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龍体力学覚え書き

中央競馬メインレース雑感・ジョギング日誌・夢日記・読書備忘録、アレルギー持ちのぼやき、その他諸々

中野信子さんの新書本を読む

2025-09-03 23:56:06 | book
講談社現代新書「ペルソナ」(中野信子著)を読了。

TVのコメンテーターとしてお見かけするナタの切れ味ありそうな脳科学者さんの本。ところが漠然と手に取った時点では、ペルソナというからには心理学方面の書籍のつもりだったりした。正直に言えば。

でもっていざ読み始めてみると、その人物の自伝的エッセイっぽい面もあった。

幼少のみぎりより頭痛持ちだったそうで、学校ではそのご尊顔からもうかがえるように只者ではなさげなオーラを放射していたに違いなく、常に異彩を放たれていたであろうことも想像にかたくなく・・・。

文体も肩こりを発生させるかのような緊張感を帯びつつ、それでいて案外しなやか。

そんなに多い分量ではないが、フランス留学時代の記述には心底惹かれた。

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「昭和陸軍全史2」を読む

2025-08-29 23:50:41 | book
講談社現代新書「昭和陸軍全史2」(川田稔著)を読了。

「1」を読んでからだいぶ経つ。続刊を読むのは不要かな・・・と思っていたが、最近「大日本帝国は、日露戦争で負けたかたちになったソ連の復讐で滅亡した」という妄想に取り憑かれているので、その歪んだ思考を補強する材料があるかも?・・・とつい手に取った。

とある地域を一撃で叩いておとなしくさせて、都合よく利用するという発想が敗北の原因となったのであり、その思考に凝り固まっていた「陸軍統制派」を中心にまんまと敵国の思惑に乗せられたという先入観をもって読んだものだから、

「奇妙な偶然だが、この重大な時点(盧溝橋事件前後)で、戦争指導を統括する参謀本部の参謀次長、情報部長、現地の最高責任者である支那駐屯軍司令官がそろって病臥中だった」

なんて記述を読むと、典型的に上記の国の工作じゃん!と思えちゃうし、

「(事変の)拡大派は、参謀本部作戦課長、陸軍省軍事課長、参謀本部ロシア課長、参謀本部支那課長など」との記述にも、某国系統の思惑が透けて見えるような・・・。

当該国に留学なり駐在した人間全員が食われていることはないと思うけれども、人脈を形成していくプロセスで大半は取り込まれてしまっていておかしくない。外人に頭撫で撫でされるとコロッと参っちゃうようなのは、いまも政財界にゴマンとおるわけで。

とにかく、自分の手はなるべく汚さず、チャイナなりアメリカを使い、日本を敗北へ追い込む。こういう復讐シナリオに沿って陸軍も政治屋も工作された!という妄想がまた捗った。

まあロシアに限らず、アメリカにしろイギリスにしろ、その背後に巣食っている世界の嫌われ者どもの思惑にまんまと乗せられないようにしないと、何度でもボロボロにさせられるわけですな。基本的に「流れ」はいまも変わっていない、と思われる。

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「空海の企て」&「根来寺を解く」選書2冊を読む

2025-08-21 23:54:36 | book
角川選書「空海の企て」(山折哲雄著)と朝日選書「根来寺を解く」(中川委紀子著)を読了。

一応買ったものの、そのうち読もうと放置していた真言宗系の選書本2冊を、お盆期間から読み始めてようやくやっつけた。

前者は真言宗の開祖、天才かつスーパースター空海さん(弘法大師)と重要なパトロンであった嵯峨天皇との関係をあらためて教えられ、後者はそんな「初代」が大天才だったゆえに後裔があまりパッとしない?中、覚鑁さん(興教大師)がちょっとした中興の祖っぽいポジションにつくプロセスでパトロンだった鳥羽天皇の役割の重要さを教えられた感じ。

興教大師覚鑁さんは高野山直系というわけでなく仁和寺系の人。その人物がパトロンの力を利用しつつ?「真言宗の大聖地」での地位を一度は固めたわけだから、「保守本流」を自認していた系統にとっては面白いわけはなく、派閥抗争の末に「下山」を余儀なくされ、その下山した場所(根来寺)はのちに戦国大名を脅かしうる勢力にまで発展し、やがて「紀州攻め」をくらう・・・という通り一遍の印象しかなかった。

だが、覚鑁さん系統の弟子筋の人々(頼瑜さんなどなど)の活躍がなければ、江戸時代以降の関東地域での真言宗系(真言宗豊山派&真言宗智山派など)の寺院の展開っぷりが今とは或いは違っていたかもしれない?可能性を思うと、一連のエピソードにも後世からすると意味があったのかもしれない・・・と解釈出来なくもないのではなかろうか?

それに覚鑁さんのあとの醍醐寺系統との連携なども重要だったようだ(室町幕府との関係性において)。

成田山新勝寺内のとある祈祷スペースに、弘法大師空海さんを中心にして両サイドに興教大師覚鑁さんと理源大師聖宝さん(醍醐寺開祖)の像が並んでいるのだが、その配置の理由が実に良く腑に落ちた。

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「神様、福運を招くコツはありますか?」再読

2025-08-13 23:54:35 | book
「神様、福運を招くコツはありますか?」(桜井識子著)を再読。

以前読んでいることをすっかり忘れていて今回目を通し、な~んとなく書かれているエピソードを随分覚えているのでたぶん読んでいるはず・・・と思いつつ、一応このgooブログの「ブログ内検索」をしてみたら、やはり2017年に読んでいたことが判明した。読書日記っぽくブログにメモ書きしておいて正解である(ブログ書きの効能再確認)。

今回、「こんなこと書いてあったっけ?」・・・と初めて読んだ気分になれた箇所は、「縁起物で運を強くする方法」という見出しの章。

名物馬主でもあるDr.コパさんは「西に黄色」を定着させた功労者であるが、そんな具合に西側に縁起物(正月に売っている熊手)を置くのを推奨していて、さらに置いておくだけでなく縁起物を「活用」するかのように、熊手を使って(幸運を)招き寄せる仕草をしてみること・・・なども提案していた。エア熊手・・・みたいな。

熊手に限らず、鈴なども置いておかずに実際に鳴らすことなども。

たしかにここ数年、振ってみるとサラサラ・・・という優しい音色を奏でる「お守り」を神社さんで幾つかゲットしており、そのお守りのことが脳裏に浮かんだ。

馬券検討の際には、神仏の御加護を乞い願うように、部屋の西側に鎮座していただいていたお守りを、頭の上で「祓え給え、清め給え」よろしく振り振りしてみよう、早速今週末から。

それから、この本を読んでいたことをすっかり忘れていたように、2017年のgooブログに

「死後世界の光の射す位置に関して(フォーカス27へと向かうプロセスで)、自分の場合は正面上のやや左寄り」

と書いていたことも当然忘れていたのは言うまでもない。その部分に気付かせてもらうために、今回再読することになったのかも・・・と思ったりも・・・。

まさに夏のお盆の時期だし。

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「私の百人一首」(白洲正子著)を読了

2025-07-24 23:51:39 | book
新潮文庫「私の百人一首」(白洲正子著)を読了。

著者の白洲正子さんが、バッタバッタと切れ味鋭い論評をしまくっているのかと思いきや(大物!なお友達をこっそりブレーンにした「監修」を経ているものと想像するのはお約束)、拍子抜けするほど?淡々とした筆致の部分も多く、かなり身構えていて損した気分に・・・。

それでもお気に入りに関するパートでは熱く語っているし、当然86番目の西行さんはそうなっている。まあそういう感じで百人一首80番台以降の記述は結構ボリューミーになっているものも多く、新たに興味かきたてられるエピソードもちらほら。

トータルで眺めてみると、自分は新古今集に選ばれている歌人たちが好みのようだ(ベタだけれども)。

今後は西行法師の「山家集」をまず買って、続いては藤原俊成、藤原家隆関連の研究本が手頃にゲットできるようなら入手してみようかな?

なぜにこうも唐突に和歌に関する興味が増してきたのか謎なのだが、上記藤原俊成のウィキペディアを眺めていたら、三河地域の領主をやっていたことがあるそうな。

でもって蒲郡と藤原俊成の関連をアピールするサイトを見つけてチェックしてみたらちょっと納得した。

実際に訪れたのは2018年12月でもうだいぶ経つけれども、三河湾に浮かぶ蒲郡市の竹島(天然記念物とのこと)の竹島神社、八百富神社に参拝して以来、脳内で密かにノンヘミモードで行っている関東〜関西のお気に入り神社仏閣行脚で必ず経由している。

そうやって妄想上勝手に「アンカー」を打ち込んでいるうちに、イメージ上で元の領主様にまでご縁が深まったのかしらん?

それになんと昨夜、TBSの「ふるさとの未来」でその蒲郡市の水族館を特集しただけでなく、しっかり竹島の八百富神社の画像も映っていて驚いた(2週間くらい前から同番組を継続して録画設定し始めていた)。

こんな偶然を考えれば、藤原俊成関連の本も必ずやそのうち読めってことだろうな。

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