昨夜のBSで、1973年の夏の甲子園「銚子商業VS作新学院」の映像を放送していた。当然観たことのない映像なので、結果を知識としては知っていてもついつい好奇心をくすぐられて眺めてみた。
そそられた点は3つ。
高校時代の江川投手のピッチング。
翌年、夏の甲子園で「全国制覇」する銚子商業の1年前はどんなものだったのか?
銚子商業の「下級生」である篠塚選手(元読売)や宇野選手(元中日)が映ってないか?
のちの「歴史」を知っているわけで、それを踏まえて過去の映像を見てみた時の面白さは一味違いますわな。
その中継映像の大半が、銚子商業の2年生エースだった土屋投手(のちにドラフト1位で中日に入団)個人の提供映像だったそうだ(TV中継を録画していたもの)。
すべての放送映像をNHKが保存するのは大変でも、放送後何年か経過して破棄する段階で、貴重な映像か否かを判断できないものなのかねぇ。怪物と騒がれた江川投手が延長の末に甲子園を去った試合の映像なのだし、キープしておくべきだと思えなかったのかね・・・と。結果的に何十年も経ちながら、こうして放送する価値のある映像だったのだから。
まあそれはそれとして、江川投手と投球を受けるキャッチャーのふたり(作新学院バッテリー)の体格は、華奢な高校生の中にいるおっさんのような浮きっぷり。本来銚子商業のある銚子方面なんて、千葉県内だと骨太でガタイがしっかりしているメンツの多いイメージがあったけれど(魚由来のカルシウム摂取量の多さゆえ)、その彼らが華奢に見えるほどの別格さ加減。だもの「怪物」だったわけね。
実際余力たっぷりに投げてる風情の江川投手は、後年よく「手抜き」と言われたような感じも既にみられ?、いざピンチになると本気を出してあっさり三振をとるところもステキなエンタテインメントだった。
ただ、のちのち「江川キラー」と呼ばれた選手がいたのも覚えている(中日の豊田選手。大学野球の時からそう言われていたそうな)が、その豊田選手と体格、打撃フォームのイメージがそっくりな選手がこの時の銚子商業にいて(青野選手)、この試合はもちろん過去の対戦試合(練習試合など)でも実績を残していたようなので、「右打者、豆タンクっぽい体格、その体ごとボールにぶつかっていくようなコンパクトな打撃」のイメージが、江川投手攻略のためのひとつの処方箋となりえたのかも?
この試合でも、江川投手はなんとなく投げづらそうにしているイメージがあったし。
明治の野球部出身の豊田選手が、法政の江川投手相手にキラーと呼ばれるようになった背景というか、この甲子園での青野選手の打撃がヒントになっていたかも?・・・と勝手に妄想してニヤニヤした(それくらい青野選手と豊田選手の打撃のイメージがかぶる)。
で、その青野選手を含む銚子商業はというと、「ワンマンチーム」に対して投手力&守備力を中心に対抗するが、そう簡単に点を入れられるわけもなし。
甲子園の初戦に続いての2試合連続の延長戦(作新学院も銚子商業も同じく2試合連続の延長)に加え、途中から降り出した雨という条件がなければ結果は違っていたかもしれないが、逆に言えば0-0のまま延長線に持ち込めた銚子商業に勝機が出たとも言える。先発した2年生・土屋投手の頑張りで。
その後の銚子商業はベスト8止まりだったそうだが、千葉県で行われたこの年の秋の国体では優勝とのこと。
この年は、銚子商業の1年生としてのちに読売にドラフト1位で入団する篠塚選手がいたはずだが、今回の映像には出てこず。残念。で、のちに中日にドラフト3位で入団する宇野選手は・・・年齢的にまだ中学生だったので、出てくるわけがなかった。残念。
昭和48年が「怪物」を破って夏の甲子園ベスト8。国体は優勝。
昭和49年が夏の甲子園全国制覇。
ちなみに翌昭和50年に同じく千葉代表の習志野高校が夏の甲子園全国制覇。
この時期が、最初で最後の千葉県の高校野球の黄金時代だったのだろう。全国から寄せ集める私立高校全盛時代に、もうこんな流れは来ないだろうな(銚子商業も習志野高校も公立高校だったのだし)。
国体と言えば、今年令和2年は千葉県での開催が予定されていたそうで(中止発表済み)。いやいや、千葉県民なのに、今の今まで今年千葉でやること自体全然知らなかった。周知、告知の宣伝が足らんじゃないか・・・。オリンピックの件で、完璧に埋もれちゃっていたわけだ。
今年の国体の千葉開催は間違い(2010年に開催済み)。今年は鹿児島開催予定だった。2020年6月20日訂正。
それと今回のモノクロ映像で最も印象的だったのは、銚子商業サイドのベンチの背もたれに立てかけられていた香取神宮の木製の大きな御札。今はああいうことは出来ないのかもしれないけれど、旧下総領域の高校が甲子園に出場したら、香取神宮の巨大な御札をでーんと置いて欲しいものだ。御利益あるぞー、きっと。
この時期に香取神宮の巨大な御札がTVの電波に乗ったこと。これも意外や意外、意味があったりするのかも?
そそられた点は3つ。
高校時代の江川投手のピッチング。
翌年、夏の甲子園で「全国制覇」する銚子商業の1年前はどんなものだったのか?
銚子商業の「下級生」である篠塚選手(元読売)や宇野選手(元中日)が映ってないか?
のちの「歴史」を知っているわけで、それを踏まえて過去の映像を見てみた時の面白さは一味違いますわな。
その中継映像の大半が、銚子商業の2年生エースだった土屋投手(のちにドラフト1位で中日に入団)個人の提供映像だったそうだ(TV中継を録画していたもの)。
すべての放送映像をNHKが保存するのは大変でも、放送後何年か経過して破棄する段階で、貴重な映像か否かを判断できないものなのかねぇ。怪物と騒がれた江川投手が延長の末に甲子園を去った試合の映像なのだし、キープしておくべきだと思えなかったのかね・・・と。結果的に何十年も経ちながら、こうして放送する価値のある映像だったのだから。
まあそれはそれとして、江川投手と投球を受けるキャッチャーのふたり(作新学院バッテリー)の体格は、華奢な高校生の中にいるおっさんのような浮きっぷり。本来銚子商業のある銚子方面なんて、千葉県内だと骨太でガタイがしっかりしているメンツの多いイメージがあったけれど(魚由来のカルシウム摂取量の多さゆえ)、その彼らが華奢に見えるほどの別格さ加減。だもの「怪物」だったわけね。
実際余力たっぷりに投げてる風情の江川投手は、後年よく「手抜き」と言われたような感じも既にみられ?、いざピンチになると本気を出してあっさり三振をとるところもステキなエンタテインメントだった。
ただ、のちのち「江川キラー」と呼ばれた選手がいたのも覚えている(中日の豊田選手。大学野球の時からそう言われていたそうな)が、その豊田選手と体格、打撃フォームのイメージがそっくりな選手がこの時の銚子商業にいて(青野選手)、この試合はもちろん過去の対戦試合(練習試合など)でも実績を残していたようなので、「右打者、豆タンクっぽい体格、その体ごとボールにぶつかっていくようなコンパクトな打撃」のイメージが、江川投手攻略のためのひとつの処方箋となりえたのかも?
この試合でも、江川投手はなんとなく投げづらそうにしているイメージがあったし。
明治の野球部出身の豊田選手が、法政の江川投手相手にキラーと呼ばれるようになった背景というか、この甲子園での青野選手の打撃がヒントになっていたかも?・・・と勝手に妄想してニヤニヤした(それくらい青野選手と豊田選手の打撃のイメージがかぶる)。
で、その青野選手を含む銚子商業はというと、「ワンマンチーム」に対して投手力&守備力を中心に対抗するが、そう簡単に点を入れられるわけもなし。
甲子園の初戦に続いての2試合連続の延長戦(作新学院も銚子商業も同じく2試合連続の延長)に加え、途中から降り出した雨という条件がなければ結果は違っていたかもしれないが、逆に言えば0-0のまま延長線に持ち込めた銚子商業に勝機が出たとも言える。先発した2年生・土屋投手の頑張りで。
その後の銚子商業はベスト8止まりだったそうだが、千葉県で行われたこの年の秋の国体では優勝とのこと。
この年は、銚子商業の1年生としてのちに読売にドラフト1位で入団する篠塚選手がいたはずだが、今回の映像には出てこず。残念。で、のちに中日にドラフト3位で入団する宇野選手は・・・年齢的にまだ中学生だったので、出てくるわけがなかった。残念。
昭和48年が「怪物」を破って夏の甲子園ベスト8。国体は優勝。
昭和49年が夏の甲子園全国制覇。
ちなみに翌昭和50年に同じく千葉代表の習志野高校が夏の甲子園全国制覇。
この時期が、最初で最後の千葉県の高校野球の黄金時代だったのだろう。全国から寄せ集める私立高校全盛時代に、もうこんな流れは来ないだろうな(銚子商業も習志野高校も公立高校だったのだし)。
国体と言えば、
今年の国体の千葉開催は間違い(2010年に開催済み)。今年は鹿児島開催予定だった。2020年6月20日訂正。
それと今回のモノクロ映像で最も印象的だったのは、銚子商業サイドのベンチの背もたれに立てかけられていた香取神宮の木製の大きな御札。今はああいうことは出来ないのかもしれないけれど、旧下総領域の高校が甲子園に出場したら、香取神宮の巨大な御札をでーんと置いて欲しいものだ。御利益あるぞー、きっと。
この時期に香取神宮の巨大な御札がTVの電波に乗ったこと。これも意外や意外、意味があったりするのかも?