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「スウェーデンボルグの思想」を読了

2024-01-24 22:15:54 | book
「スウェーデンボルグの思想(科学から神秘世界へ)」(高橋和夫著)を読了。

1688年1月29日生まれ、1772年3月29日死去(84歳没)と、どうやら29日に縁のあった雰囲気のある人物に関する本(講談社現代新書・1995年1月出版)を、ちょうど出版後29年目に読んだ偶然。これも御縁である(単にたまたまなれど)。

3年前には、同著が講談社学芸文庫でリリースされていたようで、アマゾンのレビューを見てもあまりディスられておらず、評価もなかなかの様子。

この本に書かれている「死の実相」についての記述には超納得。死に関する最適解とは言わないまでも、かなりイイ線行ってる解釈ではあるまいか?

「人間は死ぬと、自然界から霊界に移ってゆく。その際、地上の肉体は除いて、自分のすべて、つまり個人的な性質に属するすべてを霊界へ携えてゆく。というのは、霊界、つまり死後の生活に入ると、この世の肉体に似た身体を持つからである。この世の肉体と霊的な身体との間には、どんな違いもないように見える。事実、霊界の人々はどんな違いも感じていないのだ。ただ、彼らの身体は霊的であるため、地上的な要素から分離され清められている。(中略)
人間は霊となった時に、この世で持っていたような肉体を自分が持っていないとは言わないし、また自分が死んだことさえ知らないのだ。(中略)
地上の肉体の死にすぎない死によって、人間が真に自らのものであるどんなものも失うことはないのだ。人間は自らの自然的な記憶(この世の記憶)さえも霊界へ携えてゆく。人間は霊界においても、幼児期のごく初期から生涯の最後の瞬間までにこの世で見、聞き、読み、学び、考えたすべての記憶を保持しているのである」(99~100P)

もう10年以上前、血の繋がりはないものの身内の臨終に立ち会った直後、病院のすぐ近所にキープしてあった宿泊先に戻った(まだ早朝)。

朝食べられるか昼になるかわからないが、前日のうちに軽く食べるものを冷蔵庫に入れておいた。ほんの数十分前に亡くなった人物の大好物もそこには入っていたけれども、突然それを無性にむさぼり食わずにいられなくなった。全然我慢できずに。

今振り返ってもあの現象は、次元をまたぐ直前の故人(末期はもう食べられなくなっていた)に乗り移られたなさては?・・・と思っているのだが。

それにヘミシンクによって、さまざまなフォーカスレベルへの脳内における「親しみ」の経験値を多少積んだことで、「そっち方面」を考えた際の納得度も増したのかも?

若いうちに読んでいても、今ほど「実感」は持てなかったはず。読書にはタイミングも必要ですな。

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