非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

読売新聞社説「河野談話検証」論説委員の視点を糾す!Ⅱ

2014-06-25 08:01:52 | 日記
読売新聞社説「河野談話検証」論説委員の視点を糾す!
河野談話見直し。国民を欺く産経新聞!
河野談話見直し!産経新聞の終わりの始まり!
産経新聞の 河野談話見直し「合作」表現の妙!
河野談話見直し産経記事の鵜呑みで右へ倣えのネット世論に物申す!

次は第三面の社説の横・8段2/3の「スキャナー」。「韓国側 再三
の『添削』
。サブタイトル「『軍関与』明記 強い圧力」。この見出し
の「添削」は「河野談話見直し」のキャンペーンを展開してきた産経
新聞の受け売りではないか。おまけに記事の冒頭部分に「事実に眼を
つぶり、韓国側の意向を優先したツケは大きい
どういう「事実」だ?
元慰安婦の曖昧で杜撰な証言のことか?読売新聞の政治部も産経新
聞の政治記者の記事の鵜呑みか?も少し独自の視点をもてないのか?
最初の項「■前日ゴーサイン」ここでも「添削」?まるっきり産経ニュ
ース。書いていることに新鮮味がない。当ブログの「河野談話見直し」
シリーズ、先のパートⅠでも書いているように“被害者”である元従軍
慰安婦を抱えている韓国が日本に要請し、摺り合わせを要求するのは
ありえることだ。ここでは「共同文書」と、言葉を変えているが、産
経の「合作」と同じではないか。「共同文書」も「合作」同様、対等の
立場であることが前提だ。韓国は国内問題になりつつあった元従軍
慰安婦という“被害者”を抱え、一方、日本は、その“加害者”とし
て謝罪を要求されている立場だ。これは、それぞれの立場を全く考
慮しない拙劣な言辞で産経新聞の受け売りに等しい。読売新聞とも
あろう者が、この程度のことしか書けないのか?立場の違いについて
理解がないから「慰安婦問題では、韓国側から、旧日本軍による強制
連行などの『官憲による関与』があったと認めるよう、さまざまなレ
ベルの強い圧力がかかった
」。サブタイトルの「『軍関与』明記 強
い圧力
」の表現を使ってしまう。「圧力」と言えなくもないが、ここ
はむしろ「要請」と理解するのが自然であろう。そして「検証は、
『強制連行は確認できなかった』と結論付けた
」という記述も、
「河野談話」を読めば「強制連行」の文言は出てこないのに、「検
証報告書」に、そのような記載があたかもあるような記述だ。
そして「慰安婦問題の『全体像解明』は、第二の課題とされた」など
と書いているが「慰安婦問題の全体像」とは、どういうことか?政府
検証報告書には「慰安婦問題の全体像」という文言は出てこないし、
「第二の課題」などという文言も一切出てこない。「政府検証報告書」
を勝手に解釈して「慰安婦問題の『全体像解明』は、第二の課題とさ
れた
」という文言を記事に挿入して「摺り合わせ」「事前調整」をク
ローズアップさせようとする手法は大新聞の取るべき執筆態度ではあ
るまい。河野談話見直しの立場から報告書を検証しているのではな
いか。読売新聞の第9面の下全6段を占める「河野談話作成過程に関す
る検討チーム報告書要旨」に端的に表れているように思えてならない。
要旨としながら前半の「1宮沢首相訪韓に至るまでの日韓間のやり
とり」から「3加藤官房長官発表から河野官房長官前の間の日韓間
のやりとり」の中で都合11項目を省略している。ところが「4元慰安
婦からの聞き取り調査の経緯」から「5河野談話の文言を巡るやりと
り」では、「報告書」をほぼそのまま記載している。読売新聞の「省
略」には、なにか意図があるのではないかと思い、産経ニュースの
「政府検証全文」に目を通してみた。案の定だ。「1宮沢首相訪韓
に至るまでの日韓間のやりとり」の前に「【河野談話作成過程等に
関する検討チーム】~検討会における検討~
」として「1検討の背景」
「2会合の開催状況」「3検討チームのメンバー」「4検討の対象
期間」「5検討の手法」「6検討チームの検討結果」があり、ここで
重要なことは「検討チームにおいては、慰安婦問題の歴史的事実その
ものを把握するための調査・検討は行なっていない
」としたうえで
「6検討チームの検討結果」の項で「今回の検討作業を通じて
閲覧した文書等に基づく限り、その内容が妥当なものであると判断
した
」これは非常に重要で省略すべき部分ではないはずだ。
これだけで読売新聞の意図が自身の普段の主張である「河野談話見
直し」と相容れないために除いたものだということが解る。
産経新聞をはじめとした「河野談話見直し論」の主要な論点は「従軍
慰安婦の聞き取りは杜撰で歴史資料にはならない
」とし、ここから
「河野談話」が作られ、読売新聞のいう「慰安婦問題を巡って誤った
日本のイメージが世界に広がる結果を招いた
」ため、日本の汚名を
晴らす為に山田議員も国会で政府に迫り、「検証」をすることにな
ったことを考えると、「政府検証報告書」の冒頭部分を省略するこ
とはできないはずだ。
産経ニュースの「全文」と読売新聞の「報告書要旨」を読み比べる
と読売新聞の省略部分は「河野談話見直し」の視点から「検証報告
書」を検証したもので意図的である。例えば「検証は『強制連行は
確認できなかった』と結論づけた
」と強調しているが、「検証報告
書」を読む限り、そういう文言は出てこない。報告書の冒頭の「6
検討チームの検討結果」には「検討チームとして、今回の検討作業
を通じて閲覧した文書等に基づく限り、その内容が妥当なものであ
ると判断した
」とあるが、「報告書」のどの部分から読売新聞は
検証は、『強制連行は確認できなかった』と結論づけた」と記述
したのか?こういう記述は歪曲か捏造だ。さらに読売新聞は「一方、
元慰安婦16人の聞き取り調査はこれまで、軍による強制を裏付ける
有力な根拠とされてきた
」と記述している。冒頭の「検討会におけ
る検討」の「6検討チームの検討結果」の読売が省略した部分を読
まなければ、うっかりと合点するところであったが、「元慰安婦
16人の聞き取り調査はこれまで軍による強制を付ける有力な根拠と
されてきた
」とする記述など、どこの誰が『強制を裏付ける有力
な根拠
』としたのかと問い質したくなる。
検証チームは「報告書」の冒頭で「検討チームにおいては、慰安婦
問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行なっ
ていない
」としたうえで「事後の裏づけ調査や他の証言との比較は
行っていない
」と記述している。
読売新聞が言うように「一方、元慰安婦16人の聞き取り調査はこれ
まで、軍による強制を裏付ける有力な根拠とされてきた
」のであれ
ば、検討チームは「事後の裏づけ調査や他の証言との比較は行って
いない
」という報告はしないはずだ。従って「(聞き取り)調査終了
前に談話の原案は出来上がっていたことも分かった
」などと、敢て
強調することもないはずだ。
 次の「■幕引きを狙う」。ここは「検証報告書」にない部分で読売
新聞の見解を述べた部分だ。それは安倍首相が河野談話を継承す
る姿勢を表明した後、今回の「検証報告」の発表を受けて「慰安婦問
題が『法的に解決済み』との立場を踏まえ、韓国側にも談話の実態を
広く知ってもらうことで、慰安婦問題を巡る不毛な対立に幕引き
を図りたい考えだ」ということは当然のことだが、続けて記述して
いる「今回の検証結果で河野談話の実態が明るみに出たことで、
『談話は空文化する』との見方も出ている
」という記述は、検証報告
書が「1993年8月2日、日本側から、マスコに一切出さないようにす
べきであろう旨述べたのに対し、韓国側はこれに了解するととも
に、発表の直前に日本側からFAXで発表文を受け取ったと言うし
かないであろう旨述べた
」という約束を反故にする発表であるため
「空文化」は避けられないだろう。
「河野談話」に問題があったというよりも、産経新聞、読売新聞が
「河野談話の見直し」のキャンーぺンを繰り広げた結果、山田議員が
検証を政府に迫って、伏せるべきところを抉り出してしまった結
果で、早速、韓国側から弾劾の声明等が発出された。こうなるこ
とは最初から分かっていたことだ。しかも「検証報告」を読むと、韓
国政府のポピュリズムに日本政府が翻弄されたことが手に取るよ
うに分かるが、韓国政府の対応は強圧的なものではなく、終始、
穏やかな対応だったのではないかという印象を受ける。韓国政府
のポピュリズムというのは朴大統領が、借金を抱えている国民に
400万ウォン(約40万円)を政府が肩代わりするという徳政令を出し
たり、旅客船沈没事故では大統領がメディアを含めた国民から辞
任を迫られ、涙の謝罪会見を開くなど、国民には弱腰なのが韓国
政府。
読売新聞の「スキャナー」の傍らに「検証報告」とは別に「談話後日
本に厳しい目
」の見出しで「河野談話」後の世界の動きを書いている
が「談話が、官憲による強制連行を認める内容だったことは、慰安
婦問題を巡って誤った日本のイメージが世界に広がる結果も招いた

としているが、果たしてそうなのだろうか?
検証報告書は「最終的に8月3日夜、在日本大使館から外務省に対し、
本国の訓令に基づくとし、金泳三大統領は日本側の現(最終)案を
評価しており、河野談話の文言について最終的に一致をみた
」と報
告している。にもかかわらず、「従軍慰安婦問題」は、どうして今日
のような状況を呈するようになったのか?それは当ブログでも触
れているように、日本が教科書から「従軍慰安婦」の記述を削除した
ことに端を発している。
かつて教科書問題を巡っては「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾
幹二氏らを中心に、自民党国会議員たちも「日本の前途と歴史教育
を考える議員の会
」をつくり、「従軍慰安婦」など子供たちに教える
ことはできないと、教科書から「従軍慰安婦」を削除するよう運動し
て、日本の教科書から「従軍慰安婦」の記述をなくしただけではなく、
自民党の国会議員を中心とした保守系議員のあらぬ失言は韓国社
会の反発を招き、今日の「従軍慰安婦問題」に発展したのだ。ただ韓
国の挺対協はじめ韓国の従軍慰安婦問題の反日グループのいわれ
なき「強制連行20万人」説は、1992年の釜山従軍慰安婦・女子勤労挺
身隊公式謝罪等請求訴訟で、山口地裁下関支部が「従軍慰安婦」と
「女子挺身隊」問題を分離しないまま訴訟を受理したことも遠因の
一つではないかと思う。ウィキペディアを見ると「朝鮮半島の女子
についてはこのような日本内地における徴用令も女子挺身勤労令
も発令されなかったが、斡旋によって挺身隊が日本内地へ向かっ
た事例もあったため、挺身隊と慰安婦が混同され、「挺身隊に動員
されると慰安婦にされる」との流言が流布した。流言によってパニ
ック的動揺が生まれたらしい。朝鮮の未婚女性や親は、学校を中
退させたり、結婚することで徴用を逃れようとした。
例えば、韓国で挺身隊=慰安婦という認識を広めた韓国挺身隊問
題対策協議会初代代表の尹貞玉(1925年生)も父親の忠告に従っ
て1943年4月に入学したのを同年9月に退学している」とある。結果
論だが、挺身隊=慰安婦という誤った認識を固定化させる原因を
山口地裁は造ってしまったのではないか。
さらに「国連人権委員会のクマラスワミ特別報告」についても先の当
ブログでも触れているように、「河野談話」以前に、最初に従軍慰安
婦を「性奴隷」として国連が取り上げるように働きかけたのは日弁連
なのだ。これらのことを伏せて、ひとり「河野談話」に原因があると
するのは「河野談話見直し」論者の今や常套手段だ。
 さて、いよいよ社説に入ろう。これまでの流れから読売新聞の
「検証報告書」に対する視点は「河野談話見直し」論であることは
明白。むしろ「社説」の論旨に沿って、第一面のトップ記事、「ス
キャナー」の特集は記述されている。従って読売新聞の社説「外交
的配慮が事実に優先した
」は吟味する必要もない代物だが、敢て
再吟味してみる。ここで「検証報告書」の冒頭部分の「検討会にお
ける検討
」を無視し、検討チームの会見「(従軍慰安婦問題は)信用
性を問う性格のものではない
」「『裏付け調査がなかったから聞き
取り調査は大欠陥がある』というのは、聞き取り調査の目的とず
れている気がする
」の座長の発言をも無視したものだ。従って社
説は「いわゆる従軍慰安婦に関する河野官房長官談話の綻びが、
改めて浮き彫りとなった
」と中傷することから始まる。対比して
みると実に面白い。
政府報告書は「6検討チームの検討結果」に「検討チームとして、
今回の検討作業を通じて閲覧した文書等に基づく限り、その内容
が妥当なものであると判断した
」とあるが、読売の論説委員はどう
言い繕うつもりだ?従って二段目の「韓国側の求めで、日本政府は
元慰安婦16人の聞き取り調査を行なったが、調査終了前に政府
内で原案が作成されていたという
」引用は空疎に聞こえる。ただ
三段目の河野氏の談話発表時の記者会見で「強制連行の有無につ
いての質問に、『そういうことがあった』と答えた。
誤った認識をさらに広げた河野氏の罪は重い
」は、政府報告書に、
この記述があるだけに、この批判は避けようがないように思う。
当方は、それまでウィキペディアの記事を信頼してきたが「強制
連行があったというのは白馬事件のことだ」という河野氏の記者
会見時の記事は河野氏側が最近になって記載したのではないかと
いう疑念が湧いてきたが、それでも河野氏の「罪」を問うべきではな
い。罪を問うべきは「自虐史観」と称して教科書から「従軍慰安婦」
を削除させ、従軍慰安婦に関する数々の妄言、暴言を繰り返して
きた保守論客や保守系国会議員たち、そして、それに同調したメ
ディア。思い込みで「河野談話」見直しを主導した産経新聞、読売新
聞のメディアだ。特に読売新聞は今回の「政府報告書」に関する偏
向し歪曲した論説や報道は、責任を問わざるをえない。
ところが読売新聞は6月20日、産経ニュースが検証チームの座長
会見を報道し、翌日21日0時には「政府検証全文」をネットに掲
載したことに狼狽したのか、1日遅れで読売オンラインで全文を
掲載するというお粗末な対応だ。読売新聞の責任は重い。

※「慰安婦問題の『全体像解明』は、第二の課題とされた」が
報告書のどこにあるかと当方が書いたが、この文言があった。
読売新聞が省略した、「3加藤官房長官発表から河野官房長官
談話前の間の期間の日韓間のやりとり」の(9)の記述の中に「
韓昇洲外務部長官からは、日本側の誠意あふれる発言に感謝す
るとしつつ、重要な点として、『第一に強制性の認定、第二に
全体像解明のための
最大の努力、第三に今後とも調査を
継続するとの姿勢の表明、第四に歴史の教訓にするとの表明で
ある。これらがあれば』、『韓国政府としても』、『本問題の円満
解決のために努力していきたい』との発言があった。・・・・」
本来は謝罪したいところだが、韓国側が要求している四つの項目
は「第一が強制性の認定」だが、この文脈から判断するならば
「第二」と言っても読売新聞が言う「全体像解明は二の次でいい
」という意味合いにはならないはずだ。でなければ全体像の解
明も含めて「河野談話」発表へ漕ぎ付けた日本側に、韓昇洲外
務部長官は「本件に対する日本の努力と誠意を評価したい」と
の発言を当時の武藤外務大臣が受けるはずがないではないか。
                       以上

読売新聞よ
「河野談話」見直しを
主導してきた産経新聞に
劣る
自らの主張とは別に
今回の「政府報告」を
包み隠さず正確に報道した
産経新聞の
報道姿勢に学べ


 




読売新聞社説「河野談話検証」論説委員の視点を糾す!

2014-06-21 10:08:37 | 日記
読売新聞社説「河野談話検証」論説委員の視点を糾す!Ⅱ
河野談話見直し。国民を欺く産経新聞!
河野談話見直し!産経新聞の終わりの始まり!
産経新聞の 河野談話見直し「合作」表現の妙!
河野談話見直し産経記事の鵜呑みで右へ倣えのネット世論に物申す!
6月20日のニュースに「河野談話」検証結果の記者会見のニュ
ースが流れた。
「河野談話作成過程検討チーム」の座長で、元検事総長の但木氏の会
見は当方の愚鈍な頭にも印象づけられたほど極めて明快であったと
思う。即ち「元慰安婦16人への聞き取り調査は・・・・信用性を問う性格のものになっていない。」「裏づけ調査がなかったから聞き取り調査は
大欠陥があるというのは、聞き取り調査の目的とずれている気がする

この一言で当方の溜飲は下りたような気がする。
 ところが21日土曜日の読売新聞は第一面トップに大見出しで「河野
談話 韓国と事前調整」サブタイトルに「政府検証報告 大統領も了解」
の記事を出し、二面に小さく「韓国、対抗措置検討も」と韓国、中国の
反応を書き記して第三面は「スキャナー」のコーナー全8段2/3で「韓国
側 再三の『添削』河野談話検証 『軍関与』明記強い圧力」「談話後
日本に厳しい目」のタイトルで特集し、社説のトップは「河野談話検証
外交的配慮が事実に優先した」とまくし立て、9面下、全6段に「検討チ
ーム報告書要旨」を記載しているが、ネットで見た産経ニュースは冒頭
『「信用性を問う性格のものではない」、
但木敬一座長(会見要旨)』として三つの項目に分けて簡潔に要旨を記
載している。【検証作業のスタンス】【談話作成の背景】【聞き取り調
査の目的】等、読売新聞の「膨大な字数」に比べると、わずか18行の記
事だが、実に要所を押さえていて解りやすい。ネットの記事と新聞の
記事には編集の違いもあるのだろうが、我が読売新聞は「膨大」なスペ
ースを割いた割には読者には、すっきりと飲み込めないのは、なぜだ?
普段、河野談話見直しシリーズで産経新聞への罵詈雑言を吐いている
読売新聞の読者としては、なんとも決まりが悪い。
 とにかく本題に入ろう。まずは読売新聞第一面トップからいく。
4段抜きの大見出し「河野談話 韓国と事前調整」の記事。これはな
んだ?
日本維新の会の山田議員が質疑の中で政府に糾し河野談話の再検証
を要請した内容に照らし合わせると、「河野談話」の政府検証報告に
対し、この「事前調整」という見出しが適切なのだろうか。慰安婦の
証言に裏づけがなかったのは政治判断があったからではないかとい
うのが山田議員の質疑の主旨ではなかったかと思うが、「事前調整」
は山田議員が雑誌「正論」や産経新聞の「合作だった」という記事を
取り上げて石原元官房副長官に質問をし、これに石原元官房副長官が
多少の摺り合わせはあったと思う」という答弁をして
いるということもあって、特段に目新しい見出しではない。それど
ころか読売新聞の「河野談話 韓国と事前調整」の見出しは読売新聞
の編集部が、山田議員の質疑と今回の「検証報告」の主要な論点を把
握していない重大な過失を露呈したものではないか。あるいは「視点」
の違いからそうなってしまったと解釈できなくもないが、本来なら
トップの大見出しは「政府検証報告 聞き取り調査 裏づけ不要」と
すべきではなかったか。
さらに記事には「河野氏は談話発表当時の記者会見で『(強制連行の)
事実があった』と、異なる発言をしていた
」とあるが、ウィキペディ
アには「河野は『組織として強制連行を行っていても、無理にでも連
れてこいという命令書や無理に連れてきましたという報告書は作成さ
れることはないだろう』という見方を示し、強制を認めた根拠として
『募集・移送・管理等の過程全体をみてであり、自由行動の制限があ
ったこと』を挙げている。談話発表後の記者クラブでの説明で河野は
『官憲等が直接これに加担したこともあったこと』とは白馬事件のこ
とを指しており白馬事件以外には官憲等が直接これに加担した事実は
なかった説明している
」とある。つまり「募集・移送・管理等の過程
全体をみてであり、自由行動の制限があった」と広義の強制性は認め
たものの、狭義の強制性即ち「強制連行」はバタビア軍事法廷の白馬
事件以外はなかったと説明しているが、このような日本の定義の仕方
や文言が外国には分かりづらかったのではないかとは思う。従って、
外国には丁寧に説明していく意外に手立てはないと思うが、河野元官
房長官が「強制連行」はあったとする読売新聞の決め付けは産経新聞
と同じ手法で、このような齟齬は厳しく排斥すべきだ。
 そもそも「河野談話」は、1991年12月に韓国の元慰安婦が東京地裁
に提訴したことから、宮澤首相の訪韓を前に、従軍慰安婦問題が懸案
化しないように、「韓国側から官房長官談話のような形で何らかの立
場表明を行なうことも一案であるとの認識を示した
」ことに端を発し
て「加藤官房長官発表」となったものの、韓国ソウルで宮澤首相と盧
泰愚大統領の会談の会場に従軍慰安婦がなだれ込んできたことから、
盧大統領が「今後、真相究明の努力と、日本のしかるべき措置を期待
する」との発言があり、その後「1992年7月、内閣官房長官(当時)の
加藤紘一は、慰安所に日本政府が関与していた事を認め、『継続して
調査』を約束した。その3週間後に、金泳三大統領は『募集を含めて
強制があった』と発表した。1993年3月、金泳三大統領は『従軍慰安
婦問題に対し日本に物質的な補償は求めない方針だ』と言明した
」と
いう経緯を経て「河野談話」の発表となるが、これらの経緯と「河野
談話」の文言を改めて読むと、すり合わせ即ち「事前調整」があった
ことは容易に推測できるので、政府検証報告を受けての読売新聞の
「事前調整」の大見出しは陳腐そのものなのだ。

※非才無才ゆえになかなか筆が進まないので、取り急ぎ公開して
以下を割愛します。悪しからず。

 

曽野綾子氏「被災者と老人の『甘えの構造』について」に見る曾野氏の甘えの構造

2014-06-11 18:15:12 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災曽野綾子氏教育改革国民会議のレポートの粗末3
久しぶりに「東日本大震災 曾野綾子」のキーワードで当方の
ブログの位置を確認するためにネットを検索すると、このタイトル
の記事を転載したブログがトップを飾っていた。タイトルからして
曾野綾子氏はまた同じことを吹聴しているのではないかと思い覗い
てみると、案の定で、よくもまあ呪文のように繰り返し繰り返し懲
りずに吹聴することができるものだと感心している。出版社もお金
になると思えば、これまた懲りずに曽野綾子氏を持ち上げて奉って
しまうという有様だ。東シナ海が風雲急を告げる時に、こんな「作
家もどき」を奉るなんて「平和ボケ」もいいところで、出版界もい
い加減にしろと言いたい。
 ともあれ、この週刊ポストの記事を転載しているブログの主に感
謝する。
 さて週刊ポストの記事を吟味してみよう。読んでみると、これは
口述筆記かインタビューだ。つまり曽野氏にとっては無難な形式を
選んだということになる。執筆すれば誤用の尽きない曽野氏だけ
に口述筆記であれば編集部が修正しても曾野氏の面子を損なうこと
はない。しかし曾野氏のロジックの稚拙さは如何ともしがたい。
まず冒頭は編集部の記者の注釈から始まる記事の内容は曽野氏の得
意とする茶の間のテレビで見たニュースに関する「感想」で、相も
変らず「甘え」について、くどくどと述べておられる。
『「東日本大震災から3年を迎えた。・・・・作家・曽野綾子氏は、
「被災者や高齢者といった”弱者”と呼ばれる人々の甘え、そして
その甘えを当然の権利と認めてしまう社会に不安を覚えます」と語
る。
』として次ぎに
『◇「弱者の立場」の欺瞞』のサブタイトルをつけて曾野氏の口述が
続く。
2月の関東地方の大雪の時、あちこちで「孤立した」村落があった
としきりに報道されました。確かに停電すればとにかく寒くて辛いも
のですが、ニュースに登場した女性の高齢者が、おそらく食糧にも不
自由しておられたんでしょうね。「これからは行政がもっと早く除雪
をして、閉じ込められないようにして欲しい」と言っておられたんで
す。
』と被災者の言葉に反応して、今や定番となった次の言辞をのた
まう。『・・・・やや過疎地域に住む人たちは、常に一週間かそこい
らの食糧の備蓄は、自分でしておくのが常識なんです。・・・・・・・
テレビに映ったその女性は、私くらいの年齢で・・・・・・打開策を
国や社会に求める。こういう姿勢を見る時、私たちは戦争から何を学
んだろう、と思ってしまうんです
。』とこう来る。常識のない曾野氏
が他人には「常識なんです」などということの方が、どれほど「欺瞞」
を弄しているか、曾野氏も週刊ポストも全然解っていない。おまけに
編集部も曽野氏の気持ちを斟酌して『そうした声が何の疑問も
持たれないまま「悲痛な叫び」として報じられ、国や社会に「早く道
を開けないのは無責任だ」と追及することが正義であるかのような空
気にも、曽野氏は苦言を呈する。
』とサポートを惜しまない。
そして曾野氏の真骨頂である奇妙で稚拙なロジックが始まる。
『 今、世の中はこぞって「いい評判」が欲しいんです。
相手から少しでも苦く感じることを言われると、自分の評判が悪くな
りますから。誰しも自分もいい人だと思われたいために、「常に弱者
の立場に立って書く」ことを標榜している評論家さえいますからね
。』と、
「常に弱者の立場に立って書く」ことを標榜しているという評論家の
イデオロギーや理念、それに基づく信念を解することなく、ひとくく
りに他人は、そうだと思って「誰しも自分もいい人だと思われたいた
めに
」と断じてしまうという曲芸を演じてなお、粗末なロジック
を展開する。「常に弱者の立場に立って書く」という評論家の立場の
厳しさが、どのようなものか全く分かっていない。「常に弱者の立場
に立って書く」と標榜した途端、執筆を依頼する先が限られ経済的に
厳しい状況を強いられる場合が多い。それでも尚、「常に弱者の立場
に立って書く」ことを貫ける文筆家は数えるほどしか居まい。
確たる信念を持ち、その立場で、その視点でものを書き続けることが
どれほど困難を伴うことなのか曽野氏は分かっていない。
『 しかし、そういう考え方こそ差別なんです。或る人は或る面では
弱者ですが、別の面では強い。生活保護を受けている方は、もちろん
お金は足りないでしょうけれど、今月のお金が入らないことはない、
という強みを持っていると感じている人もいるでしょう。自由業と名
の付く仕事をしている人は、今月から無収入になっても、失業保険さ
えないんです
。』と人間の名誉欲等すべてをなくしてそこにある、生
活保護受給者を取り上げて「(文筆業・芸術家・開業医・弁護士等の)
自由業を営む者と比較するという稚拙なロジックを披露。自由業を
生業とするには相当な才能を有する者でなければならず、そこから得
られる所得は普通のサラリーマンの及ぶところではない。余程の無頼
漢でなければ相当の貯蓄があり「今月から無収入になっても
びくともしない人たちなのだ。
 ところがここにきてミョウチキリンな論理を展開する。『人はさま
ざまな要素で生きています。それを過不足なく見るということが、現
代でも誠実であり、勇気だろうと思いますよ。
』何をいうの?
だったら、なにも多少の苦情を言った被災者に苦言を呈することもな
いではないか。
そして、これもまたミョウチキリン。
問題の責任を追及することも、時には必要でしょうけれど、責任の
追及という姿勢は、問題の解決策を全面的に相手に求めるということ
になってしまう。つまり、責任を果たさない相手だと、問題も解決し
てもらえないわけで、これはむしろ当事者にとって不自由な結果にな
るでしょうね
」なんて粗末な言い方責任追及は「時には必要
でしょうけど
」何を言うのッ。責任追及はいつも必要に決まっている
だろッ。行政に苦情を言っているのに「責任を果たさない相手だと、
問題も解決してもらえないわけで
」この言辞一つだけで、曽野チャン
が、いかに常識はずれで、論理の欠落した御仁か分かる。これは
もう、痴呆症一歩手前の落ちぶれた「作家」の姿だ。
 相変わらず自宅の茶の間のテレビのニュースを見て「自分で解決
しない人々
」と決め付けて『 私は、「常に解決は自分でする」とい
う姿勢をある程度残しておくのが、人間として当然のような気がしま
』などと吹聴する。一人暮らしの年老いたご婦人が「常に解決は自
分でする
」と思っていたとしても一人で、どの程度のことができ
るのか?自らの手に負えない部分があるから「苦情」を言っている
のに、曽野氏は何を気取ったことをいっているのか。
 そして例えの話も、とても比較できる内容の話ではないことを言う。
先の大雪の時に、昔、私が聞いたいい話を思い出しました。私の
知人で、大金持ちの家族が、北海道の十勝の雪の深い牧場で競走馬
を飼っていました。自分の馬ですよ。その家の息子さんは、冬場の
二カ月は道が閉ざされる牧場に暮らして、馬の世話をするんです。
その人に「毎日のご飯のおかずはどうなさるんですか?」って聞い
たら、「道が雪に閉ざされる期間はだいたい二カ月ですが、鯵の干、
物を一日に一枚ずつと計算して、六十枚を買っておいて雪の中に放
り出しておくんです。それがあれば、おかずには困りませんよ」と
言われたんです。私はいつもその言葉を思い出して、そんな風に暮
らせるんだと、自分に言い聞かせています
」アホ!馬主が競争馬を育
てるために越冬する準備をして仕事に臨むのは当たり前のことで、
それを雪害に見舞われて孤立した人たちと比較するなんで、痴呆症
もここまでくると、手の施しようがない。
加えて週刊ポストも綾ちゃんを持ち上げて
『「自分で解決する」という姿勢が失われていることこそ、三年前
の大震災で見えた「日本人の弱さ」ではないか。曽野氏は東日本大
震災以降、そのことを言い続けてきた。・・・・・

いい加減にしろッ。一部の人を捉えて『「自分で解決する」という
姿勢が失われている
」「日本人の弱さ」』などと太鼓持ち同然では
ないか。曽野氏同様、一部の人を見て全体を、もっと大切なところ
を見ていない。どれだけの人々が整然と、しかも逞しく生きてきた
のか知らないはずはあるまい。
 曾野氏は物がなかなか書けなくて、うつ病になってベットに伏し
て泣きとおした挙げ句、夫の三浦主門氏に促されて、精神科の診察
を受け、アメリカに家族と共に移住して静養しておきながら、他人
には容赦がないのか?
東日本大震災の被災地では、その後のストレスでうつ病等になり自
殺した人が、この3年間で100人を超える。曾野氏は、その人たち
に苦言を呈する前に、自腹を切って彼らをアメリカでも連れて行っ
て療養させてあげればよかったのに、ただ小言を言うだけか?
曾野氏のような裕福な環境にあれば誰でもできることだ。それを
自分が立ち直ったからといって、言いたい放題か?
困難な状況を、なんとかして自分で克服して、いい生活をつくろ
うとする人が少ないことでしょうか。私たちは弱いですから、「座
って助けを待つ」ということになりがちですけど、やはり自分たち
で工夫して、この非常事態をどうしたら切り抜けられるかを考える
方が人間的ですね
」なにを一端なことをッ。自分こそベットで泣き
伏して夫の助けを待って病院へ連れていってもらい、アメリカへ療
養のため連れて行ってもらったくせして、何を言うかッ。
大震災の時、私はその場にいなかったのですからよくわかりませ
んが、その夜から避難所には、食べ物を作る方はいらしたのかしら

これは井戸端会議の主婦の発言だ。「その場にいなかったのですか
らよくわかりませんが
」。だったら言うなッ。こんなこと
は普通の作家だったら、みっともなくて言えないだろう。ほんとに
この人の馬鹿さ加減というのは、度を越している。2chのレスで
「くそ婆」と叫ぶ人の気持ちがよく分かる。「くそ婆」は曽野氏に
打って付けの罵倒の言葉だろう。
さらに馬鹿さ加減は続く。『私だったら津波が引いたら、鍋とかお
釜を拾い出し、ブロックで竃を築いて、燃料はそのへんに落ちてい
る誰の物かわからない木片をどんどん焚いて暖を取りますし、高台
に住む人におコメを分けてもらってすぐ炊き出しを考えますね。食
料が、災害が起きたその日から届けられるなんて贅沢を言える国は、
世界中どこにもないだろうと思いますから
」。だったら自宅の茶の
間で、のんびりとテレビなど見て「感想文」を書いたりしないで、
金持ちなのだから震災翌日にはヘリコプターなど使って被災地に入
り陣頭指揮をとるべきだったろう。被災地で陣頭指揮を執った人が
言うなら理解できるが、現地の状況を知らない人間が何を言うかッ。
津波ですべてを流されてしまったのに、瓦礫の中から「鍋、釜」を
探せというのか。行方の分からない身内や知人の安否の方が先だろ
う。それから「高台に住む人におコメを分けてもらってすぐ炊き出
しを考えますね
」高台の家も家の中は家具等が散乱していて、休む
スペースも、やっと確保できる状況ではあっても、余震に怯えて
ままならないのに、また高台の家の人も行方の分からない身内や知
人を寝食を忘れて探し回っていた人も多かったはずだ。他人のこと
に構う余裕などなかったはず。それを
それでいて救援物資を早く届けてくれというのは、やはり人間的
に不自然なことだと思うんですね
』「人間的」という言葉を知らな
いのではないのか?「人間的に不自然」なのは、そういうことを平
然と言う曾野綾子氏ご自身だろう。「救援物資を早く届け」るのは
日本よりもアメリカの方が早いのだ、知らないのか。
同様の甘えの構造が蔓延しているのが高齢者ではないか
曾野氏は自分が先頭に立って「甘えている」だろッ。
まともな文章も書けないくせして、高言を吐くんじゃない。
東日本大震災 曽野綾子氏の間違いだらけの文章作法
「悪女の深情け」も知らない。文章は誤字、誤用だらけ。
これが「甘え」でなくてなんなのだッ?
・・・・年金、健康保険、介護保険などの制度が整ったからといっ
て、「その権利をフルに活用しないと損だ」と口にする人がいます

中には、そう吹聴する人もいるだろうが、しかし、吹聴したところで
フルに活用するといっても限度がある。なぜなら健康保険や介護保険
をフルに活用しようと思えば「寝たきり」になるしかあるまい。誰も
そういう不健康な状態など臨んではいない。ボケないためにも少しで
も働けるなら働き、体を動かして少しでも健康でいたいと願うのが普
通だ。当方も含めて大半の人が、そういう老後を過ごしている。身の
回りの一部の人を見て、とやかく言うべきではない。
高齢者という存在は、「資格」じゃないんです。その上に乗っかっ
て楽をしようと姿勢は美しくないです
』。ほんとに馬鹿げたことを言
う人だよ。自分は作家の癖に後述筆記で楽していながら他人には厳し
く『楽をしようという姿勢は美しくないです』アホ
若い頃には仲間が過労死になったりする中で、死に物狂いで働いて定
年を迎えて、老後を旅行三昧で楽したからといって、他人にとやかく
言われる筋合いはなかろう。生きがいをもって生きているのであれば、
すべて良しだ。曾野氏は相変わらずアフリカ社会ばかりを見て、北欧
の福祉先進国を見ていないのか?曾野氏は、ほとんど前近代的な発言
で、日本の社会を進歩させようという意思さえない。ひたすら保守
政権の肩をもって自らも指導者の1人のつもりでいるドンキホーテ
だよ。
高齢者も普通の人間ですから、生きている限りは毎日働かなくては
ならない、と私は思っています。昔から、「お爺さんは山へ芝刈りに、
お婆さんは川へ洗濯に」と物語りは始まっているでしょう。そのよう
な厳しい生活が死ぬまで続くのが、人間の生き方として普通なんです
』。『厳しい生活が死ぬまで続くのが、人間の生き方として普通
何が普通だッ。ご自分は「厳しい生活をしている」とでも言いたげだ
が、そこまで言うのだったら炎天下で農家のビニールハウスの中で
草取りの手伝いでもしたらどうか?働いているといっても、せいぜい
冷房の効いた部屋で机に向かっている程度だろ。自分がクリスチャン
として少しストイックな生活をしているからといって、他人に「厳し
い生活が死ぬまで続くのが、人間の生き方として普通」などと普通
は言わない。労働の質は人さまざまだが、当方も70にして1日8時間
労働で週に1日しか休めない。それでも、この生き方は正常だとは思
わない。若い頃のいい加減な生き方が、今日の我が姿だと自嘲気味
だが、他の人も当方と同じように、あくせく働くべきだとは思って
いない。余裕のある人は、残りの人生を楽しむべきだ。ただ、ある
程度、高齢になったら北欧の国々のように、誰でものんびりと生活
できるような社会を目指すべきだと思う。
そして最後まで週刊ポストは、どこまでも太鼓持ちで恥の上塗りを
して惜しまない。
昨年のベストセラーとなった『人間にとって成熟とは何か』で、
曽野氏はこう書いた。
<現在の日本人は、まずまず食べられるから不幸なのだ。その人が
今日食べるものにも事欠くような状態なら、何か半端仕事でもして
お金を稼がねばならない、という切羽詰った思いになり、その緊張
も一つの救いになるのだが、今日の日本で普通に見る高齢者は、ど
うやら食べることはできる。雨の漏らない家もあって、死ぬまで住
んでいける。しかし、目的がない、という状態なのだ。この虚しさ
ほど辛いものはない
。>」二音節がお似合いの「作家先生」は、80
歳越えても世間知らず。時々、ニュースにも流れる「餓死者」のこ
とは頭の片隅にもなさそうだね。生活保護も受けずに餓死した高齢
の姉妹のことは記憶に新しいが、曾野氏は、どこを見ているのだ?
作家なのに新聞も読んでいないのか?災害時のテレビのニュースだけ
をみて騒いでいるようにしか見えないが、如何か。目を見開いて世
間を見渡してみろ。餓死者が年間どれくらいいるか調べもしないで
勝手に書いたり発言したりするのは、もう井戸端会議の主婦そのも
のだ。

週刊ポストよ
太鼓持ちを
続けるなら
名前を変えろ
「ポスト」でなく
「ホスト」
「週刊ホスト」が
お似合いだ

二音節が、お似合いの
綾ちゃん
年を取ると
厚顔無恥も
極まれりか