書籍「太平洋戦争の大嘘」が届いた。
幅広の帯は黒地にベージュの文字で
太平洋戦争の大嘘
その左側に
「日本人に告ぐー・・・」とある。
勇んで1ページ目を捲ってみると、冒頭になんと
「反日プロパガンダは、日本の国そのものに対する攻撃である」
の大文字が目に飛び込んできて、
「いきなり本音かよ」と面食らった。
つまり藤井氏は、読者に、その気構えで読んでほしいと
牽制しているというか注文しているのだ。
よほど「反日」には神経を尖らせているようだが
「日本人に告ぐ」と大上段に構えた割には
大雑把で、自らの説得力に自信がないのではないかと思われる。
なぜ大雑把か、どこが大雑把かというと
「上から目線」で「教えてやっているんだよ」という意識が
強すぎて、思い込みの表現になってしまい
丁寧さが欠けている。
たとえば
「日本国内では朝日新聞や毎日新聞・・・第二次世界大戦の前から
、大東亜戦争中も・・・・メディアによる反日プロパガンダが
続いてきました」の下り。
日本国内の「反日」というのは戦後の概念ではないのか?
日韓通商条約以降の韓国と連動した日本に対する中傷。
日中国交回復後の中国と連動した日本に対する中傷。
それを「第二次大戦の前から」などと
自らの考えで「反日」の概念の範疇を変えて宣われば
読者は戸惑ってしまう。
「戦争反対」を叫んできた日本共産党や社会党。
それらにシンパシーを感じる人たちは「非国民」
と言われて排斥されてきたようだが、
それも「反日」なのか?
従って朝日、毎日も左翼だったのかと誤解を生む。
勿論、朝日、毎日は戦前、国策の一翼を担って
国民を戦争へと煽ってきた罪過があり、
敗戦後、両社は国民に紙上で謝罪している。
そして案の定「東京裁判史観」という言葉が出てきた。
「東京裁判史観に代表されるような戦後の思想統制」
「代表されるような」と言っているからには
東京裁判史観のほかに、いくつかのカテゴリーで
「思想統制」が行われてきたということになるし
また「体制」として「思想統制」がなされてきたと仰る。
戦前だったらまだしも、平和憲法のもと「思想・信条の自由」
が保証されてきた戦後に「思想統制」とは由々しい表現。
敢えて奇をてらってのことなのかと思ってしまう。
「統制」をWEB辞書で調べると
「国家などが一定の計画や方針に従って
指導・制限すること」とある。
加えて「思想」なのだ。
「東京裁判史観」をもって「思想統制」しているとしているが
第一、「東京裁判史観」というものが、どういうものか
一般に知る者は少ないはずだ。
小生は今まで国や行政、教育機関から
「東京裁判」は、こういうものだと教育指導を受けた
記憶はない。
「思想統制」とは、明らかに意識せざるを得ない
強制的な指導や体制と解釈するのが普通ではないのか。
どうして、このような先鋭的ともいえる表現をして
国民に迫ろうとするのか。
緻密に論理を展開しても国民は理解してくれないので
センセーショナルな言葉を使って国民を篭絡しよう
という意図があるのではないか?
そういうふうに感じられる。
そして次はフランス人ジャーナリスト・アルフレッド
スムラ―の下り。
ネットではアルフレッド・スムラ―の出自や来歴を
紹介した記事が見当たらないので、藤井氏の
記述で納得するしかないが、ここでも大雑把さが
目立つ。
スムラ―の言「日本の愛国者が置かれている状況は
戦中、我々(レジスタンスのフランス人)が置かれていた
状況と酷似している。外国(米国)の圧倒的な政治権力の
圧迫下で、民族の独自性を取り戻そうと苦闘しているのが
日本の愛国者なのだ」
このことをスムラ―がいつ発言したのか記述していない。
連合軍占領下での発言なのか、それともサンフランシスコ
講和条約締結後、占領軍がいなくなってからの発言なのかで
その意味合いは違ってくる。
国際政治ジャーナリストならば、その辺の配慮はすべきだ。
幅広の帯は黒地にベージュの文字で
太平洋戦争の大嘘
その左側に
「日本人に告ぐー・・・」とある。
勇んで1ページ目を捲ってみると、冒頭になんと
「反日プロパガンダは、日本の国そのものに対する攻撃である」
の大文字が目に飛び込んできて、
「いきなり本音かよ」と面食らった。
つまり藤井氏は、読者に、その気構えで読んでほしいと
牽制しているというか注文しているのだ。
よほど「反日」には神経を尖らせているようだが
「日本人に告ぐ」と大上段に構えた割には
大雑把で、自らの説得力に自信がないのではないかと思われる。
なぜ大雑把か、どこが大雑把かというと
「上から目線」で「教えてやっているんだよ」という意識が
強すぎて、思い込みの表現になってしまい
丁寧さが欠けている。
たとえば
「日本国内では朝日新聞や毎日新聞・・・第二次世界大戦の前から
、大東亜戦争中も・・・・メディアによる反日プロパガンダが
続いてきました」の下り。
日本国内の「反日」というのは戦後の概念ではないのか?
日韓通商条約以降の韓国と連動した日本に対する中傷。
日中国交回復後の中国と連動した日本に対する中傷。
それを「第二次大戦の前から」などと
自らの考えで「反日」の概念の範疇を変えて宣われば
読者は戸惑ってしまう。
「戦争反対」を叫んできた日本共産党や社会党。
それらにシンパシーを感じる人たちは「非国民」
と言われて排斥されてきたようだが、
それも「反日」なのか?
従って朝日、毎日も左翼だったのかと誤解を生む。
勿論、朝日、毎日は戦前、国策の一翼を担って
国民を戦争へと煽ってきた罪過があり、
敗戦後、両社は国民に紙上で謝罪している。
そして案の定「東京裁判史観」という言葉が出てきた。
「東京裁判史観に代表されるような戦後の思想統制」
「代表されるような」と言っているからには
東京裁判史観のほかに、いくつかのカテゴリーで
「思想統制」が行われてきたということになるし
また「体制」として「思想統制」がなされてきたと仰る。
戦前だったらまだしも、平和憲法のもと「思想・信条の自由」
が保証されてきた戦後に「思想統制」とは由々しい表現。
敢えて奇をてらってのことなのかと思ってしまう。
「統制」をWEB辞書で調べると
「国家などが一定の計画や方針に従って
指導・制限すること」とある。
加えて「思想」なのだ。
「東京裁判史観」をもって「思想統制」しているとしているが
第一、「東京裁判史観」というものが、どういうものか
一般に知る者は少ないはずだ。
小生は今まで国や行政、教育機関から
「東京裁判」は、こういうものだと教育指導を受けた
記憶はない。
「思想統制」とは、明らかに意識せざるを得ない
強制的な指導や体制と解釈するのが普通ではないのか。
どうして、このような先鋭的ともいえる表現をして
国民に迫ろうとするのか。
緻密に論理を展開しても国民は理解してくれないので
センセーショナルな言葉を使って国民を篭絡しよう
という意図があるのではないか?
そういうふうに感じられる。
そして次はフランス人ジャーナリスト・アルフレッド
スムラ―の下り。
ネットではアルフレッド・スムラ―の出自や来歴を
紹介した記事が見当たらないので、藤井氏の
記述で納得するしかないが、ここでも大雑把さが
目立つ。
スムラ―の言「日本の愛国者が置かれている状況は
戦中、我々(レジスタンスのフランス人)が置かれていた
状況と酷似している。外国(米国)の圧倒的な政治権力の
圧迫下で、民族の独自性を取り戻そうと苦闘しているのが
日本の愛国者なのだ」
このことをスムラ―がいつ発言したのか記述していない。
連合軍占領下での発言なのか、それともサンフランシスコ
講和条約締結後、占領軍がいなくなってからの発言なのかで
その意味合いは違ってくる。
国際政治ジャーナリストならば、その辺の配慮はすべきだ。