落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>弟子をふるい落とす ルカ14:25~33

2013-09-02 13:32:05 | 講釈
みなさま、
次主日のテキストによる<講釈>ですが、私の勘違いにより、説教壇から語られる予定がなくなりまし。でも、折角、準備したのでお送りいたします。

S13T18(L)
2013.9.8
聖霊降臨後第16主日(特定18)<講釈> 弟子をふるい落とす  ルカ14:25~33

1. 弟子の条件に関する伝承
ルカ福音書では「弟子の条件に関する伝承」は3つあり(9:57-62、14:25-35、18:24-30)、それらはすべてエルサレムへの旅行記の中の出来事とされる。旅の初めと中頃と終わりとである。最初の出来事は、9:51でエルサレム行きを決意した直後で、一緒にエルサレムへ向かう弟子の覚悟を問うということに重点がかかっており、いわば弟子であることの精神が問われている。このテキストは特定8に選ばれている。最後の出来事は弟子であることの永遠の報償について述べられているが、聖餐式日課では取り上げられていない。それ等に対して、本日のテキストはエルサレムへの旅の途中、むしろにエルサレムに近づいて来た段階で、「群衆」、ここでは途中から旅に加わった弟子たちに覚悟を問い直す意味合いが強い。山登りでいうと最後の段階に向かう7合目から8合目あたりでの覚悟の再確認である。いわば弟子であることを最後まで貫くための条件である。もし、最後まで貫徹できそうもなければ、今ここで弟子であることを諦めよということに重点がかかっている。その点でいうと、本日のテキストは覚悟ができていない者をふるい落とすことである。

2. 文脈
ルカ14:26-27はほぼ同じ文章がマタイ10:37にも出てくるので、おそらくQ資料に基づくものであろう。ただマタイではルカ12:51-53に対応する言葉に続いており、「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」という言葉で結ばれている。つまりマタイでは弟子という特殊な立ち場の者に対する言葉というよりも、一般信徒への倫理規定である。それに対してルカではこの言葉に続いて、建物を建築する者の計画性という譬えと、戦争しようとする者の勝利の可能性の計算という譬えが挿入され、最後に「だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない」(14:33)という言葉を添えて結ぶ。つまりエルサレムへの旅の果てに起こるであろう出来事に向かっての持続的な意志が問われている。従って、ここでの弟子とは一般信徒というよりもイエスと共に苦難を担う選ばれた弟子という意味であろう。

3. 語句の釈義
「一緒について来たが」(25節): ここでの群衆とはイエスについて来た群衆である。従って単なる見物者ではない。エルサレムに向かって旅するイエスの一行に途中から加わった弟子たち(=同行者)である。イエは彼らに向かって26-34節の言葉を語っている。どの程度なのか分からないが、イエスのエルサレム行きに同行したいと思うものがかなりいたものと思われる。彼らはイエスに何を期待して同行したいと思ったのだろう。イエスがエルサレムに行けば、何かが起こる。時代を突き破る何かが起こる。しかし、それがいったいどういうことなのか彼らは理解していない。
「憎まないなら」(26節):ここで用いられている「憎む」という言葉は、比較級を「対立概念」で表現する当時のレトリックである。つまり「二つのものを比較して、より少なく愛する」という意味であろう。口語訳では「捨てる」という訳語が用いられている。要するにイエスの弟子であろうとするならば、「この世における甘い人間関係、捨てがたい絆、人生における最後の拠り所」を切り捨てなければならないという意味である。これは、かなり厳しい条件ではあるが、「何かをせよ」という積極的な条件というよりも、最低こうでなければならないといういわば消極的な条件である。
「自分の十字架を背負って」(27節):この言葉はイエスから発せられたとは思えない。むしろ「イエスの十字架」という神学が成立した後のキリスト者の生き方を特徴付ける言葉である。しかも、ここで「自分の」という言葉は「十字架の神学」というような信仰の対象になる十字架という意味ではなく、自分自身が生きていくのに必然的に伴う自分の責任を意味する(参照9:23)。それの代表的なものが「家族に対する責任」である。そこから逃げてはいけない。しばしばイエスの弟子になることによって「家族に対する責任から逃げようとする」ことがある。この条件はエルサレムに向かう弟子集団の条件というよりも、初期の教会における信徒の教会と家庭という二つの責任についての条件であろう。
「持ち物一切を捨てる」(33節):この句はルカ好む表現で、ルカによる付加語だと思われる。

4. イエスは弟子(=同行者)を減らす
イエスは「従って来る」群衆に向かって(振り向いて)、「弟子であることの覚悟」を語られる。彼らはイエスに従ってエルサレムへの旅に参加したいと願っている。つまり弟子志願者である。彼らの姿を見て、ペトロやヨハネなど既にイエスの弟子となっている人々は得意満面であったろう。弟子は多ければ多いほどいいに決まっている。人数の多さがイエスの運動を支えるエネルギーである。弟子たちは「もっと増えろ、もっと増えろ」と心の中で叫んでいたに違いない。ところがイエスは後ろを振り向いて嫌なことを言われる。「わたしに従ってきたい者は父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分自身の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではあり得ない」。これでは、誰もついて来れないではないか。
ここにこれからエルサレムで起こる、いや起こそうとしている出来事についてのイエスと弟子たちとの考えの違いが明瞭になる。弟子たちはそのためには一人でも多くの人が必要だと考えた。しかしイエスはエルサレムに乗り込むのに大勢は要らないと考えた。しかし弟子たちもイエスも一緒にエルサレムに行くためには意志が強固で目的を達成するために身を捨てる覚悟が必要であるという点については共通していた。
さて、ここで私たちは面白い立場に立っている。エルサレムの出来事をイエスも弟子たちも「これから起こること」として考えている。それに対して私たちは、そしてこの福音書を書いたルカも含めて「もう既に起こったこと」として見ている。私たちは未来のことについては予想はできても予知することはできない。計画をすることはできても、その通りになるとは限らない。イエスはイエスなりにエルサレムで怒るであろうことは予想し、計画もしているだろうが、そのことは弟子たちには分からない。弟子たちもいろいろ予想はしているが確実なことは言えない。これから起こることについては分からないのは当然であるが、私たちはエルサレムで何が起こったのかということを知っている。そして、その一連の出来事において弟子たちがなすべきことは何もなかったということも知っている。
一応その当時、弟子たちが起こると期待していた内容を説明しておく。イエスが復活したというその日、つまりエルサレムでの出来事が終わった直後の弟子たちの気持ちがルカ福音書に記録されている。「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」(ルカ24:21)。これは当時の弟子たちの率直な気持ちを表している。要するに期待していたことは起こらず、イエスはほとんど何も抵抗をせず、あっさりと捕縛され、裁判にかけられ、処刑されてしまった。弟子たちはそれを近くで、何も手出しをする機会もなく、ただ見ているだけであった。だから彼らは落ち込んでいる。何のために私たちはそれなりの覚悟をしてイエスに従ってきたのか。これがエルサレムでの出来事の前と後の弟子たちの気持ちであろう。
さて話を戻すと、あの時エルサレムで起こった一連の出来事について、私たちは「過去のこと」として見ている。では、エルサレムを目前にしてイエスが「わたしに従ってきたい者は父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分自身の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではあり得ない」と言われたのはどういう意味だったのであろうか。明らかにこの言葉は弟子たちが心配したように、折角エルサレム近くまで着いてきた多くの弟子の志願者たちをふるい落とすことになったであろう。エルサレムでの弟子たちの行動を見ていると、彼らは何の役割も果たしていない。それなのに、何故イエスはこんなに厳しい条件を出されたのであろうか。これが本日の課題である。

5.イエスの弟子たちの役割とは何か
話は全然異なるが、「戦場のカメラマン」という職業がある。基本的には彼らは戦場に出かけるが、戦うわけではない。あるいは救助活動をするわけでもない。しかし彼らにとって戦場は兵士たちと同じように危険な場所である。敵と味方が激しく交戦するまさにその場に近づき、そこでひたすら写真を撮るということが彼らの使命である。弾丸が飛び交う戦場だけではなく、彼らが休憩する場所、彼らが眠る場所、彼らが食事をする情景、それらが全て戦場カメラマンにとって見て、写真を撮るべきものである。そして彼らが撮った1枚の写真が戦争という出来事を世界の人々に伝えられる。遠くの方からリモコン操作によって撮れば済むというわけでもない。彼らは兵士たちと共に生き、共に憩い、共に戦っている。そして彼らが撮った写真が真実を世界の人々に語る。その積み重ねが歴史である。まさに彼らは歴史の一つの瞬間の証人である。
全てのものを犠牲にしてイエスに従った少数の弟子たちに課された任務は、イエスと共に剣を持って戦い、敵を倒すことではなかった。またイエスと共に捕縛され、裁判にかかり、十字架で処刑されることでもなかった。彼らの重大な任務は、エルサレムで起こった一連の出来事を見て、感じて、全世界の人々に伝える「歴史の証人」である。それは家族の生活に責任を持つ者、臆病者には勤まらない任務である。
もし、証人がいなかったら、エルサレムで起こった出来事はエルサレムに住んでいる人たちの間のうわさ話で終わったであろう。過去の出来事が「歴史」として後代に残るのは、証人がいて、証人がそのことを公に証言するからである。証人は必ずしも多くいる必要はない。ごく少数でも、出来事をしっかりと、冷静に見ること、そしてそこで見たことを確信を持って語ることができればいい。そのためには現場から決して逃げない。離れない。眼を閉じない。それは並大抵のことではない。それなりの覚悟と度胸が必要である。イエスの弟子たちがそれに相応しい人たちであったのかということについては疑問がない訳ではない。しかし、結果敵に見るならば彼らはその任務をしっかり果たした。
弟子たちは、イエスが群衆に向かって「わたしに従ってきたい者は父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分自身の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではあり得ない」と言われたとき、その言葉の意味することを理解出来なかった。イエスが十字架上で亡くなったときも未だ理解出来なかった。イエスが復活したという噂を聞いたときにも、理解出来なかった。しかしあの時以来、何故という疑問があたも離れず、自分たちに問いかけ続けた。イエスが独り苦しんでいるときに何もできない自分たちを思い反省はするが、この「何故』に対する答えは得られなかった。このままイエスの名が歴史の藻屑となって消えていくのかということを考えたときに、初めて「はっ」と気付いた。自分たちはイエスという人物の生きたこと、語ったこと、そして死んだことの目撃者なのだということに気付いたのである。
使徒言行録の最初のところで、使徒たちの任務として、次のように語られている。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)。これが弟子たちの自己理解であり、任務を自覚した言葉である。
教会の最初期の頃、ペトロは公の場である神殿でこんな説教をしている。
「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です」(使徒3:13-15)。

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