非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

あーぐわぐわぐわぐわぐわ

2009-11-29 14:53:30 | 日記
うがいの音です。今朝少しのどが痛かったので、洗面所でうがいをし

ていたら、後で待っていた夫が笑いながら「何でうがいの時にあーって声を出す

の?」

「なんで!?・・・・韓国人はみんなあーって声出しながらうがいするけど・・」

「面白いな韓国人は。日本人は息を吐くだけで、あーと声を出しながらうがいをす

る人はいるかな?」、、

そこから、擬音っていうの?ものの音の表現や動物の鳴き声の話になって、楽しか

ったな

私の家には、こんなに寒くなったのに、まだ蚊が入ってくるの。

「エーーン」っていうと夫はニコニコして私の顔を見る。

日本では「ブーン」って言うんですってね。韓国は蚊の飛ぶ音を「エーン」

犬の鳴き声は「モングモング」。猫は似ている「ニャオン」。牛は「ウメー」。

馬が全く同じ「ヒヒーン」。カッコーは「ポックーポックー」

国によって聞き方や表現のしかたが違うのは、楽しいね

さあ、今日はがんばるぞ

子供って、何だろう ? !

2009-11-27 15:33:06 | 日記
今日は考えさせられたこと。

昨日、夫が現地案内から帰ってきてから、ため息ばかり・・・・。

「どうしたの?」

「子供ってなんなんだろうね?」

「なによ、いきなり!」

案内した物件が、駅から徒歩10分ほどのところにある東南角地の、土地約50坪

の立派なお宅だったとか・・・・。ところが荷物がかなり残っていて、生活ぶりが

手に取る分かる状況だったらしい。つまり生活していて、急に逃げ出したのか、い

なくなった状態だったのです。競売物件ではよくあることなので、夫がため息をつ

く理由は他にあるのです。

そこのお宅には、10年ほど前におばあさんが心臓発作で病院へ担ぎ込まれて亡く

なった後、80半ばのおじいさんが一人で生活していたそうです。癌も末期になっ

て病院に入院して、そのまま亡くなったようです。

そのお宅を売りに出したのは相続した3人の子供さん。長男は有名上場企業の幹部

で、他の二人も立派な社会人で、他府県で生活しているとか・・・。当然最後はい

ずれかの子供さんが見取ったはずですが、夫は寂しさを隠せませんでした。2階の

洋室の、扉が開いた収納の片隅に、古いガラスケースに収まった端午の節句の飾り

物や羽子板の付いた京人形があったそうです。それを見て、夫は胸が熱くなったそ

うです。どんな思いで3人の子供さんを育てたのだろう。一生懸命育てて、一流の

大学へ行かせ、立派な社会人にさせた挙句に、年老いて10年も一人にしておかれ

るなんて・・・。それだけではない。親がなくなったら、室内をきれいに片付け

て、せめて親の生活の様子が分からないようにして遺産となった実家を処分して

あげられないのだろうか。これでは「生き恥」ならぬ親の「死に恥」をさらしてい

るではないか。

夫のため息の原因は、こうだったのです。

夜遅く帰ってきて、食事をしている息子を横目にー息子もいずれこうなるんだろう

かーと思って、ちょっとさびしくなりました。




寒 い ~ 。

2009-11-19 16:33:23 | 日記
さ・む・い~。

エアコンの暖房をつけましたが、電気代がかかるので、夫に近くのビバホームで、

灯油二缶買って来て貰って石油ストーブを出して点けてます。

おとといは17年ぶりの寒さで今日は1月中旬の気温だとか・・・

おとといはプサンでも30年ぶりの雪だって

でも寒い寒いと言っても昔はもっと寒かったな・・・。



今から30年前、ソウルの銀行に勤めている時は、冬-20度とか-25度の時が結

構あって、それでも朝シャンは欠かしませんでした。

家を出てバス停まで約15分の道のり・・バス停に着く頃には髪の毛は完全に凍り

ついてカチカチ。鼻毛まで凍っていて、銀行に着いて暖かい室内に入ると、髪の毛

の氷が解けるのでタオルを巻いて乾かしたり、もう一度髪を整え直して、鼻からは

解けた氷が水になってジャーと落ちてきて結構大変でした。

それでも若かったせいか風邪一つひかなかった。

今年の冬は寒くなりそう。

鍋料理がそろそろ・・・韓国ではチゲ

チゲには、ほとんど唐辛子を使います。日本より寒いからね。

唐辛子は、その昔、豊臣秀吉の部下の加藤清正が兵士の凍傷予防に持ってきた

そうです。それを身体を温めるために食べ物の中に入れて食事をするように

なったというわけ・・・・。

それで今のキムチが出来たそうです。












痛ましいプサンの火災事故

2009-11-17 19:21:11 | 日記
1昨日の続きを書こうかなと思ったけど、もっと大事なことがあ

る様な気がして・・・。

プサンの火災事故・・・・亡くなった人たちに申し訳ないな。日本の人たちに申し

訳ないという思いです。

ニュースの映像が流れるたびに胸が痛む思いと懐かしさで複雑な思いです。

あのプサンの市場は、50年近く前と町並みがそんなに変わっていません。

私が5~6歳ごろ、12~3人のいとこたちと一緒に走り回ったりして遊んだ所

です。当時は米軍の援助物資や横流しの品物が溢れていて、子供の目にも、珍しく

楽しいものがいっぱいありました。たとえば、お人形。町のおもちゃ屋さんには

目を閉じるお人形はありませんでしたが、あの市場に行くと、アメリカのものをお

いているお店の店先には、寝かせると目を閉じ起こすと目を開ける青い目の人形な

ど珍しいものがいっぱいありました。もちろん私たちのおこずかいで買える物では

ありませんので、お店に行っては眺め、店員さんの目を盗んでは触るのが唯一の

楽しみでした。医院を開いていた伯父さんからは毎日といっていいほどおこずかい

を貰いました。私は1ウオン。大きな飴玉が2個買えたのを覚えています。今の価

値でいうと10円くらいだったのでしょうか。夏休みになると10歳くらいのお兄ち

ゃん達を先頭に12人ほどが、朝8時ごろから伯父さんの診察室の前に年の順にず

らっと並んで、おじさんから、その日のおこずかいを貰うために静かに待つのが日

課でした。クラッシック(後年聞いて解かったことですが)の音楽が止むと診察室の

扉が開いて、小銭の入ったステンレスのトレーを抱えた伯父さんが私達の前に立っ

て、両手を揃えて前に差し出した小さな手に、年齢に応じた小銭をいれていくので

す。私は真ん中ほどのところに並んでいて、1~2年して私の上の弟もその列に加

わったのでした。最後尾の者が貰い終わると「ありがとうございました」と皆で言

って、外に駆け出していきます。そしてバス停で4から5つくらい先の件の市場ま

で皆で歌ったりしながら通ったものです。市場の中で見物したりかくれんぼしたり

して一日を過ごし、日が沈む頃帰ってきました。

その思い出の地で、あのような大惨事がおきたこが残念でなりません。

なくなられた7人の方々のご冥福をお祈りしたします。

チナーのあれこれそれこれ

2009-11-15 13:26:06 | 日記
はじめましてチナーと申します。

今日からブロガーの仲間入り・・・よろしく。

まずは自己紹介から・・・・・

私は韓国出身の55歳。これ数え年です。日本の「数え年」と違うのは、日本は

1月1日で数えるのに、韓国では誕生日でカウントします。

たとえば、日本での「数え年」は12月31日生まれた場合は翌日1月1日で数え

の2歳。ですよね

それはともかく・・・自分で言っては何ですが、すごく元気です。ニンニクパワー

かなそれだけがとりえの55才です。

朝は6時に起きて、食事の用意をして、夫と大学院進学を目指している息子と一緒

に朝食を取って、食後の後片付けを一人でやって、前の晩に洗濯したものを干して

それから化粧髪も整えるから30分以上・・・・。

その間、夫は1階の事務所を掃除して、それが終わると新聞を持ってトイレ。

これが長いのトイレで倒れていないかと心配になって、時々声を掛

けたりドアを叩いたり・・・・「うるさいなー」って・・・なによ。

化粧が終わって、事務所に下りるのが9時半から10時。夫は入れ替わりに現地調

査や写真撮りに行きます。

私はそれからSkypeで「物件確認」

「物件確認」というのは沿線ごとに収納してある不動産の販売資料を出して、売主

やら専任等の業者に、価格の変更がないかどうか、売れてしまったのかどうかとか

確認の電話をします。土日祭日を除いてほぼ毎日。

普通の電話だと料金が高いので「Skype」にしてます。これが時々嫌がられるの。

どうも「非表示」で掛かるらしく「非表示で掛けるなんて失礼だ」とか文句言われ

たり、電話を取った方の声が急にトーンダウンしたりします。

それでも言い訳をして、めげずにSkypeします。

永くなるから今日はここまで・・・・・慣れるまでちょっとたいへんそう・・。

いろいろ勉強しながらブログを充実させていきますから・・・・・、

よろしく