l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

カラヴァッジョ―天才画家の光と影

2010-03-09 | その他
カラヴァッジョ―天才画家の光と影



銀座テアトルシネマで、映画「カラヴァッジョ―天才画家の光と影」を観てきた。上映時間2時間を超す大作だが、画家カラヴァッジョの波乱に満ちた38年間の人生を追いかけてスピーディーに展開していく迫力あるシーンの連続に、そして妥協のない映像の美しさに息を詰めて観入っているうちに終わってしまった。連日大入りだそうですが、まだご覧になっていない方には是非ともお勧めします。

映画の中で、親しい人にはミケーレと呼ばれていたミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)。資料によってはカラヴァッジョはミラノ生まれとあるが、いずれにせよ20歳前後に彼は大志を抱いてロンバルディア(州都ミラノ)から芸術の都ローマに向かい、かの地で名を問われて「ミケランジェロ・メリージ。カラヴァッジョ出身(ダ・カラヴァッジョ)の」と名乗る。この映画では、それ以降のカラヴァッジョが辿る人生を描いていく。

カラヴァッジョの人生についてざっと触れておくと、ローマではデル・モンテ枢機卿という強力なパトロンを得て次々に名作を描き上げる傍ら、その激しい性格から殺人事件を起こしてしまい、ナポリへ逃亡。死刑判決を下され、逃亡の旅はマルタ(ここでも傷害事件を起こす)からシチリアへと続き、最後は恩赦が出て再びナポリに戻るもローマへ向かう途中で熱病が元で客死。

滞在する先々で請われて作品を残し、“芸は身を助ける”という言葉が浮かんだりもしたが、実際のところそんなに平和な状況にはなく、ローマを出てからのカラヴァッジョは常に追われの身。死の恐怖に脅え、悪夢にうなされ、心身共に逼迫した中で絵筆をふるいまくるその姿はある意味狂気じみてもいて痛々しい。

この作品の見どころの一つは、やはり今日私たちが観ることのできるカラヴァッジョの名作の数々が描かれるシーンが、あたかも本当に今目の前で油絵具の匂いを漂わせながら描かれているような臨場感を持って、随所に登場するところだろう。

『果物籠を持つ少年』は、カラヴァッジョ本人の自画像説もあるようだが、この映画ではカラヴァッジョがローマで知り合ったマリオという画家をモデルに描かれたことになっている。右肩をはだけた白いシャツに身を包み、果物を盛った籠を手にポーズをとるマリオが陰の中に浮かんだ時は全く絵そのもの。ちなみにこのマリオ、『とかげにかまれた少年』のポーズを取らされるシーンもあるが、実際にトカゲを持たされて何度も顔をしかめ、リアルさを追求するカラヴァッジョに協力。『馬丁たちの聖母(蛇の聖母)』では、蛇を踏むキリスト役の子供がほとんど半べそ。

更にこちらの高揚感が煽られるのは、出来上がった作品を観る人々の反応を捉えたシーン。例えばローマでの彼の名声を決定づけることになった、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂に納められた『聖マタイの召命』『聖マタイの殉教』のお披露目の時の様子。絵を覆っていた幕がさっと開けられて作品が姿を現した瞬間、その前に集った聖職者たちや地元の人々が一様にどよめき、畏怖の面持ちで口を半開きにして観上げる場面など、実際こんな感じだったのだろうとこちらも興奮を覚える。

登場人物たちの衣装や髪型も、本当に作品からそのまま出てきたような美しさだった。ローマの聖職者たちの緋色の聖職服、マルタ騎士団の白黒の制服、貴族の女性たちの美麗なドレス姿。美術史家なども監修に携わっているとのことなので、時代考証もいろいろなされているのでしょう。

そして屋内外問わず「光と影」の表現に徹底的にこだわった映像は、さながら明暗を強調したカラヴァッジョ作品がそのまま動画になったようですらある。改めて思えばカラヴァッジョの時代には当然ながら電気もなく、自然光と蝋燭の光が全てであり、カメラだってなかった。だからこそのあの明暗表現、質感描写なのだろうし、出来上がった作品を観た人々は「本物のようだ」と感嘆したのでしょうね。

主役のカラヴァッジョを演じたアレッシォ・ボーニは、笑った顔がややラモス瑠偉に似てなくもないが、喧嘩や決闘や死の妄想にうなされるような場面が多い中、激しい感情表現を大熱演。デル・モンテ枢機卿を演じたジョルディ・モリャの抑えた演技も良かった。

ついでに、「ボルゲーゼ美術館展」(東京都美術館)にまだ足を運ばれていない方がいらっしゃったら、そちらも是非。カラヴァッジョの最晩年の作品『洗礼者ヨハネ』が、じっと見詰めてきます。