非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

曾野綾子氏の「人間にとって成熟とは何か」

2013-09-19 12:23:07 | 日記
8月14日にアップして以来「曾野綾子・人間・成熟」
のキーワードで検索しても9月18日現在、当方のこのブログは
ヒットしない。どうも見城氏側の徹底した削除要請の洗礼を受け
ているようだ。現在50万部を記録しているようで100万部を
達成するまでは続きそうだが、削除要請のキーワード「曾野綾子・
欺瞞・愚劣」をはずせばどうかな
今日(9/18)の「人間にとって・・・・」の広告のサブタイトルと
「紹介文」に変化があった。最初に指摘していた「人は年相応に
変化する方が美しい
」が「憎む相手からも学べる。あきらめるこ
とも一つの成熟
」となり「人はみな平等に年を取るが、しだいに
人生が面白くなる人と不平不満だけが募る人がいる。両者の違い
はいったい何か。まわりに振り回され、自分を見失いがちな人に、
自分らしく生き抜くコツを提言
」を「充実した晩年を過ごす人と
不満ばかりで虚しく過ごす人の違いは何か。それは「人間の本質」
に対する「考え方である
」と文章を入れ替えて当方?の批判を
かわそうと必死だ

7月30日の読売新聞の3面の下四段に幻冬舎のぶち抜き広告
があり、その大半を曾野綾子氏の写真を入れての曾野氏の新書
「人間にとって成熟とは何か」の宣伝に当てていた。

幻冬舎といえば、ドキュメンタリーで見たことのある見城徹氏が
社長の出版社だ。見城氏は休筆中の五木寛之氏に手紙を書き続け
18通目に返事を貰い25通目に会う約束がとれ、ついに五木寛之氏
執筆にこぎ着けたという内容がドキュメンタリーで紹介されて
いた人物で、幻冬舎を立ち上げてから15年でミリオンセラー14冊
という伝説の人物。その人さえも「老いの才覚」100万部の記録を
持つ曾野綾子氏を無視できないのだろう。果たして見城氏の思惑
通りに行くのかどうか・・・・。

さて、広告の内容を吟味する。
まず、サブタイトルに「人は年相応に変化する方が美しい」とあ
るが、これは曾野氏が考え、記載を指示したものと思われる。
人は年相応に変化する方が美しい」なんの変哲もないありき
たりの言葉のように聞こえるが、解釈しようとすると、とてつも
なく難しい。まず「年相応」とは平たくいえば「年齢に相応しく」
ということだが、人それぞれに思想性があり、更に道徳観念や文化
の変遷が急激に進む中で「年齢に相応しい」といっても定義は簡単
ではない。まして「成熟」を基準にして「年相応に変化」というの
だから、厄介だ。そのうえで「美しい」とは、どういう状態を指す
のか?曾野綾子氏は自ら発したこの言葉の意味をどの程度、理解し
ているのだろうか。ど素人の当方が作家先生に、このような疑問を
呈するのは甚だ身の程知らずというか僭越極まりない所業と非難さ
れるかもしれないが、曾野氏には、あまりにも「前科」が多い。
例えば当方の先のブログ「東日本大震災 曽野綾子氏の間違いだら
けの文章作法
」で取り上げた週刊ポストに掲載された曾野氏のコラ
ムの冒頭部分。
二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に起きた地震が、近年
落ち込んでいる
と言われる日本の凋落に、決定的な追い打ちをか
けるか、それとも、長い間の物心両面の沈滞を打破するきっかけ
になるか、というと、私は後者に望みを託したいと感じている
。」
と「落ち込んでいると言われる日本の凋落」と同義語を重ねて表現し
物心両面の沈滞」と意味不明の文言を連ねるという作家にはある
まじき作文能力の欠如の他、ロジックのなさには驚くばかりである。
以上のことから曾野綾子氏ご自身は「年相応に変化した」と言えるの
だろうか。

 さらに広告には、曾野氏の写真の上部に紹介文がある。
これは見城氏もしくは編集者が書いたものと思われる。
人はみな平等に年を取るが、
 しだいに人生が面白くなる人
 不平不満だけが募る人がいる
 両者の違いはいったい何か。
 まわりに振り回され、自分を見失いがちな人に、
 自分らしく生き抜くコツを提言
。」
 この紹介文の二行目、三行目はなんだ?まさか老人をこの二種
類に分類しているわけではないと思うが、もし、その通りだった
としたら随分と失礼な話ではないか。見城氏らは老境に入ろうと
する者またはその域にある者に対する「しだいに人生が面白くな
る人」と「不平不満だけが募る人」の二通りしか判別できないと
いうことになる。勝ち組から見ると、その程度の見方しかないの
か?それでは、あまりにも洞察力に欠けるというものだ。当方な
どは、負け組みではあるが、そのどちらにも属さない。「しだい
に人生が面白くなる」わけでもなく、「不平不満だけが募る」わ
けでもない。老後のお金がさほどあるわけではないので、仕事を
して金を稼いでいる。好き勝手に生きてきたので今の負け組みの
人生があるという悟りというわけではないが、「俺の人生はこん
なもんだ」という諦めに似た諦念があって、至って静かだ。仕事
が終えるとスポーツクラブへ行ったり、テレビを見て泣いたり笑
ったり、コンサートへ行くほどのお金はないので自宅のステレオ
でクラシックやポップスを聴いたり、たまにはキーボードを取り
出して作曲を試みたりしている。68歳の人生は、現在の人生を人
のせいにして「不平不満を募らせる」年代ではないと思うが、如
何か?
 それから「まわりに振り回され、自分を見失いがちな人に、自分
らしく生き抜くコツを提言
」この言葉はそっくり曾野氏にお返しし
たい文言だ。見城氏よ、曾野綾子氏のコラム等を中心に読破した
らどうか。見城氏は五木寛之氏を口説いた時、五木氏の全作品を
読んだといわれている。しかし、曾野綾子氏の場合は、おそらく
見城氏はじめ編集者は曾野氏の作品は一部しか読んでいないだろう。
なぜなら曾野氏の作品をある程度読んだだけで辟易するだろうか
らだ。それよりも団塊世代800万人をターゲットにしていて、さら
にその中で全国に最低5万人ほどはいると思われる曾野氏のファン
を目当てにして目論見を立てれば、この手の文庫本で10万部は達成
可能と見ているはずだ。しかも、うまいことに本の内容の18話の
タイトルを網羅しているのは、なかなか抜け目がない。
占いと同じで、18のタイトルのうち、一つぐらいは該当するか思い
当たる人は必ずいるはずだし、複数の人もいるだろう。当たるも八卦
当たらぬも八卦だが、18話のタイトルを読む限り確率は低くはない
と思われる。これが幻冬舎のセールスプロモーションのうまさだ。
 では、18話のタイトルをサブタイトルも含めて列記してみよう。

第1話正しいことだけをして生きることはできない
   ・すべてのことに善と悪がある。
第2話「努力でも解決できないことがある」と知る
   ・人生は想定外そのもの
第3話「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も
   不幸にする

   ・「自分の不運の原因は他人」と考える不幸
第4話身内を大切にし続けることができるか  
   ・憎む相手からも人は学べる
第5話他愛のない会話に幸せはひそんでいる  
   ・最期を迎える老人の心は柔軟である
第6話「権利を使うのは当然」とは考えない  
   ・遠慮という言葉で表される美学
第7話品がある人に共通すること  
   ・思ったことをそのまま言わない
第8話「問題だらけなのが人生」とわきまえる  
   ・他人より劣ると自覚できれば謙虚になれる
第9話「自分さえよければいい」という思いが
   未熟な大人を作る
   
   ・内面は言葉遣いに表れる
   ・謙虚な人に貴重な情報を教えたくなるのが人間
第10話辛くて頑張れない時は誰にでもある  
   ・どんな仕事にも不安や恐怖はある。
   ・諦めることも一つの成熟
第11話沈黙と会話を使い分ける  
   ・お酒以上に魂を酔わせる会話
第12話「うまみのある大人」は敵を作らない  
   ・人間はみんな「ひび割れ茶碗」
第13話存在感をはっきりさせるために服を着る  
   ・「目立ちたくない」は卑怯な姿勢
第14話自分を見失わずにいるためには  
   ・自分を正当に認識できるか
第15話他人を理解することはできない   
   ・礼を言ってもらいたいくらいなら、何もしてやらない
第16話甘やかされて得することは何もない  
   ・なぜ退化したことを自覚できない老人が増えたのか
第17話人はどのように自分の人生を決めるのか 
   ・人生は最後の一瞬までわからない
   ・ずたずたの人生」を引き受ける覚悟
第18話不純な人間の本質を理解する  
   ・いいだけの人生もない、悪いだけの人生もない

 このタイトルを読み進めるうちに当方の顔が綻んでくるのが
解った。これは明らかに曾野綾子氏の自戒を記したものとしか
受け取れないからだ。第一、曾野綾子氏は人様に提言できる
「成熟」さを持ち合わせていないではないか。先の当方のブロ
グで指摘しているように、サンケイ新聞の氏のコラム「透明な
歳月の光」の「体罰と人間観」は大阪・桜宮高校の体罰問題で
橋下大阪市長の反発を受けたものだが、この中の一文に次の件
がある。
ここで私は『悪女の深情け』という言葉を思い出すのだが、
現代では『悪女』というものがよくわからなくなった。女性たちは
全員が美女になったし、他人のことはどうでもいい女性ばかりだ
から、深情けなどかけてもらっている男性もいないのではないか
と思われる。女性は性悪女ではなく、全員が牝になったのである

という具合に「悪女の深情け」を「性悪女の深情け」だと、とんでも
ないことをコラムに書くという図々しさを披露して恥じない。
作家生活を60年もやっていて、こんな常識的なことも知らない
で今日があるということは甘やかされて来た為、勉学を疎かにし
て来たということではないか。
到底、人様に「提言」なんてできる御仁ではないだろうっ

第16話 甘やかされて得することは何もない  
   ・なぜ退化したことを自覚できない老人が増えたのか

このタイトルなどは、そっくり曾野氏ご自身のことではないか
だから曾野綾子氏に「品がある」とはとても思えない。
第7話品がある人に共通すること  
   ・思ったことをそのまま言わない

この反対が曾野氏にうってつけなので「品がない人に共通
すること
」を挙げるならば、作家を60年やっていても「悪女の
深情け」も知らない人で、「思ったことをそのまま言う人」曾野
綾子氏ご自身だ。当方のブログでも再三に亘って取り上げてきた
曾野綾子氏の弱者に対する容赦のない発言は、まさに「思った
ことをそのまま言ってきた」ことの証左だ。
新潟中越沖地震の際、避難場所で弁当が配られているのを茶の
間のテレビのニュースで見て「避難する時、食料は自分で持って
来るのが世界の当然だ
」とか台風等の災害等で避難した人々に、
学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を
支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私
はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠
って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負っ
て避難するだけの個人の才覚の訓練が要る
」と自宅の茶の間で言う
事に留まらずコラム等にまで書くという行為は、自らの「書く権利」
を行使していて「第6話「権利を使うのは当然」とは考えない  
   ・遠慮という言葉で表される美学
」とは真逆で下品そのものと
しか言いようがない

更に「WILL」の対談では 
曽野「放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればい
いんですよ。何も若者を危険にさらすことはない。私も行きますよ。
もう運転免許は失効していますが、あそこは私有
地だから無免許でも構わないでしょう(笑)

ほうれん草からヨウ素が出たときも、ある人が「五年後に症状
が出るなら、そのころは八十五歳だからちょうどいい」なんて言
っている人がいました
。」
渡部 「養老院で使うとかね。」
曽野 「かえって元気になるかもしれません(笑)。」

と品格のなさ丸出しだ。従って、これらの発言や言辞の
底流をなすものは

第9話「自分さえよければいい」という思いが
   未熟な大人を作る
   
   ・内面は言葉遣いに表れる
のタイトルそのものである。
従って、曾野綾子氏に対して言えることは、
第15話他人を理解することはできない
ではなく曾野綾子氏ご自身が
他人を理解することはしない人だということであろう。

そして、最期の第18話

不純な人間の本質を理解する
これは、どういう意味だろう。この文言こそ曾野綾子氏の
「未熟さ」そのものだ。
このタイトルを直訳すると、年を取ると先ず「不純な人間」を
見つけて、その人間の本質を理解すべきだとなるはずだが、
違いますか?「不純な人間」とはどういう人間か?「良からぬ
思いや考え方をし、そのような行動をする人間」の本質を理解
することが、人間として「成熟」するという解釈になるが、如何
ですか。
 ところが、これはそうではないのではないか。これは明らかに
文法上の間違いであって曾野氏の文章力の「未熟さ」を表わして
いる。「不純な人間の本質」ではなく「人間の不純な本質」もし
くは「人間の本質の不純な部分」とすべきところではなかったの
ですか?
 ただ、いずれにしてもサブタイトルの
「・いいだけの人生もない、悪いだけの人生もない」という諦念
と、どう結びつくのか、あるいは結びつけるのか興味はあるが
曾野氏の論理性のなさから推測すると「支離滅裂」であろう。

見城氏よ

曾野綾子氏の老醜は目に余る

曾野氏のコラムを

精読すれば明らかだ

「人間にとって

成熟とは曾野氏のような

老人にならないこと」と知るべし

曾野綾子氏の「出産したら会社をお辞めなさい」

2013-09-19 12:22:42 | 日記
yahooニュースの中に「曽野綾子氏の論文に反論続々」という
タイトルがあったので、ひょっとすると週刊現代の表紙を飾って
いた「出産したら会社を辞めろ」の話かと思いながらクリックす
ると案の定で、ネットは結構賑わっている模様だ。

  曾野綾子氏を見ていると当方がまるで「ツァラトウストラ」に
でもなったような気分になって、実に愉快。曾野氏を「檻の中のサ
ル」と見て、哄笑を浴びせてみよう

当方は週刊現代の8月31日号の広告で、すでに曾野氏の論文?の
タイトルは目にしていたが、またかという気持ちで見過ごしていた。
曾野綾子氏の「論文」などは読まなくても広告のタイトルですべ
て解る。すべて近視眼的な判断と幼稚なロジックで記述していて、
最近では、あまりの寒々しさに笑いがこみ上げる時もあれば、哀
れみを感じる時もある。
  例えば今年の「週刊新潮3月1日号の「憂国の極論放言者」
特集の記事。この特集の「極論放言者」とした企図も読めずに
大真面目に大鉈を振るったおつもりが滑稽そのもの
詳しくは当方の先のブログ「曽野綾子の『生活保護受給者』攻撃と
『自殺のすすめ
』」をご覧頂きたい。
表題は「生活保護受給者は霞ヶ関で草むしり」となっていて
「● 私の周囲にもほんの数人だがそれに該当する人(生活保護
受給者)がいる。個人的に見れば決して性格が悪いのでもなく、道徳
的に問題がある人たちでもない。だからそうなったほんとうの理由
が私にはわからないのだが、つまり平凡な言い方をすると、貯金をし
て老後に備えずに『何とかなる』と思ってきたのだろう」
●受給者の特徴は威張っていることで、「ありがとう」の言葉はほと
んどないと言う。・・・・・
」と誠に近視眼的で言い換えれば余りにも
主婦的だ。テレビのニュース等を見て、某テレビ局のキャスター
の現地での被災者に対するインタビューで「安心して・・・出来ましたか」
の言葉に反応して「安心出来るものなんて、どこにもないのに・・・
お子様放送局みたいで聞くに堪えない」とか、東日本大震災の被災
者にインタビューした小学生の「支援物資は公平に渡りましたか」
という言葉に過剰反応して「公平でないと悪であると学校で教えて
いるから小学生が、このようなインタビューをする」とコラムで記
述するという特権意識をフルに行使して恥じない。
こうして絶えず目先のことに過剰反応して幼稚なロジックで言説を
繰り返す。一国の文化功労者がこの程度の言説しか唱えることがで
きないところに日本国の今の哀れさがある。

どうして大局に立って大所高所の物言いができないのか。出産に関
る問題は少子化問題から社会保障の問題へ、さらにはわが国の盛衰
に関る問題へと発展する。目先のことで、一部の女子社員がモンス
ター化しても、それは企業の内部的な教育の問題で、大局からすれ
ば枝葉末節で可愛いもんだ。一国の文化功労者が目くじらを立てる
ほどのことではない。

大局に立て
そうすれば「人間の成熟」を得られよう


週刊現代も、近年は部数を減らし続けていて藁にもすがる思いなの
だろうが、「老いの才覚」で100万部を記録した卑小な曾野綾子の
ことを取り上げて部数を伸ばそうという露骨で卑しい魂胆は、自ら
の価値を貶めるだけだ。

 さて、綾子ちゃんの「私の違和感」という癌細胞を摘出するに当
たり彼女の言葉を借りて「今やモンスター老婆と化した文化
功労者に、物申す
。」といこう。

 まず、この「論文」の一部を掲載している週刊現代オンラインの記
事を一読した感想ー。自分だけが解ったような感じで「モンスター
社員」の定義も論拠も示さず、ただひたすら主観的で独善的な記述
に終始していて、まるっきり「論文」の呈をなしていない。「感想文」
か「意見書」よく言えば「随筆」といったところでしかない。しかも
「企業側の論理」を 代弁していて、暗にスポンサー企業を擁護したい
のではないかと邪推したくなる。一国の文化功労者が企業側の代弁者
になるということは「文化功労者」のやるべきことではなかろう。
おまけに労働基準法や「育児休業法」も無視し、その成り立ちの過程
さえも省みない、時代錯誤も甚だしい言説はスポンサー企業からの
リークを推測させる。

まず見出しから冒頭部分を紹介する。
特大号特別寄稿 セクハラ・パワハラ・マタハラ
曽野綾子「私の違和感」 何でも会社のせいにする甘ったれた女子
社員たちへ
■出産したらお辞めなさい ■早く大人になりなさい
■特別扱いはできません ■社会に出る資格がありません
社会に出て、自立して生きる女性は増えている。男性と肩を並べ、
仕事をこなす。「女だからって差別しないで」、と願ったのは彼
女たちだったのに。今やモンスター社員と化した女子社員に、物
申す。
---------------------------------------------------------
出産したらお辞めなさい
---------------------------------------------------------
 最近、マタニティ・ハラスメントという言葉をよく耳にするよ
うになりました。マタハラとかセクハラとか、汚い表現ですね
。」

この、どアホ汚い表現にきまっとるわい

関西弁で言うとこういうことになるが、曾野氏の言い方はマタハラ
とかセクハラを女性が好んで使っていると言わんばかりの表現だ。
第一、この論理の展開が間違っている。冒頭に「何でも会社のせい
にする甘ったれた女子社員たちへ・今やモンスター社員と化した女
子社員に、物申す
。」と謳うからには「会社のせい、甘ったれ、
モンスター」のキーワードから彼女たちに切り込んで行くべき
ところを、いきなり「 出産したらお辞めなさい
読む側も面食らってしまってアホかと言いたくなる。
ネットには「保守思想界の大物」とか「論客」などと誉めそや
すメディアや個人の記事が散見されるが、残念ながら、そうでは
ないことを、まずはご自身で証明したことになった。
それを念頭に置いて読んでいくと面白いだろう。

ウィキペディアを見ると、セクハラという言葉は1970年にアメリ
カの女性雑誌の編集長が造語として「セクシャルハラスメント」
を使ったのが始まりらしい。「また1992年に晴野まゆみが上司を
相手取りセクハラを理由とした裁判で全面勝訴し、今日のセクハ
ラ防止ガイドラインが生まれる起爆剤にもなった。・・・・・・・
対象・被対象者の性別については、男性から女性のセクハラのみ
ならず、女性から男性、また女性から女性など、同性愛を伴う性
的嫌がらせもセクハラになる。さらに、従来は半ば公然と行われ
てきた「体育会系」の雰囲気の中で行われる男性から男性への性
的いじめも、セクハラと認められるようになった。
2007年4月1日施行の改正男女雇用機会均等法により、「男性・女
性から男性」へのセクハラが禁止対象になったほか、雇用管理上
必要な「措置」をとるよう事業主に義務付けられた。従来の「配
慮義務」より厳しくなり、是正指導に応じない場合は企業名が公
表される。従って、女性従業員が男性従業員に聞こえるように、
他の男性を含めた男性の噂話をするのは、環境型セクハラとして
違法行為となる(女子トイレなど男性がいない場所でも、職場に
おいて男性の話をするのは好ましくない)
」とある。
セクハラに関しては男性に限った話でもなければ女性に限った話
でもない。
この問題に対し、企業側は、反対意見を言えないよう言論
を封じ込められているようです
。」
綾ちゃん、何を仰るの
法律があるから、それに反対する意見を言えないのは当然です。
例えばマタハラに関しては「1991年に制定された育児休業、
介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律に
よって定められた育児休業について
1.事業主は、育児休業の申出や取得を理由に、解雇その他不利益
な取り扱いをしてはならない(10条)」
とある。
法律が厳然としてあるのに「文化功労者」が順法精神も
ないとは、どういうことか

このように法律に真っ向から挑む言説は、まさにドンキホーテの
「めくら蛇に怖じず」で、言いたい放題というところだ。これほど
無知蒙昧で主観的であっても仕事ができるという日本社会とは
何なのかと考えさせられる。とにかく、秘書さんが居るんだから
ウィキペディアくらいは調べさせるなり、少しは関連の法律くら
い目を通して仰ったほうが良いのではないか。 
さらに
このような問題の現実を正視しないでいるようでは、
女性は本当の意味で社会進出できないでしょう

ここまで来ると情けなくて、むしろ笑ってしまう。
そして、さらに笑いは続く。
 「それにしても、会社に迷惑をかけてまで、なぜ女性は会
社を辞めたがらないのでしょうか
、。子どもができたら、
共働きをしないと生活が苦しくなってしまう、という心配は出てく
るでしょうね。」

綾ちゃん
ひょっとして経団連の顧問かなんかなさっておられるの
それとも、あなたのスポンサー会社が「迷惑している」と言って
いるのでしょうか?
どうして、こうも社会性も考察力もなく視野狭窄なのだろう。
「辞めたがらない」ではなく「辞めたくても辞められない」事情
もあるだろうし、何よりも本人の自由意志なのだが、綾ちゃんの
得ている情報は、個別の情報で、どうもモンスター女子社員が年
収もそこそこあり、夫の勤め先からして、夫は相当の年収を取っ
ている。にもかかわらず出産しても会社を辞めないので、「会社に
迷惑をかけてまで、なぜ女性は会社を辞めたがらないのでしょうか」
とのたまうことになっていると推測する。
第一、働く権利や意思を尊重するのは常識的なことで、相手が誰
であれとやかく言うべき事ではない。働いてもらえば税収が増え
るわけだから国や自治体は大賛成だろう。
それとも、なにか勘違いをしておられるのか?
「会社が迷惑している」ということはアベノミクスの足を引っ張
ることになると思っておられるの?
アベノミクスのこと知ってます?
アベノミクスの3本の矢の一つが「経済成長戦略、経済改革」。
その経済成長戦略の柱の一つに「女性の活躍」を推進し女性の
就業率を上げれば国内総生産(GDP)が1.5%上昇すると国は試算し
ているのだよ。
綾ちゃん
あなたは教育再生会議の委員で政府の仕事に携わっているのに
本当はなにも解ってないのじゃないの
この考え方が、私とは少し違うんです。というのも、私たちが
若くして子育てをした頃は、みんな貧乏暮らしをするものでした。
6畳一間のアパートで新婚生活を始めて、子どもが生まれて手狭
になると、やっとローンを組んで家を買う。これが当たり前でし
。」
ほんとに卑しい言い方をなさいますね、文化功労者殿
私たちが若くして子育てをした頃は、みんな貧乏暮らしをする
ものでした。6畳一間のアパートで新婚生活を始めて、子どもが
生まれて手狭になると、やっとローンを組んで家を買う。これが
当たり前でした
。」
ご自分がいかにも貧乏して新婚生活を過ごしたかのように言う
なんて、ほんとに下卑た言い方だ。
ウィキペディアを見ると曾野氏が三浦朱門氏と結婚したのは
1955年24歳。三浦朱門氏が1952年26歳で芥川賞候補になり作家に
なり日本大学の助教授になって3年目の29歳の時。30代半ば以降
は作家として助教授の数倍の収入を得ていたというから「6畳
一間のアパートで新婚生活
」なんて誰も信用しない。しかも
その当時、ローンを組めるのは上場企業の社員や公務員、自己
資金をある程度持っている者しか相手にされなかったはずだ。
 さらに
・・・・それを、『子どもは国の宝なんだから、国がちゃんと
面倒をみろ』と主張するのは、少し考え違いだと思います。・・
・」
と言っても、何を、どのような状況で、そのモンスター女子社員
が言ったのか、説明がないので、「少し考え違いだと思います」
と仰っても今いちしっくりこない。こんな歯切れの悪い記述では
とても「論客」とは言えまい。そもそもモンスター社員と化した
女子社員の指導は企業が行うべきもので、いちいち「文化功労者」
が口角泡を飛ばすような事柄ではないし、文化功労者が、こんな日
記のようなヨレヨレの記述で恥を晒すのは、寂しい限りだ。
 ただ言わせて頂くと「子どもは国の宝」という言葉は、当方が
物心がついた頃から聞いていて、戦前の国家スローガンの一つで
「産めよ増やせよ。子は国の宝」というのを良く耳にしていた。
その当時は確かに子沢山の家が多かった。子供は「国富」の基な
のだ。それは今も変りはしない。これ以上、少子高齢化が進んで
いけば国力の低下は、否が応でも現実となる。綾ちゃんは「文化
功労者」なんだから、「少子高齢化」に歯止めをかけることをテ
ーマに論陣を張るなりしたほうが良いのではないのですか。
同じような観点から考えると、ふくれ上がる保育所の待機児童
の問題も異常だと思うのです。子どもは、自分の家で育てるもの
です。だから昔は、みんな親と同居していたでしょう。そうすれ
ば、おばあちゃんに子どもをみてもらって、お母さんは買い物に
だって行ける。事実、私自身もそうやって仕事をしながら子供を
育てました。
 ところが、いまの若い人は親と同居したくないし、収入が減る
のも嫌だから、・・・・・
。」
あ~あ、これが「論文」なのか読んでいてげんなりする。
週刊現代もいい加減にしてほしいよ。
・・・ また、彼女たちは会社に産休制度を要求なさる。しかし、
あれは会社にしてみれば、本当に迷惑千万な制度だと思いますよ。
・・・・・結局、産休で抜けた人の仕事を職場のみんなでやりく
りしてカバーしないといけません。こんなことでは、女性を責任
あるポストに置くわけにいかないのも当然でしょう
。」
あ~あ、アフリカばかりに目が行って、福祉先進国の北欧のこと
は、ご存じないのですかスウェーデンだったか、女子社員が
産休を取ると、産休の間は学生のインターンが代わりに業務を行い
キャリアを積むという記事をどこかで読んだことがある。こういう
制度を日本にも取り入れるべきだと主張するのが「文化功労者」と
いうものだ。
 最後に綾ちゃんのために、社員2600人のうち95㌫の社員が女
性で4時間正社員制度を採用している会社を紹介しておこう。
1994年創業のアパレルで年商約640億円の(株)クロスカン
パニー。弱冠43歳のオーナー社長・石川康晴氏が率いている。
石川氏は女子社員の意見を聞きながら6時間正社員制を取り入れ
たりして女性社員のやる気を引き出し女性社員の力を中心に会社
を躍進させている。日本には、このように女性の力で躍進する
企業がたくさんあるのだ。曾野氏のような古い考え方では今後の
日本の発展はない。

曾野氏よ
モンスター老婆殿よ
目先のことにばかり
拘っていないで
もっと視野を広げなさい
さすれば年相応に「美しく」
そして年相応に「成熟」できよう
ぐわははははっ カンラカンラだわい


                   ツァラトウストラより