パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

Exam - Evidence、オケ

2006-05-04 21:02:42 | ロースクール
 終了しました。最後のIn-Class試験。おかしな記事ばっかり見かけていたので“Hey, that's hearsay”(それは又聞きだ)とかいうケースを見ていくのは自分の中でタイムリーでもあったわけですが、結果はぁ・・・やばい気がする 時間が全く足りないのはこの分野ですばやく考えをまとめる練習不足な気がします
 あっ、ちなみにパンダさんも今日バイオリン実技の学期末試験で、ピチカートでリズムをはずして、メモを取ってた先生達がいっせいに顔を上げちゃったよぅと嘆いていました。まぁ、他はうまく弾けたみたいだから良かったじゃない
 そうそう、試験前で書いていませんでしたが、5月1日にパンダさんのオーケストラコースの演奏会がありました(写真撮ったのにうまく取れてなかった)。う~ん、率直に言うと・・・ちょいとイマイチ。。。ところどころ目を見張るパフォーマンスもあったのですが、逆の意味で目を見張るメンバーが目立ちすぎたかも(いい演奏聴きすぎで私の耳が肥えたのかな?)。パンダさんも弾きにくかったみたい。まあ怖い系指揮者のパーソナリティの影響も大きそうですけどね。オーディション通ったオケで刺激に富む演奏ができるといいね

インタビューのネジマゲ

2006-05-04 19:21:20 | Weblog
 ついこの間朝日新聞の歴史認識云々の記事でケント・カルダー教授のインタビューが決め打ちにより捻じ曲げられていたとエントリしたばっかなのですが、似たようなインタビューのネジマゲを発見したので折角なので

 社説:特殊指定廃止 公取委員長の独断で決めるな (毎日5/1社説)

 ガ島通信さん「これは酷い 毎日新聞の竹島公取委員長インタビュー」経由で見たインタビュー記事そのものインタビュー・新聞「特殊指定」を考える:公正取引委員会委員長・竹島一彦さん(毎日4/25日)自体も何と言うか、個人攻撃まで飛び出すこれはもう本当に酷いのですが(しかし、まあ、編集した上でこんなにお下品なのだから実際はどんなものだったんだろう)、5月1日の社説のインタビューのネジマゲも負けず劣らず酷いものです。引用している竹島委員長のコメントは
「戸別配達が大変だとか、知る権利のために必要だとか、ピントのずれた、ワンパターンの話ばかり出てくる」
なのですが、実際のインタビュー記事にはそのワンパターンの議論もディスカスしていたわけで、
--特殊指定制度はもともと公正取引委員会が新聞の「文化的使命」に配慮して定めたものですね。
 ◆50年前の戦後の混乱期にね。今とは隔世の感がある。新聞社の販売の姿勢も違ったし、実際に景品(乱発)による混乱があった。公取が新聞業界の要望を受けて景品を取り締まり、「値引きもいけませんよ」という特殊指定を定めたのは、そういう時代だったからだと言わざるを得ない。
議論を発展させるなら現代的意義を問わなきゃいけないはず。

なのに、社説が言ってることは
 この50年間、特殊指定の法的根拠がないとの理由で公取委が撤廃を言い出したのは初めてだ。委員長が就任後自ら考えつき、見直しを指示したことを認めている。
 しかしこの間、特殊指定制度に不都合が生じたことはなく、7年前の見直し以降の環境にも変化がないことは公取委も認めている。
という経緯論と(経緯論はいつも強力ですね
 結局、竹島委員長は独禁法という狭い枠の中だけで判断し、国民の知る権利に応え、民主主義を支えてきた新聞の公共性への理解が足りないように映る。
という否定されたはずの元のワンパターンな議論 

 しかもですが、その社説で引用している3/27独占禁止懇話会での竹島委員長の発言
 「皆さん完全にマインドコントロールにかかっている。戸別配達のためには特殊指定が必要だという議論をうのみにしている」
は、実際の議事録を見ると、制度意義が問われた形跡がないこと、仮に裁判になったら行政の怠慢であるとされるのではないか、という懸念に触れられた後
 新聞でいろいろな識者の方々が発言しておりますけれども,皆さん,完全にマインドコントロールにかかっているのではないか。戸別配達のためには,特殊指定が必要なんだという議論をうのみにしておられる。新聞協会も新聞協会で非常に責任があると思いますが,何ゆえに特殊指定がなくなったら戸別配達がつぶれるのか。こんなものは,論理的な説明が全然なされていない。
と話しているわけで、「何ゆえに特殊指定がなくなったら戸別配達がつぶれるのか。」という問いへの現代的意義付けを根拠付けた論理的反論が必要だと言うことを強い調子で言う文脈だったわけですね。そりゃあらゆる規制に説明責任はつき物、まして裁判所に行政の怠慢と判断されるわけにはいかないわけで(最近じん肺訴訟だったり水俣病訴訟だったりそういう例も相次いでいますし)、その「論理的な反論」の部分はなぜ無視して「マインドコントロール」だけ取り上げるんでしょう。
 社説で唯一中身っぽい議論をしているのが、
 再販制度は値引きそのものを禁じてはいないため、特殊指定の廃止で販売店間の値引き競争が始まり、国民に必要な情報をくまなく提供する宅配制度が揺らぐことは予想がつくはずだ。
というところですが、これも既にインタビューで
--問題の核心は特殊指定を廃止した場合、全国一律の宅配システムが崩れるかどうかです。
 ◆それは再販制度という特権を持っている新聞社の価格政策いかんによります。私はおそらく大丈夫だと思っている。深刻なことにはならない。
--新聞業界と出版物の流通に詳しい識者は深刻な影響があると見ています。「影響があるというなら証明してみよ」というのは立証責任の逆転だという批判についてはどうですか。
 ◆その立証責任というのが不愉快な議論でしてね。配達をどうするかということをお考えになるのは新聞社の仕事なんですよ。消費者にいかによりよいサービスを提供するか考えていかれるべき立場にある。そこを自覚して頂きたい。
--法律的にすっきりすれば竹島さんは愉快かもしれないが・・・
といってバッチリ反論されちゃってる訳で、結局論理的反論への要請はシカトってことみたいです 
 百歩譲ってこの社説が竹島委員長への個人攻撃だと考えたとしても(見出しがそう)、実際委員会で新聞社の論説委員も入って議論しているのに「独断」はないでしょう。
 
 コシ・ファン・トゥッテと笑って済ませられる場合ではないのかも 
 特殊指定の記事のついでに。景品上限1千万円というくじがらみ特殊指定が廃止されたみたいですね。こちらのミリオネアは文字通り$ 1million = 1億円超!なのですが、日本のミリオネアの賞金も上がったりして