非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

東日本大震災 曽野綾子氏と子供たちの心の傷

2011-10-17 00:45:54 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末5
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末4
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末3
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災と曽野綾子さんのことは、どんなことがあって
も書き続けたいのだそうです。たまには不動産のことも書いて欲し
いのですが・・・・。

 先のブログでは、とんでもない失敗をしてしまった。書いたり消
したりしているうちに情けない誤用をやっていた。公開して二日目
にネットで当ブログを改めて読んでみると、何だこれはという箇所
を発見して慌てて、その箇所を削除した。そこは「呵責のない辛辣
な言葉」と意味不明の言葉になっていた。曽野氏を批判する柄では
ないと自嘲しながら第三者のチェックを経ないで公開するブログの
怖さを知った。しかし直ちに修正できる利点があって、それに救わ
れた。曾野綾子氏の文章にまで容赦ない批判を浴びせてきたので、
ここは曾野綾子氏に率直に謝罪する。しかし「作家」の曾野綾子氏
が弱者を攻撃し「文化功労者」でありながら政治的な発言を続ける
限り批判の手は緩めない。それが曾野綾子批判ブロガーの末席を
汚す者の真骨頂というもの。
 
 さて東日本大震災関連のネットのニュースに、「答辞」とあるの
で大震災のために今頃、卒業式をやっているのかと覗いてみたら、
それは去る3月22日のNHKの7時のニュースで放送され、その後
しばらくして「NHKのニュースウォッチ9」で流れた、ある中学生
の卒業式の答辞を読む姿だった。NHKニュースウォチ9※この
リンク先のyahooーGyaOの当該の映像は削除された模様です。11/22
【気仙沼市立階上(はしかみ)中学校卒業式の梶原裕太君の答辞】
の全文。
「今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業
を挙行して頂き有難うございます。
ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちはそのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ通いな
れたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き
十数時間後の卒業式に思い出をはせた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず…
階上(はしかみ)中学といえば「防災教育」といわれ内外から高く
評価され十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で私たち
から大切な物を容赦なく奪っていきました。天が与えた試練とい
うにはむご過ぎるものでした。辛くて悔しくてたまりません。
時計
の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れて
います。生かされた者として顔を上げ常に思いやりの心を持ち
強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。命の重さを
知るには大き過ぎる代償でした。
しかし苦境にあっても「天を恨まず」運命に耐え助け合って生き
ていくことがこれからの私たちの使命です。
私たちは今それぞれ
の新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても何をしていようと
もこの地で仲間と共有した時を忘れず宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上(はしかみ)中学校で過ごす「あたりまえ」に
思える日々や友達が如何に貴重なものかを考えいとおしんで過ごし
てください。
先生方、親身のご指導有難うございました。先生方が如何に私たち
を思って下さっていたか今になって良く分かります。
地域の皆さん、これまで様々なご支援を頂き有難うございました。
これからも宜しくお願いいたします。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく
姿を見守っていてください。必ず良き社会人になります。
私はこの階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に有難うございました。
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太。」

 映像を観てもらい泣きし、答辞の文章を読みながら再び涙が流
れた。自らが書いた答辞を校長の前で号泣しながら読む姿に涙し
ない者はいないだろう。通常だと堂々と答辞を読んだというに過
ぎなかったはずだ。この姿は我々が想像している以上に子供た
ちの傷が深い
ということを物語っている。そして、特にこの少年が
天を恨まず」と言った時は、その言葉がグサリときた。当方はこ
の少年の「天を恨まず」という言葉が「子供たちを守りきれなかっ
た大人たちを恨まず
」と言っているように聞こえて、身に堪えた。
何もして上げられずごめんなさい!と言うほかにない。今日までぼん
やり生きてきたため、この年になっても自分の頭のハエしか追えず
手を差し伸べることさえもできない。許してほしいと思うばかりだ。
そして、沸々と曽野綾子氏への怒りが湧き上がる。曽野氏よ、
なたが説教を垂れる前に被災地の子供たちは、このようにし
っかりと歩み始めていたではないか
。映像を見るがいい。そし
て今からでも遅くないから、被災地のその子供たちを前にして
私たち日本人は・・・有頂天になっていた。今回の東日本大震災
によって甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕か
れた
」「地震が近年眠りこけていた日本人の怠惰で甘やかされた
精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者たちの霊も少しは慰め
られるかと思うのである
」とのたまう勇気がありますか?言葉もな
いでしょう。当方とて同じで逆に勇気を与えられて、これからも可
能な限りの支援を続けていこうと気持ちを新たにした。
 そして、梶原君の答辞を読む姿とその後の活動の姿には正直、
驚いた。当方の中学時代とは大人と子供、いや月とスッポンの差
であって恥ずかしいなんてものじゃない。当方の中学時代は今で
言う「落ちこぼれ」の底上げをするというのはなく「ボンクラ」呼ば
わりと「罰」しかなかった。ボーイスカウトの活動には真面目に参
加していたが、学校は遊び半分で時々喧嘩という有り様だった。
ボーイスカウト活動の影響か、弱い者いじめが嫌いだったので同
級生がいじめられると、いじめられた男子生徒を連れて仕返しに
行ったりした。相手がたとえ上背があって、当方が鼻血を出して
も怯まずに喧嘩して、むしろ相手が怖気づいて喧嘩を止めたりし
た。嫌いな数学の先生から指されても返事もせず、たとえ立ち上
がってもそっぽを向いたままで教室の前の廊下によく立たされた。
逆に音楽教室では好きな女の先生の気を引こうと合唱の時は、当方
がリーダーになって、例えば「花」の「♪春のうららのすみだが
わー♪」と延ばすところを3人でグーンと音程を下げて先生を怒
らせ、当方だけが女先生の前に呼び出されて思いっきり頬をつね
られた。「痛てててテー」頬をつねられながらも皆の方を向いて
笑いながら爆笑を誘ったが不思議にも廊下には立たされなかった。
そんな出来損ないの中学生だった・・・・。

曽野綾子先

もう弱い者いじめは止めてください
         ・・・・・・だそうです。


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