非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む

2012-05-19 10:17:48 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末3
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
最近、夫は「サンケイ新聞、サンケイ新聞」とうるさい!
「サンケイ新聞、1度取ってみようかな」「読売新聞は来年の一月まで
契約しているから無理よ!」「1ヶ月だけでも・・・・・。」「そんな
余分なお金ないよ」「そうだね」と言って素直に諦めてくれた。仕事柄、
折込チラシが一番多いので読売新聞を購読している。他の不動産会
社の広告に眼を光らせるのも大切な仕事の一つですから・・・。

 ネットでしかサンケイ新聞の記事を垣間見ることが出来ないのは少
々寂しい気はする。賑わいを見せる曽野綾子キーワードに列をなす
タイトルが「『クソ婆・毒婆』から『秀逸の曽野綾子先生の記事』」
まで実に幅広く毀誉褒貶が渦巻いているだけに曽野氏の記事を直に読
んでみたいという衝動に時折駆られる。先の当ブログ「東日本大震災
曽野綾子氏の産経新聞『透明な歳月の光』の怪」を書いて以来、曽野
綾子・産経新聞のキーワードで検索することが多くなった。そして見
つけたのが「イエスマンの国」だ。そのコラムを評したブログを覗い
てみると曽野綾子氏の顔写真入りの産経新聞「小さな親切大きなお世
話」のコラムがそっくり貼り付けてあった。そのブロガーに感謝した
い。23行4段抜きのそのコラムは去年の12月23日付けになっている。
曾野氏の顔写真を見た妻が「80歳で、これだと美人だね」妻は当方以
上に曽野綾子氏のことを知らない。「商売をやると成功する顔してる
わよ」最近、顔相学に凝っているので人の顔を観ると必ず一家言ある。
「うむ、物書き商売で金持ちになっているよ」ビジネスマンになって
いたら飛ぶ鳥を落とすほどの商才を発揮していたかも知れない。以前、
当ブログでそのようなことを書いたような気がする。そういう先入観も
あってか鼻の形が笹川良一氏とよく似ているので、やっぱり親子なの
かなあと思いながら読み始めた。
  このコラムはオリンパスの元社長のウッドフォード氏の、オリン
パスの経営陣が「イエスマン」ばかりだったせいで経営を誤らせたと
の発言を取り上げて現在の日本社会を曽野綾子氏が揶揄している内容
だ。それは先ず、仕事柄、知りえた事として出版界の内情について吐
露するところから始まる。「出版の世界にも『イエスマン』がいた」
中で、ご自身は「マスメディアの言論統制と闘ってきた」と胸を張っ
ておられるのだ。つまり次の4つの波は出版界のイエスマンたちが
もたらしたものだと仰りたいのだろう。まず最初に遭った「言論
統制」が「新聞は創価学会に対する批判は一切許さなかった。広告収
入の第一のスポンサーだったからだろう。」それは当方にも記憶があ
るが、藤原弘達という政治評論家の「創価学会を斬る」の出版を巡っ
て創価学会が田中角栄まで動かして出版を差し止めるよう圧力をかけ
たという、いわゆる「創価学会言論弾圧事件」だ。ついには日本共産
党と公明党・創価学会の闘争にまで発展したので、その当時、学生や
社会人だった者は大抵の人が記憶している事件ではあるが、新聞社の
執筆者への対応にもそういうことがあったのかと改めて知らされ驚い
ている。次の「第2の波は・・・中国の批判記事は署名原稿でも書き
換えを命じられ、それを拒否するとボツになった。産経新聞以外の全
マスコミが、足並み揃えて中国や時には北朝鮮礼賛もしたのにそれを
謝罪したマスコミは一社もない。」
そういえばチベットに対する中国の侵略と激しい弾圧についてはブラ
ッドピット主演の映画「セブンイヤーズ イン・チベット」で初めて
知ったような気がする。それまでチベット弾圧についてマスコミで取
り上げたことがないのではないか。なるほど、そういうことがあった
のかとの思いだ。そして「第3の波は特定の人に対する盲目的尊敬を
強要し、その人に対するいかなる批判も許さなかったことだ。司馬遼
太郎氏に対する批判記事には、新聞社の幹部までが異常な反応を示し、
その部分の訂正を求めて来た。」このへんになると、ふーんそういう
ことが本当にあったのかなと少し疑問が残る。そして問題は「第4の
波」だ。「差別語に対する長い年月に及ぶ執拗な言葉狩りだった。一
例をあげると、らいという病気は「らい」が正確な病名だが、
ハンセン病と表記しないと許されない
。」
この記述には驚いた。そんなはずはない。「らい病」から「ハンセン病」
に呼称や名称が変わってから久しいはずだ。
ネットで「らい病」を検索すると「ハンセン病」の項目へ自動転送される
ので「らい病」という名称は、すでに存在しないということだ。
まずハンセン病の定義をウィキペディアでは以下のように記している。
ハンセン氏病は、抗酸菌の一種であるらい菌 (Mycobacterium
leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生に
よって引き起こされる感染症である
。」
またハンセン病の呼称・名称および用語に関する項目は次のとおり。
1953年(昭和28年)2月1日に「全国国立癩療養所患者協議会」(全
癩患協)は「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会」(全患協)に
改称した。しかし厚生省はその後も「癩」を平仮名の「らい」に変更
するのみにとどまり、専門学会も「日本らい学会」と呼ばれ「らい」
が使用され続けた。その一方で、大阪皮膚病研究会や、那覇や宮古島
のハンセン病外来施設であるスキンクリニックなどでは、「らい病」
の使用は忌避された。1959年(昭和34年)に全患協はより一般的な英
語読みの「ハンセン氏病」に改称し、さらに1983年(昭和58年)には、
「氏」を削除して「ハンセン病」へと改称した。1996年(平成8年)の
らい予防法廃止後は、官民ともに「ハンセン病」が正式な用語となり、
「日本らい学会」も「日本ハンセン病学会」に改称された
。」
そして、記憶に新しい「小泉英断」がある。平成13年に当時の首相
小泉純一郎氏が総理大臣として談話を発表してハンセン病国家賠償請
求訴訟の判決について控訴を断念したというものだ。更に総理大臣談
話の後、間髪をいれずに政府声明を発表した。この時も「ハンセン病
」と明記している。
 ところが曾野綾子氏は国民が極めて重大な関心を持って見守ってき
た事柄を「『らい』が正確な病名」と断言しているのだ。名称や呼称に
ついては通常「・・が正式な病名」などと表現するはずだが、曾野綾子
氏の「らいが正確な病名」という表現は「一般にはハンセン病と言うが
病理学等、検証した結果、『らいが正確な病名』だ」と言っている事に
なる。曾野氏の断言には、そういう意味合いが込められている。しか
し「らい」は細菌学の学名として「らい菌」があるが「ハンセン菌」
とは言わない。にもかかわらず曽野氏はなぜ「らいが正確な病名」と
記述したのか?当方は厚生労働省健康局疾病対策課03-5253-1111
に確認した。「仰るとおり平成8年にらい病をハンセン病へと用語を
変更致しました。」という回答を得たが、なお「日本ハンセン病学会」
でネットを検索すると同学会のアドレスが出てきた。連絡窓口とあっ
て所在の末尾に、なんと「日本財団ビル」とあるではないか?日本財
団が「大家」だったとは驚きだ。電話をすると連絡事務所なので詳
細について答えることが出来ないとのこと。それで東京都東村山市
にある国立感染病研究所・ハンセン病研究センターへ電話をした。
厚労省と同じ答えであったが、曾野氏の名前を出すと「曾野綾子さ
んはハンセン病に積極的に取り組んで頂いていて、韓国の(ハンセ
ン病)コロニーへも行っておられる方ですよ。・・・それは文学的にら
い病と表現せざるを得ないということではないのですか。」と意外
にも好意的な返事だ。文脈からしてそうではないと抗弁しても笑っ
て相手にはしてもらえなかった。日本財団が相当支援しているという
ことが窺える。しかし、ハンセン病患者に対する支援活動を行い、
ハンセン病に理解があるはずの曾野綾子氏は「らいが正確
な病名
」と主張しながら「(ハンセン病という病名使用を強制する)
拗な言葉狩り
」と闘ってきたというわけだから、これをどう理解し
たら良いのか戸惑ってしまう。こうなると今までの曾野綾子氏に対す
る経過観察で判断するしかあるまい。つまり職業作家というのは言葉
を紡ぐプロフェッショナルなのに曽野氏は誤字、誤読、混同や同一
視を常とし思い込んでしまう性癖
の持ち主なので、今回も同様で
はないかと思われる。つまり「らいが正確な病名」は「らい菌」の
明らかな勘違いで、ご本人には他意はないと思われるが、それにし
ても随分と永い年月を思い込んだまま執筆活動を続けておられるこ
とになる。従って、これは曾野氏の慈善活動そのものにも疑問符が
付いてしまう。つまり慈善活動といっても心がこもっていないので
はないかという疑問だ。「らいが正確な病名」という記述がはしな
くもそれを証明している。即ち曾野綾子氏の慈善活動は単なるパフ
ォーマンスに過ぎないということだ。心がこもっていれば文筆活動
でのその種の記述には細心の注意を払って記述するはずだから、こ
れは、むしろ自ら馬脚を現したということだ。弱者に対する気
持ちなど微塵も持ち合わせていないということを自ら証明しただけ
ではなく、この記述は傷口に塩を塗るような残酷な仕打ちとなって
いる。また、ついでに言わせて頂くと日本財団の会長時の大家の店
子に対する傲慢さが見て取れる。以上のことから、第4の波の記述
は前段の第3までの記述の信憑性に疑問符を投げかける結果となっ
てしまった。例えば第3の波の司馬遼太郎氏に対する批判記事は本
当は名誉毀損になりかねない記述だったのではないか。名誉毀損と
なれば掲載した出版社も連帯責任を問われ、謝罪広告を出す破目と
なってリスクは高い。従って書き直しを要求することになる。そう
いう疑問が浮上するのだ。いかがでしょうか?美人殿。
 以上のことから後段の記述の説得力は迫力に欠けるものとなった。
戦後、日本の官庁にも会社にもマスコミにも、そして家庭にも、イエス
マンばかりがはびこった。理由ははっきりしている。人々が物質的
な安定を生涯の希望とした結果、教育も勇気ということを全く教え
なくなったからだ・
・・。」ほんとうにそうだろうか?
「戦後」と曾野綾子氏は断るが「イエスマン」は戦前にはいなかった
と言いたいのか?では「大政翼賛会」はどうだ?その名の通りイエスマ
ンの会だ。戦前の日本は「大政翼賛会」の名の下に政党から軍部、国
民の末端に至るまで太平洋戦争に突入して行った。非協力的だと
「非国民」と言われて村八分にされたり官憲の監視下に置かれたと聞
く。インテリのごく一部に「戦争反対」を叫んで投獄され拷問を受けて
獄死した人たちがいた。しかし圧倒的な国民は国を信じて総イエスマ
ンと化したのだ。むしろ戦後は自由にものが言え、過剰な権利意識か
ら近年はモンスターペアレントを生み出した。「イエスマンばかりがは
びこった
。」は言い過ぎだろう。まして「家庭にも」?どこを見て、
そのように決め付けるのか?家庭内暴力、引きこもり、虐待、ニートが
生まれているのは家庭内でイエスマンがはびこったからなのか?おま
けに「理由ははっきりしている。人々が物質的な安定を生涯の
希望とした結果、教育も勇気ということを全く教えなくなった
。」
教育に関する見識の低い人が何を言うかと言いたい。物質的というの
は言い換えると経済的となるが、人々が経済的な安定を希望し生甲斐
とし目標とすることは極めて自然なことだし、それはそれで良しとす
べきだろう。曾野氏のこの部分の文脈では「物質的な安定のみを・・・」
ではないかと思うが、そうであれば、それは議論の余地はあるだろう。
しかし、そのことが「教育も勇気ということを全く教えなく
なった
。」から「イエスマン」がはびこったというのは余りの極論だ。
ウッドフォード氏から「イエスマン」と揶揄された事件発覚当時の役
員達のほとんどはオリンパス生え抜きの人たちで、血のにじむような
努力と才能に恵まれてのし上がって役員になったものの社長の椅子を
目の前にした時、保身的になったことが強権で知られた当時の菊川オ
リンパス会長を諌めることも糾すことも出来なかったということで、
曽野綾子氏の「物質的な安定を生涯の希望としたイエスマン」とはニ
ュアンスを異にする。
さらに「教育も勇気ということを全く教えなくなった。」
という記述は教育ということが解っていない証だ。子供の頃
から武道を教えない限り、学校教育で「勇気」ということを教えるこ
とは困難を伴うだけではなく粗暴な子供を育てることにもなりかねな
い。論語に「義を見てなさざるは勇なきなり」との孔子の言葉はあま
りにも有名だが、一方で「勇にして礼無ければ則ち乱す」(勇気も度
が過ぎると乱暴なだけである)とも言っているのだ。そしてわが国の
教育基本法に勇気という言葉は一言も出てこない。教育基本法の前文
の「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、
豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を
継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」とある。
そして教育の目的を次のように定めている。
教育の目的(1条) 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家
及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の
育成を期して行われなければならない。
教育の目標(2条) 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊
重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
1.幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情
操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
2.個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及
び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労
を重んずる態度を養うこと。
3.正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、
公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与
する態度を養うこと。
4.生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
5.伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛す
るとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を
養うこと。


従って、学校教育では「勇気」ではなく「真理と正義を希求し、
正義と責任を重んずる」教育を行なっているはずだ。「勇気と
いうことを全く教えなくなったから
」イエスマンがはびこったという
のは誤りだ。曽野綾子氏は世相を斬るほどの見識もないのだから余分
なことは言わないほうが良い。「文化功労者」としてこれ以上の恥を
曝さないようにしてほしいものだ。
 そして最後の「かつて中国は『批孔』と称して孔子の思想の一切を
否定する社会運動を起こした
。」これは文化大革命のことで
しょう?もう少し正確に書けないのですか?文化大革命の後期に起こっ
た「批林批孔」運動で、このスローガンを掲げて、失脚した毛沢東を
復活させるために彼の妻・江青ら側近4人組が主流派の林彪と現代の
孔子と謳われた周恩来首相を失脚させるために、巻き起こしたものと
ある。大衆組織を動員した権力闘争だった。江青ら4人組が扇動し、
それに従った大衆組織も曾野綾子氏は「イエスマン」と言いたいの
か?そうすると曾野綾子氏のこの「小さな親切、大きなお世話」の「
イエスマンの国」を「秀逸」だとか「すばらしい」とか無批判に人
に勧める曾野綾子ファンも「イエスマン」となってしまうが如何か?
これは大衆が「盲従」したと言うことで「イエスマン」とは全く違う
のだよ。わが国の「大政翼賛会」と似たようなものだが、また違う。
しかし、その後の「ノーベル平和賞に対抗した『孔子平和賞』なるも
のを作り、しかもそれを政治的に使おうとしている。魂から、香気
ではなく臭気が匂うというものだ
。」とちぐはぐだ。「批林批孔」
運動についての理解が不十分なため、言っていることが支離滅裂。
なぜこうなるのか?そもそもウッドフォード氏の「イエスマン」発言
の要旨をしっかりと理解していないから、終いには「批孔」の話に
なってしまうのだ。ほとんど論理性がないし、しかも落ちが悪い。
イエスマンになるのを防ぐには、組織をクビになっても何とか生
きていける道を、常日頃用意していなければならないだろう。私の
場合それは畑作りで、今も細々とやっている
。」なにを言う
のか?これでは前述の「正しいことを意識し、自分の思想を持ったら
結果として言うべきことは言い、時には出世はもちろん命の危険に
かえても自分の思想を通すべきだ
」どうして、こうも支離
滅裂なのか?「命の危険にかえても」と言うのだから、そのために
副業を持つと言うのは「命にかえても」という覚悟とは矛盾する
ではないか。そして言うことに事欠いて「私の場合それは畑作りで
今も細々とやっている
。」?あ~あ「細々とやっている。」と?こ
んな粗末な表現しかできないのですか?「細々とやっている」は生
活の糧を得るために行なっている一種の状況を表す言葉なのに、
曽野氏は趣味として畑を作っているのであって、生活の糧を得てい
るのは作家活動でしょう。ふー疲れる。

文化功労者」曾野綾子氏よ
あなたのコラムを
「秀逸」と評して盲従する
曾野綾子ファンの期待を
裏切らないように
もう少し、ましな文章は書けないのですか
「文化功労者」として、
これ以上の恥の上塗りは
どうか止めて頂きたい
・・ということです



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