非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽43

2020-12-29 18:05:28 | 日記
「イギリスは、伝統的な外交政策バランス・オブ・パワーに徹す
べきだった」
イギリスのかっての外交政策「バランス・オブ・パワー」をなぜ
この終盤に持ち出してきたのか、藤井氏の意図を図りかねる。
第一次世界大戦の経緯を踏まえて、世界平和維持のために国際
連盟が設立されたので、イギリスのそれまでの外交基本政策「
ランス・オブ・パワー
」は役目を終えたはずだ。集団で世界平和
を目指す時代になった。

web記事
第一次世界大戦中の1918年1月8日、アメリカ合衆国大統領ウッ
ドロウ・ウィルソンは「十四か条の平和原則」を発表し、その第
14条「国際平和機構の設立」において、国際的平和維持機構の設
立を呼びかけた。・・・・これらの条約批准によって連盟は成立し
た。原加盟国は42カ国で、イギリス・フランス・大日本帝国・イ
タリアといった列強が、常設理事会の常任理事国となり、1926年
にはドイツ国(当時ヴァイマル共和政)、1934年にはソビエト社
会主義共和国連邦も加盟と同時に常任理事国となり、加盟国数が
60カ国に達したが、以降は脱退・除名等で加盟国が減少に転じて
いる。
・・・国際連盟規約第10条及び16条で規定された『戦争を行った
国家は、ほかの連盟国全てに戦争行為をしたとみなし、当該国と
の通商、金融、交通を禁じ、連盟理事会の決定に従わなかった場
合、連盟国に制裁として軍事行動を義務付ける
』という条文・・


こういうことを藤井氏は知らないはずはないのに、敢えて嘘を書
くのは、どういう意図があってのことか。
この後の論理の展開のために「必要」と感じてのことだろうが、
読者を、どこまで愚弄する気だ?

そして次の「日本は大局観に基づく知恵をもっていたか」
シナ大陸まで出かけて行ってシナ大陸を全部制覇しようなんて
いうことは、日本の国力を考えてみたらとても無理な話なのです。
…・それをそのまま、放っておけばよかったのです

そして後半にも「・・・日本が介入したものだから・・・
つまり「放っておかなくて、シナ大陸を全部制覇しようとしてい
」「・・・日本が介入したものだから・・・」ということで、
図らずも第2章「日米戦争を起こしたのは誰か」で、フーヴァーの
主張を紹介し藤井氏自らも支持した「(日本の)自衛のための戦争
だった
」ことを否定している。

日本人は親切だから、朝鮮を立派な国にしようとかチャイナも
ちゃんとした国にしてやろうなんて思うから、かえってとんでも
ない結果になってしまいます


こういう幼稚なレトリックを使って、大東亜共栄圏構想を正当化
しようと目論んでいるのだろうが笑止千万。

ところがwebの大東亜共栄圏構想は、戦争遂行のための大義名分で
しかなかったとしている。
日本政府の意図としては、大東亜共栄圏はあくまで日本が戦争を
遂行するためのものであった。また、当時の日本の知識人も「大東
亜の民族解放は民族皇化運動である」、「大東亜共栄圏の構想に於
いては、個別国家の観念は許されるべきではない」などと明言して
おり、大日本帝国を頂点としたヒエラルキー構造にアジア各国を組
み込んでいく構想だったことが伺える


次の「第二次世界大戦は、世界の構図をどう変えたか」
「あまりに大きかったイギリスの勝利の代償」

本旨「太平洋戦争の大嘘」
そして第3章「原爆を落とす必要があったのか」のテーマとは、随分
とかけ離れた記述で蛇足そのものだ。

曰く
大英帝国の崩壊に最も影響を持ったのは、大日本帝国です。第二
次世界大戦中の日本の軍事行動は、アジア諸国に独立の機運と機会
を与えるものとなりました。戦後、イギリスは植民地を維持するこ
とができなくなり、植民地の大半を失うのです


ネットを調べてみると、大英帝国のアジアの植民地は、インド(歴史
的にはイギリス領・インド帝国)、ビルマ(現ミャンマー)、現在の
マレーシア・シンガポール、そして香港。

まずビルマ
1942年、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に
戦いイギリス軍を駆逐し、1943年に日本の後押しでバー・モウを
元首とするビルマ国が建国された。
しかし1944年の独立一周年記念の席上でアウンサンは「ビルマの
独立はまやかしだ」と発言。 1944年のインパール作戦の失敗など
日本の敗色が濃厚と見るや、1944年8月に秘密会議で反ファシスト
人民自由連盟(AFPFL、1945年-1962年)が結成され、Thakin S
oe率いるビルマ共産党、アウンサン率いるビルマ国民軍、ウー・
ヌ率いるが三派合同した。1945年3月27日、アウンサンが指揮す
るビルマ国民軍は日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対し
てクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。連合国軍がビル
マを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命した。日本軍に勝利
したものの、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。
1948年にイギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立。ミャン
マー国軍については、1945年3月27日のビルマ国および日本への
蜂起をもって建軍とし、この日をミャンマー国軍記念日としてい


そして海峡植民地(現マレーシア・シンガポール)
海峡植民地は、1870年代より英領マラヤの中核としての役割を
果たし続けたが、第二次世界大戦中に日本軍による占領をうけた
後、戦後の英領マラヤ再編に伴って1946年に解体した。マラヤ連
邦の成立とともに、ペナンとマラッカは同連邦に吸収され、シン
ガポールは独立のクラウン・コロニー(英国王直轄地)となった


そしてインド
第二次世界大戦初期、イギリスはインドを懐柔することにより
戦争の協力を、インドはイギリスからできるだけ有利な条件を引
き出すことを念頭においていた。しかし、ドイツ軍によるイギリ
ス本土上陸が危惧されるなど、緊迫する戦争情勢がイギリスの大
幅な妥協を用意せざるをえないようになった。1942年4月にロン
ドンから空路でデリーにスタッフォード・クリップスが派遣され
た。しかし、首相ウィンストン・チャーチルがイギリス帝国の解
体を望まないこともあり、成果を上げなかった」
「さらに1941年12月にマレー半島に進軍した日本軍が、早くも
1942年2月にイギリスの極東における植民地の要のシンガポール
を陥落し、さらにインド洋からイギリス海軍を放逐しインドに迫
ったことで、アジアにおけるイギリスの軍事的威信は完全に失墜
し、インドでも反英運動の機運が高まった。国民会議は1942年夏
から反英闘争「インドから去れ運動」を展開することで、インド
独立を目指した」
「なお、アジア太平洋戦線においてイギリスと対峙していた日本
と、元インド国民会議の急進派の活動家で、日本に亡命していた
ラース・ビハーリー・ボースが、同じく日本に亡命していたA.M.
ナイルや、日本軍らの協力を受けて東南アジア各地で日本軍の捕
虜となったイギリス軍のインド人兵士を集めて、1942年にインド
国民軍を設立した

このように日本軍の影響は大きなものがあったが、イギリス帝国
の衰退は、1926年、アイルランドと南アフリカ連邦の独立が端緒
となり、新しい帝国の在り方を模索することになったようだ。

第一次世界大戦後、イギリスの国力退潮が鮮明となると帝国の
支配体制は揺らぎはじめ、それにともない各ドミニオンはさらに
独立傾向を強めていき、1926年の帝国会議では特に反英感情に強
かったアイルランド自由国とアフリカーナー主体の南アフリカ連
邦がついに帝国離脱を要求。これをうけて、イギリス本国と各ド
ミニオンとが対等であるとするバルフォア報告書が作成され、こ
れを土台とした新しい帝国の在り方を規定する憲章が制定される
こととなった。こうして制定されたのがウェストミンスター憲章
である


ところが藤井氏は尚も
チャーチルはドイツと戦うために、アメリカを参戦させ、日本
を巻き込んだ形になりました。結局、日本がアジアの植民地解放
をやらざるを得ない立場になって、実際にやってしまったわけで
す。いわば大日本帝国が崩壊する時、大英帝国をも抱き合い心中
で滅ぼしてしまったようなものです。それもこれも、チャーチル
とルーズベルトが日本を経済封鎖で追い込み、開戦させたことが
始まりでした
」と、すべてチャーチルとルーズベルトの責任にし
ていて、日本に非がないかのごとき記述。そして書くことに事欠
いて「チャーチルというのは、バカな奴だと私は思います。これ
は日本をいじめた報いではないでしょうか


バカな奴」とまでチャーチルを侮辱して何の意味があるか?
ただ藤井氏自身の品性のなさをさらけ出したようなものだ。
今次の上皇の耳に入ったら、さぞかし心を痛められるだろう。
明仁上皇の皇太子時代のweb記事
1953年にエリザベス2世女王の戴冠式に出席するため、イギリ
ス同様の君主国である日本から皇室の代表として皇太子明仁親王
(後の明仁上皇)が昭和天皇の名代として訪英した。だが当時イ
ギリスでは反日感情が強く、アジア・太平洋戦線において日本軍
に虐待されたイギリス軍捕虜の体験を描いた出版物はベストセラ
ーとなったほか、反日映画は高い興行収入を挙げ、メディアでは
反日姿勢の報道が連発し、在留邦人はイギリス人から嫌がらせを
受けるという有り様だった。チャーチルは日英関係改善のため、
明仁親王の身の安全などに関して非常に気を遣った。明仁親王の
ための午餐会には、当時日本批判の先頭に立っていた新聞業界人
を招待し、首相自らが日本の皇太子を大切な賓客として鄭重にも
てなすことを眼前に披露し理解を深めてもらうことで、これらの
新聞による反日論調を押さえようとした。席上チャーチルは日英
両国は立憲君主制という共通の紐帯を持っているとして立憲君主
制の重要性を論じた


そして、大日本帝国は敗戦で消滅したが、大英帝国は消滅しても、
イギリス連邦として形を変えて存在している。
コモンウェルス・オブ・ネイションズは、一般的にコモンウェ
ルスと呼ばれ、大英帝国のほぼすべての旧領土である54の加盟国
からなる政治連合である。
この組織の主な機関は、政府間の関係
に焦点を当てたコモンウェルス事務局と、加盟国間の非政府関係
に焦点を当てたコモンウェルス基金である

コモンウェルスの歴史は20世紀前半にさかのぼり、大英帝国の
脱植民地化に伴い、領土の自治が強化されたことで始まった。も
ともとは、1926年の帝国会議でのバルフォア宣言によってイギリ
ス連邦として設立され、1931年にはウェストミンスター憲章によ
ってイギリスによって正式に制定された
。現在のコモンウェルス
は、1949年のロンドン宣言によって正式に構成され、共同体を近
代化し、加盟国を「自由で平等」なものとして確立した


藤井君
「反東京裁判史観」のためには
なりふり構わぬ姿勢だな
捏造あり
歪曲あり
創作ありか
恥を知れっ

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽42

2020-12-25 16:35:24 | 日記
「広島・長崎への原爆投下がなくても、日本は降伏していた」
「原爆投下は、新世界におけるアメリカの覇権を誇示するものだ
った」
「日本に無条件降伏を呑ませるための切り札」この項の最後
彼(ルーズベルト)にとってスターリンは仲間ですから、北海道を
分割占領させてもいいくらいの考えでした
」な訳ないだろ、
勝手に創作するな!
国家首脳の会談で取り決めたことを無原則に適応範囲を拡大するこ
とは国際政治上、有り得ないことだ。ましてアングロサクソンはそ
ういう連中ではない。これは藤井氏の、あくまでルーズベルトを悪
者するための創作に過ぎない。

次の「トルーマンが、ソ連対日参戦の前に戦争を終わらせたかった
理由」
しかし、ソ連がやると言ったら、同盟軍ですからアメリカに拒否
することはできません。それに、日ソ中立条約を一方的に破棄して
攻めてくる国ですから、あえて言えばアメリカの承諾なんて別にも
らわなくても構わないわけです


ところがweb記事は
1945年2月4日から11日にかけて、ソ連クリミア自治ソビエト社
会主義共和国のヤルタ近郊にあるリヴァディア宮殿で行われた、ア
メリカ合衆国・イギリス・ソビエト連邦による連合国首脳会談であ
る。アメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し、ドイツ敗戦
後90日後のソ連対日参戦、および千島列島・樺太・朝鮮半島・台
湾などの日本領土の処遇も決定
」とある。

ソ連の対日参戦はアメリカが要請してヤルタで協定を結んでいるの
で「ソ連がやると言ったら・・・アメリカは拒否することはできま
せん
」とはならないので、これは藤井氏の恣意的な記述。
次の「日ソ中立条約を一方的に破棄して攻めてくる国ですから」と
事後のことを事前のことのように時間軸を無視したトンチンカンな
文章。これが「国際政治ジャーナリスト」の文章だから驚く。

そして次の「徹底抗戦を叫ぶ陸軍統制派は、社会主義革命を望んで
いた」の冒頭
そもそも日本側もソ連に仲介を頼むなんて、完全に間違った選択
でした

「国際政治ジャーナリスト」が、なにをバカなことを書くかと言い
たい。そもそも当時のソ連は国際連盟の常任理事国で、日本にとっ
ては中立条約を結んでいた国に、和平の仲介を頼むのは理に叶って
いるし、当然だ。共産主義を貶めるために故意にこういう記述をす
る。

それから「陸軍統制派は、社会主義革命を望んでいた」?アホ
どこまで歪曲する気かっ
ネットを見る限り、そういう記述はどこにもない。
国内の改革を進めるうえで、レーニンの手法を取り入れるべきだと
いう方法論であって、天皇制を打倒して労働者階級の社会を目指す
というものではない。
webの記録
統制派は、大日本帝国陸軍内にかつて存在した派閥。
当初は暴力革命的手段による国家革新を企図していたが、あくまで
も国家改造のため直接行動も辞さなかった皇道派青年将校と異な
り、その態度を一変し、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現す
るという合法的な形で列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設
を目指した

そして、その中核一人の東條英機
1935年(昭和10年)9月21日には、大陸に渡り、関東憲兵隊司令
官・関東局警務部長に就任[注釈 8]。このとき関東軍将校の中でコ
ミンテルンの影響を受け活動を行っている者を多数検挙し、日本軍
内の赤化を防止した
という

陸軍管理事業主懇談会において「支那事変の解決が遅延するのは
支那側に英米とソ連の支援があるからである。従って事変の根本
解決のためには、今より北方に対してはソ連を、南方に
対しては英米との戦争を決意し準備しなければならない
と発言し、「東條次官、二正面作戦の準備を強調」と新聞報道された


東條を首相に推薦した、昭和天皇の側近・木戸孝一の言
東條は、お上への忠節ではいかなる軍人よりも抜きん出ている
し、聖意を実行する逸材であることにかわりはなかった


開戦日の未明、首相官邸の自室で一人皇居に向かい号泣しながら
天皇に詫びている
」このような東條英機が天皇制を打倒して「社会
主義革命を望む
」わけないだろっアホ

天皇は戦前まではあくまで「現人神」だったのだ。
統制派も皇道派も、天皇を中心とした改革を目指したのであって
「社会主義革命」など目指してはいない。

統制派は親ソ連で、親社会主義派でした。・・・・統制派の連中
は、戦争末期に至っても徹底抗戦を叫んで、最後まで戦争をやりた
がっていました。なぜなら、おそらく戦後革命を志向していたから
です。社会主義革命を考えている連中は、徹底的に日本を破壊して
、ソ連が日本まで攻めてきてくれたほうが、社会主義革命をやりや
すいという考えでした

統制派は徹底抗戦をして戦争を長引かせる。ルーズベルトの無条件
降伏も戦争を長引かせた。ルーズベルトも統制派も親ソ連なので、
裏で繫がっていて「戦争を長引かせようとした。あるいは長引かせ
た」終いには、こういうふうになる。論理矛盾も甚だしく、荒唐無
稽そのものだ。

以前のブログでも述べたが、とにかく藤井氏の共産主義・社会主義
に関する批判の仕方は、古過ぎる。30年以上前の手法だ。1991年に
ソ連が崩壊してから、すでに社会主義国家を樹立している国を除い
た共産主義政党は衰退の一途を辿っているはずだ。
「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽29ここでも共産主義に言及し
ているので参考にしてください。

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽41

2020-12-25 11:11:22 | 日記
先の続きです。
なぜレズリー・グローヴスは大統領に虚偽の報告をしてまで、日本
人の大量虐殺になる広島の原爆投下にこだわったのか。
任務遂行という義務意識だけでは片付けられないなにかがある。
小生は白人至上主義という民族性が原因ではないかと考えている。
先のブログでも触れたが、ルーズベルトはレイシストといわれてい
るが、これは文明が遅れた民族に対して、白人が交雑することで
遅れた民族の文明を発展させるというもの。

駐米イギリス公使ロナルド・キャンベルとの私的な会話では、
ルーズベルトは、スミソニアン博物館の研究者であるアレス・ハー
ドリチカによる、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、
発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を
重視し、人種交配によって文明が進歩する」などと語り、「インド
系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させる
べきだ。だが日本人は除外する」、「日本人が敗北した後は、他の
人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである」などとキ
ャンベルに語ったという。
このような自らの人種差別的感情と、第二次世界大戦以前からのア
メリカにおける日本人に対する人種差別的感情を背景に、1941年12
月の対日開戦後には妻エレノアからの反対をも押しのけて、大戦中
にアメリカ国内とアメリカの影響下にあったブラジルやメキシコ、
ペルーなどの中南米諸国において、ヒトラーのユダヤ人強制収容と
同様の日系人の強制収容政策を推し進め、自由を束縛するとともに
財産を放棄せざるを得ない状況に追い込んだ。
さらに1944年6月13日には、アメリカの新聞が「ルーズベルト大統
領が、フランシス・E・ウォルター連邦議会下院議員からレターオー
プナーを贈呈されたが、それが日本兵の腕の骨から作られたもので
ある」と報じた。なおルーズベルトは、このような猟奇的な行為を
隠しも恥じてもいなかった


このように白人至上主義はイデオロギーではなく、白人の潜在意識
そのものだ。
例えば、現在のトランプ政権下のアメリカ。アメリカの白人警察官
は黒人を平気で殺す。多分それはヒスパニックや東洋人に対しても
さほど変わらないはずだ。それは白人に優越意識があるからだ。
特にトランプ大統領支持者の白人至上主義者は、その意識が強く、
大半が白痴ではないかと小生は考えている。

日本は島国で他国との交易が少なかった。にもかかわらず、モンゴ
ル相撲を様式化し、男ばかりで演ずる能や歌舞伎、近代では女性ば
かりで演ずる宝塚があり、豊かな文化を持っている。ノーベル賞に
いたっては世界5位の受賞者数を誇る。

スミソニアン博物館の研究者であるアレス・ハードリチカが日本
人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている

だとっ
小生の頭蓋骨を見て「2000年、発達が遅れている」と言われて
も構わないが・・・この野郎・アレス・ハードリチカ、それにルー
ズベルト

先のブログの最後に転記した
連合国軍による無差別爆撃による民間人の大量虐殺に関
しては戦時国際法違反であることが指摘されている
」ように
原爆投下や東京大空襲などの民間人虐殺に関しては、例え日本政府
が請求を放棄しても、いつか裁判を起して「虐殺」であったことを
アメリカに認めさせるべきだ。

そして、この項の最後にフーヴァーの記述
原爆投下の罪は、アメリカ人の良心の上に重くのしかかってい
」しかし、そのように受け止めたアメリカ人はインテリの中で
もわずかなアメリカ人に限られる。

原爆投下に関する米国の世論調査の記事がある。
終戦直後の1945年8月に世論調査機関ギャラップが行った調査で
は、原爆投下の決定を支持する意見が圧倒的だった、と同誌は語
る。支持が85%に及び、不支持はわずかに10%だったという。そ
の後、支持は急激に減少してきたが、今なお、概して半数以上が
支持している、としている。原爆投下から50年を迎えた時期にギ
ャラップが行った世論調査では、アメリカ人の59%が支持してお
り、その10年後のギャラップの調査では、57%が支持していたと
いう


今尚、原爆投下を支持する半数以上のアメリカ人の人種別の調査
はないが、大半は白人層ではないかと推測する。
これらアメリカの世論を相手に、原爆投下の賠償責任を問うのは
容易なことではない。いつか実現して無念を晴らして欲しい。
少なくともアメリカ議会がレズリーに対して問責決議を行うこと
を願っている。

藤井君
君のおかげでいろいろ勉強させてもらった。
この原爆投下に関しても、そうだ。
しかし、もう少し深堀りしたら、どうだ。
ありきたりのことを
つらつらと記述しただけではないか
原爆投下に対する
無念の思いなど
伝わってこない




「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽40

2020-12-18 13:45:10 | 日記
さて「ルーズベルト大統領3つの大罪」です。

そもそも「フリーダムビトレイド」など、日本に関する限りは荒唐
無稽そのもので、論じるほどのものでもないが、藤井氏は同じテー
マを2度も3度も出してくるので、一応、反駁しておく。

1つ目「日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズ
ベルトが日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因
ではない

2つ目「41年の日米交渉では、ルーズベルトは日本側の妥協を
受け入れる意図ははじめから全くなかった。彼は日本側の誠実
な和平の努力をことごとく潰した


以前のブログでも書いているとおり日本陸軍の石原莞爾の言説か
らも日本の侵略が原因だったことは明白。また、日米交渉の直接
の当事者でなかったフーヴァーが確認もせずに自分の主観をその
まま書いていると思われる「日本側の誠実な和平の努力をことごと
く潰した
」などと敵国のことを肯定するのは通常有り得ないが、
ここまで歪曲するのはフーヴァーの大統領選の歴史的大敗の悔し
さが原因で、しかし、これほど意地汚くなるのかと思うと唖然と
する。

そして3つ目「アメリカは45年に『原爆を投下せずに日本を降伏
させることができた』ということです。『原爆投下の罪は、アメリ
カ人の良心の上に重くのしかかっている』とまでフーヴァーは言っ
ています


結果から見て「原爆を投下せずに日本を降伏させることができた
かもしれないし、そうであってほしかった。原爆投下に至るアメリ
カ政権内部の論争や駆け引きは、先のブログで紹介した通りだが、
そのことはNHKスペシャルでも放映していたと記憶している。投下
地点を当初は京都にして、大統領の裁可を得ようとしたが、「京
都には軍事施設がないではないか」と大統領から指摘を受け、
変更して軍港がある広島を申請したが、大統領から市民を巻き添
えにしないようにと注意があったのに、軍関係者は、大統領に
「軍事施設だから心配ない」というような虚偽の報告をして、ト
ルーマンの承認を得て、広島市の中心部に原爆を投下したという
放送だったような気がする。
その中心人物が、先のブログで紹介したジェームズFバーンズだっ
たのかもしれない。念のためバーンズをネットで検索したが、特
筆すべき記載はなかった。しかし、ネットを調べているうちにトル
ーマンは原爆投下を承認した記録がないという。後年、発見された
記録から原爆投下はトルーマンの承認を得ず実行されたようだ。
その主犯が原爆開発の責任者レズリー・グローヴスという人物であ
ることが分かった。
その記録
グローブスは、1942年から大規模の原爆計画であるマンハッタン
計画の最高責任者に就任。この計画に22億ドルもの国家予算が注ぎ
込まれ、各地に大規模な工場や研究所を建設し、原爆の完成を目指
した

・・・スティーブンス工科大学のアレックス・ウェラースタイン
准教授によると、「誰もルーズベルトが亡くなるとは思っていませ
んでした。トルーマン自身も大統領になるとは思っていなかったの
で、軍とのやりとりの方法やルーズベルトが諸外国と何を交渉し、
約束したのかを学ばなければなりませんでした。多くのことを一度
に把握する必要がある中、孤立状態にあったのです。解決すべき難
題が多く、原爆もその1つにすぎませんでした。」という。・・・
グローブスは「(トルーマンが)大統領に就任する前既に原爆投下に
向け多くの準備が整っていました。一方でトルーマンには原爆の知
識はほとんどありませんでした。」と説明した


そんな中、グローブスがトルーマンのもとを訪れた2日後の1945
年4月27日にグローブスは、原爆を日本のどこに投下するか話し合
う、『目標検討委員会』に出席した。ここに大統領だったトルーマ
ンやその側近は出席していない。話し合いの結果以下の17か所が選
ばれた(川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉
、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本)。その中で
、京都と広島が有力候補に上がり、グローブスは京都を上げた。そ
の理由についてグローブスは、「京都は外せなかった。最初の原爆
は破壊効果が隅々と行き渡る都市に落としたかった。」と語ってい
る。


そしてその3日後グローブスは、陸軍長官のスティムソンに呼び
出された。目標場所を答えたところ「京都は認めない。」と言わ
れた。その訳がコネティカット州にあるイェール大学の図書館に保
管されていたスティムソンの日記で明らかになった。6月6日付けの
日記にはこう記されている。「この戦争を遂行するにあたって気が
かりなことがある。アメリカがヒトラーを凌ぐ残虐行為をしたとい
う汚名を着せられはしないかということだ。
」。実はスティムソン
は京都を二度訪ねたことがあり、原爆を投下すればおびただしい被
害者がでることを知っていた。スティムソンは、この頃勢いを増し
ていた日本への爆撃が、全世界が非難する無差別爆撃に当たるので
はと考えていた。これ以上アメリカのイメージを悪化させたくなか
ったのだ。しかしグローブスは、諦めることなく何回もスティムソ
ンと交渉をしたが、結果は同じだった。歴史学者によると、「都市
の真ん中に原爆を落とし、市民を殺戮する計画にスティムソンは反
対でした。戦争で市民の死は避けられないことは分かっていたが、
意図的に市民を狙って殺すことは別だと考えていたのです。そして
トルーマン政権は、軍に突如介入し、まったをかけたのです。」と
述べている。
トリニティ実験の5日後の7月21日スティムソンの元に部下から緊急
の電報が届いた。グローブスらが再び京都を目標とするように言っ
てきた。その3日後スティムソンは、トルーマンに相談し、京都を
目標から外すよう話した。スティムソンの7月24日付の日記には
「私は京都を目標から外すべきだと大統領に伝えた。もし一般市民
が暮らす京都に原爆を落とすという理不尽な行為をすれば、戦後和
解の芽をつみ、日本が反米国家になってしまうと。すると大統領は
『全く同感だ。』と答えた。
」と記されていた。」

web記事を読んでいて次第に腹が立ってきた。
レズリーしつこいぞ

また、トルーマンの7月25日付の日記にも「この兵器は7月25日
から8月の間に使われようとしている。私はスティムソンに兵士や
軍事物のみを目標とし、一般市民、特に女性や子供をターゲットに
することがないようにと言っておいた。いかに日本人が野蛮、冷酷
、残虐であろうとも世界平和を推進するリーダーたる我々が日本の
古都や新都に向けてこの恐るべき爆弾を使用するわけにはいかない
のだ。この点で私とスティムソンは完全に一致している。目標は軍
事基地のみに限られる。」と記されている。
つまり、トルーマンは
市民の上への原爆投下に反対していたのだ」


しかしグローブスは、それでも原爆による最大の破壊効果を得た
いが為にもう一つの有力候補に上がっていた広島に目をつけた。グ
ローブスは広島は軍事都市であると偽りの報告書をトルーマンに提
出した。
広島は日本有数の港と軍事物資の供給基地など軍の大規模施設が
集まる陸軍都市である」とのこと。これについて歴史学者の一人
は、「軍は原爆によって一般市民だけを攻撃することはないと見せ
かけたのです
。トルーマンは広島について詳しく知らなかったと思
います。調べる暇がありませんでした。京都と広島の違いを拡大解
釈し、広島に多くの一般市民はいないと思いこんだのです。」。そ
の結果、トルーマンが目標から広島を外すことはなかったという


グローヴスは、なぜ大統領に虚偽の報告をしてまで、日本人を原爆
で大量殺戮することに拘ったのだろうか。
色々説がある。日本軍の宣戦布告のない真珠湾攻撃や中国重慶への
無差別爆撃に対する米国軍人の憎悪等もその一つだという。

京都は外せなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々と行き渡る都
市に落としたかった
」のレズリーの言葉。
この言葉はレズリーが日本人を白人と同等レベルの人種とは見てい
なかったから、殺戮のモルモット的な扱いで「破壊の効果」のみに
拘ることになったのではないか。
ここで「良心」とは何かを考えざるをえなくなった。
スティムソンは明らかに「良心」があり、レズリーには任務遂行の
意思だけで「良心」の欠片もなかったと言いたいが、果たして、そ
うなのか。
ヴィクトル・ユーゴ―が「レミゼラブル」の中で、「良心」につい
て格言めいた言葉を残している。
「良心とは学問の量である」確かこういう言葉だったと記憶してい
る。だったら
ワシントン大学、マサチューセッツ工科大学を経て、1918年に陸
軍士官学校を卒業。その後、陸軍工兵隊に入り、1921年まで技術将
校としての訓練を積む。1934年には大尉に昇進し、陸軍工兵総監司
令部に勤務。1936年には指揮幕僚大学、1939年には陸軍大学をそ
れぞれ卒業。1940年には大佐となり、国防総省庁舎の建築計画に携
わる
」という素晴らして来歴を持っているレズリーも、それなりの
「良心」を持っていたはずだが、残念ながら、それは祖国アメリカ
に忠誠を尽くすというレベルの「良心」に過ぎなかったのではない
か。
しかし、大統領を欺くというのは「反逆罪」のはずだが、レズリー
は、それを「平然」と執行した。なぜか?トルーマンが原爆について
全く知識がなかったうえ、大統領としてのカリスマ性がもまだ身に
ついていなかった為だろうか。
そのような犯罪行為を犯してまで原爆投下を執行したのは、アメリ
カ人の日本に対する「憎悪」が激しかったのかもしれないが、原爆
投下後、レズリーは処罰されることなく昇進している。そして「19
48年1月には中将となるが、その1ヵ月後に陸軍を退役した
」とある。

しかしアメリカは原爆の「効果」について検証しているはず。にも
かかわらずレズリーの独断は許されたということになる。スチムソ
ンやトルーマンの「良心」は、ただの「気持ち」だけだったのか。
これを放置した以上、アメリカの国家としての「良心」は、どうな
ったのかと問わざるを得ない。
もし藤井氏ら右派論客の唱える「反東京裁判史観」が勝者の一方的
な裁判で、連合軍が行った広島・長崎の原爆投下による大量虐殺、
東京大空襲の大量虐殺は不問に付したことに反対するということで
あるならば大いに賛成だが、「反東京裁判史観」をもって歴史を歪
曲することは、将来の米国に対する賠償請求を無にするものだ。

しかし、以下にweb記事があった。
終戦後、日本本土空襲について米国戦略爆撃調査団によって報告
書が作成されまとめられた。サンフランシスコ講和条約によって
日本国政府がアメリカへの補償請求権を放棄したことで、無差別
爆撃を含む日本本土空襲に関する補償も行われることはなかった

しかし、連合国軍による無差別爆撃による民間人の大量虐殺に関
しては戦時国際法違反であることが指摘されている
。国外でも、
アレクサンドル・パノフ(元駐日ロシア大使)が「米国は、日本国
民に対して少なからぬ重大な戦争犯罪を行いました。1945年3月10
日の東京大空襲では一日で10万人以上の民間人が亡くなり、大阪、
名古屋、その他の都市もそうした空襲に見舞われ、1945年8月の6日
と9日の広島と長崎への原爆投下ですべてが終わりましたが、地表か
ら消されたそれらの都市は、事実上、何ら軍事的意義を有してはい
ないのでした」と述べている


割愛します。

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽39

2020-12-14 21:54:19 | 日記
「無条件降伏の要求が、戦争を無駄に長引かせ、より残酷な
ものにした」の続きです。

ここでドイツのweb記事を転記します。
ドイツの場合はイタリアや日本、衛星諸国の降伏とは異なり、一
切事前に条件が提示されることのない完全な無条件降伏であった。
連合軍総司令部ドイツ問題政治担当顧問を務めていたロバート・
ダニエル・マーフィーは「このドイツの降伏は、第二次大戦にお
ける唯一の真の意味の無条件降伏であった」と評している

この記事を読んだうえで、13条に及ぶポツダム宣言を読むと、連合
軍の日本に対する「無条件降伏」の内容が見えてくる。

ポツダム宣言
1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我
々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機
会を与えることで一致した。
2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に
整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する
戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞され
る。
3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイ
ツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもた
らしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意
味する。
4日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義
者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべ
き時が到来したのだ。
5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲
歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めな
い。
6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久
に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和
と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認され
る時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日
本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本
州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られ
なければならない。
9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生
活出来る機会を与えられる。
10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化し、また日本国民を滅亡
させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切
の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民にお
ける民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は
排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権
の尊重は確立されるべきである。
11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手
段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には
国際貿易に復帰が許可される。
12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政
府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成され
た場合に占領軍は撤退するべきである。
13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその
行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の
選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである

以上で分かるとおり第13条が条件付無条件降伏を簡潔且つ明瞭に示
している。

一国平和主義者で、戦前はほとんど日本に関心がなかったはずの
フーヴァーが、政界を引退して政権中枢にいなかったにも関らず、
したり顔で史実とは真逆のちぐはぐな記述をしている。
1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を掲げて和平を求めてい
たが、トルーマンはこれを拒否した。・・・・日本との和平はただ
一つの譲歩で達成できた。それは天皇の地位の保全である。・・・
米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠
牲になった後であった
」マッカーサーから聞いたのであろう。この
程度の歴史認識しかフーヴァーは持っていなかったのに、藤井氏は
自分の都合で、どこまでもフーヴァーを担ぎ上げる。

日本の天皇制についてのアメリカ政権の方針
「終戦1年6か月前が必要で ある」
としながらも「日本世論は圧倒的に天皇制廃止に反対である……強
権をもって天皇制を廃止し天皇を退位させても、占領政策への効果
は疑わしい」と天皇制維持の方向での意見を出している。また1945
年に入ると、日本の占領政策を協議する国務・陸・海軍3省調整委員
会において「占領目的に役立つ限り天皇を利用するのが好ましい」
「天皇が退位しても明らかな証拠が出ない限りは戦犯裁判にかける
べきではない」という基本認識の元で協議が重ねられ、戦争の完全
終結と平穏な日本統治のためには、天皇の威信と天皇に対する国民
の親愛の情が不可欠との知日派の国務長官代理ジョセフ・グルーら
の進言もあり、当面は天皇制は維持して昭和天皇の戦争責任は不問
とする方針となった


こういうネットの記事があるにも関らず、自らの論旨に沿うフーヴ
ァーの記事を中心に据えて藤井氏は転記したり、感想を述べたりと
余念がない。

上記を理解したうえで以下のwebの記事を読むと一層面白い。
1945年7月26日に米英中の首脳の名において、日本に降伏を求
めるポツダム宣言が発表されたが、日本政府はこれを「黙殺」し
た。アメリカのトルーマン大統領は、本土決戦による犠牲者を減
らすためと、日本の分割占領を主張するソビエト連邦の牽制を目
的として、史上初の原子爆弾の使用を決定。
8月9日の御前会議において昭和天皇が「戦争指導については、先
の(6月8日)で決定しているが、他面、戦争の終結についても、
この際従来の観念にとらわれることなく、速やかに具体的研究を
遂げ、これを実現するよう努力せよ」と初めて戦争終結のことを
口にした。しかし、日本軍部指導層、とりわけ戦闘能力を喪失し
た海軍と違って陸軍は降伏を回避しようとしたので議論は混乱し
た。しかし鈴木貫太郎首相が天皇に発言を促し、天皇自身が和平
を望んでいることを直接口にしたことにより、議論は収束した

8月14日、終戦の詔書が発されポツダム宣言を受諾(日本の降伏)
することになった。
しかし・・・敗戦と玉音放送の実施を知った一部の陸軍青年将校
グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還をもくろんで
8月15日未明に宮内省などを襲撃する事件を起こしたが、これは
陸軍自身によって鎮圧された。8月15日正午、昭和天皇の玉音放
送が放送された


戦争に勝てないと判断した大日本帝国政府は、7月12日、ソ連に
いる日本特命全権大使(佐藤尚武)宛に、ソ連に和平の仲介を依
頼する特使を派遣する予定であることを伝えるよう打電した。そ
のパープか暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされた。
トルーマンは、大日本帝国政府が和平の動きに出たことを知って
いたことになる。ポツダム入りした米陸海空軍参謀本部は、首脳
会談の前に合同会議を持ち、「ソ連が参戦する予定であることと、
天皇制存続を認めれば、日本の降伏は今日にでもありうる。日本
はすでに壊滅状態で、原爆を使う必要はなく、警告すれば十分」
との結論を出した。しかしトルーマンは、その結論を信用しなか
った。
バーンズはハリー・トルーマン大統領のもと、1945年7月、国務
長官となり三人委員会の提言を独断で黙殺し、原子爆弾の使用を
強く大統領に進言した。また、日本の最初のポツダム宣言受諾回答
(天皇の統治大権に変更を加えないことを条件とした受諾)を拒否
し、天皇と日本政府の権威は連合軍最高司令官に従属する」という
趣旨の「バーンズ回答」を起草、返信したことでも知られる。日本
政府は最終的にこのバーンズ回答を受け入れてポツダム宣言を受諾
した


バーンズは、原爆の力を使えば、ソ連に加勢してもらわなくて
も、本土上陸作戦の前に日本を降伏させることができると考えた。
もしそうなれば、戦後の世界でソ連の力を抑えることもできるし
、ベストの結果となろう。しかしこのタイミングで日本の降伏条件
を緩和した場合、日本が降伏してしまい、原爆投下の機会を逸する
ことをバーンズは恐れた。そこで「降伏条件の緩和で日本の降伏を
促進する」という路線については「原爆投下までは棚上げすべし」
とトルーマンに説き、大統領を味方につけることに成功した。こう
して降伏条件を緩和することで、日本の降伏を促進すべしと説くグ
ルーやスティムソンの陣営と、原爆を投下し、その威力を示すまで
は、降伏条件を緩和すべきでないとするバーンズとトルーマンの陣
営とにトルーマン政権は分裂することになった


日本についてはマッカーサーから聞いた程度の認識しか持っていな
いフーヴァーの「フリーダムビトレイド」など取るに足りない書籍
を、さも正義の書籍であるかのように取り上げる藤井氏の厚顔無恥
な記述は、とっくに論理破綻しているのが、手に取るように分かる。

割愛します。

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽38

2020-12-09 06:39:53 | 日記
続きです。

とにかく藤井氏は「反東京裁判史観」の論旨は一貫しているが、記
述は支離滅裂。各項目のタイトルを読む限り大筋異論はないが、詳
細な記述になると論理矛盾ばかりが目に付く。それをピックアップ
して、反論していくほかない。

この「日本は終戦のために水面下で動いていた」の項の後半に
ソ連の仲介を期待していた日本政府はポツダム宣言に対して当初
「黙殺」する方針を取り続けました
」と記述しながら
次の項「無条件降伏の要求が戦争を無駄に長引かせ、より残酷なも
のにした」では逆に「5月のドイツ降伏以降、日本は降伏のチャン
スをずっと待っていた
のであって、そこで撃ち方止めにすれば
よかったのです
」とルーズベルトの責任をあげつらう。

そして、この項の冒頭
・・・5月にはドイツが無条件降伏していました。・・・しかし、
解せないのは、無条件での降伏を日本に対しても求めたことです。
それはルーズベルトの強い個人的な意向だったと言われていま
す。・・無条件降伏の要求に、合理的な理由が特にあるとは思えません。


藤井氏は知っていながら、白々しく、こういう記述をわざと書く。
ドイツの「無条件降伏」と日本の「無条件降伏」が同じだったと。
ドイツの「無条件降伏」はヒトラーの自殺等で消滅した中央政府
に代わって、連合軍に降伏した将軍が降伏調印に臨んでいるので
「完全無条件降伏」といわれている。一方、日本はポツダム宣言を
受諾して、軍部の武装解除を日本政府が自らの手で行ない、日本政
府が降伏調印に臨んだ
ので「条件付無条件降伏」といわれている。
以下がウィキの記事
ルーズベルトの死後、後継となったハリー・S・トルーマンは
無条件降伏原則を維持すると発表したものの、日本に対する降伏要
求ではその方針を修正し、いわゆる「条件付き無条件降伏」の方針
をとることとなった。終戦に伴う日本国軍隊の降伏は無条件降伏
ある。日本国が受諾したポツダム宣言第13条には、日本国軍隊
の無条件降伏(と拒否を言明した場合、全滅に至るまでの攻撃を受
けるであろう事)が定められている。なお、日本国の無条件でない
点は注意を要する
」と明確だ。

「政治ジャーナリスト」ならば、これらの知識を読者に披瀝する
矜持がなくてはなるまい。それを「反東京裁判史観」のためには
なりふり構わず虚言に等しい言辞を弄する。情けない限りだ。

いちいち藤井氏が用いる文言に、反応したくもないが、ルーズベ
ルトのポツダムに臨む経緯と姿勢を調べれば分かることで、それ
を承知の上で藤井氏は「解せないのは」などと持論を展開するた
めに恣意的な記述に終始する。

ウィキの「無条件降伏」の第二次世界大戦の項
アメリカ政府内部での検討では、1942年5月6日に開かれた国務
省の安全保障問題小委員会の中ですでに検討されていた。この委
員会ではドイツと日本に対して無条件降伏を求めるという検討結
果を満場一致で可決した。42年1月1日の連合国共同宣言において
「敵国に対する完全勝利」という表現を用いていたルーズベルト
にとってこの報告は自らの考えに合ったものであり、この報告を
受けたルーズベルトはその結論に賛成するという意向を伝えた。
この背景には第一次世界大戦の終結が降伏という形を取らなかった
ためにドイツ人は敗戦を受け止めず今次の大戦に至ったという考え
と、ソビエト連邦に対独戦を最後まで戦い抜くというメッセージを
伝える目的
によるものであった。ルーズベルトは1943年1月7日
のアメリカ統合参謀会議の席上で、枢軸国に対して無条件降伏を
求める方針を、ソ連のヨシフ・スターリンとイギリスのウィンス
トン・チャーチル首相に伝達する意向を明らかにし、カサブランカ
会談の席上でチャーチルに伝達した。


ルーズベルトの強い個人的な意向だった。・・・無条件降伏の要
求に、合理的な理由が特にあるとは思えません
」と藤井氏は記述
しているが、国務省の小委員会は全会一致で日本・ドイツの「無
条件降伏」の決議を行っており、十分に「合理的な理由」があっ
たとある。
そしてルーズベルトの「無条件降伏」の解釈
ルーズベルトのカサブランカ会談後の説明では、「それ(無条
件降伏)は、ドイツ、イタリア、日本の国民の破滅を意味するので
はなく、他国民の征服と隷属に基礎をおくこれら諸国の哲学の破壊
を意味する
」としている。

またアメリカ国内は
これは当時、アメリカ世論がルーズベルト政権に対して「戦争の
早期終結のため枢軸国勢力と安易に取引するのでは?」と不信感
を抱いており、ルーズベルトはこの疑惑を払拭する何らかの意思
表示をする必要性から無条件降伏の原則を発表した。 ルーズベル
ト政権に疑惑が生じた背景には、その前年の1942年に米英軍が実
施した親ドイツ姿勢のヴィシー・フランスが支配する北アフリカ
への上陸作戦(トーチ作戦)がある。自国内でナチス・ドイツが
行うユダヤ人迫害政策に加担したヴィシー・フランス軍司令官フ
ランソワ・ダルランと、ルーズベルト政府が秘密裏に休戦交渉し
ていたことが露見、アメリカのマスコミに「ルーズベルトはファ
シズム勢力と妥協した」と激しく非難される経緯があった


というのがルーズベルト政権のアメリカ国内の事情。「強い個人
的な意向
」でないことは明らかで、さらに十分な「合理的な理由」
だったことが伺がえる。だが、これらの国内事情がなかったと
しても「個人的な意向」などと言うのは、「国際政治
ジャーナリスト」が一国の大統領の決断に使うものではない。
もし使うとすれば「独断」という文言しかない。

藤井君
虚偽、歪曲、創作と
なんでもありの記述は
生計を立てるために
事実であるかのような
小説を書き
後世の我々に
ぬぐい切れぬ恥辱を与えた
従軍慰安婦問題の
吉田某を
彷彿とさせる
「反東京裁判史観」どころか
禍根だけを残すことになるぞ
ま、それも君は気にしないか
トランプ流だもんな



「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽37

2020-12-05 22:14:34 | 日記
前回「日本は終戦のために水面下で動いていた」の続きです。

自分の置かれている状況の中で、物事を的確に判断することは簡単
ではない。まして国内の時局を正確に判断して政局に望むのは、
「政治の世界は一寸先は闇」と言われるくらいプロの政治家でも
難しいと言われる。
フーヴァーのアメリカ大統領としての施政は、ことごとく失敗に
終わったのに、一国平和主義者ということもあって、国際政治の
舞台で力量を発揮できたとは思えない。
過去の事象を評することは誰にでもできる。
ルーズベルトの過去の政治を評したフーヴァーの言説をさも絶対正
義のように藤井氏は取り上げていて、それはこの第3章でも変わっ
ていない。

この項の最後に原爆による死亡者数に触れている。続けて記述する
のかと思いきや、3項目先に
「広島、長崎への原爆投下がなくても日本は降伏していた」
「原爆投下は、新世界におけるアメリカの覇権を誇示するもの
だった」
「日本に無条件降伏を呑ませるための切り札」

ただ原爆に限っては、小生に限ったことではないだろうが、非常に
憂鬱になって藤井氏が掲げるタイトルに抗う気力さえ失せる。それ
は広島・長崎の惨状の映像が、今も眼にあるからだ。
どうして原爆投下を回避できなかったのか、無念の思いで、過去の
情勢を紐解かざるをえない。
「日本は終戦のために、水面下で動いていた」とあるが、NHKスペ
シャルは、その動きの実態を暴露している。
NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報
“想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下。実は、日本
軍は米軍の動きをつかんでいたことが明らかになってきた。それな
のに、なぜ多くの市民の命を守ることができなかったのか。当時の
資料や当事者の証言などから、国民の生命の安全よりも、国の担当
者の事情やメンツを優先させた驚くべき実態
が浮かび上がってきた。
被爆から66年。初めて明らかになる原爆投下の真実に迫る


いろいろweb記事を見る中で、日本はアメリカが爆撃機B29の製造
に着手したという情報を入手して本土空襲に備えようと対策を練っ
たというような記事を見た時、ふと、だったらアメリカが原爆実験
に成功したという情報は入手できたはずだ、なのにどうしたのか
と思っていた。NHKスペシャルが、その謎を解き明かしたことに
なる。

webではポツダム宣言受諾に至る国内の情勢を記録している。
連合国との和平工作に努力する政党政治家も多かったが、敗北に
よる責任を回避し続ける大本営の議論は迷走を繰り返す。一方、
「神洲不敗」を信奉する軍の強硬派はなおも本土決戦を掲げて一
億玉砕を唱えた。日本政府は中立条約を結んでいたソビエト連邦
による和平仲介の可能性を探った。このような降伏の遅れは、そ
の後の制空権喪失による本土空襲の激化や沖縄戦の激化、原子爆
弾投下などを通じて、日本軍や連合軍の兵士だけでなく、日本や
その支配下の国々の一般市民にも甚大な惨禍をもたらすことにな
った


このようにウィキでさえ、悔恨を滲ませているのに、藤井氏は、
どこまでも「ノー天気」だ。
この項の最後で原爆について記述しているので、氏の原爆の記述
をピックアップしながら反論していこう。

「無条件降伏の要求が、戦争を無駄に長引かせ、より残酷なもの
にした」の項で藤井氏、フーヴァーの代弁、曰く。
ですから無条件降伏の要求さえなければ、原爆投下はもちろん
沖縄戦だって避けることはできただろうというのが、フーヴァー
の主張です

「無条件降伏の要求」ということは「ポツダム宣言」だが、この
文章はポツダム宣言後に、沖縄戦が始まったことになっている。
おかしいなと思ってネットを確認すると、ポツダム宣言は45年の
7月26日なっていて、沖縄戦は45年3月~6月。逆じゃないかっ

藤井君
なんだ、これはっ
フーヴァーは、
このレベルの歴史認識しか持っていない。
なのに、フーヴァーの言説を
金科玉条のように振り回して
「太平洋戦争の大嘘」
まるで寅さんの世界だよ
え?分からない?
「見上げたもんだよ
屋根屋のふんどし」

たははははー


書くことが多すぎて、割愛です。




「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽36

2020-12-02 06:47:45 | 日記
「第3章 原爆を落とす必要があったのか!?」

丹念に読んできたが、予想通りの「荒唐無稽」の代物だった。
虚偽の記載あり、創作ありの小説まがいの書籍は、氏の「反東京裁
判史観」へ読者を誘導しようと、広く浅く、波のように繰り返す記
述が、読む者を辟易とさせた。反面、web記事を読む機会が多くな
り、むしろweb記事を読む楽しみが増えたことについては、藤井氏
に感謝すべきかもしれない。

記述が「浅い」というのは、熟知しているはずの藤井氏が「反東京
裁判史観」へ読者を誘導するために、歴史的な事象を取捨選択して
本来、読者が知るべき事柄を記述しない結果に他ならない。
たとえば「近衛上奏文」。
第3章の冒頭の「日本は終戦のために水面下で動いていた」の
「・・・近衛文麿元首相や岡田啓介らの重臣グループが和平運動を
展開していました。45年2月には、近衛は昭和天皇に対して「近衛
上奏文」を奏上しています。これは「天皇制維持のため、日本の
共産化を防ぐ」ために早期の停戦を訴えたものでした


「近衛上奏文」についてはこれで終わりなのかなと思って、先を
捲ってみると、7、8項目先に再度出てくるという始末。
「徹底抗戦を叫ぶ統制派は、社会主義革命を望んでいた」
「和平を訴える『近衛上奏文』のもう一つの危機感」

近衛が「上奏文」を奏上する動機については、通り一遍の記述を
している。近衛の述懐等の核心部分には、都合が悪いので触れて
いない。

先ず、近衛が小林海軍大将に語った内容の一部
要するに陸軍の赤に魅せられた連中は、政府や軍首脳部の指示を
無視し、無暗に戦線を拡大し英、米との衝突をも憚らず遂に大東亜
戦争にまで追い込んで仕舞った。
しかも其の目的は戦争遂行上の必
要に藉口し、我が国の国風、旧慣を破壊し、革新を具現せんとする
のである。此の一派の率いる陸軍に庶政を牛耳られては国家の前途
深憂に堪えない。・・・・
翻って所謂革新派の中核となってる陸軍の連中を調べて見ると、所
謂統制派に属する者が多く荒木、真崎等の皇道派の連中は手荒い所
はあるが所謂皇道派で国体の破壊等は考えて居らず又其の云う所が
終始一貫してる。之に反し統制派は目的の為に手段を選ばず、しか
も次々に後継者を養っている。速かに之を粛清しないと国家危うし
である


陸軍の赤に魅せられた連中は、政府や軍首脳部の指示を無視し、
無暗に戦線を拡大し英、米との衝突をも憚らず遂に大東亜戦争にま
で追い込んで仕舞った
」このような近衛と同じ認識が重臣グルー
プには、あったものと思われる。
ところが藤井氏は、これは「ルーズベルトの謀略」には気づかない
近衛たちの認識だと、言い逃れるだろうが、それだったら記述すべ
きだろう。しかし、近衛たちの認識はシナ事変まで遡るので、
ルーズベルトの謀略」などという論法は成立しえない。だから
藤井氏は、このことを無視して記述を続けている。

さて、話が逸れてしまったので、元へ戻そう。

その後、近衛は三田村武夫代議士の苛烈な批判に遭遇する。
同年4月、中野正剛と共に東條首相を批判していた三田村武夫代
議士が荻外荘を訪問し近衛と会談した。三田村は1928年(昭和3
年)6月から内務省警保局、拓務省管理局に勤務し、左翼運動の取
締に従事しながら国際共産主義運動の調査研究に没頭した後、衆議
院代議士となり、第七十六回帝国議会衆議院の国防保安法案委員会
(昭和16年2月3日)では、日本の上層部が戦時防諜体制の大きな抜
け穴になっていることを問題視して近衛首相を叱咤し、世間から危
険視されても国家の為に徹底的に、第三国の思想謀略、経済謀略、
外交謀略、政治謀略、中でも最も恐ろしい、無意識中に乃至は第三
者の謀略の線に踊らされた意識せざる諜報行為に対する警戒と取締
を強化するように政府(第二次近衛内閣)に要求していた。
荻外荘の近衛を訪問した三田村は、戦局と政局の諸問題について率
直な意見を述べ、「この戦争は必ず敗ける。そして敗戦の次に来る
ものは共産主義革命だ。日本をこんな状態に追い込んできた公爵の
責任は重大だ!」と近衛を詰問したところ、近衛は珍しくしみじみ
とした調子で、第一次第二次近衛内閣当時のことを回想し、「なに
もかも自分の考えていたことと逆な結果になってしまった。ことこ
こに至って静かに考えてみると、何者か眼に見えない力に操られて
いたような気がする-」と述懐した。
近衛文麿が小林躋造と三田村武夫に告白したこと及び三田村と警視
庁特高第一課長の秦重徳から聴取したことと同じ趣旨の警告と反省
が昭和20年2月14日には近衛から昭和天皇に上奏されたのである

以上が「上奏文」奏上の直接的な動機だ。

ところが、その後、近衛の交友関係を中心に、「上奏文」とは真逆
の実態が明らかになっていく。

三田村は、近衛上奏文を「近衛が自分の経験と反省を述べ、自
分が革命主義者のロボットとして躍らされたのだと告白するもの」
と評し、敗戦後に長年にわたる自分の調査研究と政治経験、そして
自分が入手した企画院事件、近衛文麿のブレーントラスト昭和研究
会に結集していた企画院革新官僚および朝日新聞社出身のソ連ス
パイ尾崎秀実や三木清ら共産主義者の戦時中の好戦的な言動と思
想、ゾルゲ事件、ソ連およびコミンテルンの世界戦略に関する多
数の証拠資料に依拠
して、近衛上奏文に該当する具体的事実を
解剖し、近衛内閣の軍事外交内政政策の背後にソ連の対日諜報謀
略活動があったことを指摘した」


ゾルゲ事件
1942年(昭和17年)11月18日、近衞は予審判事・中村光三か
ら僅かな形式的訊問を受け、「記憶しません」を連発し尾崎との
親密な関係を隠蔽したが、元アメリカ共産党員の宮城与徳は検事
訊問(1942年3月17日)に対して、「近衛首相は防共連盟の顧問
であるから反ソ的な人だと思って居たところ、支那問題解決の為
寧ろソ連と手を握ってもよいと考える程ソ連的であることが判り
ました
」と証言した。国家総動員法や大政翼賛会による立憲自
由主義議会制デモクラシー破壊に猛反対した鳩山一郎は、これよ
り前に日記(昭和十五年十一月一日の条)に、「近衛時代に於
ける政府の施設凡てコミンテルンのテーゼに基く
。寔に怖るべ
し。一身を犠牲にして御奉公すべき時期の近づくを痛感す」と
書いていた


以前にも書いたように、近衛は、言うことは立派だったが、やるこ
とは反対のことをやったり、優柔不断だったりと、一貫していなか
ったようだ。

7月7日に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争(支那事変)が勃発し
た。7月9日に不拡大方針を閣議で確認した。杉山元は支那駐屯軍
司令官・香月清司に対し「盧溝橋事件ニ就テハ、極力不拡大方針
ノ下ニ現地解決ヲ計ラレタシ
」との命令を与え、今井武夫らの
奔走により7月11日に現地の松井太久郎大佐(北平特務機関長)と
秦徳純(第二十九軍副軍長)との間で停戦協定が締結された。しか
し近衞は・・・「北支派兵声明」を発表する。派兵決定とその公表
は進行中の現地における停戦努力を無視する行動であり、その後の
現地交渉を困難なものとした。秦郁彦は、「近衛内閣が自発的に
展開したパフォーマンスは、国民の戦争熱を煽る華々しい宣伝攻勢
と見られてもしかたのないものであった」としている」


その後の特別議会で近衞は「事件不拡大」を唱え続けた。しかし
7月17日には1,000万円余の予備費支出を閣議決定。7月26日に
は、陸軍が要求していないにもかかわらず、9,700万円余の第一次
北支事変費予算案を閣議決定し、7月31日には4億円超の第二次北
支事変費予算を追加するなど、不拡大とは反対の方向に指導した

陸軍参謀本部作戦部長の石原莞爾は風見章を通じて、日中首脳会
談を近衞に提案したが、広田弘毅が熱意を示さず、最後のところ
で決断できなかった。この状況を憂慮した石原は7月18日に杉山
元に意見具申し、「このまま日中戦争に突入すれば、その結果は
あたかもスペイン戦争でのナポレオン同様、底無し沼にはまるこ
とになる。この際、思いきって北支にある日本軍全体を一挙に山
海関の満支国境まで引き下げる。近衛首相が自ら南京に飛び蔣介
石と膝詰めで談判する」という提案をした。同席した陸軍次官・
梅津美治郎は、「そうしたいが、近衛首相の自信は確かめてある
のか」と聞き、杉山も「近衛首相にはその気迫はあるまい」と述
べた。実際、風見によれば、近衞は陸軍が和平で一本化するかど
うか自信がなく、せっかくの首脳会談構想を断念したと言われて
いる。当初、近衞は首脳会談に大変乗り気になり、南京行きを決
意して飛行機まで手配したが、直前になり心変わりし蔣介石との
首脳会談を取り消した。石原は激怒し「二千年にも及ぶ皇恩を辱
うして、この危機に優柔不断では、日本を滅ぼす者は近衛である

と叫んだ。

陸軍の赤に魅せられた連中は、政府や軍首脳部の指示を無視し、
無暗に戦線を拡大し英、米との衝突をも憚らず遂に大東亜戦争にま
で追い込んで仕舞った
」と陸軍統制派を非難しながら、近衛は自
らが陸軍統制派に手を貸していたことは念頭になかった。

これらのことから日本が軍部を抑えきれず、戦線を拡大していっ
たことは明白だ。

次回に割愛します。