非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

東日本大震災 曽野綾子氏と小松左京氏と福沢諭吉と。

2011-07-30 18:55:51 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏個人的記録という欺瞞Ⅳ
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災以来、曽野綾子さんについての話のネタは次から
次へと出てきて尽きそうもないし、ひょっとするとライフワークになり
そうだと申しております。

 SF作家の小松左京氏が亡くなった。80歳だったという。小松氏の
作品「日本沈没」は映画化されて大ヒットしたので現在50代以上の
人は知らない人はいないだろう。当方のように氏の小説や映画を見な
かった者でさえプレートの移動で巨大地震が発生し日本列島が沈没し
ていくという物語だったことは記憶している。
小松氏は終戦後の中学生の時、移動途中の駅から広島の変わり果てた
風景を目の当たりにして「生命系すべてを滅ぼしかねない武器」に衝
撃を受け兄からは広島に落とされた新型爆弾が原子爆弾であることを
教えられ化学の恐ろしさを知ったという。また沖縄戦で自分と同年の
少年兵が多数死んだことを知り「生き残った者の責任」を考えたこと
が小説を書く契機になったそうだ。京都大学在学中に「原爆を投下し
たアメリカに対する反感からの「反戦平和」を唱える共産党に共鳴し
ての入党であり(三高以来の親友が、印鑑を偽造し、小松の知らない
ままに入党届けを出したという)、共産主義思想を真に信奉してのも
のではなかった。そのため、ソ連の原爆開発にショックを受け、共産
党の活動に疑問を抱き、後に共産党を離党した
」り、モリミノルのペン
ネームで漫画を書いたり、卒業後はラジオのニュース漫才などの台本
も執筆したりして多才だったようだ。注目したいのは小松氏の発言だ。
代表作「日本沈没」を書いた動機は、戦後復興から高度に経済成
長した日本に対する「警告」だった
といわれている。また「科学を制御
できなけれは文明は滅ぶ
」と原発事故を予見したとも取れる発言もあ
るようだ。作品「日本沈没」では奇しくも3月11日が作中で日本列島の
水没の可能性が発表される日付だったそうで、驚きだ。また高速
道路が倒壊するシーンは耐震工学の大学教授から批判されたが、阪
神大震災で現実となった。また氏は「先生、と呼ばれることを嫌うと
てもシャイな人
」で亡くなる直前、東日本大震災や原発事故について
このようになったのは我々の世代の責任だ。・・今は大変な時期
かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本
は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている

とのメッセージを残したという。ご冥福をお祈りします。 

 さて、どうして小松左京氏を最初に取り上げたか?もちろん曽野綾子
氏と比較したいからだ。小松左京氏は京大を卒業して作家の道に入り、
豊かになった日本と日本人を戒めるために「日本沈没」を世に出
した
といわれている。これこそ小説家の小説家たる所以だ。
ところが曽野綾子氏はどうだろう。平成16年の豪雨の時の被災者へ
の暴言「学校その他に 避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛
布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならな
いか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着
をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふと
ん)を背負って避難する だけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当な
ども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムが
あるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時
食料は自分で持って来るのが世界の当然だ
」テレビを見ながらの高み
の見物で茶の間で話すべきことを堂々と公共性の高いメディアで発言
したり読売新聞のインタビューでは国民に「甘やかされた生活」など
と低レベルの表現しかできない「エリート意識過剰」のこの「コラム
ニスト」は「無才」としか言いようがない。当方のこの程度の
批判は大したことではない。曽野綾子氏に対するもっと辛辣な批判が
ネット上には溢れている。「板」といわれるもので2chをはじめとし
たスレッドやレスポンス。とりわけ文学レスには大学教授や院生と思
しき書き込みがあってそのレベルの高さは、まるで哲学教室に最初に
入ったかのような驚きがある。究極の批判、曰く「皇后様の友達みた
いなことを言いやがって・・・曽野が卒業した聖心女子大なんて偏差
値がたかがせいぜい54程度じゃないか。曽野の時代だったらもっと
低いだろう。それなのに『エリート意識』丸出しで・・・・女は得だ
よね。男だったら、その程度の学歴では何を言っても世の中相手に
されない」等々辛辣かつ痛快だ。
 三浦朱門氏のいう「勉強のできない非才・無才」の代表格の当方
でさえ曽野綾子氏ほど滑稽で、批判しやすい文筆家もいない
と思っている。幼稚なレトリックといい論理のなさといい、自己撞着
の甚だしさといい無学な輩の代表格の当方にとって格好の餌食だ。
曽野綾子氏批判をライフワークにするとちょうどよいボケ防止にな
りそうだ。
 さて、おなじみとなった曽野綾子氏の「甘えるな」発言。また再考
してみたくなった。このての発言が文士の口から今まで発せられたこ
とがあるのだろうかとつらつら考えた。一介の文士が国民に向かって
甘やかす」だの「甘えている」などとあれこれ物申すことは、かつてな
かったことではないのか。強いて言えば文士ではないが福沢諭吉以来
なのではないか。しかし福沢諭吉は思想家で教育者なので言って当た
り前だ!ただ福沢諭吉は日清戦争を前にして政府・官僚と自由民権運
動家や藩閥政治家や思想家たち、またそれに連なる国民の争いが絶
えない中で大同団結を呼びかけたというものだ。明治27年の日清戦争
前の新聞に「戦時下国民の心得」と題して次の3カ条を掲げた。
一つ、官民共に政治上の恩讐を忘れること
二つ、事の終局に至まで謹んで政府の政略を非難すべからず
三つ、人民相互に報国の念を奨励して、その挙を賞賛し、また銘々に
堪忍すべきこと

この時、福沢諭吉が国民に「甘えるな」などと言ったら直ちに暗殺さ
れたに違いない。もっともそんな低レベルの発言は福沢諭吉がするは
ずもないが・・・これも時代なのだろうか、一介の文士が国民に向かっ
て「甘えるな」などと高言を吐けるのは国が堕落した証拠なのかも知
れない?国民に、もし「甘える」ということがあるならば「甘やかした」
側も当然居る。政府や自治体、それにギャンブルをはじめとしたサービ
ス業等の民間企業は国民を「甘やかした」側になるだろう。「甘やかし
た」政府や自治体それから曽野綾子氏のお父様と言われる笹川良一
氏。笹川良一氏は競艇を作って国民を甘やかし骨抜きにし大和魂
を奪ってきた張本人
の一人だ。これらの「国民を甘やかした」側の
責任を不問にしたまま政府や大企業におもねて、挙句の果ては原発
事故の東電をも庇い国民には「甘えるな」と感情的な発言をして卑しさ
浅ましさ
丸出しの曽野綾子氏は文士としても堕落したということでは
ないか。同じことを言うにしても文学者であれば、先の読売新聞で論説
した山内東大教授のように「問題にすべきは、消費者が限りなく豊かさ
を求める欲望の当否に他ならない」少なくともこれくらいの表現はすべ
きであろうが、それができない理由が他にあるようだ。
次の記述は山田和夫医師のブログの抜粋
「主な病気の解説」ブログー作家 曽野綾子・三浦朱門夫妻の場合ー横
浜クリニック院長 山田和夫医師
「転機は三浦がアイオワ大学に留学することになり、親子三人でアイオ
ワ州に住む事になったことです。日本という「閉所」から開放され、文
壇ジャーナリズムからの好奇な視線からも開放され、徐々に自分を取り
戻し、台所で再び小説を書き始めました。それが「無名碑」であり、う
つからの開放となる記念碑的作品ともなりました。睡眠薬や安定剤は服
用したようですが、かなり自力でうつ病を克服していった形跡がありま
す。そのためか、その後の言動や著作には反動的な確信に満ちた
挑戦的な叙述が多く見られるようになります。人間の「悪」を見つめ、
「善」の欺瞞を糾弾
し、日本人として強く生きていくことを主張してい
ます。不安障害やうつ病の体験と、そこから逃げない自力での克服体験
はその人をとても強くするようです

 つまりこの反動的な確信に満ちた挑戦的な叙述こそカタルシス
のものではないか。他を攻撃することによって溜飲を下げている。言
い換えれば他を攻撃することによって「安心している」ということではない
か。これが彼女の被災者に対する無慈悲な発言を繰り出す深層心理だ。
国民には「安心したがる」とか「安心病に罹っている」とか批評し
ながら氏は自らが「安心病」に罹っていることに気付かないでいる。
滑稽極まりない。
曽野綾子氏の「安心病」を治す手立て
はないものか

そして最後に
読売新聞の小松左京氏についての記事「東日本大震災後は(病床
にあって)『取材に行けない自分には語れない』と発言を避けてき
たが来月(8月)刊行のSF作家らの寄稿集に寄せた序文では、震
災への直接的な思いをつづっていたことが明らかになった
」(前述
部分と思われる)
曽野綾子氏よ「取材しなければ語れない」と言った小松左京氏の
言葉をかみしめよ
・・・・だそうです。


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東日本大震災 曽野綾子・三浦朱門夫妻と選民教育思想。

2011-07-22 13:03:52 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子さんのことになると、夫は「ボケ防止にいいね」と笑って
います。四月の曽野綾子さんの識者インタビュー以来、熱心にネットを
調べたりブログの原稿を書いたりして確かにボケ防止になっているの
かしら・・

 曽野綾子氏のことをネットで探しているうちに、ご主人の三浦朱門氏
のことを知ることになった。氏は東大出で文壇では「第三の新人」の一
人に挙げられていている作家だが、最近では文化庁長官を経て文化功労
者に叙せられている。また政府の教育課程審議会会長も歴任し現
在は日本芸術院院長の要職にある方のようだ。その他に12程の団体の
理事長、顧問を兼務しているので「エリート中のエリート」?なのかもしれ
ない。その三浦朱門氏が教育課程審議会会長の時に「ゆとり教育」を進
めるにあたっていろいろ発言した記録が残っている。例えば2000年7月、
ジャーナリストの斎藤貴男氏のインタビューに答えた内容だ(斉藤貴男
のブログより引用)
「三浦朱門(教育課程審議会会長)にただでさえ学力低下と懸念されて
いるに、なぜ『ゆとり教育(授業数3割削減)』をするのかと質問した
ところ、『平均学力なんて低い方がいい。日本が平均学力を高水準に
保ったのはできもしない落ちこぼれの尻を叩いた結果だ。その結果全体
の底上げは出来たが、落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが
育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ。したがってこれか
らは、限りなく出来ない非才無才は勉強などできんままで結構。勉強な
どせず実直な精神だけ養ってもらいたい。落ちこぼれに金と労働力をつ
ぎ込まず、効率よくエリートさえ育てばいい
』と答えた。ことの善悪以前
に『ゆとり教育』というのはエリートを作り出すための『手段』であり、
『目的』をネーミングするなら『エリート教育』ではないか?という質
問に三浦は『だってそんなことを言ったら国民は怒るだろ?だから回
りくどく言い換えただけなんだよ
』と答えたのだ。」
新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~
3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教
育」である
」ことを明言。
案の定というか、先のブログ「許せない、曽野綾子氏の傲慢。その8」
で指摘したように教育国民会議の17の提案いわいる「ゆとり教育」に
貧困問題を取り上げなかったのは意図的なもので、残念ながら貧乏人切
捨ての教育政策だったということだ。教育の機会均等という教育基本法
の理念は、これらのエリート意識過剰の者達によって空文化されようと
している。戦後教育の危機が叫ばれて久しいがエリート意識過剰のこの
エリートは「落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが
育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ
」とうそぶく。
この程度の安直な考えで教育政策に関わっていたのかと思うと愕然とす
ると同時に憤りを禁じえない。統計学的資料のどこを見て「エリートが
育たなかった」と判断したのか?文学界では氏よりも8歳も若い大江健
三郎氏が59歳の時、ノーベル文学賞を受賞し田中耕一氏は43歳の若
さでノーベル化学賞を受賞している。どこを見て「エリートが育たなか
った」と言っているのか?まさか理科離れや海外特にアメリカ留学者が
激減したことを指しているのではあるまい?そしてどこを見て国民が堕
落したと言っているのか?それらの原因が「落ちこぼれ」に手間ひまか
けすぎた結果などと不届き極まりない。この御仁は小説家なのに世相が
全く頭に入ってないようだ。かつてテレビのバラエティ番組の氾濫を揶
揄して「1億総白痴」などと騒がれたことがあった。これなどはマスメ
ディアがスポンサー収入の獲得のために視聴率アップに血道を上げてバ
カ番組を垂れ流し続けた結果ではないか。そもそも国に100年の計や
長期的な戦略がないから、企業活動がこのように野放図になってしまう
のに、そういうところは問題にせず「落ちこぼれ」や貧乏人には「甘え
るな」などと言いながら切り捨てると言うのがエリート意識過剰のエリ
ート達の考えなのだ。この程度しか考えられない日本のエリートたちこ
そレベルが低下した、国を背負うほどのレベルではなくなった、つまり
堕落したということだ。明治の気概はどこへ行った
 そもそも日本の教育とはなんだったのか。明治に年号を変えたばかり
の日本に来た外国人が街角で日本の庶民の子供たちが本を読んでいる
のに驚いたというエピソードがあるくらい、当時日本は世界一の識字率
を誇っていた。江戸時代に普及した寺子屋は多いときには1万5千箇所
を超え幕末には就学率70%~86%で、村民の就学率は91%にものぼっ
たという記録があるらしい。町民から農民に至るまで「読書き算盤」を
学び、武士に至っては藩校での学習を義務付けられていた。特にエリ
ート教育がなされていたという記録はない。
このような風土の中から
明治維新を成し遂げる者達が生まれ日本の近代を築き上げてきた。
 「落ちこぼれに手間ひまかけすぎた」などとそんな狭い了見で国が背
負えると思うのか?こういう文学者が文化庁長官や教育課程審議会会
になったことがすべての間違いの元だと一言、いやくどくどと申
し上げたい。まず三浦朱門氏は「第三の新人」の仲間、遠藤周作から
文化庁長官になって俺らに何のメリットがあるんだ」と諌め
られた経験を持っている。それでも文化庁長官の椅子が欲しかった。才
能に限界を感じていた氏にとっては渡りに船だったのだろう。おかげで
その後いろいろ役職が舞い込んできて生活が安定したということではな
いのか?
ところが氏が主張した「ゆとり教育」の方は結局10年もしないうちに
軌道修正を余儀なくされて失敗した。なぜ失敗したのか?
まず氏が文士だからだ。小説家と言うのは自己の感性を中心に物語を
たくみに表現していくのが仕事のはず。しかし教育は感性だけでは仕事
ができない。教育的世界観に基づく人間像をしっかり持って洞察力と包
容力に裏打ちされた忍耐強い指導力が要求される。これらを理解したう
えで教育政策をたて教育システムを造り上げる。それなのに教育に携わ
ったこともない人間がしたり顔で教育政策に関わる仕事をするなんて言
語道断だ。文学者の視点で教育の世界を見るから「エリート」不足だと
思ってしまい、また妙に「エリート」に拘るから「ゆとり教育」で子供
たちの学力を低下させ貧乏人を切り捨てる。
 三浦氏が「エリート」に拘る理由をコンプレックスが原因ではないか
と指摘する向きもある。つまり「保守」にも保守本流があるように「エ
リート」にもエリート本流があるらしい。三浦氏は高知高校から東大に
入ったという「エリート傍流」意識が「エリート本流」に対するコンプ
レックスとなり「エリート」にこだわる原因になっているのではないか
というのだが。さらに氏は「第三の新人」の中で芥川賞をとっていない
者の数少ない一人だ。「限りなくできない非才、無才」の代表格の当
でさえ遠藤周作の「沈黙」や吉行淳之介「驟雨」、庄野潤三、島尾敏
雄、近藤啓太郎、安岡章太郎、小島信夫くらいは一般教養として読んだ
記憶はあるが、なぜか三浦朱門氏の書物は読んだことはないし仲間内で
話題になったこともないのではないか、記憶が全くない。その位の存在
感しかなかったのでご本人の「エリート」に対する思い入れが激しいの
ではないかと思われる。だから一ぱし教育者然として
「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~
3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教育」

などとのたまう。
 また奥様の曽野綾子氏に至っては「自分が社会に出てこれまでに二次
方程式を使ったことはない。使わない二次方程式はいらない」などと教
育国民会議で主張して学校教育から二次方程式の解の公式をなくさせて
しまったと言われている。一介の文士の発言に左右されるなんて文科省
も馬鹿だ。この程度の文士を文化庁長官や教育関係の委員にした文科省
のレベルも随分と下がってしまったということだろう。
 最後に三浦朱門氏に次の言葉を進呈する。良く肝に銘ずるがよい。そ
れは世界の教育界に影響を与えたスイスの教育思想家で教育実践家の
ペスタロッチの墓碑銘の一部だ。
人間、キリスト者、市民。
 おのれを捨ててすべてを他の人のために為す!
 彼の名に祝福あれ

・・・と言うことです。


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なでしこジャパン世界一!女で日本は復活だーッ!

2011-07-18 09:50:46 | 日記
世界一だーッ

バンザイ!ばんざい!万歳!

前半、後半ともアメリカに押し込まれていたけど、GKの海堀選手はじめ

みんな、よく耐えた。

後半、アメリカに先制を許したが35分過ぎにアメリカのゴール前で縺れ

るところを宮間選手が押し込んで同点

ワーッ近所迷惑かえりみず夫と一緒にさけんだ。

これで延長戦

延長・・・延長戦の前半でまたもアメリカに・・・

延長戦後半でコーナーキックのボールを澤選手が

押し込んだ。

夫「やったーッ、今の澤でしょ?澤選手だ。あんな角度からヘッド

で決めたの
?」もう目がうるんでる!

さあ、PK戦だ。GKの海堀選手が好セーブ

PK戦では一人目はアメリカのキックを海堀選手が止めて一人目宮間選

手が決め。二人目はどちらもセーブし、三人目はアメリカのキックを

海堀選手が止めて、坂口選手が決めて、四人目は先にアメリカに決め

られたけど熊谷選手が落ち着いて蹴った。

ワーッ

夫の目から涙がポロポロ!おまけに鼻水

「ティッシュペーパー、ティッシュペーパー」と言いながら慌てて

鼻をかんで、涙を拭いて・・・

バンザイ!ばんざい!万歳!

表彰式も夫は涙が止まらない。

澤選手が優勝トロフィを受ける時のすばらしい光景!目に焼きついて

離れないでしょう。

澤選手!大会得点王。MVPおめでとうございます

なでしこジャパン!おめでとうございます



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なでしこジャパン  W杯決勝戦進出おめでとう!

2011-07-14 08:19:55 | 日記
スウェーデンに3-1で快勝したぞーおめでとう

と言っても朝7時のニュースで見ました。仕事があるから3時に

起きて見るのはやっぱり無理。

ニュースのハイライトシーンでも十分満足できます。

平均身長がスウェーデンの選手より10cmも低いのに、ミスった後は

相手に仕事をさせなかった。

川澄選手がゴール前で倒れこむようにして同点弾!

そしてキャプテンの沢選手がヘッドで決めて逆転。

そして3点目がまた川澄選手だったっけ?

日本の女はすごい

夫が叫びました

さあ、こうなったら優勝しかない。

アメリカに勝って優勝してください。

今度こそ3時に起きて見ますから・・・応援してますからね。


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なでしこジャパン W杯ベスト4進出おめでとう!

2011-07-10 10:15:28 | 日記
今朝のニュースでなでしこジャパンがドイツを破ったことを知りました。

やったー!おめでとう。

前回覇者のドイツには勝てないと思ってましたけど、今朝のニュースの

ハイライトシーン。大会に出ている中で平均身長は一番小さいのではな

いかと思うけど、すごいの一言です。

延長戦であんな位置から丸山選手がシュートして、良くぞ入った。

ドイツは日本に負けるとは思っていなかったでしょうね。

世界も日本がドイツに勝てるとは思っていなかったでしょう。

ばんざい、バンザイ、万歳

こうなったら優勝して欲しい。

それにしてもテレビ局は、どうして中継してくれないの?

準決勝戦からは生中継してください見ますから

男子も来年のW杯はベスト8以上をお願いします。


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東日本大震災 曽野綾子氏が原発推進派の意見を代弁!

2011-07-01 08:03:14 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曾野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災、原発事故について「文化功労者」曽野綾子氏が政
治的発言をしているので気になると夫が言っています。


エネルギー政策は国政そのものだ。なかでも原子力エネルギー政策は国

論を二分して激しい論争が行われてきたものの、今回の大震災と福島原

発事故で原発推進派の勢いは削がれた状態となっている。

この状況に苛立ちを隠せない人は多いかもしれない。だからと言って「

文化功労者」が原発推進派を擁護し意見を代弁していいものか?

先のブログでも述べたが、曽野綾子氏は5月27日付けの産経新聞の

「安心病の特効薬は」と題したコラムの中で

国民の方は昔から原発を『絶対に安全なのか』という言い方で追いつ
めてきた。『いや、物事に絶対安全はありませんから、事故の場合を想
定して避難訓練もいたします』と原発側が言ったとすると『事故がおき
る想定の下で、原発建設をやるのか!」とやられるから、「原発は絶対
に安全です』という子供じみた応答になる。しかし物事に『絶対安全』
ということはないのである。今後いかなるエネルギー政策をやろうと、
絶対の安全はないという認識が国民の側にもないと、物事は動かない。
もちろん安全は必要だから、より安全を執拗に目指すことは当然だ
。」

このような幼稚なロジックで原発推進派の意見を代弁している。政府や

東電を「絶対安全だ」と言わざるをえないように「追いつめてきた」な

どと由々しき表現はさすがに曽野綾子氏。原発事故は現在も高濃度汚染

水の処理もままならず収束も工程表通りにいくか予断を許さない状況な

のに「国民は甘やかされた、貧乏する覚悟が必要だ」と言いながら、ご

自身は事故の原因究明には一切触れないばかりか「東京電力に責任は

ない」などと東電を擁護して「物事に絶対安全というのはない」のだから

国民もそういう認識をしないと原子力エネルギー政策は「動かない」と

訴えている。ところが他のコラムでは「停電が多いのは世界の当たり前」と

言い放って恥じない。何を言いたいのか。氏の持論からすると原発などなく

なり電力不足で停電が起きたりして産業が衰退し日本が「貧乏」な状況

になっても良いのではないかと思われるが、ご自身の持論に矛盾がある

のは気づかないのですか?いや、曽野綾子氏にとっては矛盾はしていな

いのですよね。「国民が甘やかされない貧乏な状況が良い」わけですか

ら・・、しかし「大企業の経済活動が停滞するのは困る」。こういう

ロジックを使うということは経済活動と国民の生活が一体という認識が

欠如しているからで、氏の論理は最初から破綻していると言われて当た

り前だ。

このように「文化功労者」が一方の論調に組することが果たして妥当な

のだろうか、考えてみたい

まず、ネットの辞典ウィキペディアで「文化」の定義を調べると

文化(ぶんか、culture)にはいくつかの定義が存在するが、総じて
いうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のこ
とである。社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)
ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その
文化を身につける(身体化)ということでもある。人は同時に複数の組
織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在する
こともある
」とある。

従って「文化功労者」とは「人間が社会の成員として獲得する振る舞い

の複合された総体」の向上発達に顕著な功績を挙げた人となる。しかし

「複合された総体」と言うからには政治も含めたものになるため「文化

功労者」として国が顕彰するには政界や政治色のない「文化」に限定し

て、他の叙勲と区別したものと思われる。

「文化功労者」は昭和26年に「文化功労者年金法」が制定されて、「文

化功労者」に選ばれると現在は毎年350万円の年金が終生支給されるら

しい。「文化功労者」は文部科学大臣の諮問機関の文化審議会にある

「文化功労者選考分科会」で毎年15人ほどを選考し文部科学大臣が決定

するというものだが、美術、文芸、理工、生物、芸能、スポーツの分野

で「文化の向上発達に功績顕著な人」が選ばれるらしい。国に顕彰され

て年金が支給されるので「文化功労者」は少なくとも「準公人」となる

のではないか。

従って「準公人」である「文化功労者」は他の叙勲とその性質を異にし

ている為、政治的な発言を差し控えるのが当然だ。例えば公人である原

子力安全・保安院の審議官が曽野綾子氏と同じ発言を公の場でないにし

てもそのような発言したら驚天動地の大騒ぎになってしまうはずだ。そ

れくらい「公人」というのは公平性を要求される立場ということだ。

「準公人」も同様なはずなのに、どうして曽野綾子氏は公平性を欠いた

発言をして口さがなく暴走するのか・?これはどうも経済産業省を

中心とした「原子力村」と似たものが言論・出版界にあるからではない

のか。名づけて「メディア村」もしくは保守論壇の牙城「産経村」。

エリート意識の塊が他の批判を受け入れず庶民を酒の肴に言いたい放

題。先の月刊誌「WiLL」での渡部昇一氏と曽野綾子氏の対談などは正に

「村」の意識そのままである。

「WiLL」6月号「昇一先生の美女対談」『不幸からの贈り物が日本人を鍛

える』(渡部昇一&曽野綾子)抜粋

曽野 「こんなにひどい津波 は見たことがない、・・・・そもそもの想定が
甘かったなら、責任は東電 ではなく設計側にあります
。」
編集部 「天災 には文句が言えないので、東電 がスケープゴート になってい
る面がありますね
。」(中略)
渡部 「過剰な原子力 ・放射能 アレルギー のある日本社会のなかで、これだ
けの原発 を建設した人たちは偉いと思う
」(中略)
曽野 「私は、未だに答えのない疑問を持っているんです。「避難所 が寒く
て凍えそうだ」「低体温症 で体調を崩している」「温かいものが食べられな
い」という報道がありましたが、あれはなぜ? そこらじゅうにあんなに薪
があるじゃないですか。瓦礫の処理が大変だと言っていますが、どうして木
片は燃やさないんですか。同じ高さの石を三つ積めば竈(かまど)ができる
んです。そこに、あれだけ燃やすものがあるんだから、あとはどこからか鍋
を拾ってくればいい。私だったら、あそこで薪を集めて食事をつくります
。」
曽野「放射線 の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいん
ですよ。何も若者を危険にさらすことはない。私も行きますよ。もう運転免許
は失効していますが、あそこは私有地だから無免許でも構わないでしょう
(笑)。ほうれん草 からヨウ素 が出たときも、ある人が「五年後に症状が出る
なら、そのころは八十五歳だからちょうどいい」なんて言っている人がいま
した。

渡部 「養老院 で使うとかね。」
曽野 「かえって元気になるかもしれません(笑)。水道水だって、ヨウ素 は
八日経てば半減するんでしょう。私は空き瓶に水道水を詰めて日にちを書
いておくことにしました。飲まないでいるうちに八日以上経ちましたから、
もういいはずですね
。」

編集部がお追従を言うところなども正に「村」が形成されていることを表

している。この「産経村」や「WILL村」が曽野綾子氏を暴走させている側

面もあるのではないか。ご本人を諌める者はなく互いに慰めあって庶民を

酒の肴に楽しんでさえいる。もっともそれ以前に曽野綾子氏の口さがない

性分があるのかもしれませんが。いずれにしても「文化功労者」である

以上、政治的発言を差し控えるか「文化功労者」を返上すべきです。

ちなみに文学者が政治的発言の自由を確保するために文化功労者、文化

勲章、その他の叙勲を辞退した人はかなりいる。まずノーベル文学賞を

受賞した大江健三郎氏は「政治的自由を確保するため」に「文化功労者」

「文化勲章」の受賞を辞退している。大江健三郎氏が「言論・表現の仕

事に携わるものは、いつも権力に対して距離をおくものだ」と言ったと

いわれる。大江健三郎氏が見習ったといわれる「俘虜記」の大岡昇平氏

もその一人。そのほかに詩人で実業家の辻井喬氏(堤清二、元西武セゾン

グループ会長)は「自分の国でも時には批判しなければならないこともあ

ります。でも勲章をもらったらできない。批判する自由は持っていたい

ですから」と言って文化勲章を辞退したという。城山三郎も「物書きの

勲章は野垂れ死にというじゃないか。国家にあれこれ言われる筋合いは

ない」等々実に歯切れがよく潔い。文士たる者かくあるべし、と言いた

い。もっとも曽野綾子氏の場合は政権寄りの発言が多いので上記の高潔

な文学者たちから比べると作品のレベルが低い分、権力に擦り寄る度合

いが激しいのではないかというアイロニーさえ持ち出したくなる。だか

ら「文化功労者」に叙せられてから一段と政権側にすり寄った発言が多

くなったのではないのか。いや、政権側にべったりだから政治的発言に

ご本人はなんの抵抗もないのかもしれない。教養や見識が高いと思われ

る文学者が政治的発言をするのを妨げるものではないが、「文化功労者」

である以上はそれなりの矜持は示すべきであろう。



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