作会社のコンサルタントから弊社ホーム

ページの欠陥の一つとして、この「お客さまの声」がないことを

指摘されました。

それに対し前述のとおり夫は公平さを欠くものと反論しましたが、

そのコンサルタントには「ホームページは集客のためのWEB上のお店な

のでそんなことに拘るのはナンセンス」と一蹴されたのです。

意識の置き所が違うので意見は平行線のまま次回の打ち合わせと

なりました。

私達は会社を維持し発展させるために頑張ってはいますが、その一方で

お金儲けのために何か大切なものを忘れてはいないのだろうか

と、つくづくと考えます。


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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その7・だって

2011-05-21 19:30:44 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末5
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末4
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末3
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。


ほどほどにしたらと言っても、こういう人を放ってはおけないと

今日も曽野綾子氏批判です。


曽野綾子氏は、ご自分を、この国のリーダーの一人だと錯覚しているの

ではないか。そのリーダー然とした言葉がどうしてこうも人の気持ちを

逆撫でするのだろうか?

国がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。めいめいが自分で考え

行動する癖を身に着けることだ
」よけいなお世話だ。どこを見て言って

いるのかと言いたい。ニュースを見る限り震災の翌日には被災者の方は

行方のわからない身内の人を探し回り、生活の建て直しの手立てを探し

に懸命に動いている。一方、支援の動きは迅速だった。ボランティアの

人たちが陸続と被災地に向かった。同胞を小馬鹿にした物言いは止めて

欲しい。「被災地の支援も国家に頼るのではなく『痛い』と感じるくらい自ら

お金をだすことだ
」痛いと感じるくらいなどと余計なことを言い過ぎる。

こういうことを言う以上は、ご自分は私財を投げ打って被災地

の支援をなさっておられるのでしょうね。


こういうことを言う以上はご自分の義

捐金の額を公表したらいいじゃ

ないですか。


それだけで十分に説得力があります。

孫正義氏が100億円、ユニクロの社長が10億円等々事業家が、石川遼選

手をはじめスポーツマンたちが、各界のさまざまな人たちが義捐金に

よる支援を表明した。

あなたが公表しないところを見ると、ご自分は言うだけ言って高みの見物を

決め込んでいるのではないのですか?出せば「被災者を甘えかす」ことにな

るから・・・
と。

「(お金を)出さない人がいてもいい。だが、そうした人は人権だ、権利だと

いわないことだ


支援のためにお金を出さない人は「権利」も主張するななどと、どうい

うことですか?これは明らかに人権抑圧ともとれる発言

世間にはお金を出したくても出せない人も大勢いる。しかも被災地への

支援はお金だけではない。励ましの声も、手紙も、メールも、歌も、そ

して被災地の物を購入することだって尊い支援なのだ。

ネットを見ると更に聞くに堪えないことを発言している。

「WILL」とかいう月刊誌の6月号で渡部昇一という評論家との「美人対

談」だそうで、「不幸からの贈り物が日本人を鍛える」と題して言いた

い放題。まず曽野氏は今回の福島原発の事故の「責任は東電ではなく

設計側にあります。
」あーこんなことを「識者」が言うなんて・・・。

読売新聞のインタビューでの「東京電力の失敗はあったかもしれな

い。しかし、犯人探しをしても仕方がないことだ
」という発言の根拠が

指摘したとおり東京電力擁護が背景にあったということだ。

臆面もなく言うあたりはすごいと思うが別の言葉で言えば厚顔無恥とい

うこと。ダムか水力発電の現場の取材をした経験がありながら、この程

度の幼稚な見識しか持ちえていないのは「有識者」としているマスメデ

ィアはじめ日本国の恥だ。

原子炉と言うのは東電が設計を依頼する場合もあるだろうし、設計側のプ

レゼンテーションを受けてプラントを発注する場合もあろう。しずれに

しても、それをいろいろな角度から精査して、採用し稼動させて事業化

していく主体は東電だ。10年ほど前に耐震強度偽装事件があったが、こ

れは耐震強度を計算する設計士が強度を偽装したものだが、最終的には

マンション販売業者が賠償責任を負った。このように外注の設計者が偽

装しても、販売した側は責任を免れることは出来ない。

福島原発はアメリカの原発と同じ方式のものを採用していて、その耐用

年数は40年となっているらしい。従ってアメリカでは40年になる前に原

子炉を停止し、冷温状態にもっていくという。ところが日本では、それ

を規制する法律がないため40年を過ぎても稼動させているらしいのだ。

福島原発の設計者が耐用年数の40年が近づいた時に、この方式の原子

炉には溶接部分等に脆弱性がある為、原子炉を停止するように要請した

にも拘らず東電はこれを無視した。そればかりではない。読売新聞の記

事にもなったが20年前にアメリカの原子力委員会がアメリカと同様の方

式の原子炉は「地震で生じた非常用電源や緊急冷却機能の故障が、高い

確立で炉心損傷を引き起こす。」と警告していた。さらに、独立行政法人

の「産業技術総合研究所」が1100年前にも今回と同じような巨大

地震が起き、「貞観津波」という大津波が起きたことを突き止めたた

め2009年に原発の想定津波の高さを見直すよう迫っていたのに東

電と原子力安全・保安院は見直しを先送りした
、という。

さらに、反原発を貫く衆議院議員の河野太郎氏への東電や原子力関係者

の嫌がらせや圧力は相当なものだったようで、たとえば日本の原発を点

検するようなテレビ番組へはスポンサーを降りるぞという圧力を東電関

係者がかけ番組は放映中止に追い込まれたという。これらのことから

「想定外」などという言い訳は通用しないだけではなく、むしろ「未必の故

意」という犯罪性さえ伺わせる事態
となっている。

これらのことを「有識者」が知らぬはずはあるまい。

知っていて「責任は東電ではなく、設計側にあります」と言う以上は氏

自身が東電と利害関係がある証拠ではないのか。

それにしてもお粗末に過ぎる。

さらに曽野氏は読売新聞のインタビューでは被災地の人たちを

東北の人たちが礼儀正しく、苦しさの中でも微笑をたたえていられ
るのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、日常で耐える
ことや譲ることを知っている人たちだからだろう。以前は集団の出稼ぎ
もあった。苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい


と言いながら他方では見事な二枚舌を展開している。

「WILL」の対談の中で『「避難所が寒くて凍えそうだ」「低体温症で体調を
崩している」「温かいものが食べられない」という報道がありましたが、あれ
はなぜ? そこらじゅうにあんなに薪があるじゃないですか。瓦礫の処理が
大変だと言っていますが、どうして木片は燃やさないんですか。あとはどこ
からか鍋を拾ってくればいい。私だったら、あそこで薪を集めて食事をつく
ります。
」』
放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいん
ですよ。何も若者を危険にさらすことはない


ほうれん草からヨウ素が出た時、ある年寄りが「5年後に症状が出るなら、

その頃は85歳だからちょうどいい」という話を聞いて
渡部「(汚染された野菜等を)養老院で使うとかね。」
曽野 「かえって元気になるかもしれません(笑)}

これは何なのか。こんなひどい対談ってあるのか?渡部氏とは日本

財団の会長と理事という旧知の間柄なので話は弾んだのかも知れない

が、これは対談と言うより被災地の人たちを酒の肴にしたたちの悪い

放談ではないか。

キリスト教の信者」で「有識者」と呼ばれる人が「どこからか鍋を拾ってく

ればいい」などと窃盗を勧めるとは・・・・・。

それくらいの才覚がないのかと言いたいのだろうが、日本人は被災して

散乱しているものを自分の物にして利用しても良いというような教育は

受けていない。街のゴミ集積所の物を勝手に持ち出すことも禁止してい

る自治体さえある。ご存じないのか「有識者」殿。

将来を担う若者をかばうあまり、「放射線の強いところだって、じい

さんばあさんを行かせればいいんですよ
」キリスト教というのは、こう

いう暴言を吐いてもよしとする宗教なのか?これでは、お年寄りを救


うためにわが身をかえりみず津波の方に向かって行って命を絶った若者

達は、無念でなるまい。

続けて曰く「私も行きますよ。もう運転免許は失効していますが、
あそこは私有地だから無免許でも構わないでしょう(笑)。


自分に原発建屋内の作業要請が来ないことを分かっていて言うあたり、

もっとも安全な」彼女らしい物言いだ。以前これと似たよう

なことを逆の立場で人に向かって言ってなかったかな。

あるコラムか何かの彼女の記述 
総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分に
させ方法である。なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手を
ぶん殴りに来たり、名誉毀損で訴えたりするということはほとんどな
いのだから、つまり、これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。


そして「水道水だって、ヨウ素は八日経てば半減するんでしょう。
私は空き瓶に水道水を詰めて日にちを書いておくことにしました。飲まな
いでいるうちに八日以上経ちましたから、もういいはずですね


怒りを通り越して笑うほかない。安全宣言をした東京都の水道水を瓶に

詰めての話でしょう?福島の原発建屋の地下に溜まった汚染水を瓶に

詰めているのではないのですよね。どうしてこんな馬鹿なことを言うんだ

ろう。こんなことを平気で言うほど、あなたは世の中を甘く見ているので

はないのですか?

「甘やかされている」のはあなたですよ、曽野綾子さんですって


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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その6・だって

2011-05-18 12:35:06 | 日記
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。


夫は先日の石原慎太郎東京都知事のインタビュー記事を読んで、ますま

す曽野綾子氏への憤りを露にしています。



先の読売新聞の識者インタビューで曽野綾子氏は「日本の官僚は優秀

だ」と言っているが、優秀な人が官僚になってはいるが官僚組織はも

はや優秀とは言い難いのだ。硬直化していてすべてに対応出来なくな

っている。先だっての読売新聞のインタビューで石原都知事が「日本

をだめにしたのは、国家官僚と・・・・国の官僚は発想力がない。継続性と

一貫性にこだわり、この変化の時代について行けない」と述べており、

この発言と比較しても曽野綾子氏の意見は全く「素人」の域を脱して

いない。

褒めちぎる曽野綾子氏の発言とは裏腹に、硬直化した官僚の実態は無残

なもので、今回のユッケ食中毒事件の厚生労働省の対応がそれを証明し

ている。この事件に関連し、厚生労働省は牛の生食が流通していること

に対し2002年に自治体から罰則規定等で取締りを強化するよう要請

を受けていたにもかかわらず、これを放置していたことが明るみに出た。

それだけではない。15年前のO157食中毒事件を経験していながら、この

体たらくだ。相変わらずの厚生労働省で流れは少しも変わってはいない

のだ。国民の安全と健康を守るべき国の機関が国民の命を守ることに関

心がないと言うほかない。

なぜこうなるのか?

悪く言えばアウグスティヌスの言葉を引用した曽野綾子氏の言葉「この

世に起こることには意味がある」とする曽野綾子氏自身の姿勢と同

エリート意識的達観論だ。結局すべて他人事なのだ。

このように硬直化した官僚システムの根底には、徳川家康の農民政策の

「農民は生かさず殺さず」の思想が、明治維新以来の殖産興業の思想の

底流になって官僚組織の中に生き続けているのではないか?

そして、それが官僚組織の体質になっていて官僚の一人一人が国民に対

して思いやりがなく国民の生活に無関心になっているとしか考えられな

い。曽野綾子氏も同様で、あるコラムで新潟中越地震の被災者に「避難所
で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に
寝具を担いで逃げるのは当たり前
」などと実に冷淡で思いやりがない

記述をしている。

曽野綾子氏と国の官僚たちには、山内東大教授が読売新聞のコラムで述

べた「公欲がなければ他人を思いやることもできない」という言葉をお

おいに吟味して頂きたいものだ。


そして、曽野綾子氏は官僚を褒めちぎった後は「私もシステムに

お世話になっているが最後は自分で自分を助けることができなければ、

人間としての義務に欠ける
」とのたまう。

こんなことは自分自身に言い聞かせるもので他人に言うべきものではな

い。「自分もそうするからあなた方もそうしなさい」と言わんばかりで

はないか。公共性の高い全国紙で「国民に意見を述べる」場合、どれほ

どの覚悟を要求されるのか自覚があるとは思えない。

お尋ねするが「老障介護」で苦しんでいる方たちにも、このように言い

諭していることになっていることをご存知ないのではないか?

たしかNHKのクローズアップ現代という番組の中で「老障介護」という

ドキュメンタリーの部分があって、施設にも入れることの出来ない、

それでいて寝たきりに近い44才の精神障害者の息子を一人で介護する

79才の母親の姿は実に悲惨なもので、その労苦は筆舌に尽くしがたい

ものがあろう。息子の障害者年金で辛うじて生活している母親は、も

し息子が亡くなったら生活保護を受ける以外に道はないだろう。

また高齢の母親が亡くなったら息子は・・・。

この方たちの前で「最後は自分で自分を助けることができなければ、

人間としての義務に欠ける
」と言えるのですか?


第一、アフリカの人たちと比較して「甘やかされた生活」などと言うのは

笑止千万だ。支援を必要とするアフリカの人たちが高い生産能力を発揮し

高い納税義務を負っているにも拘らず、支援を要する生活を強いられてい

るのならまだしも・・・曽野氏の発言は国家観のない証だ。

日本国憲法は何を語っているか、ご存知でしょう?

「第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権

利を有する。○2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会

保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」としている。

「すべての生活部面」は避難所での生活も含んでいることをお忘れなく。

これは第27条とは順序が逆と思いたいが、憲法は「第二十七条  すべて

国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」

高い生産性を要求され、高い納税義務を負っているがゆえに「健康で文化

的な最低限度の生活を営む権利」を憲法は保障しているのだ。人を「素

人」呼ばわりする人が、このことを知らないはずはあるまい。

「この痴れ者が」と言いたい!だそうです



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東日本大震災 総理になれなかった男・石原知事「我欲捨てて」

2011-05-16 13:50:38 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。


石原慎太郎東京都知事が東日本大震災について「天罰」と言ったという

ニュースを見て、夫が腹立たしそうに「そんなこと言うなんてシンタロウも

年を取ったなあ、78歳か・・・」

そして14日の読売新聞のインタビュー記事「『我欲捨てて』日本復興」


夫の世代にとっては石原都知事ではなく、あくまで「石原裕次郎の兄、

石原慎太郎」なのだそうです。芥川賞受賞作品「太陽の季節」で鮮烈な

デビューを果たし一躍時の人となって、作品が映画化されるや弟、

裕次郎は一挙にスターダムにのし上がった。ズボンのポケットに両手を

入れて長い足を開いて立っている裕次郎のポスターばかりが目だった

時代があった。そして兄慎太郎のヘアスタイルが「慎太郎刈り」と

もてはやされ、これもやたら流行した。頭が良くてちょっとワルだけど、

格好良くて皆が憧れた。今でも「裕次郎」と聞いただけでポスターの

写真が目に浮かぶそうです。しかし夫は裕ちゃんのファンではあっても

慎太郎氏のファンではないそうです。夫の友人にかつて慎太郎氏の

ファンがいて、石原氏が参議院選に立候補した時、氏の講演を何度か

聴きに言ったらしいのですが、講演の度に「私は総理大臣になるんだ」

と豪語してばかりいるので辟易したと、その友人は言っていたそうです。

そして自民党の国会議員になったものの派閥の壁や序列に遮られて

中川一郎氏らと「青嵐会」を結成したものの、極端を嫌う自民党

議員達の脱会が相次ぎ「青嵐会」は少数派になってしまう。

議員活動に限界を感じていたのか、ついに都知事に転進した。

国会議員の活動の中で培った人脈等でシンクタンクを造り

都政に臨んだことが政治家としての成功を治めたとも言われている。


石原氏の「天罰」発言後の曽野綾子氏のインタビューも同じ論調の

ように見られがちだが、立ち位置の違いもあって石原氏のそれは

厭味がない。相変わらずの歯に衣着せぬ舌鋒は歯切れが良く

なぜか心地良い。それでいて人種差別発言に近い物言い等が多いので、

夫はあまり好きではないらしい。

ただ3期12年の都政を司ってきた経験を基にした見識は確かなもの

のように思える。「複合的、重層的にことを進め、いろいろな要因

を束ねて有機的に動かす見識のあるリーダーが(自分以外に)いない


と言って豪語するところは相変わらずだな・・・と。

地方自治体というのは大統領制の権力構造に似ていて総理大臣よりも

政治はやり易いはず。亡くなった橋本龍太郎氏が次期総理の呼び声が

高かった外務大臣の頃、その一挙手一投足が世界の耳目を集めた時期

があった。ところが総理大臣になった途端、牙を抜かれたようにな

って世界のメディアを落胆させてしまった。地方自治体の首長とは

違う難しさが総理大臣の椅子にはあると思われるので、石原氏の

発言を直ちに鵜呑みには出来ない。

そして「日本をだめにしたのは、国家官僚とその言いなりになって

きた自民党だ。国の官僚は発想力が足りない。継続性と一貫性に

こだわり、この変化の時代についていけない
」このくだりは自民党

の国会議員時代に官僚と接し経験したことと、知事として官僚と

接し国会を外から見てきた知見には説得力がある。しかし、残念なのは

国の官僚が継続性と一貫性にこだわる理由や官僚の「継続性と一貫性」

とは何かについての言及がない。深刻な問題はその部分にあると思わ

れるのに・・・。

さらに「天罰」発言の意図を聞かれると「(親が)死んでいるのに、年金

を貰い続けていた家族・・・日本人が我欲の社会を作った。政治もそれに

おもねってすべきことをしない。それで日本は本質的に堕落していった
。」

自分がかつて自民党議員として、その一端を担ったことへの反省は微塵も

見られない。そもそも年金の不正受給などは国がチェック体制を作らず

放置していたのが原因ではないか
さらに付け加えて言うならば

「政治がおもねって」では断じてない。石原氏がそうだとは言わないが、

国民のことを考えず、利権にばかり狂奔するあまり国家戦略を欠き国家観

さえ乏しくなった政治家達が今日の日本の「堕落」を招いたのだ。そうは

思わないのですか?自販機やパチンコのことにしても、今頃唐突に言わな

いで、もっと以前に条例で規制していれば出来ないことではなかった

はず。原発に関する発言は「人間がつくった道具は、当然故障もおこる。

それをいかにミニマムに押さえるかということだ
」とやや他人事だ。

「(事故を)ミニマムに抑える」には国の官僚の「継続性と一貫性」に

こだわる体質が障害になっているはずだ。石原都知事をはじめ政治家

たちは、ここにも果敢にメスを入れて取り組んで欲しい。

それから教育・・・「国の官僚は発想力がない」と批判しておきながら

それとは矛盾する「刷り込み教育」を強調するあたりは文学者らしいの

かも知れない。刷り込み教育を全く否定するものではないが、それ以前

5才までの幼児に欲望耐性を植え付ける教育を保育園、幼稚園さらに

家庭で行わせることが喫緊の課題だ
。欲望耐性とは欲望を抑える力。

たとえば訓練を受けた犬は目の前に餌があっても飼い主の「よし!」と

いう号令があるまで、じっと我慢している。この我慢する力が、

やがて人間関係の中でも発揮されて、すぐにはキレない子供に

育っていく。この欲望耐性が身についていないから小学校1年生で

学級崩壊となっている。このような状態でアメリカの真似をしても

始まらない。

後は石原都知事が国の戦略を欠いた経済政策や企業の野放図な経済

活動を都の条例をもって規制していくだけの勇気があるかどうか

問われるところだろう。だそうです。



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東日本大震災 山内東大教授のコラムを読む。

2011-05-11 19:52:47 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


これは私のブログなんだけど、いつの間にか夫に占有

されてしまったような・・・・


今日も夫の代筆です。


読売新聞のコラム「地球を読む」ここは著名な学者や評論家、政治家

の方々が評論を順に掲載している注目のコラム。


夫は時々、目を通しているらしいのですが、今回は震災後のあり方に

ついての論説で、曽野綾子氏の識者インタビューとは質を異にしている

と思われるので、是非ブログで書きたい・・ということです。


ど素人がこんなことを言うのは恐れを知らぬというか僭越この上ない

こととは思いますがあえて書きます。

記述することとインタビューとでは大きな違いがあると思うので単純

には比較できないとは思っているが、56年間も文筆業で生計を立ててきた

曽野綾子氏にとっては論旨を展開することにおいては、

それがインタビューであってもなんら変わることはないと思われる。

先ず山内東京大学教授の論説との比較では、その立ち位置の違いが

際立っている。曽野綾子氏の、個人に対して教え諭すような立場から

繰り出される言葉は「甘やかされた」などと極めて感情的だ

これに対し山内教授は冒頭、為政者に警告を発した後、事実の積み重ねで

論旨を展開していく。個人にもやがてその矛先は向けられるが

教え諭すという立場はとっていない。平たく言うとマイクを向けて

「それでどうなんですか?」と尋ねて、まるでサンデル教授を彷彿と

させる教育者らしい論述だ。

先ず山内教授は「大震災や原発事故などの災害を処理する力は、政治家の

器量のバロメーター・・内政基盤の弱い政権や外交力が乏しい宰相の時に

災害が起こると、それは国家の危機と国民の動揺にそのまま直結する
」と

手厳しい。

ここから震災の歴史を振り返る。幕末の時期となった安政元年1854年の

連動して起こったM8.4の東海大地震と南海大地震、大津波被害をはじめ

安政年間に起きたいくつかの大災禍に為政者がどう対処したか事実を

突きつけてくる。

そして1755年のポルトガルの首都リスボンで起きたM8.7の巨大地震。

ポルトガルの当時の宰相カルヴァーリョが行った大胆で迅速な政治から

学ぶべき点を挙げている。また当時の思想家ジャンジャック・ルソーの

「人々の都市集中こそ悲劇を大きくした原因・・至便な都市生活でなく

自然を尊重する生き方を見直すよう求めた」という言説を紹介している。

ここで教授は論旨の矛先を私たち消費者に向けてくる。成長万能主義を

拒否する論調があるが、むしろ問題にすべきは消費者だと論じている。

復興に向けて「問題にすべきは、消費者が限りなく豊かさを求める欲望の

当否に他ならない
」この点は曽野綾子氏の「甘やかされた生活」と論旨を

一にしている。ここは先に曽野綾子氏批判で述べたとおりで

「消費者が限りなく・・・」ではなく「限りなく豊かさを求める消費者の

欲望を刺激し助長してきた政治や野放図な企業活動こそ責められるべきで

消費者に矛先を向けるのは、いささか見当違い
と申し上げたい。

「消費生活への過度の欲望と利便性への依存を市民が抑える意思を

『災後』の新たな生活哲学の基礎に据えるべき」という意見に同意

しないわけではないが、ここまで豊かになった消費者の気持ちや

生活行動をそう容易く変えられはしない。そこはむしろ行政が

条例などで規制していくべきだ。


そして、「人間を向上させる力としての欲を完全に否定することは

できない」として欲についての考察を江戸後期の儒学者・佐藤一斉

の言説を取り上げて公欲と私欲にわけて儒教的考察を行っていく。

アウグスティヌスという古代ローマの哲学者の言葉を拠り所にした

曽野綾子氏とは対照的に、東洋の学問で日本人の琴線に最も触れ

やすい儒教を武器に最後を締めくくる。

しかし、私利私欲、党利党略に走る政治家たちに直言して欲しかった

ことがある。読売新聞のコラム「編集手帳」に書いてあった大リーグ

での逸話。普通はありえないことらしいけど、そのありえないことが

起こった。試合中、バッターボックスに立っている選手にフロントの

職員が歩み寄り、トレードの話を伝えたという。この大震災で救援復旧

に取り組んでいる最中の菅首相下ろしを揶揄したものだ。

確かに「脆弱な政治基盤の現政権と指導力不足の否めない菅首相」では

あるが一生懸命やっていることは確かだ。菅首相を快く思っていない

官僚のリークや流言飛語をまともに取り上げて大騒ぎし政治不信を

煽るマスメディアにも一過言あってしかるべきだ。指導力が不足して

いても「浜岡原子炉の停止要請の大英断」は菅首相であったからこそ

できたとも言える。公欲のなさしめるところだ。




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東日本大震災 中部電力の原子炉停止要請受諾に敬意!

2011-05-10 20:24:25 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


受諾やむなしというニュースはちらほらと流れていたものの

受諾の声明が発表されるまでは、少しはらはらしました。

中部電力の社長の記者会見を固唾を飲んで見守っていた人は

夫ばかりではないはず・・・。

中部電力の水野社長の記者会見で「首相からの要請は極めて思いと

受け止めた」「原子力に対する不安を真摯に受け止め、安全を

最優先する考えを貫くべきだと判断した」

一言一言確認するかのように話していく水野社長の姿に

なにか新鮮なものを見ているような気がしたと夫・・・。

こんな清々しい思いをしたのは久しぶりなのではないかと・・。

そして中部電力の管内に工場を持つ鈴木自動車の会長の

「中部電力が政府の要請を受諾されたことに敬意を表します」

のコメントも人に感動を与え「敬意を表します」と言った鈴木自動車の

会長にこそ敬意を表したいんだって・・・。

そしてヤマハの社長は「東海地震が発生した時の地域の安全、日本

全体への影響を考えると、今回の対応は理解できる。・・・原発

停止後のプランを早期に示してもらいたい。電力使用の抑制や社員に

節電徹底を呼びかけ、電力負荷を下げるよう努力する」と極めて

冷静だ。

ところが、日本経団連の米倉会長は政府の原発停止要請は「思考の

過程がブラックボックスで、政治の態度を疑う。政治的なパフォー

マンス」と批判したらしい。事前に根回しだとかで話を出したら

民主党内にも米倉会長と同じように「パフォーマンスだ」とか

なんとか言って騒ぐ連中がいて、結局、停止要請まで至らず頓挫

してしまう可能性が大きいので、「ブラックボックス」にしたん

ですよ。米倉さん!と夫は言いたいそうです。「唐突感は否めない」

とも言われたようだが、「経団連の会長ともあろう人が政府関連の

文書に目を通してないの?」「経済活動にばかり目を奪われて

国民の安全については、さほど考えてはいないのじゃないの?」

佐賀県の知事も相変わらず「何で浜岡原発か、説明責任が問われる」

記者会見の時の説明で理解できないなんて・・・あきれて物が言えない。

県知事がこの程度と言うのは、どういうことか?

「東海地震の発生確率が87%だと言っているだろうっ」

「1854年にM8.4の東海大地震と南海大地震が連動して起きていて、

それから157年。同じ規模の地震がいつ起こるか分からないんだよ、

このバカ!」テレビに向かってはき捨てるような夫の独り言。

ともあれ原発停止と同時に原発で働いて来た地元の人たちの再就職先だとか

政府は考えて欲しい。


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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その5・だって!

2011-05-08 16:37:21 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


まー・・しつこい性格ですみません

今日も曽野綾子さんのことです。

夫は曽野綾子さんのインタビュー記事を切り抜いて、何度も何度も

読み返してはネットで調べています。


パソコンの前で目を真っ赤にしているから、どうしたのかとパソコンを

覗いてみると「日本国憲法」とある。

指で指しながら「前文・・・。」

夫は前文を読むうちに胸が熱くなったと言っていました。

敗戦の翌年に発布された日本国憲法の前文には、並々ならぬ決意が

示されていて心を打たれたそうです・・・。

どうして日本国憲法かというと・・・これから夫の弁です。


そもそも曽野綾子氏のこの識者インタビューは「私たち日本人は」と言いながら、

実を言うと被災地の人たちに向けられたメッセージ。

甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。

のだから、これからは「国家に頼らず自ら行動を」と

呼びかけているのだ。


そして、私たち「ど素人」には理解しがたいのがインタビューの二段目の

国のあり方の基本が崩れた。」

これが、どういう意味か解らない。

東日本大震災で崩れてしまった「国のあり方の基本」とは

一体全体なんなのだろうか?

「国の基本的なあり方」というならどこかで聞いたような気もするし

なんとなく分かるような気もするが、「国のあり方の基本

・・・それは大震災などで崩れてしまうものなのか?

だが、この言葉の前後を読んでも、それらしい文言は見当たらない。

強いて言えば「欲しいと思えば何でも手に入る・・・甘やかされた

生活の異常社会・・・これからも続くという夢が打ち砕かれた。」

ということを言いたいのか・・・。


「国のあり方の基本」・・・・・思いつくのは「日本国憲法」しかない。

「日本国憲法」であれば、国際関係から国民の権利・義務そして国会

議員内閣制、司法、三権分立、地方自治、財政まで

国のあり方の基本を定めている。

この「日本国憲法」を抜きにした「国のあり方の基本」など

というものがあるのだろうか?

ひょっとして、ご本人は解っていらっしゃらないのではないのか。

だから「国のあり方の基本が崩れた」とは言ったものの,

国家観がないから論旨が定まらず支離滅裂なのだ

たとえば「多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。

しかし、今回の東日本大震災によって、甘やかされた生活がこれからも

続くという夢が打ち砕かれて、国のあり方の基本までが崩れた」

このように勝手に繋げてみても、何を言いたいのかさっぱり分からない。

そして「『欲しい』と思えば何でも手に入る社会は、異常社会だ。」と

言いながら、ご自分は練炭、炭、火鉢やカセットコンロ等、

「欲しい」物はちゃんと常備しておられる。国民の中には

これらの物も買えない方も大勢いる。

ましてや過酷な状況の中で辛うじて生き抜いて再起を計ろうと

している被災者に向かって、こういうことを言っても何の役にも

立たないだけでなく、ただ怒りを買うだけだ


さらに「政治家は『安心して暮らせる社会を作る』というが、そんなものは

ありえない」。この発言は明らかに国家観のなさを露呈している。

全国知事会に「この国のあり方に関する研究会」というのがあって、

「将来に希望を持って生きられる社会」を提案している。


誠心誠意、県民に尽くそうという首長も多いだけに、曽野綾子氏の

「そんなものはありえない」というのは、あまりにも傲岸不遜な

物言いだ。


その傲慢な物言いはなおも続く。「政治家も有権者も、自分の頭で

考えることをしなくなっている
」。

これではまるで「曽野綾子教」の教祖気取り。

そう言いながら考えることを牽制している。「震災後、政府の

不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。しかし、犯人捜しを

しても仕方がないことだ


考えているから犯人捜し(責任追求)をするのではないのですか?

そんなことをすると「現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと

日本は復興に向かって歩き出せない
」と、どこまでも政府や企業擁護。

かと思えば「そうした時代を生きる私たちは、国家やシステムを疑い」

と言って「考えろ」と言わんばかりだ。

考えることをしなくなっている・・・・犯人捜しをしても・・・

国家やシステムを疑い
」何をいいたいの?

ぜんぜん繋がらないではないか。支離滅裂とはまさにこのこと。

考えているから「疑う」わけで、責任追求も批判も悪口も言いたくなるもの・・。

ところが政府や首相の悪口でも言おうものなら

素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。
 総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる
 方法である。
 なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手をぶん殴りに来たり、
 名誉毀損で訴えたりするということはほとんどないのだから、つまり
 これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。
 これが相手がやくざさんだったら、とてもそうはいかないだろう。
 しかも相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に
 偉くなったような錯覚さえ抱くことができる
。」

と、ある書物で述べているらしいが、あーなんと品性に欠ける物言いか。

「敬虔なクリスチャン」などと評されているが、これが敬虔といえる

物言いだろうか?キリスト教の信者というのは

こういう物言いをするのか
・・・背筋が寒くなる。

「考えることをしなくなっている」と言いながら、一方では考えた上で

政府を批判する人たちに「素人が・・・」と言いながら平気で言論の

封殺
とも取れる発言をしている。

人様を「素人」呼ばわりをするということは、国家観のないご自身を

プロと自認しておられるつもりでしょうが、甚だ滑稽だ。

とにかくいろいろと説教がましい事は、「曽野綾子教」の信者さんにのみ

仰ってください。ね!『曽野綾子教』の教祖様・・・だって!



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東日本大震災 浜岡原発停止要請は大英断。よくやった!

2011-05-07 15:34:03 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


昨夜の9時のニュース。「菅総理が浜岡原発の停止を要請」との

アナウンスの後、菅総理の記者会見のVTRが流れた。

「浜岡原発を震源域とするM8クラスの東海地震の今後30年以内に

発生する危険性が87%に迫っている。国民の皆様の安全と安心を

確保するために中部電力に浜岡原発のすべての原子炉の停止を要請

いたしました。」

解説では静岡県の浜岡原発は活断層の真上にあるらしい。

しかも原発の20k圏内に東名高速道路と東海道新幹線があり

事故が起こった時には東西を結ぶこれらの大動脈が断ち切られ

国の存立さえ危うくなると言う・・・・。

そういえば福島原発の第一か第二のどちらかが活断層の真上に

あったのじゃない?

浜岡原発も福島原発同様、建設して40年くらいになるらしい。

と言うことは、その時も東海地震の発生確率は50%くらいあったって

いうことではないですか?

なのに2年前に、独立行政法人の産業技術総合研究所が原発の

想定津波が低すぎるとの警告を発したにもかかわらず、経済産業省

原子力保安院、電力会社は無視してしまった。

警告を受けて直ちに15mの防潮堤の建設に着手していれば、

今頃は完成していたかもしれないのに・・・。

だから、夫も私も「よくやった!」と拍手喝さい。

ところが今朝の朝刊には「唐突だ」とか相変わらずの批判が

与野党共に出ているらしい。

夫は憤然として「唐突で結構だ!唐突でなければ発表できなかった

だろう」と・・・夫の言葉が堰を切ったように出てきます。


菅さんも福島原発の事故の対応では後手に回ったと批判された

からではないかという見方もあるが、「後手に回る」のは今に

始まった問題ではない。むしろ日本のお家芸ではないか。

サリドマイド薬害でも特許を取って製造したドイツをはじめ先進国が

発売禁止にしたのに日本では製薬会社等の「企業活動を損なわないように」

放置した結果、多くの奇形児等が生まれ被害が拡大した。

世論に押されて規制に乗り出したのは、ドイツの販売停止と

回収作業から遅れること約1年。

アメリカはこの薬に疑問を抱き、治験段階で留めたため

数名の被害者を出しただけで済んだらしい。

今回のユッケの食中毒事件も元を正せば国に責任がある。牛の生食用の

肉は流通していないはずなのに「企業活動を阻害しない」ように規制も

検査もしていなかった。事件が起き死者が出てから規制に乗り出すと

いうお粗末さ。

曽野綾子氏のいう「優秀な官僚」は優秀な人が官僚になってはいるが、

「官僚組織」は、もはや疲弊し硬直化していて優秀でもなんでもない。

その官僚組織や天下り先の電力会社に対する不信感が、この英断を

菅首相になさしめた一面もある。

「唐突だ」などと批判する人たちは「国民の安全」を考えていない

訳ではあるまい。「原子力発電および今後のエネルギー政策の全体

像」について発表をしないで「原発停止の要請」を行うのはおかしい

とか「そもそも何で浜岡原発なのか」などと発言している政治家や

学者がいるが、ナンセンスと言う他ない。そんなのは後からでも

出来ること。

そもそも日本のエネルギー政策なんて、いい加減じゃないか。

たとえば太陽光発電やソーラーシステム。今から30年以上前の

オイルショック後は代替エネルギーとして「サンシャイン計画」

などと称して国は補助金や助成金を出すなどして、その普及に

相当力を入れた。日本の太陽光発電をはじめ太陽光利用エネルギー

の技術や生産量、普及率は世界一となったのに、いつの間にか

補助金もなくなって、普及率ではドイツに抜かれて大きく溝を

あけられている。そのドイツはエネルギー対策は石化エネルギー

クリーンエネルギー、原子力エネルギーがほぼ3割づつと

均衡していると言う。

2年前にオバマ大統領が「グリーンエネルギー政策?」を掲げて

太陽光等のクリーンエネルギーはじめ電力供給システムの新たな

開発政策を発表すると、日本は慌てて太陽光発電システムなど

クリーンエネルギーの補助に乗り出した。

この程度ですよ、日本は・・・。

だから「唐突」であろうがなんであろうが、もっともリスクが

高くなっている浜岡原発を停止して、2~3年後の15mの防潮堤

が完成した後、再稼動すれば良いではないか。

その間に次代のエネルギー政策を

練り直しても遅くはないはず。・・・だそうです。


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東日本大震災 連休中のボランティアの方達に感謝!

2011-05-05 18:40:23 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


5月1日でしたか、夜のニュースの後の番組で、連休を利用して

被災地にボランティアに行く人が15万人くらいになるのでは

ないかという。

「ワーすごいなあ」夫と一緒に見ていて感動しました。

ボランティアへ行く方達にありがとうと言いたい。


5月3日の日、朝9時過ぎに近くのスーパーへ納豆を買いに行きました。

我が家は、そのスーパーで一番安い3パック一締め39円の納豆が

お目当てなのですが、震災前は毎日買い物も出来ないので

行くたびに10個ほどまとめ買いをしていました。

震災後「お一人様2個まで」となっていて、少し不自由でしたが

週に1度買い物に行って、納豆がないときには夫に

我慢してもらっていました。

その日は、お店のショーケースに納豆が山のように積んで

あったので、どうしたのかと近寄ってよく見ると

「制限はありません」と張り紙がしてあります。念のために

店員さんに「2個以上買ってもいいんですか?」

「ええ、早い者勝ちです。」

以前のようにお店には活気が戻って、少し元気を貰った

ような気がしますが、被災地の人たちのことを思うと

喜んでばかりはいられません。5個だけ買いました。


私ども不動産業者にとって5月の連休は、ここ数年は

ほとんど仕事になりません。だから大半の業者が連休を

とっています。

私の会社は不動産業界でも珍しく貧乏会社ですので

会社を休むわけにはいきません。

3日の日はお昼近くに、賃貸の資料を貰いに来た方が一人。

そのお客様を送り出した後、夫が傍の国道の渋滞をを見ていて

喜んでいました。「活気が戻ってきたな!」

テレビのニュースも去年と同じ高速道路の渋滞情報。


昨日の4日は3時ごろ中古物件を探しに1組の方が、

そして、今日は茨城県古河市というところから一戸建てを

探しに1組ご来社頂きました。しかし、すぐに購入する

というところまではいきません。

事務所を開けてて良かったなと、少しホッとしています。


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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その4・だって

2011-05-04 08:10:09 | 日記
東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


「甘やかされた生活」

曽野綾子氏に言わせると「欲しいと思えば何でも手に入る社会」、

国や自治体が被災者の支援のため支給する新しい毛布なども

「甘やかされた生活」の一部ようだ。


どうして、こうも物事の表層だけしか見ないのだろうか?

「有識者」。辞書を調べると「学問があり、見識が広く高いこと」とある。

夫が笑いながら「僕は学問がないから、有識者になれないけど

『見識が高いこと』だけじゃだめかしら。逆に学問があっても

見識がなければ有識者とは言えないんだね。」

「学問があり」で思い出したことがあるらしい。

それは高校生の時に読んだビクトルユーゴーの「レ・ミゼラブル」。

ビクトルユーゴーがこの小説の中で「良心とは学問の量である。」と

記述していたように記憶しているらしい。

したがって「学問」は必ずしも「学識」とは一致しないはず。しかも

曽野綾子氏が、この程度なら自分も「有識者」に列せられても

いいはずだけど、まず、それぞれの業界で有名でないとだめで、

さらに政府や行政にとって「有益な人物」であることが求められる

はず。「有益な人物」とは言い換えれば、政府や行政、大企業に

とって「都合が良く役に立つ人物」ということだ。

国民に忍耐を強いる箴言や先のインタビューの「震災後、政府の

不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。しかし、犯人

捜しをしてもしかたがないことだ。
」という発言を繰り返す

曽野綾子氏は政府や行政、大企業にとっては

まことに都合の良い人だ。

こういう人が日本郵政の社外取締役に就いたり、教育改革国民会議の

委員になっている。

その人が「欲しいと思えば何でも手に入る『甘やかされた生活』と指弾

する私たちの生活の環境は誰が造って来たと言うのでしょうか?

「高度経済成長政策」の号令のもと、国民は懸命に働いて世界第二位

の経済大国になり、手に入らぬものはないほど豊かになった。

しかし、これも国家戦略を欠いた、豊かになることだけを目指してきた

野放図な経済活動がもたらしたものでしかない。

企業活動を優先するあまり、公害企業を放置し、サリドマイド薬害を

起こさせ、薬害エイズ事件を起こした。

石原慎太郎知事が、節電で今更のごとく槍玉に挙げているパチンコ、

自動販売機も、その所産だ。パチンコなどは韓国に進出したものの

わずかな期間で禁止となった。国民がギャンブルで破産することを

韓国政府が危惧したもので、これが国の本来のあり方ではないのですか?

空の行政だってそうでしょう。今までの政権は地域の利権と絡んで、

こんな狭い国土に98箇所もの空港を作って日本航空を破綻させ、

公費を注入して国民の負担を増やした。これが「甘やかされた生活」

ですか?

900兆円近い赤字国債を抱えるまでになったことの責任には

目をつぶってしまうのですか?

国家戦略を欠いた野放図な企業活動を擁護してきた国の政治が

今日のような「異常な社会」を作り上げて来たとは思わないのですか?

曽野綾子氏は1970年代のはじめごろ、公害や薬害サリドマイド事件を

よそに、ピノチェト軍事政権の応援に、わざわざ南米のチリまで

行っていますね。

それもピノチェト政権の国民への虐殺が明るみになると

沈黙してしまったようですが・・・・。

そのような情熱があるなら、なぜ国内の深刻な問題に取り組まなかったのですか?

あなたが仰る「甘やかされた生活」も言ってみれば負の遺産

「文学者」であるならば、それを次世代に残していくことに対する

慙愧の念
があってしかるべき・・・。

その辺のところはどうなんですか?・・・・だって!



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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その3・だって。

2011-05-03 17:32:02 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末5
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末4
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末3
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1

東日本大震災に被災された皆様に心より

お見舞い申し上げます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。

そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを

お祈りします。


夫はこの間から曽野綾子さんのことが相当気になっているようです。

宅建の受験勉強中もテレビを見ながらの勉強でしたから

あまり勉強が好きなほうではないのですが・・・。

今まで不動産やビジネス関連の本を読んでいる姿は

時々見たことはありますが、小説、エッセイ集とか難しい本を

読んでいる姿を見た記憶がありません。

・・なのに、最近は曽野綾子さんのことをインターネットで

一生懸命、調べている様子・・・。

以下は夫の代筆です。

「調べてみると曽野綾子という人は、過去にいろいろと

言っては物議をかもしているね。」

平成16年の台風23号?の大型台風被害について、「学校その他に

避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。

一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。

避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。

それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難する

だけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は配る必要はない。

天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない

老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って

来るのが世界の当然だ。
」と、あるコラムで述べている。

そして、新潟県中越地震についても、「避難所で救援物資を

当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで

逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を

熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達して

くる才覚も必要だ」
と、これまたコラムで述べている。

「早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難する才覚の訓練がいる。」

今回の東日本大震災では、日頃から津波に対する訓練は、ある程度

行われていたはずなのに、大変な被害になってしまった。

間一髪で助かった司法書士?の奥さんは、ご主人が仕事のデータが

入っているパソコンを取りに戻ろうとして津波に飲み込まれたという。

「二階に逃げろっ!」というのが、夫の最後の言葉だったという。

こういう極限状況の中で生き延びた人たちに、「避難所で救援物資を

当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。」と曽野綾子さんは

いえるのですか?同じようなことはいえないでしょう。

ご自分は田園調布という道路も街も整備された高級住宅街で

耐震性に優れた住宅におすまいなんでしょう?

しかも「練炭、炭、火鉢、ガスコンロも床下に常備」しておられる

ようで、そんなところだったら避難するなんて容易なこと。

なんならゼロメートル地帯という江東区の下町に借家でも借りて

住まわれてはいかが?

昔、京都府知事だった蜷川虎三という人は、生涯、借家住まい

だったそうですが、見習ってみてはどうですか?

まねることも出来ない、一貫した発言も出来ないんだったら

如何なる時も避難した人たちに意見しないことだ。

今回は、さすがに、その辛辣さはすっかり影を潜めてはいるが

結局は同じようなことを言っているのじゃないか・・・と。

「東北の人たちが礼儀正しく、苦しさの中でも微笑をたたえて

いられるのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し

日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう」


この部分だけは妙に文学的だけど、結局「耐え忍ぶと

いうことは美しいことだから、あんた達は耐え忍びなさい。

間違ってもワーワー言うんじゃないよ。
」と脅している

ように聞こえる。

「苦しさの中でも微笑をたたえていられるのは、雪深い冬を生き、

過去に津波や貧しさを体験し日常で耐えることや譲ることを

知っている人たちだからだろう。」


「苦しさの中での微笑み・・・・日常で耐えることや譲ることを

知っている人たち・・。」


自分だけが助かってしまったという自責の念と安堵感、

未だ行方の分からない身内の者、知人に対する胸が裂けるような

思いと、その人たちを探しださなければという責任感!

ただ悲しみに浸っているわけにはいかない、その人たちの分まで

生き抜かなければならないという決死の覚悟が、人に悟られまい

と、「微笑み」となっていることに「作家」だったら思いを

寄せて言葉もないはず・・・。


個人主義で権利意識の強いアメリカやヨーロッパ、いや中国や

お隣の韓国で、一介の小説家が自国民に、このような言辞を

弄するだろうか?もし、曽野綾子さんと同じことを自国民に言ったら

下手すると暴動にさえなりかねないだろう。少なくとも表通りを

大手を振って歩けはしないはず。

これは、きっと日本だから出来ること。

曽野綾子氏のような人が「有識者」としてこのようなことを

発言出来るのは日本の精神的風土と関係があるのではないか・・・・だって!



このエネルギーを仕事に向けてほしいけど・・・・

ああ、まだ、しばらくは続きそう・・・


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アメリカの竜巻被害とサンデル教授

2011-05-01 15:26:38 | 日記
去る4月14日から26日にかけてアメリカ南部を

襲った竜巻被害で310人以上の人たちが亡くなられたニュース。

亡くなられた方のご冥福を祈り、ご遺族にお悔やみを申し上げます。

そして、家をなくされたり等、被害を受けられた方に心より

お見舞い申し上げます。


一昨日のお昼のテレビで「アメリカ・アラバマ州を襲った

竜巻で300人以上の死者」のニュースが流れた途端

「ワーッ」夫が悲痛な叫びをあげました。

「東日本大震災と同じじゃないか・・・。」

瓦礫の山と化した街の風景は、東日本大震災の被災地と同じで

胸が痛みます。

そして昨日、「どうしたら、いいのかな?・・・・日本人は

日本の被災地の救援や支援で手一杯なのに・・・・。」

「ロシアはいち早く支援を申し入れたということらしいけど

日本政府はどうしているのかな?・・自分のところが大変な

状況なのに、支援を申し出るなんて何考えているんだと

言われてしまうのかな・・・・。」

そう言いながら、夫は日本赤十字社のホームページを見たようです。

気持ちが少し落ち着いたのか

「そういえば今日は土曜日だし・・・・第一こんなに早く募集広告が

でるわけないよね。」


しばらくして、

「マイケル サンデル教授の言うとおりだな・・・。」

独り言のように感慨深げに言うから

「サンデル教授がなんか言ったの?」

「震災後のいつだったかな・・・・」

ニューヨーク?のサンデル教授、ボストンのハーバート大の学生達、

上海の大学生達、東京のスタジオには芸能人の高田アツコさん

はじめ10人ほどの人たちを結んだ四元のテレビ中継で

討論をしたそうです。

討論は、未曾有の災害に見舞われながら整然と行動する日本人の

姿に世界が驚き、感動しているという話と福島の原発事故の現場で

危険な任務に就いている作業員に賞賛の声が上がっているという

サンデル教授の話から始まります。

「これは、どういうことだろう。個人主義と共同体意識は共存

するのか」というサンデル教授の問いかけに

賛否両論が展開される。いつものように相手の意見を尊重しながら

討論は静かに進んでいく。

アメリカではハドソン川での飛行機事故の時、救助を女性に譲って

死んでいったヒーローがいる反面、カトリーナの災害の時、市民の

略奪行為が起こったりもした。

略奪行為、これは貧困がもたらしたものだと結論付けられたが

夫には意見があったようです。

「それはアメリカの人種差別を伴った格差による深刻な貧困と

就学率の低さに由来しているはず・・日本のスタジオの中には

そう思った人もいたはずだが、サンデル教授やハーバート大生の

前では、さすがに言えなかったのだろう。」だって・・・。

そして、討論は原子力作業員の報酬や作業員の選び方に話が進み

原子力の将来をどう考えるか・・・。

そして日本人が整然と行動するのは共同体意識が強いから

ではないかという話も出る。

でも、日本人の共同体意識の形成の過程や、その歴史には

触れらるることはなかったと夫は少し残念がっています。

これからも起こるであろう自然災害。自然と人類の関係は

どうしたら良いのか。

カンボジアなどの貧しい国からの東日本大震災に対する支援。

世界中に支援の輪が広がっていく中で、支援の輪は世界を

変えるのだろうか。

インターネット等を介した情報の共有が、グローバル

コミュニティ(世界的な共同体)意識を生み出し、その必要性が

今後ますます大切になってくるのではないか・・・とサンデル

教授が締めくくる。

夫はサンデル教授の授業の様子を以前、二度ほどテレビで見たことが

あって、今や世界的な人気を博していると言っています。

「曽野綾子さんのように権威主義的覇権意識(そんな言葉あるの?)

から発せられる高圧的な言葉ではなく、広くしなやかな思考から

発せられる言葉で、やがて真理へと導かれる心地よさ、まるで

マジックでも見ているような感じ。これがサンデル教授の

講義の大きな魅力となっている。」と夫は私にお説教。

はい、はい・・・・。


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