第二章 日米戦争を起こしたのは誰か?を捲ってみると
またぞろ「フリーダム・ビトレイド」だ。
どうして、こういう支離滅裂な構成になってしまうのか
考えてみた。
つまり藤井氏は、現象だけをひたすら記述するという
手法をとっているので、書くものがなくなる。
しかし、原稿量は満たさなければならないというジレンマ
から、このような波状攻撃とも言える文章構成をせざるを
得なくなっている。結局、藤井氏のこの書籍の記述の方法は
、底が浅いということの証明でしかない。
この「波状攻撃」の文章構成からも、藤井氏が戦前の
日本の行状は、すべて善として、フーヴァーを担ぎ上げ、
遮二無二、読者を反東京裁判史観へ誘導しようとする意図が
露骨に表れている。
したがって、これから尚のこと、藤井氏の一言一句も
見逃さずに反論していくほかない。
先ず、ネットで発見したブログを紹介します。
「HKennedyの世界」というブログで
「フーヴァー回想録ー『Freedeom.Betrayed』とマッカーサーの
「歴史観」」
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/
プロフィールは記名がないので不明です。
ここにも小生の意見と同じことが、さらに詳しく書いてある。
参照してください。
さて文中の「フーヴァは単純率直な人で、
歯に衣着せず書いていて・・・」
他人の面前で発言する、大衆の前で発言する。あるいは
他人に対する手紙の内容で「歯に衣着せぬ」とよく使われるが、
日記に等しい「回顧録」に、「歯に衣着せぬ」とは異なもので
ある。ルーズベルトに対する積年の恨み辛みを「回想録」に書
き綴るとき、誰かに遠慮して書いたりはしないはずだ。そして
これが、いつの間にか「歯に衣着せぬ発言」となっていて
矛盾だらけだ。
こんなに手前勝手で、ずさんな「論者」も珍しい。
「アメリカ歴史学会の碩学チャールズAビーアド博士」を
紹介しているが、出自や来歴を記述することなく、自らの
記述の格上げを図ろうとしている。
ビーアドをwebで調べると、明治から大正にかけて東京市の
市政顧問として活躍したアメリカの歴史学者政治学者とある。
ルーズベルトの批判勢力の一人。この人物を紹介したから
といって、格付けが上がるどころか、氏の文章は、ナンセン
スに近いものになっている。
あの人が、こう言った。この人が、こう言ったの一辺倒で
それらの発言の論拠を示すことなく記述するなんて、
小学生の作文に等しい。
以下も藤井氏の見えすぎた意図丸出し。
「元大統領であるフーヴァーの歯に衣着せぬ発言には
比較にならぬ重みがあります。もはや『修正主義』の一語で
歴史の真実を隠蔽することは不可能になったと言えるでしょう」
藤井氏は、この書籍でアメリカにおける太平洋戦争勃発の
「歴史的真実」に、全く迫ってもいないのに、
なにをかいわんやだ。辟易して読むに堪えない。
藤井氏のこの書籍の紹介文を見た自衛隊の将校の人たちや、
防衛大学校の学生らインテリは、失笑して書物を手に取る
こともしないだろう。
それなのに小生は、なぜ読むか?
まず小生はインテリではないからだ。それと、この書籍の
10万の発行部数は小生としては無視できない。
グダグダ言わずに論を先に進めよう。
「アメリカの愛国者の立場から徹底して、
『ルーズベルトは売国奴だ」とはっきりと言い切っています。
やる必要のない戦争をやり、その結果として世界的に
共産主義の進出を許し、アメリカの中にも広めてしまった
ということで、フーヴァーはリベラルな伝統そのものの
根底のところー現在のアメリカの中の、オバマ、ヒラリーに
つながるようなーを徹底的して叩きました」
ルーズベルトは歴代アメリカ大統領の中で、唯一4選を果たし
最後に病で倒れるまで12年間、政務を行った人物。
毀誉褒貶相半ばするという古語がある通り、高い評価を受ける
半面、業績を否定する人たちもいる。その中で、彼を「売国奴」
と呼んだ人たちは一体どういう人たちだったのか。
当時の「アメリカの愛国者の立場」がどういうものだったのか、
藤井氏は言及することなく、ひたすらフーヴァーの視点で
記述している。
そこで藤井氏に代わって小生が「アメリカの愛国者の立場」に
ついて、webを転記しながら、解説を試みたい。
まず「アメリカの愛国者の立場」を一国平和主義によるものと
みなして、webを紐解くと、「モンロー主義」というのが
出てきた。
「モンロー主義(モンローしゅぎ、英: Monroe Doctrine)は、
アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸と
ヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す」
「第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年
に議会で行った7番目の年次教書演説で発表した。この教書で示
された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった」
フーヴァーの一国平和主義は、このモンロー主義を基にしている。
現在のトランプ大統領も、この流れだ。
「ルーズベルト」をキーワードにwebを検索して調べた。
「アメリカ経済の回復は同時に、第二次世界大戦が起こるまで
の間、デトロイト市の大工業地帯[要出典]を枢軸国に対する
「民主主義の兵器廠」に発展させた。これは戦後、アメリカが
国際的な覇権を握る原動力となった。連合国を提唱したルーズ
ベルトの平和に対する国際組織の展望は死後に国際連合
として結実した」
「ルーズベルトの評価は立場で大きく分かれる。リベラル派
(自由主義)から見ると、ニューディール政策をはじめとし
たケインズ福祉国家的政策の開始は「恐慌への対策を具体化
したもの」として評価され、「はじめて本格的な貧困層対策に
取り組んだ」大統領として評価される。それまで南部の地域政
党的色彩が強かった民主党に「世界恐慌の結果発生した貧困層
の救済」という新たな目的を打ち出し、この2つの支持基盤を
合わせる事によって「ニューディール連合」と呼ばれる大きな
民主党支持基盤を形成してその後数十年に渡る議会における
民主党の優位をもたらした」
「保守派の中でも、ロナルド・レーガンは、ルーズベルトの
リーダーシップを賞賛した。他方、小さな政府を唱える保守派は
ニューディールにきわめて否定的な評価をしており・・・」
「ニューディール政策については、現在でも経済学者の間で
その評価は分かれている。
また、最高裁判事の人事への介入による三権分立の民主主義原則
への抵触や、大戦中に日系アメリカ移民に強制収容を行った事や、
政権期間を通じて行われたアフリカ系アメリカ人公民権運動に対
する事実上の妨害という人種差別的観点から行われた政策は、
その立場を問わず各方面からの大きな批判をまねいただけでなく、
アメリカにおける人種差別の解消を遅らせる要因の1つとなった」
「1910年代から1930年代の戦間期のアメリカ海兵隊は、・・・
中米・カリブ海諸国に派遣されていたが(バナナ戦争)、1933年に
大統領に就任したルーズベルトは、ニカラグアと他の中米諸国から
海兵隊を撤退させ、軍事占領を解く代わりに、キューバには
バチスタ政権、ニカラグアにはソモサ政権などのアメリカ合衆国の
傀儡政権を樹立して間接的に支配する政策に転換し、ドミニカ共和
国のトルヒーヨ政権のようにすでに樹立されていた傀儡政権に対
する支配を継続した。ルーズベルトを支持する人はその政策を軍事
占領を解いたことを論拠にして、傀儡政権による間接支配政策は
論拠にせずに善隣外交と表現している」
ここで言われる「バナナ戦争」は海兵隊を使って、キューバ
その他の中央アメリカ諸国に武力介入したアメリカはフーヴ
ァーも大統領として指揮を執っているはずで、
これを藤井氏は伏せている。
「戦時下のヨーロッパでナチ党のアドルフ・ヒトラー率いるドイツ
国防軍に、バトル・オブ・ブリテンにおいてイギリス本土上陸寸前
まで追いつめられていたイギリスのウィンストン・チャーチル首相
や、日華事変で日本と戦闘状態にあった中華民国の蒋介石総統の
夫人でアメリカ留学経験もある宋美齢が、数度にわたり第二次世界
大戦への参戦や日中戦争におけるアメリカの支援、参戦をルーズ
ベルトに訴えかけていた」
「当時、アメリカ政府はイギリスや中華民国に対し多大な支援を行
っており、特に多額の戦債をつぎ込んだイギリスが負けることは避
けたかった。ルーズベルト自身も選挙では戦争に介入をしない、と
宣言して当選しており、参戦をしたくても出来ない状況にあった。
ルーズベルトはモンロー主義に閉ざされていたアメリカ国民に対
し、「欧州やアジアの戦争はアメリカに関係ないという人たちが
いる。しかし、戦争を引き起こしている者にアメリカにつながる
大海原の支配権を渡すわけにはいかない」とラジオで諭している」
ルーズベルトに関するweb記事を漁っても、ルーズベルトを
「売国奴」と非難したという記述は、どこにも見当たらない。
有名な学者や政治家が、そのような非難をした場合は、ニュース
として残っているはずだ。
国民の中には「戦争しない」と公約したルーズベルトが、参戦
すれば「売国奴」呼ばわりする者は、当然いたであろう。
しかし、著名な政治家や学者の中で、ひとりフーヴァーだけが
原稿用紙に向かって「売国奴」と書き連ねたというわけだ。
だったら「フリーダム・ビトレイド」のどの箇所に、その記載が
あると、脚注などを入れるなどして、読者に明示すべきだ。
またぞろ「フリーダム・ビトレイド」だ。
どうして、こういう支離滅裂な構成になってしまうのか
考えてみた。
つまり藤井氏は、現象だけをひたすら記述するという
手法をとっているので、書くものがなくなる。
しかし、原稿量は満たさなければならないというジレンマ
から、このような波状攻撃とも言える文章構成をせざるを
得なくなっている。結局、藤井氏のこの書籍の記述の方法は
、底が浅いということの証明でしかない。
この「波状攻撃」の文章構成からも、藤井氏が戦前の
日本の行状は、すべて善として、フーヴァーを担ぎ上げ、
遮二無二、読者を反東京裁判史観へ誘導しようとする意図が
露骨に表れている。
したがって、これから尚のこと、藤井氏の一言一句も
見逃さずに反論していくほかない。
先ず、ネットで発見したブログを紹介します。
「HKennedyの世界」というブログで
「フーヴァー回想録ー『Freedeom.Betrayed』とマッカーサーの
「歴史観」」
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/
プロフィールは記名がないので不明です。
ここにも小生の意見と同じことが、さらに詳しく書いてある。
参照してください。
さて文中の「フーヴァは単純率直な人で、
歯に衣着せず書いていて・・・」
他人の面前で発言する、大衆の前で発言する。あるいは
他人に対する手紙の内容で「歯に衣着せぬ」とよく使われるが、
日記に等しい「回顧録」に、「歯に衣着せぬ」とは異なもので
ある。ルーズベルトに対する積年の恨み辛みを「回想録」に書
き綴るとき、誰かに遠慮して書いたりはしないはずだ。そして
これが、いつの間にか「歯に衣着せぬ発言」となっていて
矛盾だらけだ。
こんなに手前勝手で、ずさんな「論者」も珍しい。
「アメリカ歴史学会の碩学チャールズAビーアド博士」を
紹介しているが、出自や来歴を記述することなく、自らの
記述の格上げを図ろうとしている。
ビーアドをwebで調べると、明治から大正にかけて東京市の
市政顧問として活躍したアメリカの歴史学者政治学者とある。
ルーズベルトの批判勢力の一人。この人物を紹介したから
といって、格付けが上がるどころか、氏の文章は、ナンセン
スに近いものになっている。
あの人が、こう言った。この人が、こう言ったの一辺倒で
それらの発言の論拠を示すことなく記述するなんて、
小学生の作文に等しい。
以下も藤井氏の見えすぎた意図丸出し。
「元大統領であるフーヴァーの歯に衣着せぬ発言には
比較にならぬ重みがあります。もはや『修正主義』の一語で
歴史の真実を隠蔽することは不可能になったと言えるでしょう」
藤井氏は、この書籍でアメリカにおける太平洋戦争勃発の
「歴史的真実」に、全く迫ってもいないのに、
なにをかいわんやだ。辟易して読むに堪えない。
藤井氏のこの書籍の紹介文を見た自衛隊の将校の人たちや、
防衛大学校の学生らインテリは、失笑して書物を手に取る
こともしないだろう。
それなのに小生は、なぜ読むか?
まず小生はインテリではないからだ。それと、この書籍の
10万の発行部数は小生としては無視できない。
グダグダ言わずに論を先に進めよう。
「アメリカの愛国者の立場から徹底して、
『ルーズベルトは売国奴だ」とはっきりと言い切っています。
やる必要のない戦争をやり、その結果として世界的に
共産主義の進出を許し、アメリカの中にも広めてしまった
ということで、フーヴァーはリベラルな伝統そのものの
根底のところー現在のアメリカの中の、オバマ、ヒラリーに
つながるようなーを徹底的して叩きました」
ルーズベルトは歴代アメリカ大統領の中で、唯一4選を果たし
最後に病で倒れるまで12年間、政務を行った人物。
毀誉褒貶相半ばするという古語がある通り、高い評価を受ける
半面、業績を否定する人たちもいる。その中で、彼を「売国奴」
と呼んだ人たちは一体どういう人たちだったのか。
当時の「アメリカの愛国者の立場」がどういうものだったのか、
藤井氏は言及することなく、ひたすらフーヴァーの視点で
記述している。
そこで藤井氏に代わって小生が「アメリカの愛国者の立場」に
ついて、webを転記しながら、解説を試みたい。
まず「アメリカの愛国者の立場」を一国平和主義によるものと
みなして、webを紐解くと、「モンロー主義」というのが
出てきた。
「モンロー主義(モンローしゅぎ、英: Monroe Doctrine)は、
アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸と
ヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す」
「第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年
に議会で行った7番目の年次教書演説で発表した。この教書で示
された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった」
フーヴァーの一国平和主義は、このモンロー主義を基にしている。
現在のトランプ大統領も、この流れだ。
「ルーズベルト」をキーワードにwebを検索して調べた。
「アメリカ経済の回復は同時に、第二次世界大戦が起こるまで
の間、デトロイト市の大工業地帯[要出典]を枢軸国に対する
「民主主義の兵器廠」に発展させた。これは戦後、アメリカが
国際的な覇権を握る原動力となった。連合国を提唱したルーズ
ベルトの平和に対する国際組織の展望は死後に国際連合
として結実した」
「ルーズベルトの評価は立場で大きく分かれる。リベラル派
(自由主義)から見ると、ニューディール政策をはじめとし
たケインズ福祉国家的政策の開始は「恐慌への対策を具体化
したもの」として評価され、「はじめて本格的な貧困層対策に
取り組んだ」大統領として評価される。それまで南部の地域政
党的色彩が強かった民主党に「世界恐慌の結果発生した貧困層
の救済」という新たな目的を打ち出し、この2つの支持基盤を
合わせる事によって「ニューディール連合」と呼ばれる大きな
民主党支持基盤を形成してその後数十年に渡る議会における
民主党の優位をもたらした」
「保守派の中でも、ロナルド・レーガンは、ルーズベルトの
リーダーシップを賞賛した。他方、小さな政府を唱える保守派は
ニューディールにきわめて否定的な評価をしており・・・」
「ニューディール政策については、現在でも経済学者の間で
その評価は分かれている。
また、最高裁判事の人事への介入による三権分立の民主主義原則
への抵触や、大戦中に日系アメリカ移民に強制収容を行った事や、
政権期間を通じて行われたアフリカ系アメリカ人公民権運動に対
する事実上の妨害という人種差別的観点から行われた政策は、
その立場を問わず各方面からの大きな批判をまねいただけでなく、
アメリカにおける人種差別の解消を遅らせる要因の1つとなった」
「1910年代から1930年代の戦間期のアメリカ海兵隊は、・・・
中米・カリブ海諸国に派遣されていたが(バナナ戦争)、1933年に
大統領に就任したルーズベルトは、ニカラグアと他の中米諸国から
海兵隊を撤退させ、軍事占領を解く代わりに、キューバには
バチスタ政権、ニカラグアにはソモサ政権などのアメリカ合衆国の
傀儡政権を樹立して間接的に支配する政策に転換し、ドミニカ共和
国のトルヒーヨ政権のようにすでに樹立されていた傀儡政権に対
する支配を継続した。ルーズベルトを支持する人はその政策を軍事
占領を解いたことを論拠にして、傀儡政権による間接支配政策は
論拠にせずに善隣外交と表現している」
ここで言われる「バナナ戦争」は海兵隊を使って、キューバ
その他の中央アメリカ諸国に武力介入したアメリカはフーヴ
ァーも大統領として指揮を執っているはずで、
これを藤井氏は伏せている。
「戦時下のヨーロッパでナチ党のアドルフ・ヒトラー率いるドイツ
国防軍に、バトル・オブ・ブリテンにおいてイギリス本土上陸寸前
まで追いつめられていたイギリスのウィンストン・チャーチル首相
や、日華事変で日本と戦闘状態にあった中華民国の蒋介石総統の
夫人でアメリカ留学経験もある宋美齢が、数度にわたり第二次世界
大戦への参戦や日中戦争におけるアメリカの支援、参戦をルーズ
ベルトに訴えかけていた」
「当時、アメリカ政府はイギリスや中華民国に対し多大な支援を行
っており、特に多額の戦債をつぎ込んだイギリスが負けることは避
けたかった。ルーズベルト自身も選挙では戦争に介入をしない、と
宣言して当選しており、参戦をしたくても出来ない状況にあった。
ルーズベルトはモンロー主義に閉ざされていたアメリカ国民に対
し、「欧州やアジアの戦争はアメリカに関係ないという人たちが
いる。しかし、戦争を引き起こしている者にアメリカにつながる
大海原の支配権を渡すわけにはいかない」とラジオで諭している」
ルーズベルトに関するweb記事を漁っても、ルーズベルトを
「売国奴」と非難したという記述は、どこにも見当たらない。
有名な学者や政治家が、そのような非難をした場合は、ニュース
として残っているはずだ。
国民の中には「戦争しない」と公約したルーズベルトが、参戦
すれば「売国奴」呼ばわりする者は、当然いたであろう。
しかし、著名な政治家や学者の中で、ひとりフーヴァーだけが
原稿用紙に向かって「売国奴」と書き連ねたというわけだ。
だったら「フリーダム・ビトレイド」のどの箇所に、その記載が
あると、脚注などを入れるなどして、読者に明示すべきだ。