私がこのブログを開設する切っ掛けとなったのは、今年の春のある大会で健太が中盤で投了したからである。情けなくて悔しくて即行で帰宅した。私は諦めたことに腹が立ち、悔しくて健太を責めた。「勝つ気がないなら、もう応援しない!」と言った。健太にも言い分があり「自分が相手ならあの局面なら勝つ自信がある。羽生さんだって投了するはず」というようなことを言った。
技術的なことは分からなかったが、まだ中盤だ、諦めたことが許せなかった。
「お前の将棋は最後まで諦めない将棋だろ!」と言うと涙が出てきた。不覚にも息子の前で泣いてしまった。
結局、教室の柴山先生に家まで来ていただいて、状況を説明し棋譜を見せた。柴山先生は「わかるなぁ、わかる。健太君が投了するのもわかるな」と言われた。そして「でも次、この手指したらどうやった?」と健太に聞かれた。健太はハッとした顔をした。その一手は逆転の一手ではないが、糸口にはなりそうな手だった。
そして健太にこう言われた。「健太君は教室のみんなの手本や。こんなとこで投げたらあかん」と。
あの敗戦があったから、先生のあの一言があったから金華山大会で優勝できたのだと思う。
技術的なことは分からなかったが、まだ中盤だ、諦めたことが許せなかった。
「お前の将棋は最後まで諦めない将棋だろ!」と言うと涙が出てきた。不覚にも息子の前で泣いてしまった。
結局、教室の柴山先生に家まで来ていただいて、状況を説明し棋譜を見せた。柴山先生は「わかるなぁ、わかる。健太君が投了するのもわかるな」と言われた。そして「でも次、この手指したらどうやった?」と健太に聞かれた。健太はハッとした顔をした。その一手は逆転の一手ではないが、糸口にはなりそうな手だった。
そして健太にこう言われた。「健太君は教室のみんなの手本や。こんなとこで投げたらあかん」と。
あの敗戦があったから、先生のあの一言があったから金華山大会で優勝できたのだと思う。