非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽34

2020-11-29 14:40:40 | 日記
続きです。

我々がアメリカに行って慰安婦問題に反対する活動をしている
と、しっかりとした日米関係を作ろうとするのが目的であるにも
かかわらず、どうしても日本に軍国主義を復活させるための運動
なのではないかという、変な目で見られてしまいます


当たり前だよ。この書籍で述べているようなフーヴァーの主張を
基に、ルーズベルトが日本を太平洋戦争に追いやったとアメリカ
で主張したら、「日本に軍国主義を復活させるための運動」では
ないかと疑われるのは当然。
メディアに限らず一般の人もネットで、藤井氏の来歴や日本での
出版物を通した主張等を知ることができる。まして今回のような
書籍を出せば、なおさらのことだろう。

藤井氏は、どうして「変な目で見られる」のか理解できないのだ
ろうか。そのことを究明するなんて、ナンセンスなことだが、
一つヒントがある。

たとえば、福島原発事故当時の東京電力の副社長・武藤氏を中心
とした東京電力内の東大閥が、お互いを批判することばかりか
異論を挿むことさえも許さない雰囲気があったため、原発の常
識では考えられなかった、地下に2台の発電機を並列に並べて
設置してしまうというマニュアル無視の愚策を講じてしまい、
津波による浸水で電源を喪失、メルトダウンを引き起こしてし
まったと言われている。

藤井氏の暴論も、その類で、自分の主張は、すべて正しいという
意識が強すぎて、他を受け入れる余裕がない。藤井氏は、今の状
態では「論客」とは言えないが、他の右派論客から批判されたり、
異論を述べられたりすることがなかったのではないかと思う。
それがこのように非常識な論調もまかり通ることになっていると
思われる。

さて、次は藤井氏が、中国のアメリカでの反日策動に触れている。
フーヴァーに関連した記述を除けば、概ね了解できるが、東シナ
海・尖閣諸島問題の記述が抜けている。南シナ海の南沙諸島には
触れていながら、尖閣諸島の記述がない。日本の置かれている深
刻な状況を理解していないのではないかと思ってしまう。
中国が尖閣諸島の上空に「防空識別圏」を設定したのは、2013年。
藤井氏が、この書籍を出版したのが、初版が2017年11月20日と
なっているので、十分に認知できたはずだ。
書籍は後世に残って行くので、原稿を書くときは相当注意を要す
るはずで、従って推敲を重ねるのは常套手段。それを経て、尚且
つ尖閣諸島の問題を記述しなかったのは、どういう意図があって
のことなのかと詰問されるはずだ。藤井氏は責任を持って答えな
ければなるまい。
単に書き忘れでは済まされないぞ。
まさか「反東京裁判史観」の方が重要で、尖閣諸島は問題にしな
いということか? 藤井氏の姿勢が問われることになる。 

尖閣諸島については、小生が2014年8月にブログに書いた
集団的自衛権「環太平洋条約機構」創設の抑止力で中国六場戦争計画を阻止せよ!
この構想を誰も取り上げようとはしなかったが、今年トランプ政
権がアメリカ、日本、オーストラリア、インドの四か国会議を開
催した。
中国包囲網同盟の始まりだ。バイデン政権がこれを引き継いで
くれることを望むほかない。

そしてまたもやフーヴァーの話とルーズベルト批判。
藤井氏の唱える「フーヴァー史観」なるものは、
単なる虚妄に過ぎない。
先のブログで、紹介したアメリカの高校の歴史教科書の
記事が、それを証明している。
これ以上、フーヴァーについて反論する必要もなかろう。

藤井君
対中国に対して
南シナ海・南沙諸島は書くが
なぜ尖閣諸島問題は書かないのか?
「反東京裁判史観」の方が大事だということか?
ふざけるなっ
「東京裁判史観」で騒いでいる場合じゃないぞ
一触即発の状況に
海上保安庁の職員の方々は
毎日、大変な思いをしている

尖閣諸島問題に
英知を集めよ
分かったかっ



※追伸:次回から、いよいよ
「第3章 原爆を落とす必要があったのか!?」に突入します。
藤井氏には正論を吐くことを期待したい。

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽33

2020-11-26 23:07:39 | 日記
32の続きです。

日本では
日本という国が戦前にやってきたことはまともなことだったのだ
と堂々と主張していながら
アメリカへ行ったら
言い出しにくいというのが実情です」と意気地がない。
なのに
したがって、歴史問題で日米関係に不協和音が生じるのは、
アメリカの国益にも日本の国益にも反していることなのです


そもそも他国の歴史に「正史ではない」などと発言すること自体が
間違っている。ましてアメリカは同盟国だ。
アメリカ国内の歴史認識に異論を唱えるのは、場合によっては内政
干渉になる。歴史教科書を書き換えさせ、教育政策の変更を迫る
ことになって、アメリカの逆鱗に触れるはずだ。
そして日米同盟に楔を打つことになってしまう。

因みにアメリカの高校の歴史教科書をwebで探してみた。英文が反
転して日本語訳になるサイトがあった。直訳のようなので、その日
本語には、いささか違和感はあるが・・・。

先ずフーヴァーの評価はどうか。
多くのアメリカ人が激怒した。軍は大戦の退役軍人をどのように
そのような軽蔑をもって扱うことができるでしょうか。フーバー
は、政治的扇動者、無政府主義者、共産主義者が暴徒を支配して
いると主張した。しかし、事実は彼の主張と矛盾する。ボーナス
マーチャーの10人中9人が実にベテランで、20%が障害者でした。
ボーナス軍が史上最大のワシントン行進であったにもかかわらず、
フーバーとマッカーサーは明らかに国家安全保障に対する脅威を
過大評価した。フーバーがその夏に再選を目指して選挙運動を行
う中、彼の行動はすでに彼の世論をさらに底押しした
」と、にべも
ない。

一方、ルーズベルト。
ルーズベルトはフーバーとは異なり、すぐに行動しました。就任
宣誓の2日後、ルーズベルトは「銀行休日」を宣言しました。3月6
日から3月10日まで、銀行取引は変更を除いて全国で停止されまし
た。この期間中、ルーズベルトは緊急銀行法で新しい議会を発表
しました.この法律は、財務省を通じて大統領に対し、溶剤である
銀行を再開し、そうでない銀行を支援する権限を与えた。下院は
全会一致で法律を通過する前に40分間の議論しか許されず、上院
はすぐに圧倒的な支持を得た。
銀行が再開する前の日曜日の夕方、ルーズベルトは彼の署名の一つ
を通じて国民に演説しました "暖炉のチャット."大統領は、落ち着
いた口調で正直な言葉で、危機が終わり、国の銀行が安全である
ことを6000万人のラジオリスナーに保証しました。ビジネスに戻
った最初の日に、預金は引き出しを超えました。4月の初めまで
に、アメリカ人は自信を持って銀行システムに10億ドルを返しま
した。銀行危機は終わった


以上がアメリカの高校の歴史教科書の日本語訳の抜粋。
教科書は、転記の部分には記載がないが、ルーズベルトを天才政
治家と高評価している。

このような教科書の内容に日本が変更を迫ったら、どうなるか。
アメリカ国内で大騒ぎになって、日米同盟は破綻する。

藤井氏の記述は日米同盟の強化どころか、日米同盟を破綻させよ
うとしていることになる。

自らが主張する「反東京裁判史観」のために、フーヴァーを担ぎ上
げ、フーヴァーの主張を「フーヴァー史観」と称して、これがアメ
リカの「正史」と謳うなど、正気の沙汰ではない。

しかも
アメリカの保守の人たちにとっても、これを否定したり取り消し
たりすることが、なかなかできません。
これを否定するということは、戦前の日本に味方をして日本は悪く
なかったと言いたいのか
」と反論されたという記述があるのは
藤井氏は「従軍慰安婦像」撤去の運動でアメリカへ行って、その
折、フーヴァーの史観がアメリカの「正史」であるなどと話をし
たのではないか。

こういう無謀なことを平気でやっているのかと思うと慄然とする。
感覚というか、観点がずれてる。

歴史問題で日米関係に不協和音」などと、さも自らが日本政府に
よって派遣された外交団であるかのごとき記述は大時代的でしか
ない。

藤井君
そんなので、「反日」の連中とよく闘えるね。
従軍慰安婦の問題で、アメリカへ行ったりオーストラリアへ行った
りボランティア活動には敬意と感謝を表するが、特にアメリカでは
歴史認識について言及すべきではない。
アメリカでは、日本の右翼的な学者が来て、戦前回帰の話をしなが
ら従軍慰安婦像の撤去の運動をしているという話がアメリカ中に
拡散して、アメリカ在住の日本人に困惑を与えているはずだ。
従軍慰安婦像の撤去に関しては正々堂々と理詰めでいくべきだ。
小生だったら、先ずアメリカで下記のような文書を配布してから
討論に臨む。
「従軍慰安婦像の設置は、日米同盟に楔を打とうとする者たちの
策謀の一つだ。
そもそも歴史認識に関する問題は文書・口頭による話し合いで
解決すべきものを、慰安婦像や記念碑を建立することは、話し合
いを拒み、一方的な主張を揺るがないものにして相手を屈服させ
ようとする物理的で卑劣な行為だ。このような行為を民主主義を
重んじるアメリカは拒否すべきだ」
このやり方は長い時間が掛かるだろうが地道にやるしかない。
いずれにしても従軍慰安婦像の設置を進める韓国の「反日」の連
中は人々の感情に訴えるしかできない低レベルの人間たち。
超然として望むしかない。


この項に関しては、さらに次回に割愛します。








「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽32

2020-11-23 22:55:58 | 日記
「チャイナは、あらゆるものが戦争の手段となる『超限戦』を
仕掛けている」

超限戦などと聞きなれない言葉が出てきたので、まずこれを検索
してみます。
超限戦」というのは中国の軍人が著した軍事戦略の論文のよう
だ。
中国空軍の喬良、王湘穂は、これからの戦争を、あらゆる手段で
制約無く戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論じ
た。本書の第1部は、新しい戦争についてであり、第2部では、作戦
の新しい方法についての議論となっている。この中で喬良、王湘穂
は、25種類にも及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ
戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア
戦などを列挙している。そして、このような戦争の原理として、総
合方向性、共時性、制限目標、無制限手段、非対称、最小消費、多
元的協調、そして全ての過程の調整と支配を挙げている


ということで、あらゆる事柄を戦争の道具として使う又は戦争の
場面であるというのが、論旨のようだ。

それよりも、冒頭に出てくる記述のほうが気になる。
さもアメリカと日本の間に歴史認識に関する外交上の問題があるか
のように述べている。由々しいことだ。

ルーズベルト史観や、ルーズベルトはヒーローであるという見方
は今でも大変根強く、アメリカの保守の人たちにとっても、これを
否定したり取り消したりすることが、なかなかできません。
これを否定するということは、戦前の日本に味方をして日本は悪く
なかったと言いたいのか、ナチス・ドイツやイタリアにも言い分が
あつたと思っているのか、という話になってしまいます。そうする
と甚だしく面白くないということで、言い出しにくいというのが
実情です。それで、多くの人がルーズベルト史観にしがみついてい
るのです。
歴史を回復しなければいけないのは、アメリカ人自身であるという
こと。この問題はまさに今の問題になってくるのです


なんだ?この記述は・・・・。ルーズベルトは「社会主義的」政策で
アメリカの保守主義者から総すかん食ったんじゃなかったのか?
おまけに以前の
「「赤狩り」という極端な政策がアメリカで吹き荒れた理由」の項
では
「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽30
それ以降、共産主義がアジアを次々に侵略していったことも
あって、日本という国が戦前にやってきたことはまともなこと
だったのだ
、ソ連の共産主義を防ぐ防波堤になっていたという
ことに、アメリカもやっと気が付きます
」と記述している。
違うじゃないかっ
アメリカの保守の人たちにとっても、これを否定したり取り消し
たりすることが、なかなかできません。
これを否定するということは、戦前の日本に味方をして日本は悪く
なかったと言いたいのか
」と反論されて、どうした?
日本という国が戦前にやってきたことはまともなことだったの
」と強く主張すれば良かったじゃないか。それを「言い出しにく
いのが実情です
」と?君はそれなりの気概を持って、すべてに
臨んでいるのではないのか?これだけの書物を著すのだから、なぜ
正々堂々と主張しない?

結局、君の主張は矛盾だらけなんだよ
ちぐはぐだっ
「アメリカ進歩主義」のところでは嘘を書くし
後年、大統領になるロナウド・レーガンが、振り返って次のよう
なことを言っています
」の次のレーガンの発言が抜けている。
そして、先述の項では「日本という国が戦前にやってきたことは
まともなことだったのだ
」ということを「アメリカはやっと気づい
」と記述していながら、今回は真逆のことを書く。
この項では
戦前の日本に味方をして日本は悪くなかったと言いたいのか
と反論されたと。
前述は創作で、後述は現実に遭遇した反応だろ?
なぜ前述を創作というか分かるか?
アメリカ人即ちアングロサクソンは君も知っての通り、物事を
厳密に考察する性癖を持った民族。

日本という国が戦前にやってきたことは、まともなことだった
のだ
」という意見がGHQや米軍内部で出た場合、議会で証人喚問し
て必ず真相を究明するのがアメリカだ。そして必ず記録を残す。

藤井君
こんな間違いだらけ、矛盾だらけは
痴呆症の疑いありだ
君は「反日の撲滅」に邁進しているようだが
書物は書くな
口頭で反撃しろ
筆はここで折りなさい。
分かったか


「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽31

2020-11-23 22:47:23 | 日記
「アメリカ国民は本当の歴史を知らされていない」
「アメリカ国民よ、今こそ目を覚ませ」

アメリカの国民が自分の国の歴史をどのように知らされようが日本
に関係ないだろ、と言いたいが、藤井氏は読者を「反東京裁判史
観」へ誘導したいために、遮二無二フーヴァーを担ぎ上げた挙げ句
、触れざるをえなくなっただけだ。

ルーズベルトの政策は間違っていたということ、第二次大戦への
参戦は、アメリカが日本を挑発した結果だという正しい歴史観
を持っている人たちは、アメリカの保守と言われる人たちです


藤井君
「歴史観」に「正しい歴史観」というのがあるのか?
まして一国平和主義を唱えるフーヴァーらアメリカの保守主義者の
一部の主張が「正しい」という方向付けをしたいのは、君の邪まな
意図だろう。

ちなみに「歴史観」についてwebを見た。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
歴史の見方を決めるもの。歴史家がある観点から事実を解釈すると
きの前提になる統一的な観念。歴史家はそれぞれ固有の歴史観を
もっている。多くの事実のなかからあるものを選び出す選択基準、
事実を意味づける価値観は歴史家によって異なる。・・・・・
歴史家が自己の立場から事実をどう解釈するかは自由であって、
その解釈が史料によって実証され、論理的に整合する限り真である
。」

これからも分かるように歴史観とは「歴史家がある観点から事実
を解釈するときの前提になる統一的な観念
」であるとしているが
その解釈が史料によって実証され、論理的に整合する」場合に
限り「真」即ち正しいとしている。

藤井君
ルーズベルトの政策は間違っていた」ということが史料によって
立証されたのか?
小生がwebを検索した限りでは、ルーズベルトのニューディール政
策が誤りであったという結論には達していないようだが・・・・。
勿論、毀誉褒貶相半ばして、批判的な論調もある。しかし、その
論調が、従来のルーズベルトに対する評価を覆すまでには至って
いない。
また「第二次大戦への参戦は、アメリカが日本を挑発した結果」も
同様だ。
第一、虚言を弄する者が「正しい歴史観」などと謳うのは
、片腹痛いことこの上ない。

次にケント・ギルバート氏を持ち出してきた。
昔、テレビで見たことがあるので、懐かしいなと思ってネットを
見たら、随分太ったというか、貫禄が付いたな。日本に愛着を抱い
て、「反日」の撲滅に日々活動しておられることに感謝したい。

しかし、藤井君
歴史書に現在、活躍中の著名人を担ぎ出して、この人が支持して
いるとか、だから「正しい」みたいな論法は、週刊誌のネタじゃ
ないんだから・・・・、
これは、ギルバート氏に失礼だと思わないのか?
そのレベルのインテリジェンスしか持ち合わせていないのかね?

それから「このフーヴァーの本が、世に出るのに50年近くかかっ
ているのです。そんなに長い間出せなかったというのが、アメリ
カの実情なのです


自由主義国家アメリカに出版物を出せない実情など存在しない。
要はフーヴァー側が出せなかった。
なぜか?フーヴァー自身のアメリカでの失政をアメリカ国民が
忘却する時期まで待つしかなかったのだ。
「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽26
先のブログで触れているとおりだ。
また、ウィキのアメリカ合衆国の歴史 (1918-1945)では
19市場崩壊後、フーヴァーは連邦予算の均衡を保つ
一方で税金を下げ公共事業を拡大すると宣言した。しかし、
関税を上げるスムート・ホーリー関税法、後には全般にわた
る税金や料金を上げる1932年歳入法に署名した。これらの
法が不況を深刻化させ、最大の政治的ポカをやった者として
フーヴァーを非難するものが多い
。さらに連邦準備制度が
(根拠のないインフレの恐れのため)通貨流通量を引き締めた
ことは、当時の金融情勢から考えて現代の経済学者の大半が
誤りと見なすものでもある


そして終いにはフーヴァーの歴史観こそ「本当の歴史観」と
藤井氏は宣うが、これは即ち「反東京裁判史観」こそ
本当の歴史観」と示唆していることになる。

藤井君
アメリカ国民よ」などとアメリカに呼びかけて、
この書籍が
世界的な出版物であるかのようなパーフォーマンスは、
ギルバート氏が読んだら、苦笑するだろうね。
なぜか分かるか?
今次の大統領選挙を見ても分かる通り、
アメリカ人は選挙の応援に
アメリカ国旗を掲げる人たちが多い。
日本では、祝日に国旗を掲げる家さえも
少なくなってしまった。
地域によっては全く見かけることもない。
それだけアメリカ人は愛国心が強く、プライドが高い。
アメリカ人にとって
君は「どこの馬の骨」かもわからないはずだ。
「アメリカ人よ」と呼びかけるのは、
ノーベル賞でも取ってから
言いたまえ






「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽30

2020-11-22 12:41:25 | 日記
「「赤狩り」という極端な政策がアメリカで吹き荒れた理由」

「赤狩り」即ちマッカーシズムを理解するには、これを巻き起こし
たアメリカの上院議員・マッカーシーを知る必要がある。
・・・マッカーシズムのきっかけは、どうも偶然だったようだ。

マッカーシーの横顔が全国的に知られるようになったのは1950年
2月9日、ウェストバージニア州のホイーリングにおける共和党女性
クラブでの演説のあとだった。
マッカーシーの演説での言葉は、・・・しかしこの時彼がひとつの
文書を示し「国務省で働いている著名な共産主義者のリストを持っ
ている」と主張した・・・「私は正規の党員であるかまたは共産党
に確かに忠誠であると思われる人物の205人の実例のリストを手に
持っている」としている。
・・・」
この情報はFBIのフーヴァー長官からもたらされたと言われている。
マッカーシー自身も演説へのメディアの大きな反応に驚き、そし
て絶え間なくその後告発、共産党員数の両方をコロコロと修正した
が、それは彼のやり方の特徴的な側面だった。これらは事実無根で
あることがそのうちに分かった。彼は告発を少しだけ変え、そして
それを上院や報道に対して示すのだった

1950年から1953年の間マッカーシーは、政府が内部にいる共産
主義者を扱うことに失敗しているという非難をし続けたが、一方で
彼が一夜でスターダムにのしあがったことは、力ある国民的追随者
とかなりの収入を得ることになった。彼の収入は上院の委員団によ
り調査
され、その結果、彼のキャンペーンにおける問題ある行動と
財政的な不正行為が明らかとなったが、法律的行動に出るための根
拠を見つけられなかった


ここで言う「力ある国民的追随者」とは誰のことか?
ジョン・ウェインかゲーリー・クーパーか?誰だろう・・・。
とにかくマッカーシーは上院の調査団から調査を受けるところをみ
ると、評判はあまり良くなかったようだ。

1952年における共和党の選挙勝利(大統領選勝利は、20年ぶり)
には彼の攻撃が助けとなった。
選挙勝利後、党の指導者は彼の人気の大きさをリベラルな民主党員
を攻撃するための武器と認め、彼を上院政府活動委員会常設調査小
委員会の委員長に任命した。しかし彼が信頼できないところ、及び
言い逃れしようとするところは、決して党(特にドワイト・D・ア
イゼンハワー大統領)に完全には信用されていないことを意味し


マッカーシーの厚顔無恥な攻撃に激怒した陸軍は、反撃に出た。
陸軍は、過去にマッカーシーの事務所で働いていて当時徴募されて
いた兵士デイヴィッド・シャインについて便宜をはかるようマッカ
ーシーとコーンが軍に依頼していたことを暴露し、さらにコーンと
シャインが同性愛の関係にあったとみられることをマスメディアに
リークした。1954年4月から上院において陸軍・マッカーシー問題
特別委員会が開かれ、これがテレビで中継されたことで、アメリカ
国民のマッカーシーに対する支持率は急落し、共和党政治家の中に
もマッカーシーを見限る者が現れ始めた


「マッカーシーはその後も、アメリカ陸軍を追及する委員会におい
て、コーンとともに陸軍内の「共産主義シンパ」の浸透を許した
と、アメリカ軍の上層部を告発したが、6月9日に全米へ中継された
公聴会では、マッカーシーの攻撃的かつ侮辱的な問責が目立ち、喚
問された陸軍側弁護士のジョセフ・ウェルチから、逆に告発の内容
の信憑性の低さを指摘された上に終いには、この様に叱責されるお
粗末さだった。
「君、ちょっと話を止めて良いかね?……もう沢山だ。君には品位
というものが無いのかね?— ジョセフ・ウェルチ。
全米に放送されたこのシーンは、その後のマッカーシーの没落の象
徴として多く流されることになる


さらにその後、共和党のラルフ・フランダース上院議員が、1954
年6月11日にマッカーシーに対する譴責決議案を発議し、アーサー
・V・ワトキンス上院議員率いる委員会が組織され、マッカーシ
ーに対する調査を開始した。その後、上院は1954年12月2日に、
65対22でマッカーシーを「上院の品位を損ね、それへの批判を
生む行動をした」とした譴責決議を採択した


このようにマッカーシーの言質は品位を欠いて墓穴を掘ってし
まう。

アメリカ社会がそれほど左傾化してしまっていたからです。社会
主義革命の数歩手前の状況になっていた、それくらいの危機感が
ありました


そんなことではなくて、マッカーシーは共産党の連中が我が物顔
で庁舎内を跋扈するのが、我慢がならなかった。しかし、その中に
まさかソ連のスパイがいるとは思わなかった。その程度だ。
だからマッカーシーが身内の共和党内からも批判されて、没落する
と同時に「赤狩り」は終息していくことになったのだ。
従って「社会主義革命の数歩手前の状況になっていた」などという
のは藤井氏の創作だ。

ニューディール政策は革命の一部だったのです

ニューディール政策がケインズ経済学を基礎にしていて、日本の
高橋是清の政策と、おおむね同じだったことは、もちろん藤井氏
は知っていて書くのだから、悪質と言うほかない。

そして藤井氏の虚言は続く。
ちょっと脱線しますが、アメリカで夢を果たせなかったニュー
ディラーたちが日本に来て、ここで思い切り社会主義革命をやろ
うと
言って造ったのが、日本の憲法とか戦後の体制なのですね


ニューディラーの誰が「思い切り社会主義革命をやろう」と言った
のか?そこには触れていない。なぜか?藤井氏の創作だからだ。

「ニューディラー」のweb記事に、メンバーの名前がある。
ディーン・アチソン、ジョン・ヴィンセント、チャールズ・ケー
ディス、ジェイムズ・バーンズ、コートニー・ホイットニー、最
後にフランクリン・ルーズベルト


この中でGHQに所属したのは、ホイットニーとケーディス。
先ずGHQの民生局長のホイットニーはマッカーサーの忠実な部下
だったことを述べておく。

コートニー・ホイットニーは、アメリカ合衆国の弁護士・法学
博士、第二次世界大戦におけるアメリカ陸軍の将官。戦後、占領
軍・連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局の局長時代に、
憲法草案制定会議の責任者として、日本国憲法草案作成を指揮し
」また「マニラの超保守弁護士」の異名を持つ。

そのホイットニーの指揮下で日本国憲法草案作成の責任者とし
て従事したのがケーディス。
1946年2月・・・ケーディスは条文の起草を行うため7つの委員
会と各委員会を監督する運営委員会を設置することを提案した。
ホイットニーは提案を受け入れ、2月4日の会議で1週間以内に草
案を作成するように指示した。ケーディスら民政局員は昼夜を問
わず作成作業に当たったが、局員の中に憲法学を学んだものが一
人もいなかったため、作成に当たっては憲法研究会の「憲法草案
要綱」の他、世界12か国の憲法を参考にしている。2月7日以降
に各委員会が作成した試案は運営委員会に提出され、8日から9
日にかけて運営委員会で会合が行われた後、10日に草案はホイ
ットニーからマッカーサーに提出した。
マッカーサーは一部の修正を指示した後、2月12日に「マッカー
サー草案」として日本政府に提示した


3月4日、ケーディスは国務大臣松本烝治が提示した日本政府案
と説明書の英訳を行うが、日本政府案がマッカーサー草案と異な
っていることに気付き、「日本政府案は受け入れられない」と激
怒し松本と口論となった。松本は経済閣僚懇談会への出席を理
由に退席したが、ケーディスは松本の助手である法制局第一部長
・佐藤達夫を相手に口論を続けた。英訳作業を終えた後、ケーデ
ィスは日本側と憲法の最終案作成の作業に入り、32時間の議論を
経た3月5日に最終案が確定し、翌6日に日本政府により最終案「憲
法改正草案要綱」が公表された。その後、憲法改正草案要綱は
衆議院・貴族院での手続きを経て、1947年5月3日に日本国憲法と
して施行された


日本では敗戦後、すぐに全国で朝鮮人による事件や暴動が頻発し
ていた。たとえば生田警察署襲撃事件で在日朝鮮人からなる暴徒
によって1945年(昭和20年)12月24日、および翌1946年(昭和
21年)1月9日の2回続けて発生した。警察では手に負えなくて連
合軍が出動し鎮圧している。当時の日本は、この程度の脆弱な警
察力しか保持していなかった為、治安の悪さも政情不安も払拭で
きなかった。このような日本の現状に米国は危機感を抱く。

1948年(昭和23年)1月6日、ジャパン・ロビーのケネス・ク
レイボーン・ロイヤル長官が日本の過度の弱体化を進めるGHQ
の占領政策を批判する。同年2月、米国のジェームズ・フォレス
タル国防長官がケネス・クレイボーン・ロイヤル陸軍長官に「
日本と西ドイツの再軍備」を検討するよう指示。その3ヶ月後に
ロイヤル長官は「アメリカの人的資源の節約のためにも日本の
再武装が望ましい。そのためには日本人が改憲することが必要
だ。」と答弁する。この年から、米政府から日本に改憲と再武
装を要求する圧力が強まり、警察予備隊(のちの保安隊、自衛
隊)設立の準備が進む。
サンフランシスコ講和会議に先立っては、ダレス国務長官から
「主権回復後は日本も軍事面においても国際社会に貢献するよ
うに」と再武装を強く迫られるが、吉田首相はそれを回避し、
激しいやり取りが起こった。このときマッカーサーは吉田を弁
護したが、離任帰国直後に吉田に対して「日本は再武装すべき
である」と書簡を送っている


それ以降、共産主義がアジアを次々に侵略していったことも
あって、日本という国が戦前にやってきたことはまともなこと
だったのだ
、ソ連の共産主義を防ぐ防波堤になっていたという
ことに、アメリカもやっと気が付きます


日本という国が戦前にやってきたことはまともなこと
だったのだ

藤井君
アメリカは日本に対して、
そんなこと言ってはいないぞ
君の創作だろうがっ
見え透いた嘘を言うんじゃないよ
戦後レジームからの脱却を訴えた安倍元首相の
水先案内人のつもりで、
戦前回帰を訴えるつもりか
読者をコケにしすぎる
君の書いたことをネットで調べもせずに
はいはいと頷く者ばかりではないぞ
いい加減にしろ




「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽29

2020-11-17 23:54:49 | 日記
さて、次は
「フーヴァーは、共産主義の脅威と戦うことに生涯をかけていた」

前項の「アメリカを侵略する共産主義の脅威」に引き続き、
同じテーマなので、先のブログ
「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽26と重複しますが、ご容赦を。

前項で藤井氏の虚言を暴露したので、これ以上、同じテーマで
反論するのは辟易するものの、藤井氏の波状攻撃には、同じ
対応を繰り返すしかありません。

フーヴァーはとにかく共産主義が大嫌いでした。彼の生涯を
かけたテーマは、共産主義と戦うことだったと言っても過言で
はありません


そもそもフーヴァーは若い頃から卓越した商才を発揮して、ビジネ
スの世界を歩いた人物なので、労働者階級の思想は肌が合わないだ
けでなく嫌いだったとは思うが、かと言って頑迷な反共主義者でも
なかったのではないか。

「「赤の恐怖」と呼ばれる現象は第一次世界大戦とその後の数年間
でアメリカ合衆国国内に起こった。戦争への反対者や破壊分子が戦
争遂行努力を妨害しようとしているという多くのアメリカ人の間に
あった怒りや恐れによって、アメリカ社会に脅威となると疑われた
者への抑圧と逮捕が始まった。アメリカ合衆国議会は1918年に治安
維持法
を成立させ、徴兵に対する抵抗を奨励することで戦争遂行を
妨害することを違法とした
」「戦後、赤の恐怖、主要産業(製鉄
業、食肉加工業)における大きなストライキ、および暴力を伴う人
種暴動という流れの中で破壊活動に対する恐怖がまた始まった。
2月にはウォール街で過激派が爆弾を仕掛け、シアトルでは労働者
がストライキを打った。1919年の年間で黒人と白人の人種にからむ
暴力を伴う事件は20以上も起こった。」
「5月1日、オハイオ州クリーブランドにおけるメーデーのパレード
で、社会党指導者ユージン・V・デブスの逮捕に抗議していた人々が
暴動に走った(メーデー暴動)。幾つかの爆破事件や暗殺未遂が
状況をさらに悪くした。1920年までに1万人以上が逮捕され、これ
らの襲撃で捕まえられた外国人はヨーロッパに送還された


このような激動の時期を経験しても
ロシア革命後の混乱により飢饉で苦しんでいるソ連や大戦後のド
イツの人々に食糧支援を提供した。その結果、評論家が共産主義
ロシアを助けていなかったかどうか問い合わせたとき、フーヴァ
ーは、「2千万の人が飢えている。彼らの政治が何であっても彼ら
を食べさせるべきである」と反論した


上記のような対応は、共産主義は嫌いではあったが、共産主義者に
は寛容であったということだろう。そうでなければ、自ら大統領に
なったときに、アメリカ共産党を非合法化したはずだが、そのよう
な措置を取った形跡はない。

優れた経営能力を持った博愛主義者であり人道主義者だったので、
政界引退後も歴代大統領に人道支援の際は重用された。

1938年にフーヴァーはヨーロッパ各地を訪れ、アドルフ・ヒト
ラーを始めとする多くの国家元首と会談した。
1940年にフーヴァーはフィラデルフィアで行われた共和党大会で
講演を行った。フーヴァーは、ヒトラーのヨーロッパにおける勝
利は確実で、アメリカが必要とする大統領はヒトラーと取引がで
き、彼を疎外しない大統領であると語った
。このことはチャール
ズ・ピーターズの『フィラデルフィアでの5日間』で詳述される

と反共のためにはナチとも手を組むべきだとしている。

また状況が確定した戦後だから書けることだが
フーヴァーはチャーチルとルーズベルトがスターリンを連合国
側に引き入れたことは、スターリンが共産主義を広める手助けに
なったと批判、スターリンはヒトラーと同じろくでなしで、彼ら
2人同士を戦わせておけばよかったという意味のことを著書 『裏
切られた自由』 で述べている(本自体の発行は2011年)


しかし、アメリカの共産主義・社会主義のイデオローグたちは、
当初、暴力革命を目指したようだが、当局の弾圧等を経て、
10年後には、その主張は、アメリカ人の楽天的気質を反映した
理想主義的修正主義へと変節していったと思われる。

1932年全国産業復興法(NIRA)が議会を通過し、翌1933年に
はヒトラーがドイツで政権を掌握すると、それまで対立していた
アメリカ労働総同盟(AFL)に党員を大量に入党させるなど他勢
力との協調の道を探り始め、コミンテルンの人民戦線路線を積極
的に採用し、ニューディール・リベラルなどとの共同関係を強め
て反ファッショ運動の一翼を担う

・・・・当時、共産党の路線はニューディールに対する
比判的支持を掲げるなど愛国主義的・ポピュリスト的であり、
この路線は当時の党首アール・ブラウダーの名前から
「ブラウダー主義」
と呼称される


従って、ルーズベルト政権当初はフーヴァーらと同じように「ニュ
ーディールに対する批判的支持を掲げるなど愛国主義的・ポピュリ
スト的
」であったとあるので、ニューディール政策に反対
するフーヴァーらの一国平和主義の集団とそれほどの違いはなく
また勢力的にも、問題にはしていなかったのではないか。
だから「ルーズベルト」の項には「ソ連を承認」の文言は無視され
たと考える。

因みにルーズベルトが最初に成立させた法律
全国産業復興法は、アメリカ大統領であったフランクリン・ルー
ズベルトが実施したニューディール政策の中の最重要法律である。
国が産業の生産統制を行った。1933年制定。
内容
不況カルテルを容認する一方、労働者には団結権や団体交渉権を
認めたり、最低賃金を確保したりして、生産力や購買力の向上を
目指そうとした。・・・


労働者には団結権や団体交渉権を認めたり、最低賃金を確保
これは今や常識的な権利であり保証である。
ところがフーヴァーはこれを共産主義的・社会主義的と考えて
ルーズベルトを批判したのだろうが、藤井氏も、このことを
承知の上で、「反東京裁判史観」のために、フーヴァーを利用して
いるため、正に「荒唐無稽」そのものだ。

次の「共産党組織」に関する藤井氏の見解」
『平和のために声をあげましょう』とか『環境問題で一緒に
行動しましょう』と言って人を集めるのですが、それをオーガ
ナイズしているのは共産主義者です。日本やアメリカの社会体制を
弱くして、共産主義を浸透させるためにやっているのです


ずいぶんと古いこと、言うなあ藤井君
それ、時代錯誤だよ
たとえば今の日本共産党
牙を抜かれた狼というか、歯抜け爺だ。
かつては50万人の党員を誇ったが
今や28万人程度。
ソ連崩壊後、「プロレタリア独裁」「前衛党」の文言を
「綱領」から削除したというのは有名な話。
従来のやり方では、党勢は拡大できないということを
身に染みてわかったんだろ


いずれにしても共産党の趨勢は政権党の政治のバロメーター。
自民党政権がいい加減な政治をやると、共産党が議席を伸ばし
きちんとした政治をやれば、共産党は議席を減らして
そこそこの勢力に収まる。
共産党の出番がなくなるような政治が望まれるということだよ。

次にロナルド・レーガン大統領のこと
例えば、後年大統領になるロナルド・レーガンが振り返って次の
ように言っています

なんと言ったのかと、次を読んでも、その記述がない。
なんだ、これは!
レーガンの言辞が、創作だったので、削除したのに、前文を削除
し忘れて、妙な文章になったということか?失笑ものだ。

映画俳優組合の委員長に就任した1947年。
レーガンは俳優かつ映画俳優組合(SAG)の委員長の立場であ
りながら上院議員ジョセフ・マッカーシーやリチャード・ニクソン
率いる下院非米活動委員会に協力し、「ハリウッドの赤狩り」
(=マッカーシズム)に手を貸した。しかしレーガンは多くの
反共主義者と異なり、アメリカ共産党の非合法化には強く反対
した。
1947年には非米活動委員会でハリウッドにおけるアメリカ共産党の
活動が調べられた。チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒュース
トン、ウィリアム・ワイラーなども対象となり、委員会への召喚や
証言を拒否した10人の映画産業関係者(ハリウッド・テン)は議会
侮辱罪で訴追され有罪判決を受け、業界から追放された(ハリウッ
ド・ブラックリスト)。グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーラン
ド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、ローレン・バ
コール、ダニー・ケイ、カーク・ダグラス、バート・ランカス
ター、ベニー・グッドマン(ジャズ音楽家)、キャサリン・ヘプ
バーン、ジーン・ケリー、ビリー・ワイルダー、フランク・シナ
トラなどが反対運動を行った。ペックは、リベラルの代表格だっ
た。一方で、政治家のリチャード・ニクソンや映画業界人の
ロナルド・レーガン、ウォルト・ディズニー、ゲーリー・クー
パー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは告発者として
協力した。またジョン・ウェイン、クラーク・ゲーブル、セシル・
B・デミルらも赤狩りを支持した


懐かしい俳優が出てきて、コピペやりながら、胸が弾む。
1947年に組合の委員長に就任して、すぐに「非米活動委員会」
に協力しているので、委員長就任前からレーガンは保守派だった
はずだ。
裏に共産主義者がいて自分たちは操られているということが
だんだんわかってきます。それで、レーガンは保守派に転向した
というわけです

これも藤井氏の創作だろう。

因みに
全米映画俳優組合(SAG)の綱領によると、包括的な労働契約を
運用することにより、適正な報酬、福利厚生、労働環境を確保する
こと、組合員の出演する作品の利用に当たって報酬を確保するこ
と、これらの作品の未承認使用から保護すること、組合員の労働
機会の確保と拡大を図ること、が設立趣旨とされている。
SAGは1933年に、ハリウッド俳優が大手の映画製作会社から、不
利な労働時間や休暇条件、制作会社側の一方的な自動更新を含む搾
取的な多年契約を強要されつつあることを受けて、俳優側の条件改
善を期するため設立された



「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽28

2020-11-08 15:15:19 | 日記
先のブログでは、余談を書いて
申し訳ございませんでした

さて、本題へ戻ります。
「アメリカを侵略する共産主義の脅威」
ここで藤井氏と読者の皆さんに謝罪しなければならないことが
あります。
フーヴァーの本の引用
(ルーズベルトの失策は)共産ロシアを1933年11月に承認した
ことである
。」

以前のブログで、ソ連が政権を樹立して10年以上経過しているのに
「承認する」必要があるのか、また藤井氏の創作だろうと一蹴した
が、承認の年月が書いてあるので、ネットを調べると1933年の年表
の11月17日に他の項目の下に「米国、ソ連を承認」とあった。
え、あった。承認したんだ。
それでも腑に落ちない小生は、キーワード「ルーズベルト」を
もう一度検索したが、ルーズベルトか米国政府が「ソ連を承認し
た」という記事を見つけることはできなかった。
さらにアメリカ合衆国の歴史(1918年から1945年)」も検索したが
「ソ連を承認」という文言は見当たらない。なぜか・・・・。
しかし「ソ連」で検索すると、その歴史の項の「戦間期の外交」に
「承認」ではないが、「国交樹立」という記述があった。
外交面では、コミンテルンは当初社会ファシズム論を唱え、
社会民主主義勢力への批判を強めていたが、ファシズムやナチズム
についてはむしろ容認していた。しかし、ヒトラー内閣成立後、
1933年11月にアメリカと国交を樹立。1934年9月には国際連盟に
加盟し、常任理事国となった

「国交樹立」で「承認」ではない。そうすると小生は「承認する」
という文言の概念を理解していなかったということになる。
それで改めて「承認」をネットで調べてみた。

国家の承認とは、ある国家の政府が、
新たに成立した別の国を正式に主権のある国家であると認めること
を指す
」その通りで小生の認識に間違いはない。
そして「国交樹立」とは
国交は、互いの国が相手国を主権国家と認める国家の承認を前提
として行われ、 大使(特命全権大使)を長とする外交使節団の交換
を伴うのが通常である。外交使節団は相手国に大使館を設置し、
外交活動や自国民の保護などの業務を行う。
」とある。

ウィキ「ソヴィエト連邦の外交関係」
二国間関係
第二次世界大戦以前1933年、民主党のフランクリン・ルーズヴ
ェルトがアメリカ合衆国大統領に就任すると、共和党などの反対
を押し切って同年11月にソ連承認を実施した


なおさら謎が深まった。
ルーズベルトやアメリカの歴史に関するウィキペディアの記事に、
そのことがなぜ記載されていないのか。なぜ、「ソ連を承認」や
「ソ連と国交樹立」の文言がないのだろうか。試行錯誤して、
1930年、米ロで検索したら、冒頭に「米ロ関係ーコトバンク」
を発見、読んでみた。

コトバンクの米ロ関係日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
 ロシア革命後初期の米ソ関係について見落とすべきでないのは、
両国政府関係についてはともかく、アメリカの多くの知識人、青
年、技術者、労働者が革命に共鳴して、初期社会主義建設に物心
両面で協力した事実である(ロシア革命に関する古典的名著『世
界を震撼(しんかん)させた十日間』のジョン・リード、後の全米
自動車労組(UAW)会長ウォルター・ルーサー、天才的舞踏家
イサドラ・ダンカンなどはそのうちの著名人の一部にすぎない)。
しかし、第一次世界大戦後1920年代に最大の債権国としてアメリ
カが空前の繁栄を祝福していた間は、米ソ関係を打開する条件は
熟さず、主要な資本主義諸国がソ連を承認したあとも、アメリカ
だけはソ連不承認の原則をとり続けた。しかし1929年秋に始まる
大恐慌の深まるなかで、アメリカでも初めてソ連市場に過剰生産
のはけ口を求める世論が高まり、とりわけソ連の第一次・第二次
五か年計画の成功とその恐慌免疫性が、アメリカにソ連不承認政
策を改めさせる気運をつくった。
1932年11月フランクリ
ン・D・ルーズベルトは大統領選挙戦に勝利すると、大統領に就任
する以前に早くもソ連リトビノフ外務人民委員(外相)を招き、
関係打開の交渉を開始した。こうして1933年11月、ルーズベルト
政権は、(1)アメリカ国内でコミンテルン活動を行わないこと、
(2)旧債務を履行すること、などをソ連側に承認させたうえで国交
関係樹立に踏み切った
」とある。

ここでは「国交関係樹立」と言っても、「承認」の行為以上の
ものではなかったと考えるべきだろう。

つまりこういうことだ。
1780年以来、アメリカ合衆国はロシアに外交使節団を派遣して
きた。
ロシアが革命により倒壊し、ソヴィエト連邦が成立してから
は、旧在ロシア大使は在ソヴィエト連邦大使となり・・・
。」
帝政ロシアの時代から国交があった為、改めて大使館設置や
外交団の交換という「国交樹立」の作業の必要はなく、
従って「承認」も特筆すべきことではなかったのではないか。
だから「ルーズベルト」のキーワードで取り上げなかったと
いうことだろう。

大騒ぎして申し訳なかったが、要は小生が探せなかっただけです。
それでもルーズベルト等のキーワードにないという謎は残ったま
まで、釈然としないが、先へ進みます。

次の記述「4人の大統領と5人の国務長官は、共和党か
民主党かを問わずに、そのような承認行為を、(国際共産主義運動の
目的と手法の全体を知ったうえで)ずっと拒否してきた


まず「4人の大統領」にはフーヴァー自身も入っているのだろうが
彼の任期1年目にアメリカ共産党は党勢を拡大している。それは
どう釈明するのか?

1929年に大恐慌が米国を襲い、労働運動や社会改革運動が再び
台頭の兆しをみせるなかで、共産党は学生運動や労働運動、公民
権運動などに着手し、大衆運動に影響力を拡大しはじめる


拒否したにも関わらず、共産党の影響力が拡大していったのは
自分の責任ではないとフーヴァーは思っていたのか。ルーズベルト
を一方的に批判する、ずいぶんと手前勝手な人物である。
それと(国際共産主義運動の目的と手法の全体を知ったうえで)の
注釈は藤井氏の創作だろう。

コトバンクの記述のように、ロシア革命は皇帝を打倒したフランス
革命以上の幻想を世界の知識人たちに与えたのではないか。
アメリカの多くの知識人、青年、技術者、労働者が革命に共鳴
して、初期社会主義建設に物心両面で協力した事実である(ロシ
ア革命に関する古典的名著『世界を震撼(しんかん)させた十日間』
のジョン・リード、後の全米自動車労組(UAW)会長ウォルター
・ルーサー、天才的舞踏家イサドラ・ダンカンなど
」と諸手を挙げ
て共産主義に賛同したのだろう。

政府の高いレベルに入り込み、第五列の活動が全国にひろがり、
フランクリン・ルーズベルトが大統領であった12年間に亘って
国家反逆者の行為が長く続くことになった


第五列とはスパイや対敵協力者のことを言うらしい。

アメリカのソ連関連のスパイを告発した公文書
ベノナないしベノナ・プロジェクトは、1943年から1980年
まで37年間の長期にわたって、アメリカ合衆国陸軍情報部と
イギリスの情報機関が協力して行ったソ連と米国内に多数存在
したソ連スパイとの間で有線電信により交信された多数の暗号
電文を解読する極秘プロジェクトの名称である・・・ベノナ文書、
もしくはベノナファイル


後年解読された暗号電文を元に様々な研究が行われた結果、
1930年代から第二次大戦後の1940年代末までに米国国内の政府機
関、諜報機関、軍関係、民間組織などに数百人単位のソ連のスパ
イ、スパイグループ及びスパイネットワークが存在し、当時の米
国政府の政策や意思決定をソ連有利に歪め、世論などがこれらの
様々な工作活動によって多大な影響を受けていた可能性があること
が明らかになった


というわけで当時のアメリカはソ連のスパイ天国だったようだ。
藤井氏は、そのソ連のスパイに誘導されて作成された「ハル・ノー
ト」によって、日本は追い詰められて真珠湾攻撃をせざるをえな
かった。日本を追い詰めたのはルーズベルト大統領だ、と言って
いる。この論理は、他の右派論客も使っているが、明らかに論理
矛盾だ。
日本の陸軍参謀・石原莞爾の主張と同内容だったと言われる「ハル
・ノート」は満州国を除いた中国大陸から日本軍を撤退させるよう
要求したものだったと言われているが、日本軍が中国大陸から撤退
すると安定するのは蒋介石率いる中華民国で、それがルーズベルト
の狙いだった。もし、「ハル・ノート」がソ連の影響を受けていた
としたら南下したいソ連の戦略と明らかに矛盾する。毛沢東率いる
中共軍はより困難な状況に陥っただろうし、場合によっては中華人
民共和国そのものも誕生していなかったかもしれない。
またソ連が割譲を要求していた北海道も、アメリカ政権内部でソ連
のスパイの影響力が大きかったら、ソ連の要求通りになって、今頃
は北海道の半分はソ連領になっていただろう。

藤井君
「ソ連を承認」の一件は
悪かったな
しかし
そもそも脚注も付けない
歴史書など
所詮、荒唐無稽の類なのだよ
分かったか

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽27

2020-11-05 22:59:08 | 日記
ここで余談です。

アメリカ大統領選挙。
もはや超大国の威厳などはなく、
アフリカの後進国の政争を彷彿とさせる惨状。
自動小銃等で武装した共和党支持の民兵組織が
選挙運動の前面に出て、市中を闊歩する有様。
対する民主党支持者も武装集団で対抗する。
トランプ氏が大統領になって
アメリカ社会の分断は、南北戦争時代に
逆行しているかに見える
そもそもトランプ氏が大統領になってから
白人至上主義者が表立った活動をするようになり
アメリカ社会の分断が進んだと言われている。

しかし、アメリカがどうであれ、
日本にとっては共和党政権が望ましい。

かつて高潔な人物・オバマ氏が大統領になって、オバマ氏は
同盟国・日本より中国寄りの通商・外交政策を展開した。
当時ファーストレディだったオバマ夫人は、中国を先に訪問
して、日本にはしばらく来なかった。
これらの対応が中国を増長させ、2013年11月に日本の
領土である尖閣諸島の空域に、中国が「防空識別圏」を設定した。
またそれは南シナ海でも同様で、中国の海洋進出は熾烈を極めた。
オバマ氏は、それでも見て見ぬふりの対中外交を続けた。

トランプ氏が、いろいろうるさく日本に注文を出しているが
トランプ氏の発する米中の摩擦が、中国を緊張させ、中国は現在、
日本に配慮するようになっている。例えば今年は自国の漁業者に
「デリケートな問題があるから尖閣諸島には近寄るな」と命令し
ている。また9月3日に開かれた抗日戦争・反ファシズム戦争
75周年記念式典に習近平はじめ党中央の幹部は出席していない。

だから日本にとっては民主党政権よりも共和党政権の方が
望ましいのだ。

とはいえアメリカの民主主義が危機に瀕しているのを見る
のは実に堪えがたい。

バイデン氏が大統領になった場合、
菅首相はアメリカに
外交政策で、トランプ政権の対中外交政策を
継続するよう注文すべきだ。


「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽26

2020-11-04 13:41:07 | 日記
続きです。

日本から見れば、侵されては困るぎりぎりの国益と名誉という
ものがあります

藤井君、これは君の意見のようだが、日本軍の強硬派の意見を代弁
したものと受け取れる。自国の旧政治体制側に立った論評は
「国際政治ジャーナリスト」がやるべきことではない。
「日本帝国政治ジャーナリスト」と名乗った方が良いのでは
ないか。

フィッシュは先のブログで触れたように、ナチス・ドイツの
スパイ容疑がかけられた人物なので、これ以上、この人物に
言及する必要はないだろう。

さて次の「アメリカを侵略する共産主義の脅威」

アメリカが共産化しようが、日本に関係ないだろうと言いたいが
藤井氏の意図は、共産主義は悪、それに近いルーズベルトも
悪という図式で、読者を誘導しようとしている。

ルーズベルトは、とにかくアメリカのブログレッシビズム、
進歩主義を代表する人でした。日本で言えば、革新のチャンピオン
みたいな人です。だから共産主義にも近かったし、社会主義政策
もやったし、、スターリンとも親しかったのです


ところがウィキでは
アメリカ合衆国の進歩主義時代(英: Progressive Era)は、
1890年代から1920年代にかけて、社会と政治の改革が著しく
進んだ時代である。・・・多くの人々が地方政府、公共教育、
医療、財政、保険、工業、鉄道、教会など多くの分野で改革の
努力を行った。進歩主義者達は、社会科学、特に歴史学、
経済学、政治学の分野を変化させ、専門化させ、「科学的に」
させた。学術分野ではアマチュア執筆家の時代が終わり、
学術雑誌や新聞に記事・論文を掲載した研究の専門家の時代
になった。国政の指導者には、共和党員ではセオドア・
ルーズベルト、ロバート・M・ラフォレット・シニア、
チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ、ハーバート・フーヴァー
民主党員ではウィリアム・ジェニングス・ブライアン、
ウッドロウ・ウィルソン、アル・スミス等がいた


何を言っているのだ?
アメリカ進歩主義者の中に、政治家では、共和党の
「ハーバート・フーヴァー」の名前があるではないか。
ルーズベルトの名前は出ていないではないか。
どういうことだっ
これは極めて悪質なデマゴギーになるぞ。
捏造だろ


こんな汚い手を使って、
ネットを参照できない読者を
騙そうってのかっ
だから一切、脚注などつけなかったのだな
?


とにかく藤井氏はルーズベルトを共産主義と関係づけようと
しているが、ニューディール政策はケインズ経済学を基礎に
していると言われている。

ニューディール政策はそれまでアメリカの歴代政権が取っ
てきた、市場への政府の介入も経済政策も限定的にとどめる
古典的な自由主義的経済政策から、政府が市場経済に積極的
に関与する政策へと転換したものであり、第二次世界大戦後
の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。
世界で初めてジョン・メイナード・ケインズの理論を取り
入れた」と言われるが、彼の著書『雇用、利子および貨幣の
一般理論』は1936年に出版されており、ニューディール政策
が開始された1933年よりも後である。原案は、いち早く世界
大恐慌から脱した日本の高橋是清が考案した政策(時局匡救
事業)と大半の部分で共通している


藤井氏は懲りずに妄言をくりだす。
33年、ルーズベルトがソ連を承認したことによって、アメリカに
対するソ連共産主義の侵略が、日増しに激しくなっていくのです。
それ以降、共産主義は表のドアから公然と入ってくるようになり、
労働組合などを通じて様々な社会運動がアメリカで広がるように
なります


今時、共産主義に対するこれほどのアレルギーは時代錯誤だ。

念のためにウィキでは
1919年にアメリカ社会党から分離した2つの政党アメリカ共産党
と共産主義労働党が1920年代初頭に合同して成立。最初、党名は
「Workers (Communist) Party」だったが1929年に現行の
「Communist Party of the United States of America」へ改名す
る。当局の弾圧もあって1920年代は停滞したが、1929年の世界恐
慌を期に勢力を拡大し、1930年代に最盛期を迎えた

1929年に大恐慌が米国を襲い、労働運動や社会改革運動が再び
台頭の兆しをみせるなかで、共産党は学生運動や労働運動、公民権
運動などに着手し、大衆運動に影響力を拡大しはじめる。他方で
1930年代にはスターリンのモスクワ裁判を支持するなどの教条主義
的、硬直的な態度は知識人や学生に幻滅をあたえ、後に「ニューヨ
ーク知識人」と呼ばれるようになった社会学者のリチャード・ホフ
スタッターやダニエル・ベルらは離党し、敵対していく


フーヴァーが1929年に大統領になってから、アメリカ共産党が
勢力を拡大している。

1932年全国産業復興法(NIRA)が議会を通過し、翌1933年には
ヒトラーがドイツで政権を掌握すると、それまで対立していたアメ
リカ労働総同盟(AFL)に党員を大量に入党させるなど他勢力との
協調の道を探り始め、コミンテルンの人民戦線路線を積極的に採用
し、ニューディール・リベラルなどとの共同関係を強めて反ファッ
ショ運動の一翼を担う。
そのなかでもとりわけ有名なのは、スペイ
ン共和国支援のための国際旅団「エイブラハム・リンカーン大隊」
である。リンカーン大隊は労働者を中心とする義勇兵の部隊で、
1938年に撤退するまで前線で戦い続けた。
リンカーン大隊の副官
オリバー・ローはアフリカ系アメリカ人で、彼は合衆国の歴史上
、白人と黒人の混成部隊では初の黒人指揮官だった。また炊事兵の
ジャック白井は日本の函館から来た移民だった


このレベルだったらアメリカ共産党は、比較的に健全だった
と言える。

しかし、フーヴァーの間違った政策で失業者が溢れ、それがアメリ
カ共産党の躍進に繋がった。

フーヴァーの失策
対外的にはスムート=ホーリー法のもとで保護貿易政策を
とった。このことは、世界恐慌を深刻にさせた一因とも指摘
される。・・・フーヴァーは政府や国家レベルでの対策しか講
じなかった。これが、結果として景気をさらに悪化させることに
なってしまう
。・・・結局フーヴァーは、世界恐慌に
対して有効な政策が取れず、赤十字頼みとなり、1932年の大統
領選挙で対立候補の民主党フランクリン・ルーズベルトに40州以上
で敗北する歴史的大敗を喫した

1933年の任期満了をもって大統領職を退き、政界から引退した


当時は全米48州だったようで、「40州以上で歴史的大敗」という
と、41~42州でフーヴァーは負けたのではないか。
そのショックは大変なもので、その悔しさが回顧録を書く動機と
なって、異常ともいえる反ルーズベルト一色で書き綴られていた
ものと思われる。
回顧録「フリーダム・ビドレイド」を出版するのに50年もかかっ
たというが、
それは歴史的な不人気の大統領の汚名をアメリカ国民が
忘れるのに50年もかかった
と言った方が正解だろう