非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

小笠原諸島・平泉 世界遺産登録おめでとう!

2011-06-26 21:35:58 | 日記
小笠原、平泉、世界遺産登録おめでとうございます。

小笠原諸島は温暖な気候の土地で外界からほとんど遮断されていたので、

小笠原諸島固有の動植物が多いらしい。連日テレビのニュースで島の素

晴らしい映像が流れているので一度は行ってみたくなった。

CWニコルさんという人がルポで小笠原を紹介していたけど、実を言うと

ニコルさんは8年前に日本に帰化したらしいが「本土では外国人と言わ

れけど、ここだと私は外国人といわれない」と言っていた。小笠原には

昔からアメリカからの移住者もいて、なにかのんびり生活しているみた

いでうらやましい。国境がないような雰囲気もいいかな

でも小笠原諸島の生態系を破壊しないように外来動植物の持ちこみのチェ

ックが相当厳しく行なわれるようだ。同じく世界自然遺産の屋久島も観光

で相当荒れたと以前ニュースで見たことがあるので観光、観光と言って押

しかけないほうがいいかもしれない。そおっとしてあげるのも世界遺産を

守る方法かも知れない。あるいは観光税というのを取って高い税金を払わ

ないと見に行けないと言うのもどうだろう。そうするとあま

り観光客は増えないと思うけど・・・・お金がないから負け惜しみもある

けど。

それから世界文化遺産になった平泉。ここもお金がないから行ったことが

ない。昔、歴史で学んだ「義経、藤原、平泉」情けないけどこの程度の

キーワードしか浮かんでこない。でも高速道路で行けるので余裕ができた

ら夫と二人でのんびりと行ってみたい。

とにかくおめでとう


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東日本大震災 曽野綾子氏の論理的破綻?!

2011-06-23 10:52:41 | 日記
曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「編集手帳」

「許せない曽野綾子氏の傲慢」シリーズで行くのかなと思っ

たら、「曽野綾子氏の論理的破綻」にしたいそうで・・・・

ネットを見ていて曽野綾子ファンの、あるブログに5月27日の産経新

聞に掲載されたという氏の「『安心病』の特効薬は」と題したコラムが

紹介してあったので読んでみた。「ニュースに出てくる・・・人たちが
『安心して仕事を始めたい、安心して子供を遊ばせたい』と言ってい
るのを聞いて、私はおかしな気分にとらえられた
・・・相変わらず

の論調だ。「文化功労者」たる者がこんなことにいちいち反応して言

辞を労するなんて情けない。想像力が枯渇して思うように小説が書け

ない為に小言ばかりを言うようになったのではないのですか?

こちらも年寄りの戯言に反応せざるをえないのは、その辺のお年寄り

が縁側で誰かを相手に将棋を指しながら小言を言うのとは訳が違うか

らです。氏は「有識者」で歴とした「文化功労者」。それを十分に意

識して計算した上で発言しているとしか思えないから尚更放ってはお

けないのです。

そもそも「安心」という言葉は「不安」という言葉の裏返しの概念で、

不安がなくなった状態を指すわけだから、「安心」を口にする人はな

んらかの不安を感じているはずです。アナウンサーは、それらの人々

の心情を慮っての発言だ。安心や不安の感じ方はその人の環境や学問

の量によって異なると思う。ましてニュースに出てくる被災地の人た

ちは着の身着のままで避難して来た人が大半で、働く場所もなく生活

資金も底をついて不安な思いから「安心」を口にすることは至極当然

のことだ。原発事故で公園の土や幼稚園、小学校の校庭の土の放射

線量を気にして「安心して子供を遊ばせたい」いうのが、どこがおか

しいのだろうか?

氏曰く「私は私の人生で、かつて一度も、安心して暮らしたことはない。
今一応安全なら、こんな幸運が続いていいのだろうか。電気も水道も止
まらない生活がいつまでできるのだろうか、私の健康はいつまで保つだ
ろうか、と、絶えず現状を信じずに暮らしてきた。何度も書いているの
だが、安心して暮らせる生活などというものを、人生を知っている大の
大人が言うものではない。そんなものは、地震や津波が来なくても、も
ともとどこにもないのである
。」

これをよく読むと氏は大きな過ちを犯していることが解る

つまり「不安の概念」という哲学的な命題を追求する視点で実生活で

吐露される一般市民の言葉を直ちに定義している。


「安心」を口にする人たちの現況を分析する視点と哲学的な命題を追求

する視点を分けて考え論ずることが必要だと思いますがいかがですか?

そして次の記述、「安心して暮らせる生活を、約束する人は嘘つきか詐欺師。求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。前者は選挙中の
立候補者にたくさん発生し、後者は女性か老人に多い


こういう短絡的な断定の仕方自体が幼児性の現れで、ここでも同じ

手法で解析する
。「安心して暮らせる生活」を標榜する政治家達に

とっては、それが理念であり目標でもある。政治目標という日常生活

の観念や哲学的根拠を曽野綾子氏は「不安の概念」という哲学的命

題を追求する視点のみで定義付けるから「嘘つきか詐欺師」呼ばわ

りすることになる
全く子供じみているというほかない

自治体の首長になり自治体を立て直す為、懸命に働いている政治家も数

多くいる。最近では大阪の橋本府知事。大阪府下の自治体の首長の前で

涙ながらに訴えていた姿は今も目に浮かぶ。彼は府民に約束したから苦

渋の涙を流し、そして今は府の財政を立て直してきている。また以前に

も述べたが、とっくに故人となった元京都府知事の蜷川虎三は府民の生

活向上のため自らを犠牲にして生涯を借家で過ごした清廉潔白の士もい

る。今回の被災地の首長たちも良く見るがいい。「嘘つきや詐欺師」な

どでは断じてない。また選挙に立候補した人たちの多くは立派な志を持

った人たちばかりと信じたい。たとえ議員になってから変節する人が居

てもだ。とにかく政治家が掲げる理念や目標という日常生活の観念や哲

学的な根拠を哲学的な命題を追求する視点で断定するから、ついには暴

走することにもなる。
しかしこれほど多くの人が『安心して暮らせる生活』なるものが現世
にあるはずだ、と思い始めているとしたら、それは日本人全体の精神の
異常事態だ
」などと叫んでしまう。

だから
ことに、これだけの天災と事故が起きた後で、まだ『安心して暮らせる
状況』があると思うのは、不幸な事態から何も学ばなかったことになる


などと一方的に断定してしまうことにもなる。

被災地の人たちができるだけ早い復興を願い、「安心して暮らせる生活

が欲しい」と口にしながらも生活の建て直しに懸命になっている。ただ

瓦礫の処理などは国家の関与なしにはなす術がなく、津波に流された自

宅の跡地に勝手に家を再建することも国や自治体の都市計画が確定する

まではできないので個人の動きには限度がある。それでも仕事のない被

災地の人たちの為に「キャッシュ・フォー・ワーク」という新しい労働形態

をNPOを中心に行ないながら、なお希望を捨てずに一日も早く「安心

して暮らせる状況」を追い求める、その思いが強ければ強いほど復興へ

の活力も、より強くなるというものだ。それを「不幸な事態から何も学

ばなかったことになる」などと見当違いも甚だしい。

それもこれも実生活の庶民の思いを租借することなく表出された言葉だ

けに囚われて、だだ哲学的な命題を追求する視点で決め付けるから珍

妙な結論となってしまう。氏こそ哲学的な考察について学び直す必要が

あろう。

さらに「国民の方は昔から原発を『絶対に安全なのか』という言い方で
追いつめてきた
」なんということを・・・「文化功労者」が原発推進派の

意見を代弁するなんて、どういう了見なのだろうか
ご自分が言っ

ていることがどういうことか解らずに仰っているのではないのですか?

追いつめてきた」とは誰を追い詰めてきたと言いたいのですか?

これは由々しき発言ですぞ。東電を追い詰めてきたと仰りたいのですか?

追い詰めてきたから東電は隠蔽体質を形成したと・・。逆でしょう。

東電の隠蔽体質が国民の不安を駆り立ててきた。

1979年のアメリカのスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故

以来、国民は「原発は絶対安全だ」とは思ってもいないし、原発推進

派と反原発派の論争はそんな低レベルの論争ではない。今回の福島原

発事故を拡大させた一因に政府の中の推進側と規制する側が同居する

馴れ合いの組織「原子力ムラ(村)」があるとされ、その「原子力ムラ」

に守られ胡坐をかいてきたのが東電だ。今回IAEAのアドバイスを受け

て原子力安全・保安院を経済産業省から切り離して総理府直轄とした。

「原子力ムラ」を解体する第一歩だろう。「文化功労者」だから原発

関連の知識も習得した上で発言しておられるのでしょうが、読売新聞

の7回にわたって連載された「検証3ヵ月原発危機」を是非ご一読く

ださい。

「(安心して暮らせるとか絶対安全でなければと言って追い詰めたり
する)こんな子供じみたやり方では政治はもちろん、経済も文学も成り
立ち得ない
」・・・「追い詰めてきた」などという言辞を弄すること自体

が子供じみているでしょう?

それは世の中に、完全な善人も悪人もいないのに、幼稚な人道主義
者が、自分は善人でそうでない人は悪人と分けることと似ている


このくだりもまた子供じみているし、この前後を読む限りこの部分は蛇

足と思われるが、氏に反駁する論調を暗に牽制したかったのだろう。台

風で被災した人たちが避難指示に従って豪雨の中を避難するとき、中に

は濁流に飲まれて何人かが亡くなっているというのに、

学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を
支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私
はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠
って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負っ
て避難するだけの個人の才覚の訓練が要る


新聞さえも用意できない状況なのに、それとも予め避難場所の体育館に

古新聞を持ち寄って保管しておけと?豪雨の中を毛布や布団を背負って

行けと?それとも台風の進路が分った時点で避難所に各自の毛布や布団

を持ち込めと仰っているのか?それでは台風が来るまでは子供たちは体

育館を使えなくなってしまうが、どうするのですか?ご自分が避難所で

体験した上で発言するならまだしも、埒外にあってテレビのニュースを

見ながらの、為政者側に立ったかのような理不尽な物言いに対し国民の

多くが反発し反駁している。反駁する私たちを「幼稚な人道主義者」と

言いたいのだろうが、残念ながら私たち庶民は「人道主義」などという

高邁な思想は持ち合わせてはいない。氏の理不尽な物言いに、ただ単に

反発しているだけだ。それと人を安易に「幼稚な人道主義者」と決め付

けるところなどは、およそ「文化功労者」にあるまじき言質。

「自分は善人でそうでない人は悪人と分けることとにている」なんて

余りに子供じみている。世の大人達は「自分を善人」などと思い込ん

でいるおめでたい人はいない。今の世の中は善人、悪人の尺度で図れ

ないほど「複雑」ではなかったのですか?曽野綾子殿!

国民全体が知らず知らず感染している「安心病」をまともな感覚にま
で引き戻す特効薬はないものか


思い上がりもいいところだ。日本人のことをもう少し勉強しては如何

ですか?今回の大震災に引き続き、東海地震の今後30年以内に発生す

る確率が87%といっているのに、のほほんとはしていませんよ。

次の震災や災害を警戒しながら、しかし希望を持って頑張っているのが

日本人です。その希望さえも持つなと仰るのですか?希望を抱いている

から「安心して暮らせる生活が欲しい」と庶民は口にするのです。とこ

ろが、その庶民の言葉だけに拘って、それ以上見ようとしないから洞察

力にも欠けるし自己撞着も甚だしくなる。とにかくあなたの言っている

ことは論理的にも破綻しているのですから・・・。


こうなってくると曽野綾子氏はドンキホーテさながらで、どこか痛々しい。

病気なのはあなたですよ!

「文化功労者」曽野綾子殿!・・・・だそうです。


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村上春樹さんのカタルーニャでのスピーチに感動!

2011-06-12 12:55:22 | 日記
村上春樹さん!スペイン・カタルーニャ国際賞受賞おめでと

うございます。一昨晩のテレビのニュースでスピーチの様子が一部

放映されて感銘を受けたので、今日、ネットで全文読みました。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour

特に「僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを
嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとって
より大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合い
の感覚なしに、小説家であることはできません

にはホッとしたと同時に目頭が熱くなりました。曽野綾子氏のように為政

者然としてペンを武器に良心や知性の欠片もなく私たち庶民に刃を向

けてくる作家がいる中で、限りなく知性を感じる作家が日本にいることに

胸を撫で下ろす思いです。いや村上春樹さんだけではなく、大半の作家が

そうだろうと思いますが・・・・。

スピーチは「非現実的な夢想家として」と題して、まず東日本大震災に

触れ、自身のその胸の内を吐露します。そして地震の国で生活している

日本人の国民性や世界観について述べた後、本題である福島原発の事

故について話を進めます。広島、長崎の原爆を体験しながら、いつの間

にか「核」に慣らされてきた氏自身の自責をこめて福島原発の事故を省

みます。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実
とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなか
った。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えて
いたのです。それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の
崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本
人の倫理と規範の敗北でもありました。


これは永年、原子力発電政策を推し進めてきた自民党政権や官僚たちの

仕組みで、原発設置を承認した自治体に対する補助金を次第に少なくし

ていき、次の原発を設置して補助金の額を維持せざるをえないがんじが

らめの政策で、「安全だ」「現実を見なさい」と言う言葉を政府をはじ

め原発推進派は使い続けてきた。そうしながら政府は過疎対策を東電に

押し付けたままで、基本的な過疎対策を怠ってきた。政府や官僚に大き

な責任があり問題があるのは明白だ。

村上氏はさらに「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだ
った
」これこそが「広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の
集合的責任の取り方となったはずです

日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが
必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会と
なったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易
な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです


そのとおりだ!」夫が隣で呟きました。以前にも述べた「戦略なき野放

図な経済活動」が正にそのことで、戦略がないからセーフティネットの

構築も度外視し「効率」のみに頼る結果となってしまった。

さらに「大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家
たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範
と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとし
た新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。
それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のよ
うに、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、ま
さにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきまし
た。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう


このくだりで夫は目を潤ませて並木路子さんが歌った「りんごの唄」を

歌い始めました。「赤いりんごにー♪唇寄せてー♪・・・」夫の頬を涙

が流れます。並木さんの明るい歌声は戦後の焼け跡から復興を目指す

国民を奮い立たせたということです。

曽野綾子氏をはじめとした言論界の一部が「暴走」する中で、村上春樹

氏をはじめとした「日本の知性と良心」が一段と輝きを増し国民を導い

てくれることを期待したい・・・と言っています。


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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その9・だって

2011-06-04 01:55:15 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。

曽野綾子氏はいつ頃から私たち庶民に向かって「甘やかす」というよう

な感情的で主観的な言葉を使うようになったのだろうか。

平成16年(2004年)の台風23号の被災者に
学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給さ
れていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわか
らない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当
たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避
難するだけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は配る必要は
ない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩
けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来る
のが世界の当然だ

避難命令が出て豪雨の中を避難する時、毛布や布団を担いで行けという
のか。10月の寒い時期に濡れて避難してきた人たちに毛布など支給する
なとは恐れいいる。これはまるで「女帝」気取りだ。

さらに同年の中越地震では
避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難
する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配の
ない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、
その辺で調達してくる才覚も必要だ


そして今回の東日本大震災でも前に述べたように同じようなことを、

いやもっとひどいことを月刊誌「WILL」で言っている。

平成15年の「文化功労者」がこの程度かと思うと腹立たしくなるだけで

はなく、面と向かって論戦を挑みたくなる。何度も述べたように曽野綾

子氏はどうして物事を一面的にしか見ないのだろう。アフリカの人たち

と比較して「日本人は甘やかされている」と言うのは笑止千万だ。

OECDがどうして「相対的貧困論」で統計を取っているか考えたこともな

いのでしょうか?「絶対的貧困論」でやると日本の貧困層はアフリカでは

大金持ちになるからですよッ。解ります?

関連して前にも述べたように租税負担が比較にならないでしょう。

例えば避難者に「新しい毛布を配った」のだってアメリカの真似ですよ。

それなのに国民負担率はアメリカよりも高い。国民負担率は租税負担率

と社会保障負担率を合計したものらしいのだが2008年のOECDの調査では

日本の国民負担率は租税負担率24.3%、社会保障負担率16.3%の計40.6

%となっている。一方アメリカは租税負担率24.0%、社会保障負担率が

8.6%計32.5%。社会保障はアメリカと比較しょうがないとしても租税

負担率では0.3%日本が多い。それなのにアメリカと同じように「新し

い毛布を配った」らどうして「甘えかす」ことになるのでしょうか?

「文化功労者」がこういうことを知らないはずはない。知っていて、そ

れを無視して敢えて一点突破主義的に発言し発信しているとしたら、明

らかに為政者の立場に立っているとしか言いようがない。曽野綾子氏は

2000年に「教育改革国民会議」の委員に任ぜられ2003年に「文化功労者」

に列せられた途端に為政者然として「甘やかされた」などという不遜極

まりない発言をするようになったのではないか?歴代の文化功労者に尋ね

たいものだ。「あなたも文化功労者になって曽野綾子氏と同じような発言

を国民に発していますか」と・・・

因みに歴代の文化功労者といえば湯川秀樹をはじめ、文壇では谷崎潤一

郎、志賀直哉、斉藤茂吉、武者小路実篤、永井荷風、佐藤春夫、吉川英

治、川端康成、大仏次郎、山本有三、野上弥生子、井伏鱒二等々教科書

に出てくるような作家ばかりだが、その後に曽野綾子氏の名前を挙げる

と「おやっ」と思いたくなる。「ド素人」がこんなことを言うのは誠に

不遜極まりないことだが、曽野綾子氏は彼らと同レベルの作品を世に出

しているのですか?「ド素人」の耳目にも飛び込んでこない作品しかまだ

ないのではないのですか?例えば村上春樹氏の「1Q84」とまではいかなく

ても。それくらいの話題性のある作品はないのですか?

あなたと一緒に、確か作家で評論家の臼井吉見が「才女時代」の一人と

して取り上げた有吉佐和子。有吉の作品は文学青年でなくても皆が注目

した。「恍惚の人」「複合汚染」は本を買ってまで読んだものだ。有吉

存命の頃は曽野綾子氏はすっかり世間から忘れられていた?。有吉佐和子

の1967年第6回女流文学賞受賞作品「花岡青洲の妻」から遅れること13

年後の第19回女流文学賞の受賞を曽野氏は辞退している。「自分は女流

の域を超えている」という自負があったのかどうか知らないが、世間は

必ずしもそうは受け取らない。「才女時代」を飾った一方の有吉佐和子

から13年目にして認められた屈辱感以外になかったのではないか。

この屈辱感の反動から「文化功労者」に列せられたことが文壇の頂点に

立ったという錯覚と自惚れになり、その余勢を駆ってペンを武器に無防

備な私たち庶民に切りかかってきているのではないか?あるいは有吉が

没したおかげで重しが取れ開放された挙句なのですか?そんな馬鹿なと

仰るかもしれませんが、「著名人」「有識者」「文化功労者」という絶大な

立場から私たち庶民へ向けられた言葉は刃のような鋭さと勢いを持っ

ていることをご存じないのでしょうか?よくテロや暴力に対し「ペンを

武器に闘う」などとジャーナリストや文化人の方達が言ったりしますが

そのペンを私たちに向かって投げつけているのですよ。

曽野綾子さんは・・・。

まあ、そのことを氏はきっと言下に否定されるでしょう。では「文化功

労者」になったことが「甘やかされた」などの一連の発言の動機ではな

いとすると、やはり1995年から2005年まで日本船舶振興協会(現日本財

団)の会長を務めていてアフリカの支援活動に携わってアフリカで見聞

したことが最大の動機ということなのでしょうか?

ではお尋ねしますが、お父様といわれる笹川良一氏らが作った社団法人

「全国モーターボート競走会連合会」俗っぽく言うと「競艇というギャン

ブル。笹川良一氏の意に反して?多くの経済破綻者を生み出してきたはず。

ギャンブルのために破産し一家離散の憂き目に遭った人たちは数え切れ

ないだろう。競艇は日本人を「甘やかす」道具となっただけではなく、

日本男児を骨抜きにした。競艇は「大和魂」を失わせるのに一役買った

といわざるを得ない。笹川良一氏はそのことには頓着なかったであろう

が、曽野綾子氏はどうお考えになるのでしょうか?

ギャンブルの競艇で国民の一部であっても彼らを「甘やかし」悲劇を味あ

わせてもいる組織の長
でありながら、一方で自然災害に遭われた方々に

甘えるな」とは、どういうことですか?とても矛盾を感じます。

日本人に「カツ」を入れたいのでしょうが、お節介はお止めください

それよりもあなたの古巣「日本財団」に日本男児を「甘やかさない」よ

う「骨ぬき」にしないよう仰せ付けください。・・だって



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